おとぎ話のように

青樹空良

おとぎ話のように

 そうして人類は永遠の眠りについた。

 はずだった。

 目が覚めたときには、悪い冗談だと思った。

 だが、冗談ではなかった。

 今日も私は眠っていない誰かを探して、夢遊病者のように街を彷徨っている。


「そりゃ、いつも寝付きは悪い方だったけどね」


 誰にも聞こえていないと思うと独り言も大きくなるというものだ。

 そう、私は子どもの頃から寝付きが悪かった。

 保育園のお昼寝の時間には一人だけ起きていて先生を困らせていたし、遠足の前の日には眠れなくなって当日寝不足で行くことになった。普段から寝付きが悪いが大切な日の前になると更にひどくなるタイプだ。

 もちろん、初めてのデートの時なんかもそうだった。

 それにしても、である。

 地球上の人類全てが眠りについているというのに、私だけ取り残されている状況というのはさすがにどうかと思う。

 遡ること一週間前、嘘みたいな話だが宇宙から異星人がやってきた。そして、人類を全て眠りにつかせることに決まったと言ったのだ。しかも、大げさな機械などを使うわけでもなく自分の家で普通に眠れるということらしい。宇宙人の謎技術だ。

 どうやら宇宙にとって地球人は危険な存在で、けれどいきなり星一つを消すと宇宙のバランスが崩れるとかなんとかで眠らせておくことになったらしい。

 説明してくれるあたり、何も言わずに眠らせたり皆殺しにしたりするよりは人道的だということだろうか。

 宇宙人がやることなのだから、寝付きの悪さが天下一品の私だって眠れると思っていた。だから、その時間が来て覚悟を決めて、あの人と一緒に布団に潜り込んだとき、眠れないだろうなんていう不安は無かった。

 だというのに!

 私は起きていた。

 うとうととしていた記憶はある。このまま永遠の眠りについてしまうのだろうとぼんやりと思っていた。

 そして、やはり眠れないなと起き上がったときも宇宙人が来たのは夢だったんだろうかと思ったくらいだった。

 だが、冗談ではなかった。

 今現在、私以外全員眠っているのだ。そして、何時間経っても何日経っても目覚めなかった。もちろん、目覚ましが鳴ってもおかまいなしだ。

 私以外は本当の本当に目覚めない眠りについているらしい。

 しかも、だ。

 どうやら人類を眠らせた宇宙人は、私がうとうとしている間にいなくなっていたのだ!

 全ての人類を眠りにつかせる、などと言ったのだ。責任を持って最後の一人まで眠らせて欲しかった。

 手抜き、ダメ、絶対。

 一人だけ起きていてどうしろと言うのだ!

 とにかく全ての人が眠っているというのに、私は一人だった。

 他にも起きている人がいるのではないか。そんな期待が捨てきれなくて、私は行ける範囲で様々な方向へ出掛けた。

 行ける範囲で、というのは徒歩と自転車の範囲内でということだ。

 なにしろ、全ての人類が眠っているのだ。

 公共交通機関なんて動いているはずがない。

 人っ子一人いない道を私は一人歩く。

 静かだ。

 世界ってこんなに静かだったんだ。

 人の気配が無いわけじゃ無い。だって、みんな家の中にいる。ただ眠っているだけなのだ。

 だから、この世界に私一人じゃない。

 変な感じ。

 おかしくもないのに笑い出したくなるような。

 走り出したくなるような。

 涙が出てくる、ような。




 ◇ ◇ ◇




 結論。

 誰も起きてない。

 少なくとも私の知る限りでは。

 あれから行ける範囲を探し回った私は心が折れかけていた。

 みんなが起きていた頃はネットも繋がっていた。動画だって配信されていたし、テレビも放送していた。

 誰か、他にも寝付きの悪い人がこの世界のどこかに取り残されているんだろうか。私みたいに。

 そういう人を探しに行く、というのが一番現実的だろうか。

 だけど、と私はため息を吐く。

 動き回っていれば、平気だと思っていた。私が一番心細いと思っていること、一番不安なこと。一番に考えたくないこと。

 外に目を向けてさえいれば、それに目を伏せたままでいられると思っていた。


「ただいま」


 私は私の家の玄関を開ける。

 自分の家に帰ってきたかと思うと、ほっとしたのか疲れが出たのか目眩がした。倒れそうになって持ち直す。

 体調が悪くなっても病院なんかやっていない。みんな寝ているんだから。

 しっかりしないといけない。


「よし」


 私は寝室へと向かう。


「ただいま」


 もう一度、今度はきちんと布団にくるまって寝ているあなたに向かって言う。元々寝相はいい人なのだ。

 ちなみに私は悪い方だ。

 始めて一緒に寝たときに、私の寝相が悪すぎたせいで肘鉄を食らわせてしまったようで朝になって文句を言われたことが懐かしい。私はもちろん寝ていたから覚えていないんだけど。


「あの時はごめんね」


 私の声は聞こえているのかな、寝ているから聞こえてないか。

 寝言でもいいから声を聞かせて欲しい。

 寝息は聞こえている。

 そのことにほっとする。

 あなたがここにいてくれるのだと安心する。

 だけど、目を開けてくれないことがさみしい。

 声を聞けないことがさみしい。

 きっと、あなたは起きていたら今の私を見て、顔色を見て心配してくれるに違いない。

 私はふるふると首を振る。

 弱気になっちゃいけない。

 私が起きているくらいだ。奇跡が起きてあなたが目を覚ますこともあるかもしれない。

 これまでどんなに声を掛けても、揺すってみても起きなかったけれど。

 諦めたらそこで終了だ。

 布団の中で気持ちよさそうにただ眠っているあなた。

 私の初デートの相手で、今は私の夫だ。




 ◇ ◇ ◇




 朝、目覚ましが鳴った。


「んー、おはよう」


 話し掛けても隣から返事は無い。昨日は隣で一緒に眠ったのだった。

 わざと目覚ましを止めないで鳴らし続けてみる。

 あなたはぴくりともしない。目覚ましがなくても、朝にはしっかり起きる人だったのに。


「うるさい……」


 静かな環境に慣れてしまった私は目覚ましを止める。これで幸せそうに寝ていられるのは本当にすごい。やっぱり宇宙人の技術は謎だ。


「そうだ」


 目覚ましの音を聞いていたら、すごく古典的な方法を思い付いた。

 私はそれを行動に移すことにした。


「これだけあれば、なんとかなるんじゃない?」


 百個くらいは集めただろうか。みんなが寝ているのをいいことに、そこら中からちょっと拝借してきた。

 一人だけ起きているという状態だ。これくらい許してくれるだろう。

 合わせてある時間だ。

 あなたの寝ている布団の周りを囲むように置いた目覚ましが、一斉に鳴り始める。


「いや、めっちゃうるさい! 想像以上にうるさい!!」


 だというのに、やっぱりあなたは寝息を立てたままぴくりともしない。


「宇宙人! どうやって寝かせてるの!?」


 私の大声さえ目覚ましの音にかき消される。

 目覚まし作戦、失敗。




 ◇ ◇ ◇




「同じうるさいなら、楽しい方がいいよね!」


 と、いうわけでスイッチオン。

 ネットは繋がっていないけど、CDプレーヤーは動く。とりあえず電気とか水道とかはまだ止まっていない。非常用電源でも動いているんだろうか。生活に困っていないのはありがたい。

 スピーカーから盆踊りの音楽が流れ出す。身体が勝手に踊り出す。これはあなたのせいだ。


「はい! ちょちょんがちょん!」


 あなたが子どもの頃に教えてもらったという、謎のフレーズを口ずさんでしまう。

 二人で盆踊りに行ったとき、私は踊らないで見ていると言ったのに無理矢理輪の中に引き入れられてしまったのだ。私は見ているだけで楽しいと言ったのに。

 だけど、あなたについて教えてもらいながら踊るうちに夢中になっていた。あなたの為に着ていった浴衣は汗だくになってしまっていた。それでも楽しかった。

 今日ももちろん浴衣を着ている。あの時、あなたが可愛いと言ってくれた浴衣。

 もはや汗だくになってもかまわない。私は踊る。

 踊る! 踊る!


「はぁはぁ」


 さすがに疲れた。

 二人で踊っていたときはすごく楽しかったのに、一人で盆踊りしてても何も楽しくない。

 しかも家の中で。


「楽しくないなら意味ないか……」


 ぶつぶつと呟いていても、眠っているあなたはやっぱり答えてくれないし、目を開けてもくれない。

 これで目が覚めたら、何してるのとか言って笑ってくれると思ったのに。浴衣似合うね、なんて言葉もちょっと期待していた。あの時みたいに。

 それはともかく、この盆踊りも作戦だ。


「名付けて、天岩戸作戦!」


 神話にちなんで歌って踊って楽しそうにしていたら目を覚ましてくれないかな、というアレだ。アレは寝ていたのではなくて引きこもっていただけだっけ?

 とにかく、なんでもやってみるのが大事だ。

 どうして盆踊りなのかというと、私が踊れるのがそれくらいしかないからだ。あなたが教えてくれた盆踊り。

 しかし今回もあなたは目を覚まさなかった。

 天岩戸作戦、失敗。




 ◇ ◇ ◇




 次。

 あなたの好物を作ってみる。

 私はそれほど料理が得意なわけでもない。だけど、初めてあなたに作った料理、カレー。

 肉と野菜を切って市販のルーを入れて煮込むだけで美味しくなるやつ。

 それだけであなたは子どものように喜んでくれた。それから、二週間に一回くらいは作っている。飽きないのかと思うけれど、飽きないらしい。私が作ったカレーだからよけいに美味しいとか言い出す始末だった。嬉しいけど。

 料理しながらあなたの喜ぶ顔を思い浮かべてにやにやしてしまう。一人になってからは久しぶりに作った。

 なにしろとうとうガスも電気も止まってしまった。水は近くの川で汲んでこれるのがありがたい。火に関しては、カセットコンロは残されている。非常用の備えは本当に大事だ。ただ、いつまで持つかはわからない。

 だが、今はそのおかげでことことじっくり煮込んで美味しいカレーが出来た。

 すごくいい匂いだ。

 さっそく寝室へと運ぶ。こんなにいい匂い。きっとあなたも目を覚ますはず。

 が、カレーを近付けても鼻をぴくりともさせない。


「ほらほら、大好きなカレーだよ」


 なんて声を掛けてみても、うんともすんとも言わない。

 好物で釣ってみよう作戦、失敗。




 ◇ ◇ ◇




 それからも、私は様々な作戦を実行した。

 だけど、


「なんで起きてくれないの……」


 その言葉を口に出してはいけないと思っていた。

 一度口にしたら止まらなかった。

 絶望はしないでいようと思った。

 生きようと。

 それで今日まで一生懸命明るく過ごしていようと頑張ってきたれけれど。


「ねえ、なんで? なんで私だけが起きてるの? こんなことなら一緒に眠っていられる方がよかったよ」


 最初は別のところに目を向けようと、他に起きている人がいないか探そうとした。一人はさみしくて、あなたが眠っているのがさみしくて、別の何かを探そうとした。

 けれど、それはやっぱり違っていた。

 世界中の誰もが眠っていたとしても、もしも、どこかに起きている人がいるのだとしても、私はあなたに起きていて欲しかった。

 もう一度、目を開けて私を見て、私の名前を呼んで、一緒に踊って、一緒に美味しいものを食べて……。

 それだけでいい。たったそれだけでいいのに。

 宇宙人がやってこなければ、それが当たり前の日常だったのに。

 ぼろぼろと涙がこぼれてくる。

 どうして、私だけ眠らせてくれなかったんだろう。

 ちゃんと二人で手をつないで眠ったのに。こんなことになってしまったけど、それでも二人なら怖くないと微笑んで眠りについたのに。

 どうして、私だけ起きてしまったのだろう。

 取り残されてしまったのだろう。

 あなたは眠っている。

 こんなに近くにいて生きているのに、眠っているだけなのに。

 あまりにも遠い。

 もうこのまま、あなたは目を覚まさないのだろうか。

 私が死ぬまでこのまま? それならもう死んでしまおうか?

 だけど、あなたは眠っている。死んでいるんじゃない。

 だから、期待してしまう。いつか目を覚ましてくれるんじゃないかと。

 ひどい生殺しだ。

 こんなことなら皆殺しにしてくれればよかった。そうしたら、こんなに悩まずに済んだのに。こんなにさみしくなかったのに。待ち続けることも、努力することもなかったのに。

 死にたいのに死ねない。

 希望なんて残してくれなくてもよかった。


「ひどいよ……」


 希望がなければ絶望なんてしないのに。


「だけど」


 一つだけ、まだ試していないことがあった。

 冗談みたいに試してみようとして、出来なかった。

 色々と試してみたけれど、これだけは出来なかった。

 この方法まで失敗したら、もう後がないと思っていたからかもしれない。

 それは、


「……王子様のキス」


 口に出してみて、誰も聞いていないのに恥ずかしくなる。

 大人になってもまだこんなことを信じているなんて。だけど、女の子なら誰でも憧れたことがあるんじゃないだろうか。もういい歳なのにどんな少女マンガ脳なのかと自分でツッコミたくなるけれど。


「これでダメだったら……」


 どれだけこんな非科学的なことに賭けていたんだと思うくらい切実な私の声。

 目を覚まして欲しい。

 そして、今までのことは悪い夢だったのだと一緒に笑いたい。


「どっちかと言えば、私がされる方なんだけどね。私の王子様」


 軽口のように言ってみても、きっとあなたには聞こえていない。

 これはいつもの独り言。

 だけど、もう試さずにはいられなかった。

 そっと、顔を近付けて私はあなたに口付けた。

 温かかった。生きていた。

 ただ、目を覚まさないだけ。塩辛い。これは、私の涙だ。

 本当はこんなことで目を覚まさないって知ってるから。

 それはおとぎ話の中のお話。

 だけど、


「どうしたの? なんで泣いてるの?」


 ぼんやりとにじむ視界の向こうで、あなたの声がした。

 懐かしいあなたの声がした。


「大丈夫?」


 あなたは起き上がって、優しく私を抱きしめる。

 私はあなたの胸に顔をうずめて泣いて、頷くことしか出来ない。

 あなたが抱きしめてくれる腕が温かかった。

 おとぎ話は本当だった。

 これは、夢? それとも、現実?

 どちらでもよかった。

 あなたさえいてくれれば、私には。

 たった一つだけ。

 夢ならもう、二度と覚めないで。

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