第26話 わたしは川沿いを歩きながら

 わたしは川沿いを歩きながら、景色に目を奪われた。

  

 澄んだ水の流れ。

 どこまでも続く深い森。

 現代では見ることができない手つかずの自然だ。

  

 それにしてもこの世界は何だろう。「十五少年漂流記」の世界だってことは分かるんだけど。

  

 長い夢を見ているんじゃないか。

 自分の頭がおかしくなったんじゃないか。

 ――そんな風に考えることもある。

  

 でも、目の前の景色には、圧倒的な現実感がある。

 一緒にいるガーネットたちもリアルな人間だ。

  

 現代の方が、夢のようにも思える。中学校に通っていたことが遠い昔みたい。

  

 そもそも、わたしは、この世界にくる直前のことが思い出せない。

  

 現代での一番最後の記憶は何だろう。思い出そうとすると、モヤモヤしているのだ。どこで何をしていたんだっけ——。

  

「危ない!」

  

 とつぜん、声がした。

 身体がふわりと浮かび上がるような感覚がして、まもなく誰かに腕をつかまれた。

  

 ドノバンだ。

 わたしは引っ張りあげられた。

  

「ぼんやりするな!」

「えっ」

  

 川沿いがゴツゴツとした岩場になっていて、水面との間に数メートルの高さがある。岩場を歩いていたわたしは、うっかり足を滑らせたのだ。

  

 ドノバンは先頭を歩いていたはずだ。

 岩場に差しかかったので、立ちどまって警戒していたらしい。

  

「ご、ごめん」

「まったく、ちゃんと注意しろよ」

  

 助かった。

 いや、助けられた。ドノバンに。

 考えごとをしているうちに、足もとがおそろかになっていた。

  

 ドノバンにギュッとつかまれた腕が痛い。助けてもらわなければ、いまごろ川に落ちていただろう。


 サーヴィスがみんなに言った。

「安全なところまでいったら、いったん休けいしようよ」

  

 何だか申し訳ない。

 自分から手を挙げて参加したのに、これじゃ、足を引っ張っているみたいだ。

  

 でも、午後に入ってからもずっと歩き通しだった。休けいはありがたい。岩場を抜けたところで、座り込んだ。

  

 わたしは水とうの水を飲み、キイチゴを口にいれた。


 ふぅ。

 目の前のことに集中しなきゃ。

  

 でも、改めて思う。

 やっぱり、何かが変だ。


 現代にいたときの、最後の記憶がどうしてないんだろう。もしかしたら、この世界にくるきっかけに関わっているのかもしれない。

  

 わたしは何か大事なことを忘れている気がする。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎

  

 サーヴィスが言った。

「良いペースだ。きょうだけで十マイル近く歩いたよ」

 ブリアンもうなずいた。

「ヒカリが提案したルートがよかったね」

  

 ドノバンはひとり、苦虫をかみつぶしたような顔をしている。

「だからって気を抜きすぎだ」

「スミマセン……」

 わたしは肩をすくめる。

 落ち込む気分を立て直すために、ファンの頭をワサワサとなでた。

  

「いま何時ごろ?」

 ガーネットの問いに、ウィルコックスが懐中時計で確認する。

「午後三時半だ」

  

「今日は無理しなくてもいいと思う。このあたりで野営の場所を探そう」

 ブリアンの言葉に、みんなが応じた。

「賛成」


 ドノバンもだまってうなずく。

 わたしが疲れているかもと、気をつかってくれたのかもしれない。

  

 川から少し森に入ったところで、うまい具合に開けた場所が見つかった。

「ここにしようか」

 みんなが荷物を下ろした。

  

「念のため、周りを見てくる」

 ドノバンが猟銃を手にする。ウィルコックスもだまって立ち上がり、口笛をふいてファンを呼ぶ。二人と一匹が連れだって出かけた。

  

「じゃあ、俺たちは寝どこをつくるか」

 サーヴィスがのんびりとした声で言った。

  

 みんな一枚ずつ帆布はんぷを持ってきていた。それで二人一組で簡単なテントをつくるのだ。

 わたしとガーネット、ブリアンとサーヴィス、ドノバンとウィルコックスがそれぞれ一組だ。

  

 木の間にロープを張り、帆布を洗たく物のようにかけて屋根にする。もう一枚の帆布は床に敷く。これで雨露をしのげる。木の上から虫が落ちてくる心配もない。

  

 それからわたしは鍋で湯をわかした。石で簡易のかまどをつくり、マッチで木の枝に火をつける。


 料理担当としては、せめてみんなに温かいスープくらいはつくってあげたい。くんせい肉を細かくちぎり、小びんで持ち込んだ赤ワインと水を鍋に入れ、ふつふつと温めた。

  

 しばらくするとドノバンたちが帰ってきた。

 サーヴィスが冗談まじりに声をかける

「原住民の見張り小屋は見つかったかい?」

「何もない。森が広がっているだけだ」

 ドノバンが面白くもなさそうに答えた。

  

 ガーネットがサーヴィスにたずねる。

「襲ってくるような動物はいるかな」

「いるとしたら、ヒョウかな」

「うそ、ヒョウなんかいるの?」

「ここが南アメリカに近いならいるだろ。まぁ、ファンがいるから大丈夫だよ」

  

 ブリアンが言った。

「念のため、火は絶やさないようにしよう」

  

 夜がふけてきた。

 みんなで火を囲むように車座に座り、スープを飲む。

  

 森の中は、時おり鳥の声がするくらいで静かだ。

 六人もいるから、何となく落ち着いていられる。これが二、三人だったら、かなり不安だったと思う。

  

 ガーネットがリュックからアコーディオンをとりだした。

 サーヴィスがあきれた声で言う。

「そんなものを持ってきていたのか?」

「外で弾いてみたかったんだもん」

  

 アコーディオンはガーネットの趣味だ。スラウギ号に大小さまざまなアコーディオンを積んでいる。これはその中でも六角形で片手にのるサイズの一番小さいやつだ。

  

 ガーネットは譜面も見ないで弾きはじめた。見事な指さばきだ。ガーネットの手から楽曲がこぼれるように広がっていく。

  

 夜の森に響くアコーディオンの音色は、格別だった。小学校にあった足踏みオルガンを、もっと軽やかな音にした感じ。

  

 初めて聴く曲だったけど、なんだか懐かしい気がする。わたしは目を閉じて、耳を傾けた。

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