夜桜には鮮血を

八百本 光闇

夜桜には鮮血を

 桜のつぼみが淡く膨らんでいる。もう少しで開花するだろう。俺とさくらは、公園のベンチに座って、何をするわけでもなく過ごしていた。俺はさくらの方を向いた。彼女の頬も、桜のようなピンク色だ。かわいかった。それだけではない。彼女は何もかもが桜みたいだ。名前も、綺麗なところも、華やかなところも、儚いところも。

「やりたいことリスト、もうちょっとで終わっちゃうね」

 さくらはリスト帳を眺めながら、落胆したような声で呟いた。

「ああ……」

「あと、高坂くんと桜のお花見するのと、そのあとは……」

 言葉を濁すさくら。

「あとは?」

「うーん、お花見するときに教えるね!」

 なんだか意味深なさくらの言葉に、俺は問い詰めようと思ったが、彼女に申しわけない気がして、やめた。

「ねぇ高坂くん。一番良かった『やりたいこと』ってどれ?」

「えー?」

「そろそろ、振り返っておこうと思って」

 俺は空を見上げて『やりたいこと』を思い出した。漫画の大人買い、フリマ出店、初日の出を見に行く、何時間連続で寝れるかチャレンジ...今思えば、彼女と結構いろいろなことをした。彼女と一緒にいるときは、学校での辛い出来事も、忘れられたんだ。

「俺はやっぱり……カフェ巡り、かな」

「かわいい!」

「かわいいって……俺は君の笑顔が見れて嬉しかったんだよ」

 さくらの胃袋は俺が思ったより大きくて、後半は俺が彼女の食べっぷりを見るだけになったんだっけ。もくもくして幸せそうな彼女の顔を見てたら、こっちまで幸せになりそうだった。

「だからカフェ巡りかぁ。へぇーっ、ふむふむ」

 口を手で押さえて茶化すように笑うさくら。かわいいって言う方がかわいいんだけど。

「そういうさくらは何だよ」

「私はねー、町のボランティア活動」

「えっ、地味じゃん」

「地味じゃないよっ、だって規模が大きいでしょ。しかもいろいろな人に感謝されるし。自己肯定感上がっちゃうよね」

「さくらは優しいんだね」

 俺が褒めると、彼女はため息をついてうつむいた。

「病院とかにいろいろ迷惑かけてるんだもん。これくらいはやっておかなきゃ」

「ああ……」

「それに……もう私、死んじゃうし」

「……」

 さくらは難病で余命がわずかだった。今は定期的に病院に通うだけで済んでいるが、もうちょっとで病院を終の住処にすることになるという。だからそれまでには、やりたいことリストを達成しないといけない。

 黙り込んだ俺をみかねたのか、さくらは焦ったように手を動かした。

「あっ、ごめんね」

「いや、さくらの方が辛いだろ? 気を遣う必要なんてないよ」

 気を遣わせてしまったことを申し訳なく思う。しかし、さくらのこと以上に、俺は俺自身のことしか考えられなかった。

 さくらが死んだら、俺はどうすればいいんだろう。ずっとさくらが人生の全てだった。やりたいことリストを一緒に達成しているときは、さくらがもうじき死ぬなんて考えられなくて。ただ目の前の喜びを噛みしめていた。でも、寝る前とか今このときとか、ふとした瞬間に未来のことを思い出してしまう。さくらが死んだ後の未来が。

 そういう風に、自分のことしか考えられない俺が憎い。

「高坂くんは、ずっと死にたがってたんだよね。今は?」

「今は、そんなに……でも、やりたいことリストが全部終わったらと思うと……」

「えへへ、私と同じだね」

「へ?」

「私もさ、やりたいことぜーんぶやったら、もう生きる意味ないんだ。あはは、ちょうど、病気を持ってて、上手く死ねるんだけどさ。そう考えたら高坂くんの方が悲惨じゃない? 生きる意味がなくなっても、生きなくちゃいけない」

「通り魔とかに刺されて死ねたらなぁ。君と同じように、不幸な感じで。もし不幸がなかったら……俺は……」

「自殺?」

「いや、生きてるかも。俺には自殺する勇気なんてないし」

「えへ、じゃあさ、やりたいことリスト全部やったら、一緒に死のっか?」

「え?」

「冗談だよ」

 さくらは優しく笑った。風が吹いて、彼女のカーディガンが揺れる。風とともに、彼女も消えていってしまいそうだった。俺は思わず彼女の手に触れた。暖かい感触。彼女はここに居る。

 さくらは、俺の手を握った。

「今日はもう帰ろっか。また学校でね」

「うん」


――


「わぁ~きれい……!」

「マジでベストタイミングだな!」

 満開の桜が、ひらひらと舞う。もう一週間も経った。俺とさくらは、満天の桜の下でレジャーシートや弁当を広げて、花見をしていた。さすが開花時期なだけあって、公園には人はいっぱいだ。

「高坂くん、ほんとうにありがとうね、朝早くからここ取ってくれて」

「このくらい楽勝さ! 朝だけは強いからな!」

 本当は、朝が苦手だ。でも、彼女の前にいると、つい強がってしまう。花見をする約束をした次の日から早起きの練習をしていたなんて言えない。

「朝強いのホントに尊敬! しっかりしてる~」

「へへっ、今度秘訣を教えてやるよ」

 俺とさくらは、しばらく他愛のない会話を続けた。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。俺は心の底からそう思った。

 会話が一区切りついて、無言の時間が続いたら、さくらは、おもむろに口を開いた。

「最後の『やりたいこと』、話すね」

「……」

 俺は身構えた。

「桜の木の下には」

「え……? あー、死体が埋まってる?」

 さくらは唐突に小説のタイトルを言うものだから、俺は困惑しつつも反射的にそれに合う言葉を返した。桜の木の下には死体が埋まっているから、桜は綺麗だという。内容はちゃんと見たことないけど、そういう主張をしている人が出てくるのは知っていた。死体が埋まっている桜は、儚げな雰囲気のある普段の桜と相反していて、なんだか怖い。

「よく分かってるね! そう死体なんだよ。死体が埋まってるから、桜は綺麗なんだ」

 さくらは人が変わったかのように明るく喋り始める。「でも実際には死体はない。当然だけどね。だからもしあの言葉が本当なら、桜の下に死体を埋めたらもっと綺麗になるはずなんだ!」

「……何を、するんだ?」

「分かるでしょ? 人を殺して、死体を埋めてみるの!」

「……?」

 さくらの言っていることが理解できない。ただ、誰にも聞かせてはいけないということだけは分かって、俺は周囲を見渡す。幸い、他の人とは距離があったし、花見とか会話とかで忙しそうで、聞かれていないようだった。

「聞かれてないし大丈夫でしょ! でさ、つまり、私は人を殺して、埋めて、桜がどのくらい綺麗になるかを見てみたいの。それが最後のやりたいこと」

「冗談?」

「そんななわけないよ。前のやりたいことだって全て取り組んできたでしょ? 君と一緒に」

 さくらはニコニコと笑う。まるで、楽しいことを話すみたいに。まぁ、本人にとっては楽しいんだろうけど。俺にとっては、殺人なんて画面の向こうの出来事で、しかもちっとも楽しくないことだった。

「でもさ、そんなことしたら、犯罪だろ? 警察に捕まって、将来が、めちゃくちゃに」

「私には将来なんてないじゃない?」

「あ……」

 さくらがずっと訳のわからないことを言うだから、配慮に欠けた発言をしてしまった...というのは逆ギレだろうか。でも彼女はあまり気にしてなさそう...な気がした。自分の主張を話すのでいっぱいいっぱいみたいだった。

「まえテレビで見たんだ。すごい病気を持ってたり、寿命がちょっとしかない人は拘置所に入れられずに、病院で一生を終えられるんだよ。お得だよね」

「お得って……たしかに、君なら人を殺しても死んで逃げれるかもね」

 自分で言ってて、現実感が沸かない。さくらが人を殺したいなんて……。さくらは、誰よりも優しくて、誰よりも暴力が嫌いなはずの女の子なのに。さくらが人を殺す姿なんて考えられない。

「まぁとにかく、わたしは人を殺したいんだよ! もう良いとか悪いとかどうでもいいんだ。どうせ死んじゃうからさ。……こういうのって、無敵の人って言うんだよね? あはは! 私は無敵の美少女だぁ~」

 さくらは早口でまくしたて、躁っぽい笑顔をした。せっかく暖かくなってきたのに、鳥肌が立ちそうだった。

「さくらは暴力が嫌いなんじゃなかったのか?」

「暴力は今も嫌いだよ。でも今回は仕方ないんだ。だって君のためにも、私のためにもなるんだもん。ううん、私たちのためだけじゃない、みんなのためになるから!」

「どういうこと?」

「Aを殺す。で、埋める」

 Aは、高校の同級生で、いわゆる、『いじめっ子』だった。別クラスだったためか俺はいじめられなかったが、確か、同級生が彼のせいで不登校になったとか。特に何もされていない俺は、特段彼に恨みを抱いていなかった。

「さくらは、いじめられてたのか?」

「……うん! いじめられてたよ!」

「……」

 さくらの声色はとてもいじめられている人間が言うものではなかった。俺はなんて返事をすればいいのか分からなくて、黙っていた。

「そりゃもう、いろいろされたんだよ……まぁともかく、そこは重要じゃないでしょ? 重要なのは、Aを殺したらもう誰もAにいじめられないってこと」

「……」

 否定はしなかった。Aのような悪人を殺すのは正当性があるように思えて。肯定の言葉を口にして殺人に加担してしまうのが怖くて、黙っていた。

「これは君を信じて言ったことだからね。ケイサツになんか通報しないでよね」

 さくらは、俺の弱みを知っている。彼女を失ったとき、俺は生きる意味を失うということを。『じゃあさ、やりたいことリスト全部やったら、一緒に死のっか?』さくらの言葉が脳裏に浮かぶ。

「通報なんてしないよ! 俺は君を失いたくないから……」

 俺はほとんど無意識にそう言っていた。

「えへへ。だよね! そう言ってくれると思った!」

 無垢な笑顔。さくらは狡猾だなとうっすら思った。

 その後の会話は実に平和だった。弁当のおかずを交換したり、あの景色が綺麗だったとか話したり、さっきまで物騒な会話をしていたとは到底思えないほどの、平和な話。さっきの話は単なる夢で、さくらは余命わずかの優しい女の子のまま。そう思いたかった。


――


 でも、そんな期待は、あっけなく砕かれた。

『最後の“やりたいこと”を一緒にやろう。』

 チャットアプリには、その一文と、さくらが居るであろう場所が書かれていた。俺は、その場所に素直に行った。もう後には引けなかった。花見の時、警察に通報しなかったのが運の尽きだった。俺は最期まで付き合おうと思った。

 夕暮れ、黄昏時に近い時間に俺は外に出た。


 山の麓で落ち合い、人の作った道から外れて少し歩いていると、広場があった。ちょうど桜に囲まれていて、ここに座って二人で談笑したらいいだろうな、と思った。でも、今回は死体が倒れていた。あまり彼を見たくなかったから、桜の方を見た。

「死んでる……?」

「うん、死んでる」

 さくらは、儚げに言った。本当にこの子がAを殺したのだろうか? 見た目の印象とやってることが合わない。

「さ、穴を掘ろうよ。先にちょっとやったんだけど以外に土が硬くてさぁ。男手が必要なんだ」

「ああ……」

 俺たちは何も話さずに掘っていった。


――


「あー、だいぶ、暗く、なってきたな」

 穴は思ったより深く掘れなかった。実際に埋めてみないとわからないが、半分くらいしか死体を埋められないんじゃないだろうか。穴を掘ってしばらくすると俺もさくらも疲れ果ててほとんど手を動かせなくなった。

「うん。もう埋めちゃおっか。高坂くんも、早く帰らないとお母さんに怒られるよ」

「怒られるのは母親からだけじゃないよ」

 死体遺棄の共犯者になってしまったのだ。きっといろんな人から怒られて、どんな説教よりも長い説教をされるだろう。「しかも、家に帰るつもりで来てないし」

『やりたいことリスト全部やったら、一緒に死のっか?』さくらの声が脳内で響く。

「……うん。そうだね」

 さくらは掘った穴を見て不満そうに顔を傾けたが、すぐに笑顔になった。「日本一周旅行も中途半端なところで終わったのにマルしたもん。今回ももこんなんでいいよね」

「……」

「さ、『これ』を埋めようか」

 さくらは、淡々と言葉を紡ぐ。

「……うん」

「片方持って」

「ああ。せーの」

 死体を持ち上げる。死体は重くて、固まっていて、冷たくて、死んでいるということを嫌でも思い知らされる。きっとこの後は土の中で蛆が沸いて、腐って。考えたくもない。でも考えないようにするほど頭の中で去来して、気分が悪くなった。

 死体を掘った穴の中に放り込む。人間の皮に触れた感触が手から離れてもまだ残る。

「外国では土葬のところもあるからまだマシ、なのかな」

 俺はそう自分で言い聞かせた。みなみは普段どおりに振る舞っている。俺が変なのだろうか? 人間の死体の前で狼狽している、俺が……

「ね、埋めよ」

 さくらの声で我に返った。

 スコップを持って、二人で盛られた土を死体に被せていく。彼は埋葬されていく。彼には愛する家族も、仲の良い友達もいたのに、彼はみなみに殺されてしまった。俺たちが死んだときよりも、悲しむ人間がいるだろう。

「Aは死んだ方がみんなのためなんだよ。死んで悲しむ人も、彼に洗脳されてるだけ」

 ああ、そうだ。彼は極悪な人間で、死んだ方がいいんだ。彼が死ねば、悲しむ人以上に喜ぶ人がいる。俺はその言葉を反芻した。彼が死ぬのが正解なんだ。彼は死ななければならず、今日それを達成した。それだけのことだ。そう思い込むと、さっきまでのとは打って変わって気分がよくなった。


 その後は死体を埋めるのに終始した。掘った分の土を全部戻すと、死体の半分くらいはまだ見えている。完全にはは出来なかったけど、子供二人にしてはよくできた方かな。

「高坂くんが居なかったらここまで埋められなかったよ。えへへ、本当にありがとうね」

「殺しは一人でやったのに……」

「それだけは一人でやってみたかったんだよーっ」

「こえ〜! シリアルキラーじゃん!」

 他愛のない話で盛り上がる俺たち。死体が埋まった桜は、普段より美しかった。残酷で、儚い。まるで君みたいだ。


「私たちって、死んだらどうなるんだろうね」

「さぁ? 地獄に行くだろうな、普通に」

「地獄は、ここより良いところなのかなぁ」

「今よりましだって思いたいね」

「ははっ、そうかも」

「死んだらもっと楽しいなんて、さいこう~!」

 軽口をたたき合う。二人はしばらく笑い合った。笑い声が、森に響いた。笑い声が止んだとき、しんとして、彼女は森の下、道路の方をちらと見た。

「ねぇ」

「うん?」

「そろそろ、地獄に行きたいな」

 実際、察してはいた。『やりたいこと』がなくなったら死ぬということは。俺もそのつもりで来たんだ。ても自分が死ぬとなると途端に緊張し始めて、固唾をのんでしまう。

「……どうやって?」

「この下に埋まってる死体と同じようなやり方で! 一回やってみたら結構良かったんだ。すぐ死んだし」

「こいつは……何を使って殺した?」

「ハハ、怖くて死体をあんまり見てなかったんだね。あんなにわかりやすかったのに」

 さくらは、少し笑うとおもむろに携帯ナイフを取り出した。「首を……やったんだ。これで」

 ナイフは血を拭き取った跡があった。彼の血。

「研いでから一回しか使ってないから、切れなくはないと思うよ。さ、やってみて」

 みなみは俺に刃物を渡した。

「やるって……?」

「そりゃ、切るんだよ。自分で」

 願望がすぐ側にあった。今ここで死ねれば、この後起こるだろう面倒ごとを全て回避できる。

「へぇ、これはこれは……ありがたい」

 俺はナイフをゆっくり首元に近づける。触れる直前になって、切るのが怖くて、手が震える。

「なんか、怖いな。死ぬのって。……あんなに、望んでたのに」

「へぇ……」

 さくらは細い手でナイフを奪い取った。力なく震えていたから、簡単だったろう。そして彼女は俺の顔に近づいて、「じゃあ殺してあげる」と言った。

 訳の分からない考えが膨らんでいく。思考がまとまらなくなっていくのが、わかる。身体中が熱くなる。様々な欲求が一心に全身を巡っているのだ。

「美少女とこんなにお近づきになれるなんて...俺は、夢にでもいるのかな」

「現実だよ。どうしようもない、現実」

「現実かぁ、願ったり叶ったりだな。まさか美少女に急接近されて、しかも、死ねるなんて」

 なぜか笑いが止まらなくなる。さくらに浸食されてるみたいだ。さくらに浸食されて死ねるなら本望だと、俺は自分に言い聞かせた。

「じゃ、またね」

 やさしい風が吹いたとき、さくらは人間の血で少し鈍くなったナイフで俺の首元を切り裂く。急速に血液を失って倒れる時、俺はさくらの恍惚とした笑顔と、自分でも惚れ惚れするような赤黒い鮮血と、俺たちを称賛するか、あるいはあざ笑う桜吹雪を、死にゆくその時まで、ゆっくりゆっくり味わった。



(了)

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