拙者も流行っているラノベを熟読して、チーレムものやスパダリものを書けば、PVが伸びるのでは?
と思うことがあるでゴザル。
ただ、チーレム・スパダリものは、主人公の苦難パート(転生前のブラック企業時代やスパダリ登場前の迫害を受ける時期)から無双・ざまぁパート(転生→チート取得→ハーレム形成・スパダリ登場→溺愛→悪役の没落)に移った後はある程度読むと飽きるでゴザル。
読んでて飽きるものを自分で書いても、同じように飽きると思うでゴザル。
こんなこと思っているようでは、PVを伸ばすなど夢のまた夢だと思うでゴザルが……、好きでやっている事なのに、やりたくないことをやってどうする? とも思うでゴザル。
作者からの返信
まんきっつぁん
お返事遅くなりましたー! 見落とし―!(泣)
わたしもふつうに面白くないものは書けません……。
ちょっと密度よ(笑)
非常に重要な示唆が多く、どこにコメントしたらいいのか迷子です。しかし、これを言語化できる事が素晴らしい。多少論点が取っ散らかってる印象がありますが(失礼極まりなく申し訳ない)「チーレム、なろう系、溺愛、安易な溺愛ラブコメが求められているのは、読み手が弱者だから『ではない』」という話ですよね。
みんな疲れてますからねー。流行るのはしょうがないしょうがない。フィクションの中でぐらい夢見たっていいじゃんというわけですねぇ。
スナックフィクション全盛ですが、そろそろカウンターでがっつりブームも欲しいですよねぇ。とはいえ出版=売り上げは数字の世界でもあるので時流の変わり目を待つのみですね
トップ層の冷静な分析力、自分も欲しいです……
作者からの返信
千八軒さん
論点とっちらかり、ほんと申し訳ねぇですwww
読み手が弱者ではない。というより、そもそも本当に社会的弱者だったら、携帯もパソコンも持ててねぇと思うのです。
今はSNSも完全に普及しきってしまって、用意された「規範」というものがワールドワイドに可視化されるようになってしまい、なんというか、許容量はせばまるし、強制力ははんぱないしで、本当に生き辛い方たくさん見えると思います。その抑圧に対するゆるやかなケアとして、どうしても必要な存在だと思っているのです。
絶対書けないけど。
その時代の文壇の権威から「低俗で低脳である」と判断されることは、明治以来の大衆小説、娯楽小説の歴史からみて極めて順調な進化であると考えています。
今の我々が、Web小説のテンプレ化や幼稚化したニーズを悪ではなく、必要なプロセスであると判断するためには、娯楽に消費できる個人の時間の使われ方にその原因が有るのかも知れないと愚考します。
通勤通学の数十分でカタルシスを得るための「Web小説の進化」を仮定すれば、それらを呼び水に「本物」を志向するユーザーがWeb小説由来の「有償の小説」に手を伸ばす、書籍化とは案外こんな流れではないかと想像しています。
作者からの返信
@kurotorikurotoriさま
ありがとうございます。
本当におっしゃる通りだと思います。
有償の書籍に手を伸ばす心理として、もう一点考えられるとすれば、「書き手を目指す消費者が学習として求めている」点も大きいかと思っております。
読み手かつ書き手である。これは文化を担う構造では必ず発生する現象でしょう。
消費される娯楽の背景に見える社会と、そこにおける役割について、今一度実直に考えて参りたいと思います。
確かに、みんな疲れてるんですよね。
そういうひとたちはお金を払ってまで読みたいとは思わない……真理だなぁと思います。
自分は何故書くのか、どういうひとたちに読んでほしいと思っているのか、それはお金を払っても読んで頂ける価値のあるものなのか。
色々と考えさせられました。
とても面白かったです。
珠邑さん、ありがとうございました。
作者からの返信
未来屋 環さま
ありがとうございます(*´ω`*)
どんな物語にも、存在価値はあると思いますが、わたしもやっぱり、「側に置いておきたい」と思えるような物語を描き出したいなぁと思います。
ゆっくりじっくり、創作に向き合っていきたいと思います。