第6話 チーレム作者や読者が弱者男性ばかりって、そんなわけないじゃーん②




 ①より続きまして、ながくてごめんねごめんねー。



 さて、前回は「幼稚だから弱者男性になる」わけではありません。という結論で締めました。

 これ、どういうことか?



 そもそも弱者男性とはなんぞや。


 調べてみたところ、このように記述されていました。



――弱者男性 じゃくしゃだんせいとは、 独身 ・ 貧困 ・ 障害 など弱者になる要素を備えた男性のことである 。



 これね、既婚者はセーフってわけじゃないんですよ。

 だって、共働きによって、離婚っていうカードが切りやすくなってるんですから。

 カードが切られる時に、最も原因となる理由は価値観の不一致ですが、それを誘因する最たる原因が「幼稚性」です。

 おやおや、逆説っぽいですね?

 説明します。


 ええとですね。これは男性に限らず、人間とは、「幼稚性が発揮されると、自分以外の人間を役割ロールとしてみなし、また扱う」ものだということを意味します。

 


 従来、男性は健常発達であれど、家庭の中に男性社会の構造的序列を持ち込みつつ、かつ自らは一方的にケアを受けられる場所にしようとしてきました。

 自らがケアラーとなるケースを想定していません。

 戦後の核家族スタイル導入によって加速化された向きもあります。

 


 これを受け入れられないのが、いわゆる「弱者男性」であると、ワタクシは見なしています。



 弱者男性、というものが存在しているわけではありません。

 社会観の弱い状態を発露しているのが、「弱者男性状態」なのです。



 人間の欲求というのは、きわめてシンプルです。

 快適にしあわせに、安全にくらしたい。

 言うなれば、これにつきるのではないでしょうか。


 性別を女性に置き換えても同じです。

 スパダリがほしいというのも普通です。

 

 一軍女子ら(複数)にかこまれて、チヤホヤされたいというのも真理です。

 だって居心地いいんだもの。

 みんなに愛されて、受け入れられて、存在意義を認められて、安全ですよ。


 問題は、それを獲得するためには、等価交換で与えなくてはならないという認識が薄いという点です。

 ――いえ、もしくは、現実では疲れ切っていてできないから、現実ではあきらめて、フィクションにその役割を求めているのかも知れません。


 チートとは、これを努力なしに実現するためのものです。

 手持ちのカード(作家からすれば専門で好きな情報。得意だから書けますよね)を提示し、それで今まで主人公がいた環境(現実世界)よりも、いくばくか劣る環境(異世界)を改善する案を出すことで「うおおすごい」ともてはやされ、そこからはその世界において下位扱いをされている層や、種族によって受け入れられ、数の力を用いて、実働の拡大を代わりに担ってもらえて、チートを応用した武力で頼りにされ、仲間たちと丸ごとで世界の覇者に躍り出るんですね。


 物語として、よく練られた構造だと思います。


 ひるがえって現実。

 先の社会性が薄い幼稚さが全面に出ている状態が強ければつよいほど、ひとは、現実の自らのスキルに対して、過剰評価をします。また、パートナーに対してはハイレベルな容貌や働きを求めるわりに、その評価根拠は社会の価値観や他人の目だったりします。なんなら、認識しない。認めない。なぜなら自分より下位にいて欲しいからです。


 だって、パートナーの方が社会的に優位だったら、自分が下位属性になるじゃないですか。そんなの耐えられませんよね。だって下位って上位に滅私で尽くさなきゃいけないって、本音でそう考えてるじゃないですか。そう学習してきちゃってるじゃないですか。

 男性社会のヒエラルキーって、残酷ですよね。


 でも、ハイランクのパートナーはほしい。

 めっちゃよくできた女子に愛によって尽くされたい。愛してるんだから(こっちが下位でも)滅私で働いてくれるでしょ?

 理性では、そんなわけないじゃーん、てわかってる。



 だから、客観性を殺すんです。



 相手の働きや労力に対して、自らのはらいうるスキルや労力が対応していない、つまり等価交換のレベルに達していないと、客観的に理解できない状態になるわけです。あーあー知らない聞こえないなんにもみえなーい!


 故に孤立する。

 これが弱者男性の発生する原理です。


 その充足されない幼稚性を癒すための代替消費が「ハーレム」「ラブコメ」「スパダリ」です。


 ここで考えるべきは、幼稚なだけの人間は(概ね)存在しないということです。

 人間は「幼稚性を発揮する場を選ぶ」のです。


 な〇う系を愛好する書き手さん、読み手さんの多くは、リアルな生活ではがんばっていて、疲弊していらっしゃるかたが多いのではないかとみています。

 男性既婚者の方でも、会社でへとへとになり、帰宅したら時流の要請に従い家事も育児もがんばっている。これについてNOを出せばモラハラだのDVだの、散々です。


 どんなに頑張っても給料はあがらない。だから共働きにならざるを得ない。しかしこれまでの社会構造上、家事育児は女性にやってもらえばいいという価値観を学習してきた結果、自らがそれも行わなくてはならない、つまり背負うべき荷物が増えたと感じた時、実践しているのがお手伝いレベルであったとしても、それはそうとうな負担増であり、不当な搾取と思えるのでしょう。


 パートナーも働いて稼いでいるという点は、見ないふりで。


 しかし、そんなことを言ったって、負担がへるわけではない。

 忙しい中、必死でがんばっている。

 死ぬほどがんばっている。


 なのに、甘えられる、本音を出せる場所がない。


 マズローの五段階欲求を例に出すまでもなく、欲求の根源にある、愛されたい、安全でありたい、ちやほやされたい、という本音が実現されているフィクションとして、努力を強制しない、役割ロールや解像度の落ちた、極めて都合のよい夢物語を欲するのは――もう、当然の流れなのではないでしょうか。



 無料で。



 そう。

 この夢物語は、さっと流し見て終わる消費フィクションです。

 書き手がどれだけ必死で、ジャンル研究してニーズをとらえて、コンテストで勝ち上がって、書籍化しても、リターンは支払った労力に見合いません。

 これを心底命がけで欲して、ガチリピするのはどういう人か。お金を出して書籍を買うのはどういう層か。

 見極めるべきは、そこなんです。


 チーレムというフィクションは、社会的に必要なケアラーとして機能しています。

 これはとても重要で、大切です。


 これが不健全であると強弁を発動するのであれば、まず変えるべきは社会構造です。消費者や、ニーズ対応して生産者を責めるべきではない。やるなら政治をやるべきです。

 

 消費者の主たる男性の中にある、許容量以上にがんばらなくてはならない、それに対して「理不尽だ」と感じている社会に対する本音がある。

 それを癒しうる要素が、このジャンルには痰壺たんつぼ的に吐きだされているわけです。

 手軽にさらっと消費できて、ストレス発散とレジャーになる。そういう風に使っている人は、そこにお金を出しません。


 なぜワタクシがこう解釈するか。

 そうでなければ、トップ層の評価に説明がつかないからです。

 むしろ、幼稚性の塊でしかない人間ばかりが消費者だったとしたら、むしろまずいじゃないですか。

 幼稚性が人間の部分として存在するのは、当然だし健全なのです。

 これを発露し得る場所が狭められている状況こそが、むしろまずい。



 人間は、不完全で、未熟で、流動的で、だからこそ助け合う、社会的生物です。



 問題があるとすれば、あのジャンルを価値観として鵜呑みにする、EQが極端に低い人間も一定層ある、という点です。

 しかしこれはもう致し方ない。

 人間に高IQ、低IQがあるように、高EQ、低EQがあるのもまた自明。

 これを許容し、共存することこそが多様性です。

 その価値観の違いがストレスになるから、一定のすみ分けが必要になる。

 

 現状、web創作界隈は、この遮断性によって現状を維持してきたわけですが、紙出版が弱まっている以上、電子出版やプラットフォームの使われ方として、一般書籍や文芸をフィールドとしていた層が波として押し寄せてくる流れは、おそらく今後五年から十年の間に顕在化してくるでしょう。


 つまり、すみ分けどころか、ところてん式に押し出しが発生してきます。


 時代の流れを見て予測してみましょう。

 大御所作家の皆様方には市場のシェアがすでにありますし、人間に寿命がある以上、物理的リタイアはあるわけですから、紙市場が縮小しても、看過しても、問題はないでしょう。タイムリミット以内に勝ち切れるわけですから。

 しかし、若手さんや中堅作家様は、このメディア移動なくして存在維持はできなくなります。

 必ず、動きます。



 2チャンネルから、某SNSへと人が流動したように、ある一定のジャンルは、ジャンルごと持ち上がって移動する。



 この流れが必ずきます。


 わたしが半導体メーカーやデバイスメーカーを注視しているのは、この辺りに根拠がありますが、長くなるので後の章にゆずります。


 そして、話が戻りますが、ガチリピする、つまりお金を出す層とはどんな層か。


 一言でいえば、浪費をいとわないオタク層であり、ルーティンが好きな発達特性の強く出ているタイプが、それに該当します。つまり、薄利のPVをあたかもハムスターのごとく、からから回してただで広告費を稼いでくれる買わない読者以外の、より多くお金を発生させてくれる顧客層はそこになってしまう。


 また、ここに考慮すべきはIQとは違う問題であると理解しきれていない書き手が多いという点も、また問題点なのです。



 与えられたい。愛されたい。

 当然です。

 しかし、それを得るためには等価交換が必須になる。

 得るために与える武器を増やすことこそが「自分磨き」であり、相手のニーズを拾い集めて、それにそったものを提供できるからこそ、肯定者やシンパが増えるわけです。


 チーレムとは、社会の縮図です。


 そして、与えるべき等価交換にチートを事前準備される幸運ラックがあることこそ、チーレムが「スナックコミック」と認識される原因なのではないでしょうか。


 生産も消費も、悪いものではありません。

 ただ社会を反映しているだけです。


 論ずるべきは、この社会構造を刮目した上で、次のブームを構成するならば、どんなテンプレートを発明するべきか。提供するべきか。

 webラノベがwebラノベとして、創作プラットフォームが、今後も数十年単位で生き残るためには、ここをこそ研究できる書き手が必要なのではないかと、ワタクシはそう考えています。



 存在するのは、必要だからです。

 


 「幼稚だから弱者男性になるわけではない」。

 「自らの幼稚性を許容し、自らの提供スキルを客観視して、同等のパートナーを見つけ出して、対等な関係を築くこと」を拒絶し「身の丈にあわないレベルを与えられること」を夢想の範囲を逸脱して「現実に求める」あるいは「現実と夢想(無双)フィクションの違いを見極められなくなった」場合に、弱者男性となるのです。



 真にすぐれた構造物を提供できているトップランナーさんたちは、もっと冷静に分析して創作されていますよ。



 それが(好みの問題で)できないので、ワタクシは駄作家なのです。





  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る