第4話 ツンデレかよ!




 こんにちは、珠邑たまむらです。

 なんとこちらの『ダサクロン』おっと、カタカナで書くとかっこいいわね(カンチガイ)。――本当は『駄作論』。おかげさまをもちまして、カクヨムさまの評論ジャンルにて、二日連続で日間週間一位をいただいちゃったりしまして。やっほほーい。


 ありがとうございます。

 初日は月間六位、二日目は五位でした。

 なにかしらお役に立つことは絶対ありませんが(ないんかい)、お時間ございましたらチラ見してやってください。そらもうチラ裏レベルに。ちらっと。



 嘘です。一位残留したいから読んでください(土下寝)。

 テッペン! テッペンが見たいいいいいい!



 ――さて。



 昨日は「は」と「が」について、つらつら~と書いたりなんかしちゃったりしたわけですが、半ばで少し方向転換した事案についてご記憶の方は、その場で挙手をお願いしまーす。裁判の傍聴席とかにいたとしても、はーいしてくださいね。



 はい。「慣れ親しんだ文体」問題です。



 昨日は、読み手が文体ジャンルごと持ちあがる事案として使った「慣れ親しんだ文体」問題ですが、これすなわち、書き手も同様なんですよね。


 書くにも「慣れ親しんだ文体」がある。

 そこから移行するというのは、なかなかの技量を求められるというものなのです。


 たとえば、このwebノベル界隈でよく聞かれる「流行りのものを書く」「な〇う系」「読者ニーズ」「チーレム」「ザマァ令嬢」「異世界転生」などなどのお言葉。いわゆる天ぷら、あ、ちがうテンペラ、でもない、そう! テンプレ!


 うんうん。いずれも大切なことですよね。無視できない。避けて通れない。当たり前ですよ。おもしろいんだもの。


 そして、これにあわせてちょいちょい聞かれるのが、読者が求めるスタイルのものに合わせて書き続けて、書き続けて、飽きられた時に「本当は自分が何を書きたかったのかわからなくなってしまった」と、とほうに暮れる問題。


 と、いうのを、お友達に提起していただきまして。

 そこでワタクシが申しましたのはね、



「ていうか、本来そこを自分で決めて書くべきなんやけどな」



 でした。



 ワタクシはライトノベルを書きません。

 正確には、今この界隈にあふれている「文体」を経験として通過してきていないから、書けません、です。


 以前「これまで何を読んできましたか」と質問されたことがあるのですが、主に児童文学、日本の女性純文学、日本のホラー・ミステリ、幻想文学を好んで読んで参りました。


 このあたりのものを読んできている上、趣味は絵描き、編み物、音楽です。ゲーム類はまともにやっていません。アニメ・漫画は人並みに見てきたほうですが、いわゆる二次創作には手を出していないし、夢女として活動した経験もありません。


 そういう人間なので、今のライトノベルは、消化吸収するのが、非常に困難なのです。


 しかし、ワタクシもワタクシなりに「慣れ親しんだ文体」というものがあるわけです。そしてそこには当然、その文体ジャンルの読者が求めるニーズ、ないし最低限のハイコンテクストがあるわけです。


 ワタクシも、好き勝手やって書いているわけではありません。


 webラノベであれ、文芸であれ、文学であれ、「幹」があるのに、かわりはありません。

 そして、どんな事象であれ、文化を形作る時、それにまつわる人間どもは、山型に積み重なっているものです。


 勘がよほどいい、つまり天才とよばれる方でないかぎり、誰しも最初は裾野の底からスタートしているものです。それが何歳であろうと関係ありません。最初はゼロ地点です。ゼロ地点からその文体ジャンルについて学び、多くを吸収し、その上で「アウトプット」して、その結果によって、自らがいま何合のあたりにいるかをつかみとる。上がったり下がったり、主観的なジャッジしかできない他者と競い合い、評価されながら、上へ上へとのぼっていくわけです。


 そして、この山は、ガラスの天井によって階層分けされているものとよく似ています。この辺りについては、先の章で改めて触れさせていただきたいと思います。


 創作をはじめる根拠が、承認欲求であろうがなんであろうが、そんなことはどうでもいいのです。

 ただ、そうして登りつめた山の頂にあるのは、書店に並ぶチケットというだけ。

 頂にのぼって、はじめて辺りには無数の山があったことに気付く。


 ジャンルブームの後追い創作とは、裾野滞在期間に他なりません。それはまだ習作レベルに過ぎず、また本人の土壌が薄ければ薄いほど、やっていることはただの二次創作となります。


 キャラクターを借りての二次創作ではありません。

 世界設定を借りての二次創作です。


 書籍を手に取る読者というものは残酷です。

 ワタクシも、読み手としては、そうとう残酷に切り捨てますから。


 書店の書架にならんだときに、そこにある全ての書籍と差別化されているか、抜きんでた武器と個性があるか。

 それは、自ジャンル内では「この部分が他とは違うんだよー」、程度ではあかん、ということです。


 そして、ラノベ畑ではないところから観測するに、この界隈は小説の山ではないんですね。



 マンガとゲームを「インプット」して、その二次創作として「アウトプット」した文体ジャンルなんです。

 


 この文体というもの。実はジャンルではなく、個人に帰属すべきものなんです。

 個人ごとに異なって然るべきものなんです。

 大御所や中堅と呼ばれる作家さん方は、皆さまこれを独自で構築されていらっしゃる。この文章の手触りは、味わいは、空気感は、構成や物語の運び方は、ああ、なるほど、なになにさんの作品だな、となり、これが作家個人に対する信頼となって、作家買いするという方向へと購買意欲が向かう。


 つまりは、ブランディングです。


 このブランディングは、いわば諸刃の剣です。

 この人はこういう文体を書く、というのは、信頼であり、それ以外の切り捨てでもある。


 ワタクシは、この文体を、作家が持つ「社会観」と「技術」が反映されたものとして、それを根拠に書籍を選ぶようにしています。



 たくさん読んで、たくさんの文体に触れて、そこから自らの文体を選ぶ。

 全てから取捨選択することはできません。人間は死ぬので。時間は有限なので。

 さて、そこまで考えた時に、有限の時間のうちで、どの方向性にするか、一作家として一つの個性を確立する時に、一つしか書けないとなった時に、自分は何を書くか。何の文体ジャンルにして、あの書架に勝負を挑むのか。



 それを決める根拠が、「好き」、ということだと思うのです。



 「好き」でなければ頑張れません。

 「好き」でなければ、そこまで文体をインプットできません。

 「好き」でなければ、数多の中から抜きんでることはできません。



 だから、好きじゃないけど、売れるものを書くために妥協して書いているとか、向いているものを選んだだけだ、とかいうのは嘘です。


 あなたは、その文体が大好きなんです。

 大好きだから、その身体と心いっぱいに「インプット」して、それを消化して「アウトプット」してるんです。


 好きだから、その文体ジャンルと界隈にいるんです。


 だからね、ワタクシ、「本当はこんな本とかあれこれとか読んできてるし、そちらのほうがフィールドだけど、書いたものの評価が高かったから、これを書いてるの」はジャンルに沼恋した人のツンデレだと思ってます。


「べっ、べつにあんたのことなんか! すっ、好きとかじゃないんだからねっ⁉」

「ちょっと相性がいいみたいだから、付き合ってやってるだけなんだからっ!」




 ……すなおになって、ええんやで?(ニチャア)




 まあそういうわけで、好きだから向いてるんだし、「居心地」がいいからそこにいるんだし、「居心地」がいいから、その文体ジャンルから離れないんですよ、と、そういうお話しでした。



 まあ、つまり「好き」がたくさんあって、たくさん「インプット」していれば、使える文体ジャンルは多くなり、書ける幅や選ぶ幅も多く大きくなるということで、自分としては太宰がこれの天才であるよなぁと思っとるんですが、まあ太宰、大好きで大嫌いです。愛憎マシマシです。



 え? そういうお前は、どうなんやって?

 理想としては、ひとり図書館がやれるくらい、変幻自在に文体を操れるタイプの書き手になりたいので、がんばりますね。


 くっそう、評論だけじゃなくて小説もちゃんと書くからな!?

 負けないぞおおおう!!(泣)




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る