『ロジカルな粟野さんと感情的な高坂くん―恋とは何ぞや、愛とは何ぞや―』

小田舵木

『ロジカルな粟野さんと感情的な高坂くん―恋とは何ぞや、愛とは何ぞや―』

「恋とは何ぞや」かく幼馴染は問うた。

「性衝動である。ただし言語化は出来ない」なので私はこうこたえたのだ。

 

「なれば俺は。君を性的に見ている、という事かね?」幼馴染は続けて言う。

「それが一般的な恋というものさ」私はクールに応える。

「俺にはこの感情がとても重要なモノに思えるのだが」幼馴染は眉をしかめながら言う。

「それはだね…君ィ、自分の性欲を神聖なモノに置き換えておきたいという心がなせるものさ」

「俺は誤魔化すつもりはないんだけど」

「だが。どっこい。君は女の前では格好つけたいタイプだろう?」コイツと私は。付き合いが15年にも至る。コイツの小さな脳みそが何を考えているかなんて。お見通しなのだ。

「そりゃそうよ。男なんて格好つけてナンボじゃないか」

「そういうスケベ心ってのは異性には丸見えなのだよ」

「スケベ心と申すか」

「ああ。間違いなくスケベ心だ」

「…お前には敵わん」

「もっとマシなロジックを用意するこった」

 

 私と高坂こうさかは。そんな問答をしながら帰り道を歩いていた。

 コイツはちゃっかりと私にをしたが。こんな色気のないシチェーションで告白をするのは如何いかがなモノだろうか?

 

 私と高坂は。産まれた時からの付き合いである。

 私の母と高坂の母は。同じ病院で出産した仲で。その時から私と高坂は一緒だった。

 幼稚園から中学に至るまで。その上高校まで一緒で。

 だから私と高坂は幼馴染、と形容する事ができる。

 お互いの恥ずかしい思い出も。お互いが常に側に居た。

 お漏らしも初潮も初射精も。私達は何でも知り合い過ぎている。

 

 それなのに。

 最近の高坂は私に発情しているらしい。

 全く。女に飢え過ぎているのだろうか?

 いや。コイツは。放っておいてもモテるクチである。

 私は。コイツへの告白の仲介役を幾度やらされたか覚えていない。

 そんなモテる高坂を冷ややかに見ていたのが他ならぬ私だ。

 私は高坂に熱を上げる女子を内心バカにしていた。

 大体…コイツは。エロいクソガキなのだ。

 女の乳と尻と性器にしか興味がないのではないかと思わされる事が多々あった。

 

 ああ、高坂よ。

 何故、選りに選って私に発情するのか?

 そもそも。社会心理学的な概念として。『ウェスターマーク効果』を挙げる事ができる。

 『ウェスターマーク効果』。要約すれば『幼い頃を共に過ごした異性には発情しない』という事になる。これは近親相姦を防ぐための機構である。

 

 うむ。そう。

 私と高坂は。あまりにも近くに居すぎた。

 高坂が私の家で晩飯を食ってるなんてよくある光景なのである。

 なんなら、高坂は私の家の風呂を借りるし、風呂上がりに半裸で私の家をうろついて居ることさえある…

 

 そんな高坂に。私は欲情しない…はずだ。

 そも。私の考える恋の範疇はんちゅうに高坂は入っていない…はずである。

 

 私の考える恋とは。

 未知のモノを知りたい、という事になる。

 私は。まだ見知らぬ可能性、男性に惹かれるはずなのだ。

 それは生物学的に形容すると、未知の遺伝子に惹かれる、という事だろう。

 高坂は。ハイハイしてる時から一緒で。正直見飽きているレベルなのだ。

 そんな見飽きた高坂に。どうやって好奇心を抱けと言うのか?

 大体、高坂のつま先から頭の先っちょ、何なら股間まで。私は丸々見知っているのである。

 

 私と高坂の間には秘密がない。

 うん。そうなのだ。

 これが私が高坂にときめかない理由であり。

 告白めいた事をされようが。ちょいとドキッとする程度に収まる理由なのだ。

 

                  ◆

 

 しかし、困ったな。

 高坂は私に欲情している。

 だが、私は高坂が何をオカズにオナニーし、何を思いながら射精に至るのかまで知ってしまっている。

 これは。お互いが性に目覚めてから。お互いの部屋でそんな話をしてしまったからである。

 その頃の私達は純情というか…好奇心の塊であり。

 お互いの性について知りたかったから。お互いに赤裸々に語り合ってしまったのである。その頃は高坂は別の女に熱を上げてたし、私も別の男に夢中だった。

 

 それが今や。

 高坂は選りに選って私に欲情しているのだ。

 コイツは…中々微妙なシチュエーションである。

 だって。高坂も私が何に欲情し、どうオナニーするのか知ってしまっているからである。

 

 うむ。高坂は一番恋してはいけない相手に恋をしているのではなかろうか?

 私は少なくともそう思う。

 私たちには秘密がなさすぎる。

 恋というものは。異性の秘密を探る過程とも形容できる。

 お互いを知らないから。恋を通して知り合おうとする。

 そこに恋の妙味があるように私は思える。

 …これは面倒な事になったぞ。私は高坂の気持ちに応えられそうにないのだ。

 別に。今は好きな男性はいないが。

 私だって、15歳であり。まだ高校生なのである。

 甘い恋に憧れる心はあれど。明け透けな情事に溺れられる心はない。

 

 あーあ。高坂よ。

 お前は多分、何か勘違いしているはずなのだ。

 私の何を知りたいというのか?お前は私の下着のラインナップまで知っているじゃないか。

 そんな私に恋をした?

 冗談は止せ。性欲がバグっているだけに違いない。

 だから私は高坂のモーションを無視し続け、何なら言葉で叩き潰している。

 

                  ◆

 

粟野あわの、今日も一緒に帰ってくれよ〜」呑気過ぎる高坂の声。ここは教室である。

「阿呆。教室で声をかけるなと言っただろう?」高坂が私に親しげに話す、これだけでそこそこ問題になってしまうのが高校生女子というものだ。

 何故なら。高坂は客観的に見ればイケメンの類に入るからである。

 コイツに恋をする女子はそこそこの数がある。

 そんなコイツが私を選択して声をかける…これだけで。私は女子連中から冷ややかな目線を送られる…どころか。中学2年の頃に至ってはイジメられていた。

 それを救ってくれたのも高坂だが。コイツはそんな昔の事など覚えていない。

 まったく。単純なヤツである。

 

「そんな事言ったてさ。お前メッセ無視するじゃん。直接声かけないと逃げるし」

「…お前が。面倒くさいんだよ、私は」

「何だよ〜幼馴染じゃんかよ〜」

「だから何だと言うのか」

「付き合いなさいよ」

「強引な」

「強引でも結構」

 

 結局。高坂の強引さに負けた私は高坂と帰る。

 ま、高坂の家と私の家は至近距離にある。一緒に帰るのは妥当な選択ではあるのだが。

 

 私と高坂は。

 一緒になって学校を出て。電車に乗り込む。

 その間中、高坂は私に何らかのメッセージを込めた視線を寄越すが。

 私にはそういう視線を読み解く読解力がない。

 何故なら。私はそうモテるタイプではないからだ。

 

「粟野…?」

「なんだ。バカタレ」私はずり落ちるメガネを上げながら応える。

「お前、コンタクトにしたら…化けるぞお」

「コンタクト…怖いじゃないか」

「お前は目に手、入れるの駄目だからな」

「なんだよ。確かに野暮ったいメガネだとは思う。だが、これが一番楽なんだ」

「楽だからって。逃げちゃ駄目だぜ?」

「楽させろよ」

「お前はもっとモテるべきだ」

「ああん?」

「…俺は自分で言うのも何だがモテる」

「うるせえよ、バカが」

「モテるとな。ある程度人目ひとめを意識するようになる。俺はお前にもそうなって欲しい」

「人に注目されるなんぞロクな話じゃない。私は静かに生きたいんだよ」

「粟野のそういうトコ、知らないではないが…勿体ないぞ」

「良いんだよ。宝の持ち腐れでも」

「…俺は見てみたいね。お前がメガネ外すトコ」

「家で見たことあるだろうが」

「いいや。家じゃなくて。社会でメガネを外したトコロを見たい訳さ」

「んで?そこからどうしたいんだ?お前は?」

「モテるようになれば。少しは俺を意識してくれるかと」

「…モテるようになったら。お前なんぞ選ばん」

「駄目か?俺は?」

「前にも説明してやっただろうに。私とお前は距離が近すぎる」

「そこから始まる恋もあるだろうに」

「ないね。『ウェスターマーク効果』ってヤツだ」

「社会心理学…離島なんかの閉じられたコミュニティでの話だろうが」

「近親相姦を防ぐためのハナシだが。お前と私は血縁にあるようなモノだ。今更こいなんかできるものか」

「恋じゃなくても良い。この際」高坂は力を込めて言う。

「愛せ、と?アホ言うな。私はお前以外の遺伝子を欲しているんだよ、今のところ」

「なんでお前はそう理屈っぽいんだよ」

「感情で動くバカが身近に居るとな、自然と理屈を好むようになるものだ」私は。コイツと過ごす過程で。感情より理屈を重んじるようになった。そうしないと感情で動くバカが二人になっちまうからだ。

「バカで悪かったな」

「ああ。今までどんだけ苦労したことか」


 そんな話をしている内に電車は私達の最寄り駅に着き。

 私と高坂は連れ立って電車を降りて。

 駅から河原の道を歩いて住宅街を目指す。

 夕日が私達二人を照らす。赤い夕日。それは私達二人を透かすようで。

 

「愛って何だろうな?」高坂は歩きながら問う。

「愛がどうこう言い出したのはお前だろうが」

「言ってはみたものの。俺も愛が何なのか分かってねえな、と思ってなあ」

「感情で先走るからこういう事になる」

「だが。感情を剥き出しにしなければ。俺達は真のコミュニケーションが出来ない」

「コミュニケーションなら死ぬほどしてるだろ?」

「『真の』って俺は言ったろ?」

「今更。私の何が知りたいんだよ?」

「うーん?今はお前の全てを知りたいかな?」

「全てだあ?大体は高坂、お前に話してしまったよ」

「いいや。まだ、知らない粟野…いや。明美あけみが居るはずなんだ」

「おいおい…そりゃ私すら知らない粟野明美になる」

「そういう自分の心理の底も。異性を通して知るモノだ…多分」

「無理してロジック張るな。無茶苦茶だ」

「でもさあ。他人を通して自分を知る、って事もあるだろ?」

「そりゃあるさ。認めてやる。だが。私と高坂…いやあきらとは。かなり赤裸々にコミュニケートしたはずで。もう新しく知る事なんてありはしないだろう?」

「人間って日々変化するものだぜ?そもそも俺達の脳みそは発展途上だ」

「まだまだシナプスのコネクトが終わってない」

「そ。明美も俺も。今から変わっていく。それさえも知ってしまいたい」

「お前の好奇心は底なしか?私の全てを知り尽くして。お前は何に至りたいんだよ?」

「セックス?」ああ。この性欲チンパンジーめ。

「したけりゃ他の女を口説け」

「…俺はお前としたいの」

「原始人の口説き文句か?もっと考えてモノを言え」まったく。ムードも糞もない。

「かなり自分に正直になったつもりだけどな」

「私への配慮はゼロか?」まったく。感情的なヤツってこうだから救いがたい。

「いやいや。格好つけた口説き文句とかお前には余計なモノだろ?」

「あのなあ。私だって、15の乙女だぞ?少女漫画じみた甘い恋の一つ位したい訳だ。なのに。幼馴染が『セックスしてえ』って口説いてきやがる。これを悲劇と言わずに何と言うのか」

「…こりゃ。作戦失敗かあ。お前には飾らない方がウケると思ったんだが」

「考えが浅はかなんだよ。もう一回練り直してこい」

「…チャンスはくれるんだな?」明は私の顔を見ながら言う。

「ま、幼馴染のよしみってヤツだ。勘弁してやる」


 こんな会話をしている内に家に着いて。

 私と明は分かれる。

 

                  ◆

 

 私こと粟野明美がロジカルな性格になったのは。

 全て、高坂明のせいである。

 これは間違いなく言える事だ。

 アイツは。男のくせに妙に感情的で。ロジックの一つも覚えないヤツだった。

 普通は。私が感情的で明がロジカルなはずなのに。

 まったく。あのアホの幼馴染のせいで。私はひねくれた女になっちまった。

 

 ああ、私に乙女なイベントがないのも。全てはアイツのせいだ。

 

 大体。アイツが側に居ると。異性、男性は寄ってこない。

 それは。私とアイツが付き合っているという誤解があるせいだ。

 中学生の時がそうだった。第二次性徴に伴い、猫も杓子も恋をするような時に。

 アイツが側に居やがったから。私は男に声をかけられる事がなかった。

 そうして。明に恋する乙女共は。私を目の敵にしたものである。

 その手のトラブルに何度巻き込まれた事か。

 無視に始まり嫌がらせに至るまで。私はありとあらゆるイジメを受けた。

 この事に関して。私は明を恨んじゃいない。問題は明に恋心を抱きながらも行動できないバカメスにあるのだ。

 その頃の明もバカだったな、そういや。

 私がイジメられているのを見て、憤慨していた。

 そして色々と行動してくれたのは良いが。真の原因を明が知ることはなかった。

 後から私が説明してやったモノである。

「お前に恋する乙女共に嫌がらせ受けてるんだっつーの」

「…マジで?」

 

 私は。中学を卒業するにあたり。市外の高校を選択した。

 それは。あきら大好きっ子どもと同じ高校に進学しない為である。

 それなのに。明の阿呆は。

「お前、市外の私大の付属校行くんだろ?俺も行くー内部進学バンザイ!!」とかアホな事を抜かして着いてきやがった。

 …これじゃあ。意味がないじゃないか。

 結局。明は私と同じ高校の同じコースに合格しやがった。

 こうして幼稚園から続く腐れ縁は高校にまで至ったのである。

 まあ。最近に至るまでは。アイツが私を意識してなかったから平和なモノだったが。

 今や、あの阿呆は私に恋をしてるとか抜かしやがり。

 暗雲が立ち込め始めている…高校にも。明のファンは居るのだ。

 今のところは私が明を冷たくあしらっているから良いが。

 最近はよく一緒に帰る。その内、明ファンクラブにもバレるだろう。

 ああ。それを考えるだけで憂鬱ではある。

 恋する乙女は野獣と何も変わらない。

 私はその怖さを身を持って知ってしまっていて。

 なんとか対処を考えなくてはならないが。どうしたものかねえ…

 

                  ◆

 

 土曜日の夕方の事である。

 私は家で勉強をしていて。そろそろ晩飯だなあ、とリビングに降りて行ったのは良いが。

 そこに。明は居やがるのである。

「…お前。何しに来たんだよ?」私は当然問う。

「…今日、母ちゃん居ないから晩飯食いに」

「ちょっとお母さん?何で上げるかな明を」

「良いじゃない。アンタと明ちゃんは幼馴染でしょうが」母はキッチンから言う。

「あのねえ。一応は年頃の男女な訳。私も明も」

「今更。何を言うの。明ちゃんとはハイハイしてた頃から一緒でしょうが」

「そりゃそうだけどさー」

好美よしみに頼まれちゃったから」母は言い訳する。好美とは明の母の事である。

「断わりなさいよ。明だって高校生だよ?一人で飯位食えるって」

「放っといたら。明ちゃんジャンクフード食べるから…」

「…もう良い」私はそう言わざるを得ない。


 私と明と母は。

 晩飯の食卓を囲む。明は遠慮なしに飯を食っている。まったく。我がモノ顔で人ん家の飯を食うんじゃないよ。

「いやー。おばさんのご飯は旨めーわ」なんてお母さんに媚を売る明。

「明ちゃんったらー」なんて応える母が恨めしい。

「…黙って飯を食え。ごはん粒を飛ばすんじゃない」私は悪態を吐く。

「良いだろ?お前ん家の飯は最高だぜ」

「…おばさんに言いつけてやる」

「構わん。それはオカンに知れてる」

「…おばさん可哀想かわいそ

「はっはっは」

 

 私達の食卓はあっという間に終了し。

 明は満腹の腹を抱えて食卓でくつろいでいて。

「明ちゃん?ついでにお風呂でもどう?」なんて母がいている。

「風呂なんぞ自前のに入れよ?明?」私は釘を刺すが。

「いやあ。ついでだから貰っちゃおうかな」明というヤツは。どこまでもちゃっかりしているのである。

 

 私は呆れ返って。とりあえず食後のコーヒーを淹れて。

 さっさと部屋に戻る。

 

                  ◆

 

 部屋で私は勉強に励む。

 何故なら。私は内部進学を狙っていないからである。

 私の高校は適当な成績を取ってさえいれば。都内でも中堅クラスの大学に内部進学できるが。私はそれを良しとしない。

 内部進学したら。明と大学まで一緒になってしまうではないか。

 それを考えると。身の毛もよだつ。

 ただでさえ。中高と明と一緒で。女子に目の敵にされる人生を送ってきたのだ。

 大学生位は女子と平和に過ごしたいのである。

 

「うい〜っす風呂先に貰ったぞお」私の部屋に闖入ちんにゅう者が現れる。

「…人ん家の親父のスウェットを着こなすんじゃないよ」私は振り返らずに言う。

「おばさんが着替えだってくれるから〜」

「お母さんめ…」

「んで?明美?何してんの?」

「勉強。中間考査近いでしょうが」

「ああ〜そういやその時期ねえ…」なんて明は呑気に言う。本当の事は教えない。コイツに教えれば尻尾振って着いてくるからだ。コイツはムカつく事にアホの癖に成績は良い。外部進学くらい平然とできるだろう。

「勉強してないと。えらい目見るぞ?」

「別に。学校の授業、ちゃんと聴いてれば。適当な成績出せるでしょうが」余裕そうに言う明。

「明は地頭良いからムカつくんだよな」

「お前だって良いほうだろ?」

「私は。キチンと勉強しているからな」

「お前のその地道さが羨ましい」

「私は。お前のその天才ぶりがムカつくよ」

「そう言うなよお〜」なんて言いながら。平然と私の部屋で寛ぎだす明。私の本棚の少女漫画を漁るんじゃないよ。

「お前は。ここで『●に届け』を読破していくつもりかよ?」

「いやあ。いいトコまで読んでましてねえ」

「…『●はやぶる』も読み尽くしたよな。お前」

「アレはいいバトル漫画やでえ」

「…あーもう。好きにしろ」

「お言葉に甘えるぜぃ」

 

 部屋に明が居る。

 部屋に異性が居る。

 これは健全な乙女なら心臓が破裂するシチュエーションではある。

 一応はコイツはイケメンで。胸がときめいても良いものだが。

 相手が明である。ハイハイしている頃から一緒の男にはどうしてもときめかない。

 私は振り返らずに勉強を続ける。

 一方の明は平然と私のベットの上で寛ぎ漫画を読んでいる。

 …コイツは。私に恋をしているのではなかったか?

 こんなシチェーション。普通の男子なら頭が爆発して四散しているのではないか?

 

「明よ」私はたまらず問う。

「あい?今いいトコなんですが」

「お前は。好きな女子のベッドの上に平然と寝転がれるアホなのか?」

「…言われて見ればそうだったな」コイツは今の今まで気付いてなかったらしい。

「気付いてくれたなら。退いてくれ。ついでに部屋を去ってくれると有り難い。勉強に身が入らん」

「…お前も俺を意識してるのか?」

「バカ。違う。お前が居るとうるさいんだよ」

「騒いでない」

「そういう意味じゃない」

「と、言いますと?」

「存在感が煩い」

「難癖つけるなあ。いいじゃんよ」

「良くねえ。ていうか。お母さんはよくお前を放置してるなあ…年頃の男女だってのに」

「おばさんも。お前と一緒で俺を男だと認識してないトコロがある」

「大問題だよ」

「まったくだな、はっはっは」

「笑い事で済ますんじゃない」私は振り返りながら言う。

 

 私の勉強机の裏のベッド。

 そこに明が涅槃のポーズで寝転がっていやがる。

 お父さんのスウェットの胸元はヨレていて。そこから明の骨ばった鎖骨が見える。

 これは。明ファン垂涎すいえんの景色だなあ、と私は呑気に思う。

 だが、私はコイツの股間さえじっくり見たことがある女だ。鎖骨程度でクラっと来たりしない。

 

 私に見つめられてる明は。

 何故か私の枕を嗅ぎ出す。止めろよなあ。汚い。

「枕を嗅ぐな馬鹿野郎」

「…好きな女のモノは嗅いでみたくなる性分で」

「それ、他の女にやってみろ、殺されるぞ」

「…お前は構わんのか?」

「明だもの。大抵の事は気にならん」

「気にしてくれる方が萌える」

「お前を萌えさせるようなサービス精神はない」

「ケチ」

「ケチで結構」

 

 そんなやり取りをしながらも。明は私の枕を嗅ぎまくっている。

「…それで。欲情するのか?お前は?」私は冷静に問う。

「…するかも知れん」明は妙にクールに応える。意味が分からん。

「ここで迫るのは止めてくれよな」私は釘を刺す。一応お母さんが居る訳で。

「そこまでアホじゃない」とか明は言っているが。妙にソワソワするのは止めろ。鬱陶しい。

「アホじゃないなら。枕嗅いでソワつくな」

「そりゃ。年頃の男よ?俺」

「言い訳にならん。大体な、男が女に迫りたいならだ。ムードってものを解せ、バカチン」

「お前と俺で。ムードなんて出せるか?」明は至極冷静に問う。ムラついているんじゃないのかお前は?

「無理だろうな。そもそも。お互いの事知りすぎてるもん」

「なんだよなーそこ、俺も悩んでる」

「手の内を明かすなバカチン」

「…明美には隠したって無駄だもの」

「エラく高く見積もられてるな、私」

「俺とお前は。

「…否定しときたいトコロだが…まあ、そうかも知れん」

「なのにだ。俺はお前に恋をしちまった」

「何でだろうな?」

「…俺が聞きたいよ」

「自分の事だろうが」

「自分の事でも。分からん事は一杯ある。例えば恋だ」

「それに答えを探すのも人生だ。私を口説きたいなら。答えを探してみてくれよ」

「…それが出来たなら。お前は俺の事を見てくれるか?」

「少しは。心が動くかも知れんな」今は分からないが。

「…少しは頑張ってみますかね」

「期待しないでおく」私はクールに言い切る。

 

 そして。

 私と明は。

 狭い空間を挟んで向き合っている。

 当の明は。なんだか前かがみになっている。

 …コイツはぁ。性欲には勝てないらしい。

 しょうがない。指摘はしておくか。後から後悔させるのも可哀想だ。

 

「明よ」私は冷静を装って言う。

「…何?」コイツは誤魔化ごまかしたい一方である。だが。中学生の時にお互いの性の事を話しあい過ぎている。

「お前、今、勃ってるだろ?」私はオブラートに包んだ言い方が得意ではない。

「…そんな事ないぞ?」なんて明は目線を泳がせているが。

「バレバレなんだよ…」呆れて言う私。

「…明け透けに指摘すんな、阿呆」

「私は女ではあるが。その前に幼馴染の明美ちゃんだ。隠し立ては不可能だと思え」

「こっ恥ずかしい」明は顔を赤くしており。

「…恥ずかしいのはこっちだよ、まったく」

「申し訳ない」

「それだから性欲猿だとしか思えない」

「手厳しいな」

「当たり前だ。こっちは乙女なんだっつーの」

「その乙女に。失礼な事を致しました。申し訳ありません」明は。ベッドを降りて土下座している。

「…ま。良いよ」なんて。私は上から目線で許す。

「良いのか?」

「普通の男子なら股間蹴って追い出すトコロだが。お前だ。良いよもう」

「蹴られたら蹴られたで。変な性癖に目覚めそうだ」

「…お前は懲りているのかいないのか分からんなあ」

「…済まん」

 

「…お前をこのまま追い出すとして、だ」私は好奇心から問う。

「ん?」まだまだコイツは股間が気になるらしい。

「その後は私をオカズにるつもりか?」

「それを言わせるのは酷くない?」明はタジタジである。

「ま、私の好奇心を満たすと思って答えろ、明」私は…そういう方向の性癖持ちなのかも知れない。

「…するでしょうねえ」明は正直者のアホである。

「そうかい、そうかい。面白い」

「気持ち悪くないのか?」

「あのなあ。私だって性欲はある訳だ。それに対して気持ち悪いっていうのはフェアじゃない」

「公平な性見識をお持ちで」

「感謝しろ、明」

「…あのさあ。明美ってどSな訳?」

「…私も今、お前を問い詰めて気付いた。サドの気があるってな」

「そんな事には気付いて欲しくなかったなー…」

「ま、これも偶然のなせる業だ。勘弁しろ」

「…勘弁してくれよなあ」

 

「なんなら―手でしてやっても良いぞ」私は。何を言っているんだろう?自然とこの台詞が出てしまった。サドの成せる業かも知れん。

「…そんな事されたら襲うわ」

「んじゃあ。我慢して帰れ」

「…なんかドッと疲れた」なんて言いながら。明は部屋を去っていく。

 

                  ◆

 

 私の部屋での小事件を挟んでから。

 明は流石に遠慮というモノを学んだらしい。

 気軽に部屋に侵入してくる事は無くなった。

 

 ま。その後も。学校では付き纏われまくったが。

 が。明は私を口説く文句を捻り出すのに丸々三年かかった。

 そう。高校の3年間を私を口説く事に使い果たしてしまったのだ。

 まったく。アイツがここまで一途だとは知りもしなかった。

 

 私は。

 私を必死に口説く明を見ている内に。

 アイツへの気持ちが変化しているのに気付いた。

 その感情は言葉にはし難い。アイツの恋心と一緒だ。

 気が付いたら。アイツをもっとよく知りたくなってしまったのだ。

 アイツの未来を含めて。

 

 私達は大学進学を機に付き合いだした。

 まあ、大学は分かれたけどね。私はこっそりと女子大に進学し、明は付属元の大学に内部進学していった。

 

 時というのは。意識しないとあっという間に過ぎていく。

 気がつけば。付き合い出して4年が経っており。

 私達は就活に追われ。会えない日々は続いた。

 

                  ◆

 

「愛とは何ぞや」かく私の彼氏は問うた。

「互いを知り、互いを受け入れる事である」なので私はこう応えたのだ。

 

「ふむ。なれば俺は。明美を受け入れたいという事かね?」

「…それを私に問うてどうする」私は突っ込む。

「…そらそうだ」明は言う。

「…で?こんな高そうなレストランに呼んでどうしたというんだい?明」

「そりゃ明美。察せよ」

「…時期が時期だぜ?」私と明は就職活動を終え。社会人としてやっていく寸前である。

「だからこそ、だな。時間が取れなくなる前に君に話をしておきたくてね」

「明。あんたは感情的に過ぎる」

「それが欠点で、同時に持ち味だ」

「…昔なら呆れ返っていたものだけど」

「今はそうでもないか?」

「逆に感心さえするなあ」

「んで?答えは?」

「…2点。プロポーズにしては唐突過ぎ」

「確かに俺もそう思う。タイミングとしては最悪かなって」

「…けど。アンタはどうしても私と生涯の愛を誓いたい訳だ」

「その通り…指輪も用意しちまった」そんな事を言いながら。指輪を差し出す明。ああ。コイツは阿呆だ。だが。この阿呆と一緒に居れるのは私しかいないらしい。

「受け取らせてもらうよ」

「…おお、意外。高校ん時みたいにボツ喰らうかと」

「あの頃の私は高慢ちきな嫌なヤツだったなあ」

「…かもな」

「そこは否定しなさいよ」

「それもこれもひっくるめて。明美と一緒にやっていきたい訳」

「…よろしく頼んだよ」

「こっちこそ頼むな」

 

                  ◆

 

 恋とは何ぞや。

 ―それは相手を知りたいという下心な衝動である。

 愛とは何ぞや。

 ―それは相手を知り。受け入れたいという真心である。

 私は。この恋愛というヤツを。幼馴染の明に捧げちまった。

 この事に関して後悔しているか?

 んな訳ないだろう。

 これからどんな未来が私たちを待つのかは知らないが。

 とりあえずは。この感情的な明とチームを組んでやっていく他ないのだ。

 私にとって。

 

 

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『ロジカルな粟野さんと感情的な高坂くん―恋とは何ぞや、愛とは何ぞや―』 小田舵木 @odakajiki

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