針/糸/時

palomino4th

針/糸/時

針と糸を手に持って語る物語、人の文字のやって来る前から伝えられた物語をそのままここで語る。


天地はわかたれ頭上に星、足元に草木が嵌め込まれ、神々が微睡まどろみ夢見る額から人と虫と獣があふれ出し世界に満ちた。

稲光が世界に流れ、かたどられたものどもに魂が宿るとそれらが各々おのおの柘榴の粒のように小さな世界になり足を持って歩き始めた。

神々の夢見る中で紡がれるのが我々の歴史のすべてである。

夢の大陸に人は自分らを産み増やし、文明と歴史を築いた。

この世界に人が自分らで創造したものは何も無く、自分らを夢見る神々の頭の中身を覗いたものがそこに発見をし、自分らの村にもたらした。

石や草木、獣や魚の中には人の求める道具が埋め込まれていた。

人は木々から棒を、獣の骨から針を見出した。

神々の知恵は肉や皮に厳重に隠されたものだったが人の中にはそれを探し出し取り出す者がいるのである。

一度見つけられた神々の秘密は果てなく伝えられ人の世界の知恵にされていった。


全ての神々が無心の睡りの中にいたわけではない。

神の中には夢の中に自分自身を夢見て人の世界に入り込む者もいた。

人と交わり産み落とされた赤子はただちに神の一柱である。

それは当人も産みの親らも気付かないことであり、誰しもがさだめて人として果てた。

ただし神と人を親に持つ子は、世界に埋め込まれた神の秘密を見つけ出す眼を持つ。

覆い隠すものを払い、選り分けて正しくその答えにたどり着いた。


睡りながら半ば醒めている神の一柱の中に「時と忘却」があった。

「時と忘却」は地上では豹の姿をしており、森林のもつれ合う枝の隙間から人の暮らす集落を見張っていた。

金色の全身に縫い付けられた黒のぶち模様は一つ一つが人を見張る眼であり、その身体の一部分は日輪に開けられた黒点の一つにあり、それらを眼にして人の世界を見張っていた。

人の世界に神の赤子が現れた時、牙と爪で神の眼と口をぎ取り人の肉体に戻し、或いは赤子の親たちの出会いとちぎりを掻き消して赤子の誕生そのものを無かったことにしていた。


ここに金色の豹に掻き裂かれいつした物語を針と糸で話をつなぐ。

その村にいた娘と神の影との出会いと結ばれた伝えは牙と爪で削ぎ取られうろになった。

語り手は手元の針と糸で夢に開いた裂け目を縫い閉じて次を語る。

この伝説の主役である神と人の息子「針」はここで産まれたのだがその前後の話を我々が知ることは出来ない。


そしてたくましく育ち一人前の男になった姿で「針」は突然我々の前に現れる。

本当の名前と親たちの記憶は豹に噛み裂かれ人の物語からは永久に消え去ったが、輝かしい子供時代であったはずだ。

「針」は神の眼を持って産まれた筈なのだがそれは後に黄金の豹にえぐられ奪われた。

彼が見つけ出した神々の秘密は牙と爪で掻き消され再び人の目には隠されてしまった。

「針」は狩りを好んだ。

既に人の世界に広がった神の知恵の断片である弓と矢を持って平原や森、山や川を駆け巡り獲物を狙い射掛いがけた矢は的を外さなかった。

これらは神の眼ばかりの力ではなく「針」に備わった人ながら人を超えた力として伝えに残された。

牙と爪を逃れた伝えにおいて「針」は勇猛果敢ゆうもうかかんであり天真爛漫てんしんらんまんの若者だった。

集落の者どもの信頼もあつくいずれは村の長になるべき定めを刻まれていたのだが、普段から村の中には居付かず狩猟に明け暮れていた。


ここにも大きな欠落があり語り手は針と糸で残された物語のふちと縁を縫い合わせる。

「針」の得た掛け替えのない好敵手でもある友らしき痕跡はすべて削り抉られた人型の穴になり、私はそれを縫い閉じる。

そこで流れた日々の様々の記憶は爪でむしられた痕の網目の、さざなみの向こうにおぼろに見えるだけである。


人間界を監視していた黄金の豹は「針」が神の血を持つことに気付くと、まず森で狩りにやって来る彼を待ち伏せることにした。

何も知らぬ「針」は獲物を追って森に入り、そこで黄金の豹の眼に見つめられている事に気付いた。

神の眼を持ってしてもこの豹を見つけることは出来なかったが、身についた狩人の直感は息をひそめたこの豹の鼓動を聴き分けた。

「針」は勇敢な男だったが、敢えて危険を犯さずこの気配を避けて森には入らなかった。

豹は改めて次の日もその次も森の中に潜み「針」の来るのを待ち伏せたのだが、「針」は向かう場所に豹の気配を感じるとすぐに引き返し、待ち伏せの間合いには入らず、自分を狙う眼に気付くと狩人の本能で豹の持つ幾千の眼から完全に姿を隠した。

黄金の豹は人を恐れることはないが、自分と同じ神の血は恐れた。

神の血で放たれる弦音つるおとは豹の毛皮を貫くことができた。

「針」が射掛ける矢は豹を倒す。

神の知恵を盗む者たちをそのままに出来ない豹は詭計きけいをめぐらせた。


ここに幾つもの穴がある。

ある穴は人型でありおそらくは「針」と長くともに育った青年ではないかと思われるが、伝えからは完全に失われ、その隙間は針と糸が縫い閉じる。

穴以外にも豹の爪で切り裂かれた物語の端切はぎれを集め並べて語り手は糸で継ぎ合わせてゆく。

切り裂かれていたのは「針」の村であり、平原と森の猛獣を差し向けてその村を襲った上、村の記憶そのものも我々の伝えから完全に消し去った。

遠くまで狩に出ていた「針」は獣らの来襲に遭わず、戻ってきた時には村も親しく愛した人々も全ての記憶も消されていた。

「針」は激しい怒りをもって来襲した獣たちの後を追った。

村を蹂躙した地上の獣たちは追撃する「針」の矢に倒されていった。

獣たちは全て一つの方向……黄金の豹のいる場所に向かっていたのである。

故郷を奪われた怒りに眼がくらみ、いつもなら気付いたであろう黄金の豹の気配を完全に聴き逃していた。

森の中の樹木が描く複雑な模様に巧みに潜んだ豹は、逃げる猛獣の一群を追いかける「針」の側面に跳び出し、鋭い爪で彼の片腕を切り裂いた。

片腕は半ばちぎれ掛

かけ弓を持てなくされた「針」は、初めて見たこの黄金の豹が、森の中から自分を常に見張っていた眼の持ち主であり、猛獣らをきつけた主であることを悟った。

豹はこれまで決して入らなかった間合いまでゆっくりと踏み込んで「針」に近づきぎ払うために片方の前脚まえあしを振り上げた。

「針」は凄まじい表情で迷わず無事な片腕で弓を拾い、口にくわえた矢をつがえ歯で弦を引き絞り間近から放った。

勢いよく放たれた矢は豹の前脚の一つを吹き飛ばした。

豹は慌てて飛び退き、脚一つ失いながらも「針」の矢の間合いから逃れた。

「針」は片腕と口で次の矢をつがえ射た。

豹は森の中を駆けたが、思わぬ手負いで「針」から逃げそこねた。

岩の多い山に駆け上がるが追手を引き離せず頂まで登り切り、そこで振り返り下から登り来る「針」の顔に向かい、残った前脚で抉ろうとした。

前脚を避けた「針」は真後ろに倒れ下に落ちながら、豹の顔目掛けて矢を放った。

凄まじい音と共に間近に迫った矢は黄金の豹の頭をつらぬきかけたが、豹は山の頂の表と裏を前脚で払い二つに切り分けた。

矢は別の空に掻き消えて、「針」と豹は山の表と裏、それぞれに落ちていった。


ここで出来た欠落をもう一つの布に繋ぎ縫い閉じる。

山の崖から落ちた「針」は深傷ふかでを負って立ち上がれずにいたところを山に住む集落の人々に救われ彼らの村で手当てを受けた。

豹に切り裂かれた腕は傷も深かった。

ここで人型の空白が現れる。

名前も豹の爪に奪われ伝わらずに忘れられたこの女性はここで「糸」と呼ぶ。

この「糸」が持つ小さく繊細な獣の骨の針と綿花の糸で「針」の傷のの裂け目は縫い閉じられた。

「糸」の顔も声も後に失われるが、その娘がいたことは伝えに残った。

故郷の村を失った「針」はその村でゆっくりと静養していたが、長く世話をした「糸」との間に情が芽生めばえ、一巡りの季節を経て彼らは夫婦となったようだ。

やがて季節の巡りを重ね数人の子供をもうけたようだが、全て人型の空白となる。

それを語り手の針と糸で縫い閉じる。

村で過ごした年月で「針」の片腕の傷は完全に閉じ弓を握る力も取り戻されたが、縫い跡は星座に連なる星のように皮の表に残った。


村には遥か過去の先祖……見出された神の知恵から伝わる機織はたおりの技術が生きていた。

綿花をって得られた糸を織機しょっきにかけて布を織る。

そして機織りをする者の中には人のまとう布ではなく次代に歴史を伝えるために模様を織り紡ぐ者が一人いた。

「針」の辿たどったこれまでの運命を読み取った機織りはそれをはたの上に模様にして織り込んだ。

そこにはかつての村の姿やその父母、共に育った友の姿も織り込まれ、やがて輝く黄金の豹が連れてきた災厄に全てを奪われ、森から山の頂きでの死闘、転落しての瀕死の重症から村に受け入れられ「糸」との出会いと新たなる家族との生活までが描かれていた。


しかしその現物は空白の中の空白になる。

織物に込められた模様の中の豹の眼が開き「針」の居処が伝わった。

織物の中で豹は彼の故郷を再び奪い、同時に過去の名前や彼と関わりのある人々の記憶を全て削ぎ取り空白にしていった。

今の伝えに無いものは特にこの災厄に由来する。

彼の間合いに入れない豹は、対峙たいじすることなく彼の過去と現在、そしてこの先の未来をそれぞれ切り裂いた。

織物は豹の爪により切り裂かれ歴史も吹き飛ばされた。

村は豹の爪に分断され集落はばらばらになった。

「針」は自分の本当の名前、村への帰り道、そこにいた家族……妻と子らの記憶を全て削り取られ再び孤独になったが、自分自身の肉体に残った、かつて豹のつけた深い傷の跡、そして妻となった女性がそれを縫い閉じ、今や彼の肉体と一つとなった糸を見て豹が自分から消し去っていった様々なものの痕跡を思い描いた。

本当の名前は消え去ったが「糸」が彼女の名前となり「針」が歿ぼっせぬ限りは世界から消えなくなった。

そうして弦音で湖を波立たせ、矢に岩すら射抜かせるほどの威力を持つ弓を自ら作り、自身を付け狙っていた黄金の豹を追って広い世界に駆け始めた。


そして我々は物語を針と糸でそこから次の時代に繋ぐ。

その次代に、新しい赤子が神の秘密の奥底にあったものを探り当てた。

「言葉」が発見され、語りと文字で織物が再現されるようになった。

今の世の物語も全てあの織物をしたものに過ぎない。

そして言葉のもたらされたことで、世界は睡る神々と行き来する道が途絶え、夢の神々が人の世界に入ることは無くなった。

言葉によって、人は誕生しこの世に訪れ、死をもって去っていくことを知り、神々は忘れられていったのである。


この物語に針と糸で繋ぎ足されるのは以下の顛末てんまつである。

あの黄金の豹が「針」に加えた襲撃は彼をたおすことは出来ず、かえって彼を神の世界のものにした。

牙と爪で彼の過去と現在を切り裂いた時、豹は未来までを手にかけていた。

すなわち、「針」の死と埋葬と墳墓ふんぼは「時と忘却」により喰らわれて佚した。

「針」の死は失われ、永劫の存在になった彼は「時と忘却」を倒すため、りし日の姿のまま地上に駆けるようになったのである。


この物語を語り伝え始めた最初の唇の時代から幾世代も時が流れ、今現在に物語の織物の端はこの針と糸で縫い付けられる。

星座を散りばめた天穹てんきゅうのもと、トラムとメトロが地表にはびこり空に鈍色にびいろの翼が線を引く、この語りを伝え聴く我々が呼吸するこのメガロポリスのいずこにも、「針」は「時と忘却」を狙い追いかけ、今もこの時も走っている。

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