Intermezzo-2-  璃々

 眼前に広がる、侘しい夜景を眺めながら。

 璃々りりは柵に両肘を乗せて、下を見る。


 職場の屋上にはいつも人が居なかった。古いビルなので、危ないから閉鎖されているらしい。確かに柵は全体的に錆びていて、床も所々ひび割れている。

 仕事終わりに、この屋上から夜空を眺めるのが璃々の日課だった。

「…今日は星、見えないなあ…」 

 呟いて缶コーヒーを一口。昔は苦くて堪らなかったブラックコーヒーも、今では中毒のように一日何本も飲んでいる。

 星が見える日は、寧々のことを思い出せる気がして好きだった。

 大切で、大好きな、双子の妹。


 寧々と璃々は、田舎町の小さなアパートで育った。

 昔は父と母含め、家族四人で仲が良かった。大きくなるにつれて、父は仕事ばかりで家におらず、次第に母も何処かへ出かけることが多くなった。

 寧々と璃々は、いつも二人きりだった。

 でも寂しくはなくて。自分の分身みたいな妹が、ずっと一緒に居てくれる。それだけで十分だった。幸せだった。毎日二人で「戦いごっこ」や「家族ごっこ」をして遊んだ。寧々は自分より大人しくて、危ないことをしようとするといつもオロオロしながら止めてくれた。

 小学生になると、双子は同じクラスになれない…の法則で寧々とは別のクラスになった。璃々は持ち前の明るい性格で友達が沢山できたが、寧々は内気で中々友達が出来ずいつも一人だった。だから璃々は毎日寧々と一緒に登校して、帰りも寧々と下校するために玄関で待っていた。他の友達が遊びに誘ってくれても断った。妹と一緒に居たいから…と。

『…りり、無理して一緒にいなくてもいいんだよ?』

『はあ?違うよ!りりが一緒に居たいから、一緒に居るの!』

『…でも、りりも友達いなくなっちゃうよ?』

『いいもん。ねねがいてくれたら、あたしそれだけでいいの』

 心の底からの本心だった。控えめに笑う寧々の手をギュッと握って、璃々たちは毎日同じ道を歩いて帰った。


 中学生になると、両親は家に居ない日ばかりになった。その頃にはもう親が不仲なのも何となく察していたけど、あまり興味は無かった。寧々が居ればそれでいい。その気持ちは揺るがなくて。

 だけど中学二年生の冬。十四歳の時。父と母がとうとう離婚し、璃々は母に、寧々は父に連れていかれることになった。

 父は仕事で成功して、大手企業の重役を任されることになったらしい。そのため、本社のある都会に引っ越すと言い出して。

『寧々の方が成績優秀だ。お前と違って口答えもしない』

『そんなことで決めたの!?ならあたしも父さんについていく!連れてってよ!』

『駄目だ。二人も面倒は見られない。お前は母さんとここに住め』

 後に知ったことだが、母は浮気をしていたらしい。新しい恋人と再婚をしたいと、母から別れを切り出したそうだ。母は別段璃々に興味はなさそうで、でも揉めるのも面倒だから璃々を引き取る…その程度だった。

 璃々と寧々は何度も、二人一緒に暮らすことを望んで直談判した。だけど、中学生の自分たちに選ぶ権利はない。二人だけで暮らせるほどの財力も、知識もない。聞く耳を持たない両親のもとで、璃々たちは諦める以外の選択肢を持たなかった。


 そして訪れた引っ越しの日。璃々は最後までごねて、寧々の手を離さなかった。絶対に行かせない、と大粒の涙を流した璃々の手を、母と父が無理やり引き剥がして。

『いい加減諦めなさい!往生際が悪いわよ!』

『くそっ…空港行きのバス一本逃したじゃないか…ほら、行くぞ、寧々。』

『…っ、璃々…』

 泣きながら寧々が自分を呼ぶ。その瞬間、手が離れた。父が寧々の手を引っ張って無理やりバスに乗せる。もう寧々は抵抗しなかった。

『…っ、寧々っ!』

 バスは定刻通り去っていく。母はそれを見送りもせず『ほら、帰るわよ』と踵を返した。


 その一時間後。空港行きの高速バスが横転し、死者や重傷者が多数いる…というニュースがテレビの速報で流れた。

 それは紛れもなく、寧々たちの乗ったバスだった。


 寧々は、意識不明の重体で。あれから七年経っても、未だ目を覚まさない。

 医師にはもう意識回復の見込みはないと散々言われた。それでも璃々は絶対に諦めるものか…と必死に縋った。父は何度も『もう無理だ。諦めよう』と言ってきたが、璃々はそれを絶対に受け入れなかった。

 父は一人軽傷で済んだ罪悪感からか、或いは仕事がうまくいってお金に余裕があったからか、寧々の治療費は払い続けてくれていた。だが一年前、父がお世話になっていた会社は経営不振で倒産。寧々の治療費はもう払えないと言い出して。

 璃々は、どうにかして寧々を命を繋ぎたかった。だって、自分のせいだ。あの時璃々がごねて二人の乗るバスを一本遅らせなかったら…寧々は今も元気だった。

 自分のせいだ、自分の。だから自分が寧々の命を、守らなくちゃいけない。

 専門学校を卒業した璃々は、自分が出来る範囲で一番給料の高い会社に就職した。介護の仕事だ。夜勤続きのシフトでも構わなかった。シフトが休みの日は、島のカフェでバイトをした。

 一方で自分は五帖の狭いボロアパートに住んで、スーパーの半額のお惣菜を買って生活した。母とは疾うに別居している。再婚相手と幸せに暮らしているんだろう。

 何を犠牲にしたっていい。何を捨てたっていい。幸せな暮らしも、友達と遊ぶ時間も要らない。寧々さえ戻って来てくれるなら。

 一時期ふと魔が差して、恋人を作ったことがあった。多分璃々はその人のことなんて好きじゃなかったと思う。ただ都合の良いタイミングで現れて、程よく優しくしてくれて、拠り所になってくれそうだったから付き合った…その程度の。

 彼は璃々の事情を知っても離れていかなかった。璃々の体を心配してくれた。大事だって言ってくれた。璃々が自分の犯した罪を後悔していることも、ちゃんと聞いて「璃々のせいじゃない」って言ってくれた。


 でも結局は空しいだけ。他の誰が許しても、自分は許さない。命より大事な妹の、未来を奪った自分を。百人が「貴方のせいじゃない」と言っても。


(…私が私を、絶対に許さない。)


 誰とも関係を作らなくなった。大切な人は寧々だけで十分だ。

 恋人も友達も要らない。働いて、働いて、働いて…他の人が嫌がる仕事も全部した。体調が悪くなっていることに自分で気づいていながらも、働く時間を削ることはしなかった。

 寧々の痛みや苦しみに比べれば、こんなのどうってことない。 

 そう言い聞かせて、寧々の治療費を稼ぎ続ける。

 

 ある時から、唯一の癒しだった屋上で星を眺める時間に、変な妄想をするようになった。

 ここから飛び降りれば、楽になれるかな…なんて。

 今日もその考えが脳裏をよぎる。


「…っ、あははっ、あたし馬鹿みたい…帰ろ…」


 慌てて頭を振った。おかしなことを考えるのはやめなくては。コーヒーを一気飲みして、踵を返す。重い体を引きずって、寧々のことだけを考えて。


 霜月璃々しもつきりりの人生録によれば、彼女が屋上から落ちて亡くなるまであと二十四時間と記されている。

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