後幕 吟遊詩人の人生録

Tr.1 Prelude

 ターミナルの天井を覆う、星空。寧々はこの偽物の星空を眺めるのが好きだ。


 時折この場所でうたた寝していると、夢を見る。恐らく自分が現世にいた頃の記憶なのだろうと寧々は思っている。


『…そういえば、今日流星群なんだって』

 狭くて薄暗い部屋の中。隣に誰かが座っている。緑がかった珍しい髪色のその子は、寧々と似たような背格好で。

『流星群?何それ?』

『流れ星が沢山降ってくる日。ふたご座流星群』

『えー!ふたご座!?私たちにピッタリじゃん!見ようよ!』

『真夜中から明け方にかけてだよ。それに、ボクたちの家のベランダからじゃ見えるか分からないし…』

『きっと見えるよ!見えなかったら、他の所に移動しよ!』

『どうせ××は待ってる内に寝ちゃうよ…』

 ××。呼んでいるはずなのに、その子の名前は聞こえない。どう頑張っても思い出せない。だがその子の耳には届いているらしく、目を輝かせて彼女は笑う。


 どこかのベランダから眺める夜空。静まり返った深夜の街で、寧々とその子の二人だけが世界に佇んでいる。

『世界はこんなに綺麗だったんだねえ…』

『ふふっ、寧々は時々センチメンタルなこと言うよね』

『そ、そんなことないよ…』

 照れ臭くて一瞬下を向く寧々。流れ星は中々現れない。つまらなくなったのか、緑の髪の少女は何気なく歌を口ずさむ。

『~♪君の名前も、思い出さえ。忘れてしまったとしても…』

『…××はいつもそれ歌ってるよね。それ、昔流行ってたアニメのやつでしょ?あの変身する女の子たちの』

『そう!好きなんだぁ、この曲。この歌にはね、傷が癒えたり、心を病んじゃった人が安らかな気持ちになる効果があるって設定なの!』

『へえ…現実でもそんな歌があったらいいのにね。何て曲なの?』

『プレリュード!呪文みたいでかっこいいよね、曲名』

 そして少女はまた、その続きを歌う。どこか懐かしくて切ない、寂し気なメロディー。癒しの効果がある、と言われればそんな雰囲気はあるかもしれない。

 刹那、少女が『あっ!』と声を上げて立ち上がる。

『ねえ、今通った!通ったよ、寧々!』

『しー…大きい声出しちゃだめだよ…近所迷惑でしょ…』

『あっ、ごめん…』

 慌てて口を押えた少女が、また空を仰ぐ。寧々もつられて上を見た。途端にキラッと光の尾が流れて消える。

『あっ…!…いっちゃった…』

『ねえ、先に願い事決めようよ!次出てきたら、一緒に願い事唱えよう!』

『そうだね…××は何お願いするの?』

 すると少女は一瞬も躊躇わず、満面の笑みで言い切った。


『勿論、寧々とずっといられますように、だよ!』


 いつもそこで、目が覚める。ターミナルの天井に星が一筋流れ、寧々の目尻から涙が一筋零れる。

 どうしてもその子の名は思い出せない。緑の髪と赤い眸、前髪を留めているお揃いの星のピンだけが、唯一覚えているその子の特徴だった。


 もう何千回も夢の中で彼女に会っているのに。

 あともうほんの少し。ほんの少しで、記憶の蓋に手がかかりそうなのに。

 その少しが、届かない。



 寧々がちゃんと思い出せる一番古い記憶は、このターミナルで目を覚ました後のこと。ノワールと時雨が傍らに立っていて、寧々がすべての記憶を失っていると知り、酷く落胆した様子だった。

『…僕のせいだ、ごめん。また失うのは嫌だって思ってたのに…』 

 神妙な顔つきで謝られても、寧々には何のことか分からず。首を傾げる寧々を、二人は途方に暮れたように見つめるばかりだった。

 数日後、何もせず抜け殻のように過ごしていた寧々にノワールがとある役目を言い渡した。それが、ターミナルの管理。


 ターミナル管理の業務は、主に二つ。

 一つ目は、この世界の九つすべての街を監視すること。

 二つ目は、こちらの世界から現世へ、返すべき人を返すこと。

 監視は簡単だ。ターミナルの中央には多数のモニターがあり、ボタン一つで街ごとの様子を切り替えて確認することが出来る。異常があれば、その都度ノワールに報告。但し小さな諍い程度はよくあるので、本当に深刻な異常事態以外は見逃して問題ない。

 二つ目の業務の方が大役だ。返すべき人とは、人生録で運命さだめられている人のこと。現世で長時間意識不明だった人が、奇跡的に意識回復する…そういう例が極々稀にある。それは人生録で『何年の何月何日に現世へ返す』と元々決められており、そのリミットが来たタイミングでしか現世には返せない。

 寧々の仕事は、決められたタイミングで運命られた人を返すことだった。


 記憶を持たない寧々は、感情の変化も希薄になっていた。

 面倒だ、つまらない、寂しい…そういう人間らしい感情は無く、機械のように淡々と業務をこなす日々が続いた。こちらの世界換算で、ざっと十四年近くもの間。

 初めの頃、頻繁に様子を見に来てくれていたノワールや時雨も、次第に来る頻度が減っていった。誰とも話さない日々、ひたすらモニターを凝視する日々。

 モニターの中で、各街で過ごす様々な人を見ていた。本を読む感覚と似ている。自分事ではない物語を、傍観している読者の心情。眺め続けるうち、少しずつ人間らしい感情が寧々の中に戻り始めた。

 羨ましい、妬ましい、つまらない、寂しい。

 そんな時、詠というイレギュラーな存在が突如として現れた。その姿を見た時、寧々の中にあった何かが弾けた。


 寂しい、寂しい、寂しい、寂しい。

 膨れ上がった感情は、暴走して思いもよらぬ行動をとらせる。


 詠を返した後、ノワールや時雨に何を言われても。寧々は間違ったことをしたとは思えなかった。現世での詠を思えば、こちらに居た方が幸せなのは明白だ。

 自分だけの幸せを追求して何が悪いのか。

 それが周りにとっても良い影響をもたらすのなら、猶更だ。

 

 モニターを見れば、ノワールと時雨が何処かへ足早に向かっている。方角的に、第七街区・遺跡の街を目指しているようだ。ボタンを押して、他の街の様子を見る。

 今日も、この世界は何も変わらない。

 この十五年間、何も変わらなかったように。


「~♪君の名前も、思い出さえ。忘れてしまったとしても…」


 記憶を持たない寧々は今日も独り、街を監視し続けている。

 夢の中の少女が歌う、どこか懐かしい歌を口ずさみながら。



 

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