Tr.6 ミルテの花冠

 第四街区は、三六五日ずっと陽が昇らない街なのだという。


 体内時計が狂ってしまいそうだね、と言えば時雨はカラカラと笑った。

「あの街に住んでる人たちにとっては、それが日常で当たり前だから。皆ちゃんと、朝が来たら起きるし夜が来たら眠るよ。外の明るさは、時間の流れとは無関係だし」

「そうだけど…」

 第一街区の森がもうすぐ終わる。途中物凄く賑やかだった鳥たちのコーラスも、いつの間にか遠ざかって。少し先の空が、青紫色に滲んでいた。夕闇が迫っている色だ。

「…詠、なんだか嬉しそうだね?」

「…夜が好きだからかな?」

「そうなの?なんで?」

「え…みんな夜の方が好きでしょ?ロマンチックだし、星が見えるし」

「そうかな?僕は寝るのは好きだけど、夜そのものが好きかと言われるとなんとも…」

「え、そうなの?私、芸術家はみんな夜が好きだと思ってた」

 偏見ではあるが、統計的にもアーティストは夜が好きな人が多い気がする。時雨はうーん…と唸りながら天を仰ぎ、ボソッと呟く。

「まあ、確かに?夜の方が創作意欲は強くなるかなあ」

「でしょ?なんていうか……幻想的だからだよ、きっと」

「だとしたら、詠は次に行く街、きっと気に入ると思うよ。凄く幻想的な所だから」

 時雨はサプライズの仕掛け人のように、ニヤッと悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 そうして歩き続けること、約三十分。空の色は、完全に濃紺に変わった。天の川の如き満天の星が、詠たちを出迎える。森の木々の深さは相変わらずだが、少しずつ色んな場所に小さな灯りが見えてきた。

「あれって家?」

「そうだよ。この第四街区に住む人たちは、密集して住んだり、賑やかに露店を並べたりしないんだ。皆それぞれの暮らしを、それぞれの場所で、慎ましく営んでる」

「…なんか、いいね」

 第三街区の賑やかで、幸福そうな街並みも嫌いじゃなかったけれど。もし自分が住むならば、迷わずこっちの街を選ぶだろう。毎日ずっと、こんな美しい星空を眺めながら過ごしたい。人と不必要に絡むこともなく、自分のペースで、好きなことをして。

「…私、本当にここに住みたいな」

 広がる星空、静かで優しい森、ちらほら灯る光。美しいその光景を眺めていたら、自然と零れ出た言葉だった。

「…どうかなあ」

 ぽつり、と。時雨が発したその声は、少し寂しそうで。横顔をチラッと覗き見る。眉根を潜めて、考え込むように遠くに目を馳せていた。こんなに美しい景色なのに。

「…時雨?」

 名を呼べば、ハッと我に返って時雨は詠に微笑みかける。

「ごめん、何でもない。行こうか、もうすぐ目的の…」

 再び歩き出した時雨の足が、すぐに止まった。どうしたの、と尋ねかけた言葉を引っ込めた。時雨の視線の先にある、人影に気づいたからだ。

 その人影は、数メートル離れた木の陰に身を隠していて。詠たちには背を向ける形で、更にその向こうにある何かを見つめている。フードを被っているので、顔は見えない。かなり華奢な体躯で、羽織った外套の下からピンク色の布がはみ出していた。

 時雨が足音を立てぬようにそっと、彼女に背後から近づいていったので後に続く。彼女との距離が縮まるにつれて、その先から何か別の声が聞こえてきた。

「………て、…・・かよ?……っで!」

 段々と大きくなるその声は、男の人のもので。一人分ではない。複数人いるようだが、皆一様に少し語調を荒げている。

 触れられそうな距離まで時雨が近づいても、人影は振り向かなかった。目先の何かをじっと見つめて動かない。彼女の視線の先を辿った。遠くて暗くてハッキリとは見えないが、二、三人分の影がそこにあった。耳を澄ます。

「…たのに、どうして本当のことを話したんだ!?あいつには言わない方が…」

「嘘ついたって仕方ないだろ!聞かれたんだから、正直に答えるしか」

「でもその結果居なくなっちゃったじゃない!どうするのよ!」

 声からして、一人の男性に二人の男女が詰め寄っている。男性二人は怒っていて、女性は半分泣きそうな声でヒステリックに叫んでいた。話の内容は分からないが、三人とも凄く深刻げで、悲しそうだ。

「ああ…なるほどね…」

「…?話、分かるの?」

「なんとなく。…で、君の知り合いかい?彼らは」

 後半は詠に向かって発せられた言葉ではなかった。時雨はフードの人影に問いかけていて、その声を認識した人影がゆっくりとフードを外す。

 フードの下から表れたのは、ピンク色の髪を肩くらいまで下ろした、優しい眼差しの女性。女性…と呼ぶ歳なのか、女の子と呼ぶべき歳なのか、パッと見た感じでは判断できない。十代と言われればそう見えるが、エプロンを着けている今の格好ではもっと年上の『若いお母さん』くらいの年齢にも見えた。

「…ううん、ただ通りかかっただけ。新しい住民が増えたって聞いたから、気にはなってたけどね」

「そう。まあ、事情は大体…よくあるやつだろうな」

「…そうね、よくあるやつね」

 彼女は寂しそうに笑う。ああいう喧嘩は、この街ではよく起こるのだろか。

 ふと、彼女の視線が詠を捉えた。ビクッと身を強ばらせる詠に対して、彼女は微笑んだまま小さく会釈をした。優しい眼差しは変わらず、穏やかな雰囲気もそのままだ。温かみのある人だなと思った。お姉さん、お母さんと呼びたくなるような。

「…ちょっと行ってくる。誰かが止めた方が良さそうだ」

 時雨が溜息交じりに言う。確かに、視線の先の三人組は今にも掴みかかりそうな程ヒートアップしていて。

「…時雨はお人好しね。私はここで待ってる。この子は…?」

「一緒に待ってて、詠。すぐ戻るから」

 言うが早いか、時雨は足早に人影へと向かっていった。まだ出会ったばかりの、名前も知らない人と二人きりで残され、どうして良いか分からずチラチラと彼女を見る。

「ふふっ、そんなに緊張しないで。私は藍珠らんじゅ。あなたは?」

「よ、詠です…」

「そう。詠ちゃん。良い名前ね」

 和やかな微笑みに、緊張の糸が解れる。不思議な人だ。ルナもそうだが、この世界で出会う人は皆自然に、気を張らずに話せる。

 ふと騒ぐ声が鎮まったのを感じて、再び視線を移した。時雨が何か話している。三人は険しい表情を浮かべつつ、静かに時雨の話に聞き入っていた。

 第三街区で見かけた人々は皆幸せそうにしていたから、この世界にはああいう揉め事はないものだと思い込んでいたが。

「…やっぱり、争いごとってあるんですね」

「うん?」

「ここへ来る前に寄った街の人たちは、みんな幸せそうだったから…この世界には揉め事も争いごとも、悲しいこともないのかと思ってて…」

 笑顔だけが溢れる世界なのかと思った、そう呟けば藍珠さんは小さく笑った。

「そうだったら良かったね…でも残念ながら、人と人が一緒にいる以上争いごとは起こってしまう。大事なもの、好きなもの、譲れないもの…百人いたら百人とも違うから、仕方ないよ」

 藍珠さんは寂しげに目を伏せた。確かにそうだ。争いごとは、価値観の違いから生まれる。誰とも関わらなければ争わなくてすむけど、人はそれじゃあ生きられないから。

 生きていく限り、争いからは逃れられない。

「だからこそ、認めてあげるのが大事なんだけどね。私は私、あなたはあなた。ここは譲れないけど、ここはあなたの意見を尊重するわって。そういう風にちょっとずつ…歩み寄って、分かち合って生きていけたら、一番いいの」

「…そうですね」

 ザザッと草をかき分ける足音に、目線を上げる。時雨が駆け足で戻ってくるところだった。その表情は、先ほどより幾分か明るくて。

「うまくいったの?」

「ああ。まあ…納得してくれたかは分からないけど。とりあえず三人で帰って話し合うってさ。待たせてごめんね…あ、藍珠、彼女は僕の今の連れ。詠っていうんだ」

「そうみたいね。時雨が誰かと旅をするなんて珍しくて驚いちゃったわ。改めてよろしくね、詠ちゃん」

 微笑み合う二人の横で、詠はもう一度藍珠さんに軽く会釈する。二人の話す雰囲気や口調で、ある程度気心知れた仲なのは感じ取れた。だが詠は、時雨の『今の連れ』という言葉に引っかかる。

 今の、ということは。前に誰か別の連れがいたんだろうか。もしくは、詠を期間限定の連れだと認識しているんだろうか。考えもしなかった。自分以外に時雨と一緒に旅をしていた人がいること。自分が時雨との旅を終える瞬間のこと。

 何だか心がモヤモヤする。嫉妬、とは違う。自分が大事にしていた自分だけの宝物が、実は誰かにあげたものと同じだった…そんな感覚。

「あ、時雨。今日はこの街に寄っていくの?」

「うん。…実は藍珠のとこに泊めてもらうのを当てにしてきたんだけど…いいかな?」 

「勿論よ。私の家…ってわけでもないし。じゃあ、行きましょうか?詠ちゃん」 

 またフードを被って、藍珠さんは歩き出す。さっき人影がいた方向よりも、少し西側の、深い森の奥へ向かって。

 並んで歩く二人の後ろに続きながら、詠は晴れない心を押さえ込むようにギュッと胸元を握りしめた。


◆◇◆


「…ここよ、どうぞ」

「…え!?これが家…ですか…?」

 目の前に聳え立つ建物を見上げ、唖然とする詠。

 石造りで円柱型の、高い塔のような建物。辺りが暗いせいで、頂上がどうなっているのかは見えないが。微かに上の方が、キラキラと月明かりを反射している。上層階はガラス張りになっているらしい。

「家…ではないの。私がここで暮らしてるってだけで…」

「この建物…塔は、それぞれの街に一つずつあるんだ。第四街区の塔はよく、天文台って呼ばれてるね。あとは図書館って呼ぶ人もいるけど…街ごとに少しずつ建物の外観や内装が違うから、好きに呼ぶといいよ」

 入り口は古めかしい真鍮の扉で、藍珠さんが押せばギイイイと音を立てて奥に開いた。時雨に中へと促される。恐る恐る扉をくぐった詠は、息を呑んだ。

 大理石の床に、吹き抜けの天井。ぐるりと見渡す壁一面全てが、古びた本棚になっていた。色とりどりの、様々な大きさの本で埋め尽くされている。八本ある柱に燭台が設置されていて、橙色の光がその広間をぼんやりと照らしていた。中央の奥側に一つ小さな扉があり、広間の壁に沿って二階への階段が伸びている。

「わあああ…す、すごい…」

「詠ちゃんは本が好きなの?目が輝いてるね」

 藍珠さんの声が反響して聞こえる。夢中で辺りを見渡した。本の世界が大好きな私にとっては天国のような場所だ。吸い寄せられるように壁に向かって歩き、パッと目に付いた緑色の表紙の本を引き抜く。ドキドキしながら、アンティーク調の表紙を捲った。

「…えっ…?」

 思わず困惑の声が漏れる。二人が歩み寄ってくるのを視界の端で捉える。

「どうかした?」

「これ…読めない…知らない文字…?」

 開いたページを二人に見せる。びっしりと横書きの文字が並んでいるのだが、見たことのない文字だった。アルファベットでも、日本語でもない。昔教科書で見た、象形文字に似ていると思った。いずれにしても、詠には全く読めない。

 すると、藍珠さんの眸にほんの少しだけ動揺の光が走る。

「…?藍珠さん?」

「ああ…ここ特有の文字だからさ。詠は読めなくてしょうがないよ」

 時雨が笑う。その取り繕ったような声も、笑顔も、逆に不自然だった。藍珠さんの驚いた表情も気になって仕方ない。だが藍珠さんは一瞬で動揺を消し去って、先ほどまでと同じ温かい微笑を浮かべる。

「そうね…他の本も残念ながらみんなこんな感じなのだけど、気になったら見て大丈夫よ。…それより!二人ともお腹空いたんじゃない?スープ、作るから待ってて」

「おっ、いいねえ…詠、僕たちも手伝おう」

 時雨が詠の手から緑の本をそっと取り上げて、棚へとしまう。藍珠さんは腕まくりしながら、奥の小さな扉へと慌てて走り去った。なんだか二人に誤魔化されたような気がしてならない。文字を読めないことが、そんなにまずかっただろうか。文字が読めなかったこと以外に、何か気になる言動をしただろうか。


 奥の扉の向こうには台所と、食卓の部屋があった。

 それから約一時間。藍珠さんの指示のもと、一緒に夕食を作った。久しぶりにしっかりと料理をするのは楽しかったし、藍珠さんの作るスープは初めて見るレシピで面白かった。時雨は料理面においては役立たずで、芋の皮を剥けなかった時点で藍珠さんにお役御免にされていたのが可笑しかった。

 三人で食卓につき、完成したばかりの温かいスープを食べる。沢山作ったのに、詠も時雨も空腹だったせいであっという間に鍋は空になった。

「…聞いてもいいですか?」

「うん?私に?答えられることなら、どうぞ」

 食後の紅茶を三人分注ぎながら、藍珠さんの優しい眼差しがこちらを向く。時雨は料理で役に立たなかったからと食器洗い役をかって出たため、今は二人きりだ。

「どうして藍珠さんはここに…住んでるんですか?さっき森で見かけたような、小さい普通の家に住まないで…」

「うーん…この建物はね、管理してる人が別にいるんだけど…私がこの街に来てすぐにその人に会って、使って良いよ!住んで良いよ!って言われたからかな?」

「あ、管理人さんが別にいるんですね…?」

 うーん…と藍珠さんは少し返答に困りながら、注いだ紅茶を詠の目の前に置いた。

「管理人っていうか…そうねえ。この塔だけじゃなく、他の街の塔もその人が管理しててね?『この街の塔は、あなたが見守ってて』って言われたの」

「へえ…そんな人が…」

「すごく優しくて、素敵な人だよ。詠ちゃんもどこかで会えるかもね?」

 藍珠さんはそう言って紅茶を一口啜った。詠から見れば、藍珠さんも十分素敵な人だ。見ず知らずの私を受け入れてくれる寛大な心、話していて感じる愛情深さ、詠の話を聞くときの温かく見守る姿勢。

「ここに置いてある凄い数の本…これも全部、その管理人さん?の物なんですか?」

「…いいえ。管理しているのはその人だけど、本がその人の物ってわけではないわね」

 含みのある言い方に、もう少し深入りしたくなる。だが本のことを尋ねた時の藍珠さんは、少し緊張した顔つきで。これ以上聞かない方がいいと察した詠は、塔の話に戻す。

「私、ここに来る前に一、二、三街区にも寄ったんです。それぞれの街にも塔はあったってことですかね…?」

「うーん…私は行ったことないから分からないけど…あ、この世界の地図ならあるわよ。ちょっと待ってね…」

 カップを置いて立ち上がると、藍珠さんは隣の部屋に消えていく。数分後、一枚の羊皮紙を持って戻ってきた。テーブルに広げられたその地図を覗き込む。

「ええ…時雨の絵と全然違う…」

「あら、時雨が絵を描いたの?あの人、絵と料理は全然ダメなのよ」

 クスクスと笑う藍珠さん。時雨の絵で見た時はヨレヨレのひょうたんのような形だった大陸は、地図で見ると綺麗な砂時計の形をしていた。

「この赤い丸印が、各街の塔ね」

「えーと…今いる第四街区は…ここでしたっけ?」

 大陸の真ん中にある丸い街を指す。藍珠さんは笑いながら首を振った。

「いいえ、その左側…ここね。赤丸がここの塔の場所よ」

 地図上には九つの赤丸があり、ちゃんと各街に一つずつ分布していた。なるほど…と詠は地図を穴が開くほど眺め回す。

「…この各街の塔は何のためにあるんですか?」

「それは…私も詳しく知らないんだけど、街や住人の管理をするためって聞いているわ。」

「へえ…あ、この場所…」

 目に留まったのは、第三街区の赤丸だった。大陸の一番端、海辺に記されている。そこは時雨が、第三街区の滞在二日目に立ち寄っていた灯台の場所と同じだ。

「あの灯台が、あの街の塔だったんだ…」

「灯台?」

 詠は藍珠さんに、時雨が塔の鍵を持っていたこと、中で何かしていたことを手短に話した。

「ああ…そうねえ、時雨も一応管理している人のことは良く知っているから、何か頼まれごとでもしてたんじゃないかしら?」

「そうなんですか…」

 話を聞く内、その『塔を管理している人』に興味が沸いてくる。時雨とも藍珠さんとも知り合いで、ある程度の仲。素敵な藍珠さんが、『素敵な人だ』と認める人。

(…どんな人なんだろう…)

 一通り見終えた地図を片付けようと、藍珠さんが席を立つ。詠はどうしても気になって最後の質問を投げかける。

「…あの…もう一つ、聞いてもいいですか?」

「なあに?」

「…ら、藍珠さんって、おいくつなんですか…?」

 ごくっと唾を呑み込む。藍珠さんは意味ありげに目を伏せて、紅茶を一口含んで、カップを置いて。

 艶めかしく、人差し指を唇に当てた。

「…ひみつ」



 その後、食器洗いから戻ってきた時雨がお茶会に合流し、三人でしばし歓談する。藍珠さんが時雨の曲を聴きたいと言うので、三人で二階にある応接間に移動した。そこにはアンティークの、小さな茶色いグランドピアノがあって。

「そうだ、詠。今朝作りかけた曲、ここで完成させないか?」

「…!うん、作りたい…!」

「あら、なあに?私も混ぜて」

 きょとんと目を丸くする藍珠さんに、今朝自分の走り書きから時雨が形にしてくれた曲の楽譜を見せる。譜面台に楽譜を置いて、椅子に時雨が座り、右側に詠、左側に藍珠さんが立って覗き込む。

 誰に聴かせる訳でもなく、ただ一緒に音楽を奏でて、形にしていく。その時間が愛おしい。藍珠さんは、ニコニコと微笑みながら詠たちを見つめていた。詠と時雨が、ああでもないこうでもないと言いながら、曲の形を整える。

 優しい時間だった。

 時計のない部屋で、ガラス張りの外も暗いままで。どのくらいの間そうしていたのか分からないが。曲が八割方完成した頃、詠の瞼は重く閉じ始めていた。

「…ふふっ、詠ちゃん眠そうね。隣の部屋にベッドがあるから、そこで眠ったら?」

「…いえ、曲が完成してから…」

「別に急ぐものじゃないんだ。それにもう真夜中だよ?今日は終わりにしよう」

 ペンをカタン、と譜面台の上に置いて、時雨が詠を見上げる。

「続きはまた明日ってことで」

「…わかった」

 そう言われると、急に睡魔が勢いを強めて。脳みそが半分眠り始める。その場で眠ってしまえそうなほどだった。

「こっち、ついてきて」

 藍珠さんに握られた手を掴む。夢の中を歩くように部屋を出て、あまり意識もハッキリしないまま闇の中に落ちた。


 柔らかいベッドの感触と、部屋の奥でパチパチと燃える暖炉の火だけ、微かに記憶に残っている。


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