ミュータント・メモリーズ

仲井陽

ミュータント・メモリーズ

 新宿駅のホームで夕焼けに包まれた。絞ると朱色が染み出てきそうな空で、私はキャリーバッグを車両に乗せながら、まるで違う世界に旅立とうとしているみたいだなと思った。

 東京方面に向かう中央線はこの時間なのにそれほど混んでなくて、学校帰りの高校生と清潔そうな勤め人たちが座席をまばらに埋めていた。私は戸口の脇にキャリーバッグとともに陣取ると、携帯を取り出し、もう一度従兄弟からのメールを読み返した。


佐智ちゃん

お久しぶりです。最後に会ったのはじいちゃんの七回忌だったから1年ぶりでしょうか。お元気でやっていることと思います。

ちょっと気になることがあったのでメールをしました。

最近ばあちゃんの認知症が酷くなってきていて、僕のことも時々分からないみたいなんですが(とはいってもあんな感じでニコニコしているだけなので特に大変なことはないのですが)、実は昨日、ばあちゃんがカップの蓋についてるアイスをスプーンでこそげ取って食べたんです。

それだけじゃなくて、エプロンの紐を片蝶結びにしたり、スリッパを一つずつ並べて置いたり、佐智ちゃんが言っていた通りのことをしました。

親は、ボケてるから変なことをし出したんだと言っていますが、僕にはそうは思えなくて、むしろボケたせいで昔の習慣が蘇っているみたいです。

七回忌の食事で言ってた話は、佐智ちゃんが小学生くらいのときのことですよね?

知之おじさんは違うって言ってたし、SFみたいな印象だったので僕も最初は信じられなかったのですが、ばあちゃんの行動があまりに佐智ちゃんの話の通りなので少しビックリしています。

ばあちゃんは今、目玉焼きを酢醤油に浸して食べています。昨日まではソースをかけてたし、そんな食べ方今までは絶対しなかったのに、昔から目玉焼きには酢醤油だと言ってます。

昨日のアイスの件も親は驚いてました。そういうのはみっともないからって一番嫌がったのはばあちゃんだったので。でもばあちゃんは不思議そうな顔をして、みんなやるでしょ?何をいまさらって言うんです。

僕が佐智ちゃんから聞いた話をしても親は信じません。あの時の知之おじさんと同じで、そんなことはあり得ない、ウチはずっと変わってないと言い張ってます。

なんにせよ僕は全く覚えてないので分からないんですが、佐智ちゃんが大学で研究していると言っていたのを思い出したのと、ともかく気になったのでメールしました。

正直、ちょっと怖いです(笑)。謎を解明してください。


 私は一行一行噛みしめるように読み直した。幼い頃の記憶が次々と浮かび上がってきて胸を締め付けた。まるでいなくなった懐かしい人が長い旅路の果てに帰ってきたみたいだった。これは私の幼年期の温もりそのものだ。今や家族の誰もが忘れてしまった、心の奥底で密やかに息づく幻の風景だ。


 あの不思議な出来事は私が小学生のころに起こった。多分夏休みの終わりだったと思う。外で遊んでいた私は夕立に降られ、びしょ濡れで玄関に飛び込んだ。Tシャツの裾から水を絞り出していると、いつもは上がり口にきちんと一つずつ並べられている来客用のスリッパが一足ごとに重ねてあるのに気づいた。それはまるで病院か公民館のように、スリッパの片方の中にもう片方を差し込む形で。私は家のスリッパがそんな風に仕舞われてるのを見たことが無かったので、タオルを持ってきてくれた母にそのことを尋ねた。しかし母は不思議そうな顔をしてこう言った。

「何言ってるの? 前からこうでしょ?」

 それは一点の曇りもなく、心の底からそう思っているみたいだった。私がどれだけ違うといっても信じてもらえず、だんだんと言い争いのようになり、最終的に真偽はうやむやとなった。

 そして、その日を境に家族の習慣ともいうべきものが変わり始めた。いや、正確にはそう思ったのは私だけで、他の家族は誰一人として変化に気づくことすらなかった。

 例えば、それまでエプロンの結び方はずっと片蝶結びだった。それは私が生まれて初めて覚えた結び方で、幼稚園の頃に母と祖母のエプロンを結んであげたのがきっかけだったのだが、幼かった私は自分のやり方以外を認めず、紐が解けて蝶々結びに直されてしまう度に抗議の声を上げた。母と祖母は少し面倒臭そうに、それでもわざわざ結び直してくれて、いつしかエプロンの紐は片蝶結びというのが決まりになった。

 でも、二人ともそんな経緯などすっかり忘れて結んでしまうようになり、だからそれ以降エプロンは蝶々結びが普通になってしまった。私がそのことに抗議してもきょとんとした顔で、「結びたいの?」なんて言われてしまうし、父に訴えても「そうだったかなあ。でも普通は蝶々結びだろ?」と暖簾に腕押しだった。

 それからアイスの蓋。あれをこそげ取って食べるのは、家族全員の共犯行為のようなものだった。「みっともないのは分かってるんだけどねえ」と言いながら嬉しそうに冷凍庫から出してくるのはいつも祖母で、それに私と母が加わり、父と祖父も女性陣に引っ張られる形で続いた。「あー、卑しい卑しい」と言っては蓋の隅々までスプーンを這わせながら笑い合うのが好きだった。夏はもちろん冬でもこたつを囲んで、岩盤から金を削り出すように、冷え固まった蓋にこびりついたアイスをこそげ取った。

 しかしそれも何故か忘れ去られ、蓋に付いたアイスを食べるのは本当に卑しいことになってしまった。私はそれでも抗い、何度かやろうとしたが、その度に祖母に叱られた。

 そんな風に家族の中だけで共有されていた様々なやり方は、理由も分からず塗り替わってしまった。誰も蓋に付いたアイスは食べないし、エプロンの紐は普通の蝶々結び、目玉焼きに酢醤油なんて考えられないし、スリッパは一足に重ねて仕舞う。私だけがそれらに異を唱え、その度に怪訝な顔をされた。私は孤独だった。異邦人の中でたった一人、古の正しい教えを叫び続ける隠者だった。しかし悲しいかな、その正しさはどこにも保証がないのだ。そして周りの心配が本気の熱を帯びてくると、私はもう口にすることを諦めた。自分以外のみんながおかしいと言い続けるのは狂人と同じだった。

 

 私は携帯をポケットにしまうと、窓の外を流れる景色に目をやった。電車は御茶ノ水を過ぎ、東京駅まではあと二つ。朱色だった空は深い赤に変わっていて、まるで空が血に染まっているみたいだ。

 私は成長してもあの出来事を拭いきれなかった。どうしてもあれを引き起こした犯人を突き止めたかった。なぜみんな急に変わってしまったのか。なぜ誰もそれを憶えていないのか。答えを見つけなければ、そうしなければ家族の思い出が全て偽物になってしまう気がした。

 私は大学に進学すると、関係のありそうな講義を片っ端から受け、資料を読み漁った。親の仇を探すような心持だったと思う。

 そうして何年か経ったころ、一つの推察が浮かび上がってきた。


 ミームという、情報を遺伝子に見立てる学説がある。遺伝子が人から人へ受け継がれるように、情報が心から心へと伝達される度に進化するという考え方だ。例えば、噂話を想像すると分かりやすい。『Aさんは○○かもしれない』という噂が人から人へ渡るたびに変化し、いつの間にか『Aさんは○○だ』『○○こそがAさんだ』という元の内容から乖離したものになってしまう。まるで遺伝子が進化によって姿を変えていくように。

 これは噂話に限ったことではなく、例えば服装だったり髪型だったり、あるいはメイクの仕方、料理のコツ、郷土の歴史、歌のフレーズなどもそうだ。ここでいう情報とはつまり、趣味嗜好や技術、ファッション、伝承など、文化と呼ばれるものを形成している全てで、そこにはもちろん家族の習慣も含まれる。

 ではもし仮に、この家族の習慣というミームが、遺伝子のように突然変異を起こしたとしたら? 例えば、ウイルス感染によって遺伝子が急激に作り変えられるように、何かのきっかけで私たちの――私を除く家族全員の――無意識のうちに作用し、家族の習慣をひと息に塗り替えてしまったのだとしたら、あの現象も説明できるのではないだろうか。

 どうして私だけが免れたのか、そのきっかけが何なのかは分からない。何気ない言葉か、ふとした匂いか、微妙な色か、気にも留めないノイズのような些細なものなのだろう。知らない間に風邪を引くように、私たちは気付かぬうちに様々なものから影響を受けている。私だけが運よく、あるいは運悪く風邪を引かなかったというだけなのかもしれない。

 ただ、私はこの出来事によって、記憶や自我と呼ばれるもの、あるいは私たちの間に漂っている形のない温もりが、いかに心許ないものかをまざまざと知ってしまった。私たちが思うほど、私たちは確固たる存在ではない。ほんのちょっとしたことで気持ちは変わり、さっきまで考えていたことを忘れる。私たちの行動を司るものの正体なんて、結局のところ何も分かってはいないのだから。

 そう、そして、だからこそ一刻も早くおばあちゃんに会いたかった。周りから否定される度にどうしてもうっすらと浮かんでしまうから。もしかしたら、全部私の勘違いかもしれないって。でもそれを認めてしまえば本当にそうなってしまう。家族の習慣なんて、共有されているからこそ成り立つのだ。孤立してしまえばたやすく思い違いになってしまう。私は今、薄いガラスの上を歩いている。私自身の疑心によって、私の思い出は塗り潰されそうになっている。

 だからおばあちゃんに早く会わなければいけない。会って確かめなければ。私の記憶が正しかったこと、私たち家族の行為が確かに存在したのだということ。蓋についたアイスってなんであんなに美味しいんだろうね、と話し、頷き合わなければいけない。そうそう、そうだったよね。ほら、私の言ったとおりだったでしょ? 何でみんな忘れてるの? もう勘弁してよ。凄いショックだったんだから。

 そう言って笑い飛ばさなければいけない。


 その時、ポケットの中で携帯が震えた。メールの着信を示すアイコンがちかちかと点滅していて、開いてみるとまた従兄弟からだった。


佐智ちゃん

さっきは長々としたメールを送ってしまってごめんなさい。

あれから考えてみたんですが、何か、早まったかなって。

「ちょっと怖いです(笑)」とか書いたけど、よくよく考えればそんな大した事でもないような気もするので、忘れてください。

もし気にしてたら悪いな、と思ってメールしました。

ばあちゃんは相変わらず元気です。お正月にでも会えるのを楽しみにしています。


 ガタン、と電車が揺れた。メールを読み終えた私は、なんだか急に興醒めしてしまった。どうしてだろう。さっきまであんなに胸騒ぎがしていたのに。どうしてあんなに急いでいたんだろう。そうだよ、別にお正月でもいいじゃないか。おばあちゃんに会って、昔話をするだけでしょ? それで? 自分の正しさを確かめたいだけじゃないか。そんなことのために突然尋ねて行っても叔父さん家も迷惑だろうし、何を一人で先走っていたんだろう。そうだ、思い止まれ。ああ、危ない危ない。もう少しで突撃するところだった。昔からこういうところあるからな、いい加減直さなくちゃ。それにしても不思議だ。こういう衝動って一体どこから出てくるんだろう。

 私は神田駅で中央線から降りると、折り返しの電車を待つためホームに立った。夕焼けはもうどこにも見えなくなっていた。

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