連弾
仲井陽
連弾
私が通っていた高校の隣には大きな公園があってね。広い池と梅の並木と、ちょっとした茶室まで併設されてて、昔偉い人の保養地だったとかで地元じゃみんな知ってるところなんだけど、その隅っこのあたり、池の周りの遊歩道からは死角になっているあたりに、無重力の場所があるの。それはもう使ってない錆び切った用具入れの陰にあって、直径2m弱、両手を広げたくらいの見えない円柱が空まで伸びてるみたいに、そこだけ木の葉が浮いてたり、小石を離すとどこまでも昇って行ったりして、雨の日なんか雨水同士がくっついて、シャボン玉みたいに透明な塊がゆらゆら漂ってたりするの。ほら、スペースシャトルの中の映像なんかで見るような、まさにあんな感じ。地元でも知ってる人は知ってたし、子供なんかが浮いてっちゃうと危ないからって、上に網が渡してあったんだけど、それもだいぶ前に台風で飛ばされてからは放っておかれたままになってた。
そのころ私には橙子ちゃんって友達がいて、その子とはおんなじピアノ教室に通ってたこともあって、小学校のころはよく一緒に遊んでたんだけど、なんて言うんだろう、ちっちゃい時に仲が良くてもさ、成長していくうちになんか、違ってくることってない? 漫画とかだと幼馴染は心を許せる相手って描かれることが多いけど、少なくとも私の場合は全く逆だった。
小学校までは本当に仲が良かったんだけどね。ピアノの発表会に二人で連弾したこともあったし。ただ橙子ちゃんはちょっと変わった子で、気持ちが昂ると抑えられないところがあって、私は隣で鍵盤を撫でながら、叩きつけるような激しい橙子ちゃんの指使いが怖くて、彼女がミスのたびに爆発してピアノをバンバン叩くのが、どうしても好きになれなかった。それでも親同士仲が良かったから、中学までは一緒のグループで遊んでたんだけど、それもね。私はともかく他の子が橙子ちゃんについていけなかったりして、だんだん一緒にいることが少なくなって、正直私も橙子ちゃんをめんどくさく思うようになった。
特に高校に入ってからは顕著で、クラスじゃ目も合わせたくなかったし、話しかけてきそうな気配を感じるとわざと他の子に話しかけたりした。だって橙子ちゃんは女子高生だっていうのに中学から全然変わってなくて、モサモサの髪にメイクだってしてなかったし、体育で着替える時に見た下着姿のみっともなさ、背中の肉がはみ出ててるのに恥ずかしがりもしない感じが、彼女の無神経さの象徴みたいで凄く嫌だった。
私は表向き彼女を気にかけないように振る舞ってたけど、陰じゃだいぶ酷いことを言ってて、彼女が死ぬほど嫌がってた「トン子」っていうアダ名も実は私が言い始めだった。罪悪感がなかったわけじゃないよ。たとえば親が橙子ちゃんの話をするたびに心が痛んだし、昔はあんなに仲良かったのになあって思うこともあった。でも多分、彼女は変わらなさすぎたんだよね。大人になるための必要な過程を怠けて過ごしてた。
そうやってそれでも私なりに本心が伝わらないよう気をつけてたんだけど、やっぱり脇が甘かったんだろうな。ある日、橙子ちゃんから例の公園に呼び出されたの。そう、あの無重力の。人目につきにくかったし、きっと昔よく一緒に遊んだ場所だったからだと思う。
「私のことなんで悪く言うの?」
橙子ちゃんは開口一番、ストレートにぶつけてきた。剛速球。あまりにバカみたいでちょっと笑っちゃった。彼女の背後で落ち葉が宙に浮かんでたから高1の秋だ。日が落ちるのが早くて、部活が終わった後だったからすっかり暗くなってた。
私はそれになんて答えたのか覚えてないけど、多分まともに取り合わなかった。知らなーい。勘違いじゃないの? 言いがかりはやめてよー。そんなようなことを言ったと思う。
納得のいかなかった彼女はどんどんヒートアップしていって、私はその様子を見ながら、滑稽さと妙に懐かしいような気持ちを感じてた。やっぱり変わってない。この子のこういうところが苦手だったんだ。感情のままに刀を振り回して、誰が血を流そうと構わないって感じ。自分ごと火をつけてそこらじゅう焼け野原にする感じ。遊歩道から届く仄かな灯りが、怒りに歪む彼女の顔を照らしてた。
私はなんだか急に馬鹿らしくなって、なんでこんなことに貴重な時間を使わなきゃいけないんだろう、彼女が何を抱えてるのか知らないけど、なんで私がそれをぶつけられなきゃいけないんだろう、って思って、喚き続ける彼女を放っておいて帰ろうとした。親が心配するから、と一言添えたかもしれない。
「待ってよ! 行くんならこうするよ!」
うんざりして振り返ると、彼女は浮いていた。例の無重力の中で地面を蹴ったんだろう、今まさにゆっくりと浮かび上がっていく最中だった。
「話聞いてよ! 私にとって大切なことなんだから!」
そう叫んだ橙子ちゃんはきっと、私が慌てて引き返すと思ったんだろう。目を丸くして、何してんの! って怒りながらも、すぐに飛びついて引き戻してくれるって。だってこのままほっといたら彼女は戻って来られなくなるんだから。まるで自分自身を人質にするような、卑怯な手。一番ムカつくやり方。
だから私は、彼女を睨みつけたまま、何もしなかった。普通なら助けたかもしれない。でもその時は、彼女が後先考えないなら、こっちだって考えてやる義理はない、と思った。大人になった方が負けなら、もう子供でもいいよ、絶対負けてやるもんか。ポケットに突っ込んだ手は決して出さない。勝手に友達だと思ってろ。
私の全身にそれが表れていたんだろう。彼女の目から怒りの色が消え、代わりに戸惑いが浮かんだ。その体はもう用具入れの屋根の高さにあって、そろそろ私が背伸びをしても届かないところまで来ていた。透明なエレベーターで運ばれていくみたいだった。ジタバタと空中でもがいてもその手足は空を切るだけで、バランスを崩した体がくるんと反転した。頭が下になった彼女は必死に私の方へ手を伸ばしたけど、もう到底届かなくなっていて、それでもさらに上昇は続いた。
「えっ! えっ! ちょっと、やだ、ウソ、えっ!」
彼女の目が怯えに染まった。ゆっくりと空に吸い込まれていきながら、宙を掴もうと暴れる指の動きが、幼い頃、隣で鍵盤を叩いていたものと重なった。
私は怖くなり、もう見ていることが出来なくなった。そして背を向け、耳を塞ぎ、暗闇を振り切るようにその場から走り去った。
あとのことは何も知らない。私は何も知らない。だって私のせいじゃないから。
連弾 仲井陽 @Quesh
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます