宇宙缶詰の外側

大柳未来

本編

 ガラガラガラ。ドアの開く音が聞こえる。

 俺は机に突っ伏している状態から体を起こし、思いっきり背伸びをした。窓から射す夕日が目に染みる。


「もう来ていたか。早いね」

 ボサボサ頭の親友が教室に来た。丸眼鏡が夕日を反射し地味にまぶしい。姿勢よくこちらに近づき、隣の席に着席した。親友の真面目さや固さが所作からにじみ出てきていた。


「今日は何の話をしてくれるんだ?」

 俺たちは「思考実験同好会」に所属している唯一のメンバーだった。

 会長である親友が、いつも思考実験の題材を持参し、あーでもない、こーでもないと話す。それだけで時間が過ぎていく。なかなかに退屈しない時間だった。

「まあ、そう焦るな」

 親友はカバンから缶詰をひとつ取り出した。ラベルが何も貼られていない。大きさは桃缶程度。ごくごくシンプルな缶詰だ。


「まずは小手調べ。何の缶詰だと思う?」

「何って……何も書かれてないんじゃ当てられないよ」

「いや、当てられる。なぜなら君はすでに中身を目にしているからね」


「は? 出たな、いつもの屁理屈パターン」

「ここは思考実験同好会だ。思考実験を屁理屈で片付けるのはナンセンスだといつも言ってるだろ」

「はいはい、分かった。真面目に考えるよ」


 頭をひねってみるが、全く見当はつかない。

「はい!」

 元気よく挙手する。これが俺なりの質問したいという意思表示だ。


「どうした」

「その中身を見たことあるっていうのは誰でも一度は目にする物ですか?」

「そうだ。地球上の人類は全員目にしてるし、目にし続けている」


「目にし続けている?」

 日本語が変だと感じたが、コイツに限って表現を間違うはずがないので意味を込めてその表現を使っている。

「今も?」

「今も」


「分かった。空気だな」

「空気は目に見えないだろ」

「だー! 確かに見えねぇ……はい!」


「どうした」

「コイツの中身は触れる物ですか?」

「触れる物も、触れない物もすべて内包してる」


「内包?」

 缶詰の中身に似つかわしくない単語が飛び出してきた。

 勘が告げてくる。どうせろくな中身じゃない。こういう時は到底思いも寄らない缶詰に入らない物が答えになると相場が決まっている。


「あー……鏡とか?」

「違う」

「じゃあ光?」

「光は触れない」


「もう分からん。降参じゃー」

 天井を見上げ、両手を挙げる。

「この缶詰はな。ある現代アート作品の模倣品なんだ。この中には宇宙が入ってる」

「宇宙?」


 思考実験同好会のルール上、荒唐無稽な発想が行われることはない。でも缶詰の中身が宇宙だと明かされてもその答えに至るロジックがまだ分からなかった。


「コイツは元々パイナップルの缶詰だった。中身を取り出して洗い、ラベルを剥がして内側に貼り、はんだ付けでもう一度封をする」

 缶詰の底を見せてくれた。確かにはんだ付けした形跡が残っていた。


「これで缶詰の"内"と"外"は逆転し、僕たちは缶詰の中身になったってわけだ」

「チッ、そういうことかよ……」


 内と外の逆転。そういう思考実験だったってわけだ。

「でも面白いと思わないかい? 宇宙は今も膨張を続け宇宙の外側はどんな天才科学者にも分からない。だのに、僕たちの手元に宇宙の外側がある。浪漫だよなぁ……」

「そうか?」


 恍惚とした表情を浮かべる親友に対し疑問を持つ。

「とんでもないところに繋がったらどうする? 宇宙の外にはエーリアンがいました! って小説が昔あったろ」

「宇宙の缶詰の中――いや、正確には外側か――が、別次元に接続しているという発想か。どこでもドアみたいで幼稚な発想だが、君にしては面白いね」


「幼稚は余計だろうが」

「死後の世界という線もありだな。缶詰を境に天国とこの世界が繋がってる、とか」

「じゃあ俺が死んだら缶詰越しに話しかけにいってやるよ」

「それは退屈しなくていいな。是非僕の老後の暇つぶし相手になってくれ。僕が先に死んだら、君の暇を潰しに話しかけに行くよ」

「縁起でもねぇや」


 こうしてくだらない話をして時間を潰す。

 それだけで、俺たちは楽しかった。


※ ※ ※


 月日は流れ、俺たちは高校を卒業。順当に二人で同じ大学へ進学して上京していた。二人でキャンパスライフをこれから謳歌するはずだったのに。

「早すぎんだろ、馬鹿がよ……」

 俺は一人暮らしのワンルームでベッドに寝っ転がっていた。地元で親友の葬儀が行われ帰ってきた直後だった。都会で正真正銘の一人。退屈の始まりである。


「確かに。死ぬには早すぎたな」

「そうだぞ。ったくまだまだこれからだったってのによ」

「しょうがないだろ目の前で子供が轢かれかけてたんだから。かばうしかなかったんだよ」

「亡くなった経緯はもう聞いてるけど――って、あ?」


 声がした方を見る。そこには親友が俺に残した形見、宇宙の缶詰が机に置いてあった。葬儀の際に親友のご両親からもらった物だった。

「えぇぇぇっ!!?」

「びっくりした?」

「いつから!? いつからそこにいたの?」


「ついさっきだな。神様っぽい人からもらったんだよ。パイナップルのラベルが貼ってある缶詰。お前が作った物だろってさ。神様はこの世の缶詰って呼んでたけど」

「うわー……」

 親友が作った缶詰は実は本当に天国の缶詰だったとか、何を考えてるんだろう。悲しみに暮れすぎて俺は過去の思い出に基づいた幻聴を聞いているんだろうか。


「その反応。何となく読めるぞ。僕も同じ状況に置かれたら自分の正気を疑うだろうな」

 うーん、と缶詰は唸る。

「――そうだ。最近僕が君に貸した推理小説、あるだろう。どうせ君のことだから読了までは至っていないはずだ」


「……あぁ、読み終わってない」

「推理小説の犯人を僕が当てたら、僕が君の頭の中の産物じゃないってことがわかるはずだ」

「……おう。ネタバレ嫌だなとか思っちゃったけどそれで幻聴疑惑が晴れるなら安いもんか。教えてくれ。犯人」

「犯人は安田だ。終盤に主人公が犯人の名前を告げるシーンがある。確認してくれ」


 指示通り推理小説を本棚から引っ張り出し、急いでページをめくる。確かに犯人は安田だ。俺が読んでたページにはまだ安田は登場すらしていない。つまり缶詰の中の存在は俺の頭の中の産物ではない――!

「これで証明できたな」

「あぁ――おかえり」

「ただいま」


 いつも通り、軽口を叩きたかったのに。

 俺は再会できた喜びで涙をこらえきれなかった。


※ ※ ※


 ひとしきり泣いた後、涙を拭う。大分落ち着いてきた。

「……大丈夫か?」

「あぁ」


「実は、神様は僕にある指示を出してきたんだ。それはお前にしか頼めない、大事なことだった。やってくれるか」

「こっちはお前のせいで感情振り回されっぱなしなのに『全然いいよ、やるやる』って言うと思ってんのかよ……」

「すまない……」


「とりあえず、内容だけでも話してみろよ」

「――ここに天国の缶詰があるように、対となる地獄の缶詰とやらもこの世にはあるらしい。それを壊してくれってのが神様からの指示だ」

「こんな不思議な缶詰がもう一個あるのかよ? あったらニュースになってない?」


「それは地獄側でこの世の缶詰を厳重に守ってくれてるからだ。もし地獄に落ちた死者がこの世の缶詰を手に入れたら躊躇なく開けて大量の黄泉還りが発生するだろう。この世は生き返った悪人に溢れ、収拾がつかなくなる。そう神様から聞いた」


「じゃあ壊したら、それこそこの世と地獄が繋がるんじゃないのか?」

「僕も同じことを神様に突っ込んだ。それがそうはならないらしい。この世で宇宙の缶詰を作っちゃったから、地獄側でこの世の缶詰が生まれたんだと。原因を断てば地獄側の缶詰も煙のように消えるらしい」


「そういうもんなのか」

「そういうものらしい。とにかくそんな危険な代物は壊すに限る」


「お前がこっちに来て一緒にやってくれれば心強いんだがなー」

「――何となく察してるだろ。行けるんだったら今すぐにでも行きたい。でもな、死者がこの世に干渉するのは本来禁じられてることなんだ。地獄の缶詰を壊すっていう大義名分があるから話しかけるのをかろうじて許されてるだけ。本来だったら地獄に落ちる所業なんだと。案外厳しいところだよ、天国って」


「――分かってたさ」

「そっちは何時なんだ?」

「0時近い」

「今日はかなり疲れたろ。おやすみ。」


「誰のせいで疲れたと思ってんだよ……おやすみ」


※ ※ ※


 翌日、俺は大学をサボりショルダーバックを携えて都内の美術館にある現代アート展にやってきていた。

 マスクとサングラスを装備した男が展示物をキョロキョロと見渡す。我ながら不審者度マックスである。

 理由は単純、これから展示物の一つを壊して逃げるという罪を犯す予定だからだ。


 親友が作った宇宙の缶詰は模倣品だ。この世にあるもう一つの宇宙の缶詰はオリジナルのみ。オリジナルが地獄の缶詰になっているのは自明のことだった。


 様々な現在アートを尻目に歩き続け、展示の終盤に差し掛かった時――それを見つけた。

「あったぞ。本物の宇宙の缶詰だ」


 マイク付きワイヤレスイヤホンに向かって話しかける。天国の缶詰にスマホを輪ゴムでくくりつけ、スマートウォッチから電話をかける。スマートウォッチとイヤホンを接続しておけば、美術館内で缶詰に話しかけ続けるヤバい奴にはならずに済むという寸法だ。


「見つけたか。周りに人は?」

 周囲を見渡す。タイミングが良かった。平日で人が全くいない。

「いない」


 現代アート展の多くは触ることによる楽しみ方を容認しており、宇宙の缶詰も自由に触っていい展示品として扱われていた。

「よし、やっちまえ」


 俺はカバンから缶切りを取り出し、宇宙の缶詰へと近づいていった。

 本物の宇宙の缶詰はツナ缶と大きさは大差がない、小さいタイプの缶詰だった。金色に輝く缶の表面には、やはりラベルは何も貼られていない。この世側が内側だから、地獄側には蟹缶のラベルが貼られている、ということなのだろう。


 これに一か所でも穴を空ければミッションコンプリート。地獄側にある缶詰は消滅。例えオリジナルの宇宙の缶詰が修復されたとしても、同じことが起きないよう神様が予防してくれるとのことだった。


「君、ちょっといいかな」

 突如巡回してきた太っている警備員に声をかけられた。まずい。一度警戒されたら元の持主に返される恐れがある。実質、これがラストチャンスか――。


 いよいよ覚悟を決めて缶切りを振りかぶる。気合を入れたその時、異変に気が付いた。

 缶詰の上の面から刃が出ていたのだ。

 外周を三分の二ほどすでに切り進んでいる――!


 缶切りを振り下ろすが間に合わない。突然黒い瘴気が缶詰から噴き出した。

 目をつぶり、思わず後ずさる。


「あぁぁぁ……久しぶりのシャバだぁ……」

 缶詰からガリガリの男がランプの魔人のように出現した。上半身だけ缶詰から出ており、まだ完全に缶詰から出きっていない。ボロボロの和服を着ているから昔の罪人だったのかと、よく分からない思考がよぎる。

 缶詰からは黒い瘴気が噴き出し続け、背筋が凍る程展示コーナーの室温が下がり続けていくのを感じた。


「んっ――抜けねぇ……!?」

 缶詰を両手に持ち、自分の体をこの世に全部出そうと躍起になるガリガリの男。警備員は何が起きているのか分からず、呆然自失状態だ。


 ガリガリの男はこちらと警備員をそれぞれ一瞥すると、即座に警備員に飛びかかった。

「ひぃぃぃ……!」

「おい、そこの缶切り持ってる坊主。お前はこの缶詰が何なのか知ってるな? 持ってる缶切りを床に置け」


 ガリガリの男は警備員に後ろからしがみつき、ナイフを首筋に当てていた。

「言う通りにしなかったら殺す。少しでも怪しい動きをしたらまず一回刺す。分かったらさっさと置け」


「声しか聞こえないが、大体状況は伝わってきた。指示に従うしかなさそうだ……」

 イヤホンから親友の声が聞こえてくる。俺は缶切りを床に置き、ガリガリの男に向き直った。


「いいぞ坊主……次は缶詰の出入り口をちょっとでもいいから広げろ。詰まっちまったからな。刃物は使うんじゃねぇ。素手でやるんだ。缶に傷がついたら黄泉還れなくなっちまうからよ」


 俺は男の横から近づき、缶詰に手を伸ばす。

「触っていいのは缶詰だけだ。オレに触ったら豚を殺す」

 缶詰に両手が触れた。左手で缶詰を持ち、右手で開きかけている蓋部分を持つ。黒い瘴気にまみれてよく見えないが、目を凝らすと蓋が三分の二しか切られていなかったからか中途半端な開き方をしていた。


 俺は懸命に力を込め、蓋を完全に開けようと試みる。途中、右手の人差し指に鋭い痛みが走った。

「っ!」

「おっと、止めんじゃねぇ。さっさと開けな」

 ガッ、と肘鉄を頭にくらう。視界が揺れる。


 必死に歯を食いしばると、缶を右手に持ち替え、左手で蓋を開け始めた。

「おぉ、いいねぇ。少しずつ開いてきてんのが分かる……その調子だ坊主――!?」

 ガリガリの男は息を飲んだ。自分の姿が半透明になり、突如警備員の体をすり抜けてしまったからだ。


 俺が持つ缶詰は黒い瘴気を噴き出していない。ごく普通の缶詰に戻っていた。

 ガリガリの男は下半身を失ったまま、駄々をこねる子供のように暴れ狂う。ナイフを振り回し、警備員の足に当たってはいたものの、体と同じくすり抜けてしまっていた。


「あああああああああッ!! てめぇ何しやがったぁぁぁッ!!!」

「宇宙の缶詰は本来の外側を"内側"だと言い張るためにラベルを剥がしていた。だけど、その"内側"に缶詰の名前が書かれていたとしたら?」


 缶詰の側面を見せる。そこには血で『くうき』と書かれていた。

「外側を"内側"と言い張れなくなり、空気の缶詰と再定義されて宇宙の"外側"――つまり地獄との繋がりは一切無くなるってわけ。ま、これ全部友達の受け売りなんだけどな」

「よくやった」


 イヤホンから声が聞こえる。親友はとにかく俺に大事なたった一つのことを指示してくれていた。

 何でもいい、とにかく何か物の名前を缶詰に書いてくれと。


 それが何を意味するかは自然と分かった。ひとえに毎日思考実験で鍛えられた発想力のお陰だろう。


「意味……わから、ね……」

 ボロボロの男はどんどん色が薄れていき、気絶すると同時に姿がかき消えてしまった。残されたのは巻き込まれ事の顛末を見届けた警備員と俺だけだった。


 俺は服の袖で缶詰に書かれた字や血を拭い、展示スペースに置きなおす。

「おっさん、じゃあな。あとは頼んだ」

「あっ……お、おい! 待ってくれ!」


 面倒に巻き込まれる前に、俺はさっさと走って退散したのだった。


※ ※ ※


 夕暮れ時、俺は自宅で座り込んでいた。疲労感で立ってられないような状態だった。

「頼まれごと、果たしてやったぜ……礼は?」

 俺は机に置いた缶詰に話しかける。返ってきた返事は随分とそっけないものだった。

「……ありがとう」

「へっ……どういたしまして……」


 二人で協力して困難を乗り越えた。もっと喜んだっていいのに、なぜそっけない返事になったのか、理由は分かってる。

 もう、親友が俺に話しかける大義名分は無くなった。本来この世に干渉する行為は地獄送りになるほど重い罪らしい。


 ならば友として、死後安らかに過ごしてもらうためにやれることはたった一つ。

「あとは……この缶詰にも穴を開けるだけ。そうだろ?」

「君にしては……察しがいいじゃないか。いつも思考実験では何一つ当てられずうんうん悩んでいたくせに」


「うるせぇ、お前に鍛えられたんだよ」

 俺はしれっと拾っといた缶切りをカバンから取り出し、缶詰に刃を当てた。

 これを押し込んで穴を開けてしまえば、この缶詰は元の変哲の無い缶詰に戻る。魔法が解けてしまう。


「これからお前の話が聞けなくなるなんて、退屈で仕方ねぇ……約束守りやがれよ」

「缶詰から話しかけにいく約束は守っただろう。生きてる間の暇つぶしは自分でまかなってくれ。思考実験のアイデアを考える時間はたっぷりあるから、死後の暇つぶしは任せろ」

「言ってろ……お前が、楽しむ予定だった分まで……人の二倍楽しんで……思い出たくさん話してやるからな……!」


「あぁ」

 親友の声は穏やかなままだった。きっと泣いてることを悟らせまいと、こらえてる。コイツはそういう奴なんだよ。俺はこらえ性がないから、涙を我慢できない。

「楽しみに待ってる」

「じゃあな」

「じゃあな。長生きしろよ」


 終わってしまう。

 親友との最後の会話。

 俺は、ゆっくりと、確実に右手に力をこめ――刃を、缶に突き立てた。

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