終章

 青空を割くような光の筋が幾千も重なりあった太陽の光は私たちが乗っているトラックまで降り注ぎ、そして木々の隙間を抜けるように私たちを照らす。

 私は車の屋根に腕をかけラムネ瓶を太陽にかざして飲みながら、光の恵を顔に浴びて目を細める。

「…で、脱走計画を立てて生徒が積められたあの汽車に乗って脱走を決行したのか。アニ嬢が学校に帰った後そんなことがあったなんて信じられねぇな」

「あとミロクがポケベルで勝手に兵長を呼んでしまったせいで何も知らない兵長を巻き込んでしまってすみませんでした。ほらあんたが元凶なんだからあんたも謝って」

「ングっ…すいやせん」

 運転席でハンドルを回すギーベリに頭を下げると、私の隣でラムネを飲んでいたミロクの頭を無理やり掴み一緒に下げさせる。

 私たちが目を覚ました後、ギーベリから「たまたま持ってきたから飲め」と言われてラムネ瓶を受け取り、それから今までなにがあったかを細々と説明した。

 そしてミロクの謝罪を聞いたギーベリはタバコを口から外し、煙を吐きながら手を振る。

「謝んな謝んな、別に気にしてねぇよ。もう仲間の死を酒の魚にするのは疲れてたし、そろそろ軍隊をやめる頃合いだったんだ」

「でも巻き込んでしまったからもう兵長は私たちと同じお尋ね者になってるかもしれないんですよ?そしたらずっと命を狙われることに…」

「楽しそうでいいじゃねぇか。それに常に死と共に歩いて生きるなんて俺ら兵士の日常だろ?」

 窓から顔を出して私に笑いかけるギーベリの姿はなんだか悪戯を成功させた悪ガキのような笑顔でミロクも一緒に「だなっ!」といいながら肯き2人に呆れて私はため息がつく。

「それにしても汽車を途中で飛び降りたと思ったら兵長がいたなんて思いもよらなかったわ。なんでその計画やらルボフのことやら私にも教えてくれなかったのよ?」

 呑気にビールを飲むギーベリを横目に私はミロクにそう尋ねると、咳き込みながら口に含んでいたラムネをグッと飲み込み、ミロクは頰をかいてバツの悪そうな顔をしながらおずおずと喋りだした。

「て、敵を騙すならまずは味方からっていうじゃん。ルボフ生徒にこの計画伝わったらやばかったし仕方なかったんだよっ」

「なによ、私がルボフに軽く口を滑らすくらい信用が足りないって言いたいわけ?」

「いやそういうことじゃなくてニアって嘘苦手じゃん!だから言ってもどうせヘマするだろうって……」

 言ってしまった後にミロクは「あっ」と口に両手を当てて、慌ててブンブンと首を横に振り弁明をしようとするも、腹の虫が治まらず私は両手でミロクの頬を掴み爪が食い込むくらい強く引っ張る。

「あっ、悪かったから悪かったから!あぐひぃタンマっ」

 悲壮感漂うミロクの叫び声を片耳に、煙を吐き小指ほどに短くなったタバコを指で挟んだギーベリが眉を顰めて口を開く。

「でも一昨日からポケベルを盗んでいるってことはある程度こうなるって結構前から予測してたことだろ。すげぇな」

 私の腕をペシペシと叩き降参だと訴えているミロクを私は解放すると、ミロクは涙目になりながら指を3本折ってギーベリに見せる。

「まあ3割方。ルボフ生徒の裏切りとかは気づいてたし管理人の情報もあったから大本の計画は立てやすかったかなぁ……イタいぃ」

 私がさっき強く引っ張った頰をさすりながら大したことないとでもいうミロクの態度に、私はそっぽ向き鼻を鳴らす。

 先に伝えられていたらこの結末はどういう風に変わっていただろうか?

 もし最初から裏切られていたと知っていたなら、もう少しルボフのことで泣くこともなかっただろうし悲しまずに済んだかもしれない。でもミロクの言う通り平常でいられずにそのままルボフを問い詰めて脱走計画を失敗に終わらせていただろう。

 これも一種の肉を切らせて骨を断つだ。傷ついたおかげで自由を手に入れられた。

 そう思えばいいのに私はどうしてもルボフのことを考えるたび気分が沈む。

「ニアはさ、自由になった今行きたいところとかある?」

 虚空を見つめてぼぉとする私の隣で、トラックの屋根にひじをつきながらミロクはこちらを見ると突如吹き込んできた風と共にミロクの声が私の耳を通り抜け、靡かせられた赤髪が毛先まで流れるように舞う。

 風に揺れる髪を気怠げに耳にかけるその姿は妙に妖艶で、私は胸をざわめかせるがハッと我に返り一拍遅れてミロクの質問を繰り返す。

「行きたいところ…?」

「そう!だってもう私たち壁の中に囚われてないんだよ、どこに行っても何をしてもいいんだよっ!!」

 私の両手を握りしめ、身を乗り出して目を輝かせながら私の顔を嬉しそうにのぞき込むミロクに気圧されながら私は自分がどこに行きたいのか頭の中で模索してみる。

「私はね、街とかでショッピングしたいし海で泳いでもみたいし、この前の屋上みたいにピクニックっぽいのもしたい」

 我慢のできない子供のように行きたいところを次々と口にするミロクの言葉を口の中で転がしてみるも、もやもやとした実態のない背景しか頭に浮かばず、私は頰を人差し指でかく。

「あっ、でも一番行きたいところはね」

「なによ?」

 微笑みながら私の手から両手を離すと滑り込むように左腕を肩に回し、私の腰に右手を当てて引き寄せる。鼻と鼻がくっつくんじゃないかというほどの至近距離に、私の顔は茹で蛸のように湯気が立ちそうなほど熱くなるのを感じて口をハクハクと動かしながら顔を逸らす。

「ニアの本当の記憶にあったていう教会や村に行ってみたい。そしてニアのことをもっと知りたい。どう?」

 逸らした顔を追いかけるようにミロクは私の顔を両手で抑え、目と目があう。

 夢にうつっていた記憶では、村も教会も戦争という炎に焼かれて見るも無惨な姿になっていたから手がかりがあるとは思えない。

 でももし誰か1人でも私のことを知っている人が生きていたら…母さんや私のことを知ることができるかもしれない、なんてありえないってわかっているのに淡い希望が私の中で芽生える。

「どうよ?」

 私はミロクの後頭部に手を回し自分側に寄せて額と額をあわせると、不敵な笑みを浮かべる。

「行ってやろうじゃないの」

「よしきた!」

「ん"んっ"」

 気まずそうにギーベリのわざとらしい咳払いが入り私たちは慌てて額を離し、横目にギーベリの方を見るとバックミラー越しに目が合った。

 ミロクは私の肩に回していた手を下ろすとバツが悪そうに頭を搔き、私もなんだか気恥ずかしくて顔を赤くしながら俯く。

「お前ら勝手に話を進めんてんけど、連れてくのほとんど俺だぞ多分。もう少し俺も話に混ぜろよ」

「連れて行くのやっぱり難しいですか?」

「いや難しいとは言ってないだろ。ただ俺も話に混ぜて欲しいだけ…」

「寂しいの?」

 淡々した口調だが、どこか寂しさが感じられたギーベリの言葉に対してミロクは悪戯っぽい笑みを浮かべてそんな煽りを口にする。

 その煽りに食いつくようにギーベリはハンドルを壊さんばかりに強く握りしめると背もたれから少し上体を起こして顔だけこちらに向け嚙みつかんばかりに口を開く。

「なんだこいつ!?あ"あ"寂しいよ、寂しくて悪いかよ。俺はお前たちとどんちゃかやってないから俺にはわからないふたりだけの話ってものがあるかもしれねぇが少しくらい構ってほしいわけよ。わかるか?」

「そんなに怒らなくても」

「お前俺を舐めてんだろっ?アニ嬢の友達だって普通に投げ飛ばすからな」

「ああっ、二人ともうるさいっ!!」

 ミロクの煽りに簡単に引っかかるギーベリに呆れて、私は再度ため息をつく。

 心外だというように目を見開いて自分を指すギーベリに私は小さく肯くとギーベリはカクンとシートに頭を下ろして塞ぎ込む。ミロクといいギーベリといい、私の身の回りにいる人間はなんというか無茶苦茶だ。

 でもそんな2人といるとなんだか毒気を抜かれて、ついつい一緒にいてしまう私も実は自分でわかっていないだけで実は無茶苦茶なのだろうか。

「あっ。ニアもギーベリのおじさんも見て、海だ!!」

 トラックの屋根からミロクは身を乗り出し、私の肩に手を回しながら身を寄せて指をさすミロクにつられて視線を前に向けると地平線の先に微かに見える水平線から眩しいくらいに陽の光が海に反射し、空と海は1つに溶け合って新たな色を生み出していた。

「ギーベリのおじさんあそこの海まで行ける?」

「さっきからおじさん、おじさん言ってるが俺そんな年じゃないからな。いいか?ギーベリと呼べ、小娘」

「おじさん」

 そう煽り返すミロクにまた額に血管を浮き上がらながら歯を食いしばるギーベリを見てミロクは私の背後に隠れてクスクスと笑う。

「お前もだアニ嬢」

「えっ私ですか?」

「さっきから兵長って俺のことを呼んでいるが、俺はたった今軍隊をやめたからもう兵長じゃねぇ。だからこれからはギーベリと呼べ。わかったかアニア?」

 先から灰がこぼれフィルターに噛んだ痕のあるタバコを私に突きつけ、眉間にシワを寄せながら笑う彼を見て私は少し間を置いてから口を開く。

「はい、ギーベリ」

 名前で呼ばれたギーベリは「おう」といいながら少し頰を赤らめ、照れを誤魔化すようにラジオのつまみを回して曲を流すと音量を最大にしてボリュームを上げる。ラジオから聞こえる音楽にギーベリの鼻歌が混じり、ミロクもその心地いい音色に耳を傾けながら私の肩に頭を乗せる。

「ミロクね、海見るの初めてなんだ。これからさどんどん初めてがいっぱい生まれてその度にニアが喜んでる姿をミロクは隣で見たい」

「私も…私もミロクやギーベリが喜んでる姿を見たい」

 ふと浮かんだ2人の喜ぶ姿を頭の中に思い浮かべると、なんだか心がポカポカとあたたかくなり指の先からゆっくりと全身に広がっていき、やがて心臓を鷲掴みにして鼓動が早くなる。

「嬉しいこと言いやがって…乾杯すんぞ」

「えっ急にですか?」

「急にもクソもあるか。男は嬉しいことがあったら乾杯すんだよ」

 ビール瓶を頭上に掲げて暑苦しく熱弁するギーベリに、私は半笑いでラムネ瓶を持ち上げる。

「3人それぞれの自由を手にしたこの日に…」

「「「乾杯ッ!」」」

 カチンと瓶のぶつかる乾いた音が青空に鳴り響き、それと同時に音頭をとったギーベリは一気にビールを飲み干すと大きなゲップを出す。

「うわっ汚いですよ、ギーベリ」

「いいからいいから。よしこうなったら海まで一走りして遊びに行くぞ!」

 酔ったギーベリはしゃっくりを手で押し込みながらアクセルを踏み込み、海に向かって一直線に進みだす。

 コンクリートに別れを告げて青々と生い茂る草花の海を切り開くように車を走らせると爽やかな潮の香りが風にのって流れてきて、胸いっぱいに吸い込むと初々しい気分になる。

「そういえば私たち乾杯してないや。ニア、かんぱい」

「あっそうね。かんぱい」

 まだ半分くらい中身が残っているラムネ瓶をミロクの瓶に軽くぶつけると心地いい音が鼓膜に届き、そのままカランと鳴るビー玉の音と共に口の中に広がる甘味で喉の奥を潤す。 

 風に撫でられた髪が頰に触れ、少しくすぐったさを感じながら私は静かに頭を振る。

 死が常に私たちと共にあるお尋ね者の私たちにとって、この幸せは今一瞬だけだと3人ともわかっている。これから苦難が待ち受け、その先には辛い選択が待っていることもわかっている。

 でも今日だけは……今だけはもう少しこの夢心地に浸っていたい。

 ビー玉が揺れて光を屈折させたラムネ瓶から見る現実の世界は、歪んでいるけれどそれでも極彩色に光輝いていた。

 そんな世界のこと私は前よりも少し知れた気がする。

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