12章
生ぬるく暖かい空気に似合わず、下から吹いてくる凍りつくような強風は汽車の速度に追いつくように吹き荒れる。みずみずしい空気が体の中を通っていく感触に凍えながら私は風に煽られる髪を手で押さえ、前を見据えるとそこにはレスキナ教官がミロクの首に腕をまわしながら月光に照らされていた。
「ミロクを離しなさい…じゃないと」
「じゃないとなんていうの。ルボフ生徒を殺す?そんなの今の君には無理よ、あまりにも繊細すぎる」
レスキナ教官は挑発的な態度で私にそう言葉を吐き捨て、ミロクの首を掴む手に少し力を入れると苦しげな声をミロクは漏らす。
「ニアッ、私を気にせずこいつを撃って!!私は唯一実験に成功した実験体なんだから撃つわけがないっ」
ミロクはそう叫ぶと、首筋に突きつけたレスキナ教官の銃口がより強く押しつけられた。
「ミロク生徒、君は上が作り上げた最高の体なんだ。だからそんな戯言を言って失望させないでくれ、私はあなたを撃てるわ。もちろん脳と心臓、顔は修正が難しいから撃てないけど足や腕、指や腹は撃っても直せばいいのよ。アニア生徒の傷や足を修復したみたいに」
「下っ端の君にそんなことができるわけがない」
「試してみましょうか?それじゃあまずはその真っ白な手に風穴を開けて」
「やめなさいっ!!あんたを撃たないからもうやめて…」
私は涙を流しながらそう訴え、その場に立ち尽くす。ミロクを人質に取られた以上軽率に動くことはできない。
どうする私?自分の射的には自信があるがこの距離から撃って、レスキナ教官もミロクを撃った時どちらの弾が先に到達するかなんて一目瞭然だ。
肉を切らせて骨を断つつもりでミロクにはレスキナ教官に撃たれてもらって私がレスキナ教官を撃ち殺しても、その後ミロクの弾丸を取り出したり出血を止めたりなどをこの汽車で正確に処置するのはかなり難しく、最悪ミロクが大量出血で死ぬかもしれないためこの作戦は無理だ。
じゃあどうすればいいっていうわけ…このまま降参するにしても結局バッドエンドに行くのは目に見えてる。
この状況を一言で言うなら、私たちはチェックメイトをかけられた状態に陥っていた。
「もう諦めようよ。これ以上続けてもアニアちゃんたちの未来は決まってるんだ、このまま大人しく降参した方がもしかしたらマシな結末になるかもしれない」
「黙れっ!!あんたが裏切ったからこうなったのに…私はあんたをずっとずっと信じてたのに」
私に押し倒されながら、必死な顔をして説得してくるルボフに私は怒りと憎しみが湧き上がり銃口をルボフの後頭部に押し付ける。
「撃ってもらって構わない!!それだけひどいことをしてしまったことは自覚している…でもこれが最善の行動なんだ」
ルボフは額に汗をかきながらも覚悟を決めた表情で私を見つめる。
「あははっまさか誰もが羨む仲良し3人組がこんな形で終わるとは…まさに喜劇ねぇ。そう思わないか、ミロク生徒。いや…NO.369」
レスキナ教官はミロクの頬を銃口でそぉと撫でながらそう告げる。下唇を震わせながら歯を食いしばりレスキナ教官をミロクは睨みつける。
「一体私たちに何を求めているの?」
「私はただあなたたちの教官として穏便に済ませたいだけよ。NO.369は私に抵抗せず従うこと、そしてアニア生徒は…そうね。とりあえずルボフ生徒を離してあげて欲しいわ。私の望みはそれだけだよ」
「それに従った後私たちをどうするのよ?」
今度は私が尋ねると、レスキナ教官は何も言わずにニヤッと笑いながら私たちから視線を外し夜空を眺める。
「それはもちろん身体中に睡眠薬を投与して絶対私たちに反抗できない状態にした後、アニア生徒の記憶が詰まったその脳をそのまま取り外してお客様の脳に入れ替えるでしょうね」
月光に照らされて糖蜜色に輝く金髪をかきあげながら答えるそのレスキナ教官の目はあまりにも冷静で一切の迷いや偽りがないように見えた。
「本当はあなたたち成績ツートップのためにゆっくりとお客様を探す予定だったけど、こんなにも時期が早くなったからオークションになるだろうねぇ。脱走なんて馬鹿なことをせずに、のうのうと鳥籠の中の小鳥でいればよかったのに」
「信じられない…教官を務めてたくせに、自分の担任する教室を持っていたのにその生徒を見殺しにできるなんて」
「私だって好きでやってるわけじゃないわよ。これも全て私が生きるため、君たちと望んでることは一緒だ」
レスキナ教官はそう言いきると、ミロクの顔を腕で強く絞めながら私たちから距離をとり後ずさりする。
「さて、おしゃべりは終わり。まず両方とも銃を投げ捨ててルボフ生徒を放しなさい」
「あんたこそミロクを放したらどう?そしたらルボフを解放するわ」
「減らず口が減らないわねぇ」
ニヤニヤとほくそ笑むそのレスキナ教官に私は何か違和感を持つ。
さっきから徐々に距離をとっているような気がする上、常にほくそ笑むにその態度はまるで何かを狙っているように見える。ミロクは自分の首を締め上げるレスキナ教官の腕を噛むと、その急な痛みに耐えきれずかレスキナ教官は首を締めていた手を少し緩める。
「ニア後ろにトンネル!!早く伏せてッ」
背後を振り返ると、もうすぐそこまで低い闇色の穴が汽車を飲み込もうとしていた。ミロクの言葉に反応し、私はすぐさま伏せると頭上を壁が凄まじい速さで通過していく。
行動に出るとしたら今しかない。私はミロクを掴んだまま伏せるレスキナ教官に向かって銃口を向けようとした瞬間、私に押し潰されていたルボフが私の手を蹴り私が持っていたうちの一つの銃が宙を舞い私の元から離れていく。
「やめて、もうあんたを傷つけたくない」
「俺だってこんなこと望んでいない」
私とルボフは体を伏せながらお互いを殴り合う。私はベルトからワイヤーを引っ張りルボフの腕に巻きつけ、そのままルボフを引き寄せる。
しかしルボフは私が引き寄せた力を利用し、逆に私を引き寄せその勢いのまま私の首を足の力で強く挟み押し付けることで圧迫し屋根に押し付ける。
「殺しはしない、気絶させるだけさ」
「っあ…ああぁ」
頭に血が上っていくのを感じながら、私は必死に息を吸うが意識が徐々に遠退いていき視界がぼやけていく。私はもがきながらもワイヤーの先端についたナイフで私の首を絞めているルボフの足を力一杯突き刺す。
「ぐぁあああ」
あまりの痛みに私の首を締める力が一瞬緩み、その隙に私はルボフの顎を下から蹴り飛ばし、その反動で私はルボフの拘束から抜け出す。
そして私はルボフの腕に巻き付けられたワイヤーを引っ張り、その勢いで屋根に仰向けに倒れ込んだルボフの頭に銃のグリップ部分で脳天を殴りつけると、ルボフは泡を吐きながら白目を剥き出し気絶する。
「はぁはぁ…しつこいのよあんた。そこがいいとこだけど」
呼吸を求めた魚のように私は絞められた首を撫でながら必死に息を取り込もうとする。
ルボフを確実に気絶させたため、敵はあと一人。
でもあっちには人質がいる上、教官を名乗ってるだけあって武術においてはあいつの方が確実に数段上。もし隙をつくのならトンネルを抜けたその瞬間、レスキナ教官を撃つしかない。
私は弾倉に込められている銃弾の数を数えながら、緊張で震えておぼつかない手で銃を握りなおす。
風がどんどん強さを増していく中、トンネルの出口から微かに漏れる月光が次第に大きくなっていく。
汽車がついにトンネルを抜け、月光が私の視界を一瞬白く染め上げる。
今よ……っ!!ずっと続いた暗闇からの急な光に立ち眩むレスキナ教官の頭に狙いを定め引き金を引く。弾丸はレスキナ教官の頭部に吸い込まれるように進み、そのままぶち込まれると思ったが、レスキナ教官は体を下に屈み最小限の動きで弾丸を回避し、そして足を一歩踏み出すと瞬く間に私の目の前に近づく。
「所詮次席も甘いわね」
レスキナ教官は私が握った銃を撫でるようにしてセーフティをかけ、そのまま銃を上に押し上げて私の手から離させると私を押さえ込む。
「いや甘くないわよ。あんたは銃弾を避けるのに集中したためにミロクから手を離した時点で私たちの勝ちよ」
「はっ!」
レスキナ教官の視線の先にいたミロクは先ほど私が捨てた銃をゼンマイを巻くようにゆっくりと拾い上げ銃口をこちらに向ける。
「NO.369、君が私に銃を放ったと同時に私はアニア生徒を殺す。それでも君は構わないのかな?」
レスキナ教官は手に持った拳銃の銃口を私の後頭部に突きつけ、そして引き金に指をかける。
さっき私にやった手と全く同じことをするなんて小賢しい真似を。
しかしこんなことを言われたら誰だって銃を撃つのを躊躇う、レスキナ教官はそういう人の純粋な所を突いた心理戦術がとてつもなく上手い。
「確かにそれは困るね。ミロクにとってニアは大切だから」
「そうでしょ?だから銃を…」
「だから私はレスキナ教官ではなく自分を撃つ」
そう言い切り弾倉に入った弾を確認するとそのまま自分の頭に銃口を向ける。
レスキナ教官はミロクの予想外の行動に驚愕して目を大きく開き、私を押さえ込んでいた力が少し弱まる。
「多分私やニアよりも数段技術は上で、レスキナ教官は優秀だから真っ向勝負じゃ敵わない。だからどうすればいいかさっき君に首を締められていた間考えていたんだ。そしたらさっきまでの会話の中に勝利への糸口があったことに気づいた」
「糸口?」
「それはミロクがこの汽車にいる誰よりも存在価値が高いってこと」
淡々した口調で告げながらミロクはセーフティを解除する。その行為にレスキナ教官と私は唖然とし何も言えずにただ茫然と立ち尽くす。
「さっき『脳や心臓、顔』というキーワードを言ったね。脅しのつもりで言ったんだろうけどアレは非常にまずかった、だってそこを撃てばミロクの存在価値がなくなるって言ってんのと一緒だから」
「なるほど…つまり私がアニア生徒を撃ったら自分の脳を破壊するという自分自身を人質にとった取引を行いたいってわけね」
今この短い数秒間の間に私たちは形勢逆転したのだ、価値を瞬時に見出し自分という人質を取ることによって。
「これは取引じゃない。脅しだよ」
「しくじったわ、こんな隙を与えてしまうなんて…」
レスキナ教官は悔しそうに唇を噛みながらそう呟き、ミロクの銃から私の顔に視線を下ろす。
「チェックメイト」
いつもの花を咲せたような無邪気な笑みではなく、ゾクっとするような口を歪ませた不敵な笑みを浮かべてミロクはそう呟くと人差し指を曲げて引き金に指をかける。
「待って!!はぁ…NO.369の要望は一体なにか教えてくれないかな?」
ミロクが引き金に指をかけ、銃を発射するその寸前でレスキナ教官は両腕を挙げながらそう言った。さっきまで私たちを見下すように笑っていたレスキナ教官だったが今は余裕の笑みを一切浮かべておらず、その目の奥には焦りと恐怖が垣間見えた。
レスキナ教官のその行動に一切動じることなくミロクは銃を下ろさないまま、少し間を置いてから口を開く。
「まず銃と自分が持ってる全ての武器を捨ててニアを放してくれるかな」
「それで二人が逃亡するところをのこのこ見送り、それを上層部に伝えろっていうのかしら?」
「そうだよ」
ため息をつきながらポケットからタバコの箱を取り出し、トントンと叩きタバコを一本出す。そして火を点けながらレスキナ教官は煙を吐き私の方に視線を向ける。
私はその視線から逃げるように顔を背けると、レスキナ教官は鼻で笑うように息を漏らす。
「わかった。じゃあこうしよう」
レスキナ教官は左手で私の首を掴むと、そのまま汽車の外に向かって私を持ったまま腕を横に伸ばす。下を見ると高速で回転する車輪とそれに押しつぶされる線路が目に入る。足場がなくなった私はジタバタと足をばたつかせて必死に抵抗するが、全く力が入らず首を絞められて喉が圧迫され呼吸ができなくなり頭がぼうっとし始める。
レスキナ教官はそんな私のことを気にも留めずにニヤニヤと笑みを浮かべながら口を開く。
「このまま手を離したら彼女は落下し頭が砕けて死ぬ、そして決断が遅れると首が絞められて息ができず死ぬ。どちらの選択肢も嫌ならその銃を捨てなさい」
「話聞いてたッ?私が死んだら困るのは君の方…」
「君たちをとり逃したらどちらにしろ上層部に処分される。ならここでみんな共倒れしようじゃないか。したくないなら銃を」
レスキナ教官はそう冷たく言い放つと、ミロクに早くしろと言わんばかりに顎で合図をする。ミロクの顔から表情が消え額に冷や汗が垂れる、そしてゆっくりとその引き金から指を離し銃を地面に投げ捨てた。
私はその光景をただ黙って見ることしかできなかった、自分の身を挺してまで勝ち取った形勢逆転を私が壊してしまった。
汽車は森を抜け、木々の鬱蒼とした影は消え失せ代わりに夜風が当たり雲一つない星が一面に広がった夜空が私たちを照らす。
「ふふっいい娘ね。武器のなくなった君たちはただ無害な生徒。さて、アニア生徒を殺されたくなかったら大人しく私についてきてもらおうか」
車輪が線路と擦れる音とともに汽車は長い橋を渡ろうとしていた。ミロクは振り返って橋を見て、唾を飲み込むと急にこちらに向かって走り出す。
突然の行動にレスキナ教官は目を見開きながらも銃をミロクに向け引き金に指を当てるが、それよりも先にベルトから引き抜いたナイフでミロクはレスキナ教官の手首を切り裂き、その痛みにレスキナは叫びながら私の首を掴んだ手を離した。
「えっ?」
私の口からは短い驚きの声が漏れると同時に、体が宙に浮いた感覚を覚える。レスキナ教官の手首から噴き出た血が空中で花びらのように風に舞い上がり私とともに落ちていく。下を見ると汽車と線路がもう目前まで迫っておりあと少しで死ぬかもしれないのに、私は不思議と冷静だった。
こんなところから落ちれば死ぬ。そんなことは分かってる、でも私の勘がまだここでは死なないと言っていた。そして私の勘は経験上よく当たる。
「大丈夫、ミロクが守るから」
そして私は見た、月光に照らされて輝く赤髪を靡かせながら汽車から飛び降りるミロクの姿を。ミロクが私の背中と膝裏に腕を入れ抱き抱えると、ナイフを柱に突き刺しワイヤーで振り子のように私の体重ごと遠心力を乗せ、私たちの体が路線から橋の向こうに投げ出されるとミロクはワイヤーを切った。
「あんた馬鹿!?あのままワイヤーを使って橋の上に着地すればよかったのに…」
「いいからいいから」
前言撤回、私の勘は実はそんなに当たらないかもしれない。
地面にぶつかるまで何十秒、いや何秒もあるだろうか。
私はもう死ぬんだと思い、目を瞑りながらなんとなくポケットに入れていたポケベルを触ろうと思ったが一昨日失くしたことを思い出し代わりにテープレコーダーを握りしめた。
ああ、死ぬんだったら最後に先輩とポケベルでもいいから話したかった。
背後から汽車が通り過ぎる凄まじい轟音と銃声が辺りに響きその耳障りな騒音が極限まで響いた時、私の体が大きな衝撃とともに地面に叩きつけられた。
しかしそれは予想していたような硬い地面ではなく、まるでクッションのように柔らかく私を受け止める。
ゆっくりと目を開けると汚いマットレスが敷かれたトラックの荷台に私たちは倒れていた。
「急に呼んだと思ったら空からの登場かよ。俺でもそればかりは予想してなかったぞ」
そしてどこからともなく男の笑い声が私の耳に響く。
声のする方を向くと、ミロクみたいな自然な赤髪ではなく無理やり染めたような汚い赤髪でボロボロになった衣服を身に纏いながら、車の扉によりかかり不敵に笑みを浮かべる男がいた。
「兵長ッ!?なんでここに…」
「なんでって…お前が昨晩ポケベルで呼んだんだろ、だからわざわざここまで」
「ポケベルは一昨日に失くして今もってないですよ」
「あっそれミロク。実は草原でニアが寝てる間にポケベル借りて、今朝ニアのフリをして連絡したんだ…あはは」
「はぁ!?そんな話聞いてないっ、てかそれ借りたじゃなくて泥棒よ!」
マットレスから跳ね起きて私はミロクの頬をつねるが、ミロクは痛そうに顔を歪めるだけで全く反省した様子はなくただ笑うだけだった。
すると急に橋の上から弾丸が何発も飛んできてマットレスに着弾し中から黄色くなった綿が飛び出す。
見上げると汽車の屋根からレスキナ教官がこちらに向けて銃を発砲していた。
「おいおいお前ら一体何したらこんなおっかねぇ目に合うんだっ」
「兵長いいから車を走らせてくださいっ!!」
「クソォ…急に呼ばれたと思ったらこんな目に合わせやがって。嬢ちゃんらしっかりマットレスに掴まってな」
ギーベリはそう言いながら乱暴にドアを開け中に乗り込みエンジンをかけると、ハンドルを勢いよく切りながらアクセルを踏み込み急カーブを走る。
しかしレスキナ教官は銃を撃ち続け、車の屋根に弾丸がのめり込み弾痕を無数に残していく。
「お前ら何がなんだかわからねぇが呑気に寝てないであいつをなんとかしろよ」
「無理です。もう足と身体中が痛くて応戦できない…この戦い不本意ながら任せました」
「ああ…っち、クソがっ!!いいか揺れるぞ、死んでも知らねぇからな」
ギーベリは車のギアを変えアクセルを踏むと、タイヤが悲鳴のような摩擦音をあげながら速度を上げる。そして車のハンドルを握りながら扉を開けるとギーベリは上半身を車から乗り出し片手でマシンガンをレスキナ教官に向かって発砲する。
前を見ずに運転する暴走運転のため、車体が左右に激しく揺れ私は振り落とされそうになり必死にマットレスにしがみついた。
しかしギーベリの放つ銃弾を物ともせずレスキナ教官は私達に向けて発砲を続ける。
「マジであの遠くてよく見えねぇ女といい、アニ嬢といい狂ってやがる」
「無駄口いいから早くレスキナ教官から振り切って、ギーベリのおじさん」
「アニ嬢の友達はみんなこんなふうにお前同様口が悪いのか?」
銃弾の嵐の中ギーベリは車のギアを変え、アクセルを踏み込みながらハンドルを回し大きなカーブを描くと次第にレスキナ教官との距離が離れていきついにその姿も見えなくなる。
「はぁはぁ…やっと振り切った。こんな時間からなんの運動だぁ?」
ギーベリは息を荒らげながら運転席に倒れ込むように乗り込むと、扉を閉め座席に深く腰をかける。そして運転席の窓に腕をかけながらタバコを取り出しライターで火を点けた。
今までの出来事が嘘だったかのように車内は静寂に包まれる。遠くで鳥が鳴く声が微かに聞こえ、車外からは木々の騒めきと虫の音が静かに聞こえる。
自由を求めて3人で乗った汽車は、降りる時には1人欠けて2人となった。
1人はまだ汽車に乗っていてもう2人は車に揺らされている、この現実にせっかく脱出できたのに何を言っていいのか分からず、ただこの虚しさを埋めたくて下唇を噛み俯く。
そんな私を見てミロクは「ドーン」といいながら私の膝の上に頭を乗せる。
「ニ〜アっ!」
「なによ」
「ずっと下を向いてるより、上を向くほうが景色が綺麗だよ」
ミロクのその言葉に目頭が熱くなり、小鼻がツンと震える。私は制服の袖で乱暴に目元を拭きながらなんとか口元だけは笑おうとするけど涙が堪え切れなくて目にたくさんの水滴が浮かぶ。
私に言ったその言葉がきっかけで、私は平穏ながらも残り3年しか生きれない人生を捨てて自由を勝ち取るために不条理に争うことができた。
私の本当の人生は、ミロクのその言葉、ミロクのその言動で始まった。
泣き顔を見せないようにミロクから顔を背けるとミロクは構わず私の頬を両手で押さえ自分の方に顔を向けさせる。そして優しく微笑むと親指で流れ出る涙の粒を拭きながら口を開く。
「どう、今見る上の景色は綺麗?」
「ええ…」
涙を袖で拭きながら空を見上げると、盲目のように不自由で希望も光も触れているのか見えているのかすらわからなかった暗闇が広がっていたはずの夜空に、一筋の光が東から西へと夜を割くように伸びていた。
長い夜を越えてようやく朝が来たのだ。
「とっても綺麗よ」
「そっかそっかぁ。ふふっそれならよかったよ」
朝日に照らされキラキラと光を反射するミロクのまつげはまるで蝶のようで、砕いた光のかけらをそのまま閉じ込めたかのようにどこまでも純粋で透明な瞳で私を見つめながら満足げに歯を見せて笑う。
「ミロク」
「ん?どした」
「ありがとう」
頬を赤らめながら私は鼻の頭に少ししわを寄せ、私には似合わないけどミロクみたいに無邪気な笑顔を作ってみる。
少し照れ臭くてミロクみたいに大そうなことは私の頭では思いつかないから、短いけど今の素直な気持ちを精一杯表現した。
ミロクは目をパチクリさせて私の顔を数秒間見つめると、突然手を口元に当てて私から顔を逸らし堪えるように肩を小刻みに揺らす。
「な、なによ。私変なこと言った?」
私のその質問に答えることなく、ミロクは顔を少し上げて口を隠してくぐもった笑い声をあげる。そしてひとしきり笑うと満足したように私に覆いかぶさるように抱きつき押し倒してくる。
「変なこと言ってないよ〜ただミロクめっちゃ嬉しくて」
「ちょっ、離しなさいよっ。急になんなの!?」
「あははっうんうん」
私が何を言ってもミロクは私から離れずただ私の髪をわしゃわしゃとかき乱しながらはち切れんばかりの子供のようのような笑顔を見せる。
「おいお前ら静かにしろ、俺は二日酔いで頭が痛いんだ」
クラクションを鳴らしながら私とミロクの間を割って入ってきたギーベリは二日酔いで今にも吐きそうな顔で、ハンドルに寄りかかりながら呆れた表情で私たちを見つめていた。
そんなギーベリの姿に私とミロクは顔を見合わせると、不思議と吹き出してしまった。さっきまであんなに格好よくマシンガンをぶっ放して私達を守ってくれていた人が今目の前で二日酔で死にそうな顔をしていることに、笑わずにはいられなかった。
笑い疲れでマットレスに倒れ込んでもまだ私たちはクスクスと笑い合い、そして草原で一緒に横になったあの夜みたいに向き合って目を瞑った。
目を開けるとよだれを垂らしながら、寝息を立てるなんだか酷く幸せそうなミロクの寝顔に私も自然と笑みが溢れてくる。そして私はミロクと指と指を絡ませて手を繋ぎながらゆっくりと眠りに落ちていった。
「そういえば…あの女どっかで見たことあるな」
朝風が木々を揺らす音と車から小さく漏れてくるラジオの音以外何も聞こえない車内で、ギーベリがボソッと吐き出した言葉は風に乗って私の耳には届かなかった。
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