11章

 木々が生い茂る森の中で、私は額から滲み出た汗を拭いながら足を進める。

 しかし柔らかい腐葉土が広がる地面に足を取られるせいで思うようにスピードが出せないのに加えて、相変わらず右足首が痺れているため足の動きが鈍い。

 それでも私は歯を食いしばり痛む足に鞭を打ちながら、ミロクの背中を追いかける。

「はぁはぁ…ニア大丈夫?」

「ええ、ちょっと足が痛いだけよ。それよりあと少しで汽車が出発するから早く走らないと」

 私の前を走るミロクに足の痛みを悟られないよう、足を動かすことだけに集中しなんとか痛みに耐える。

 そしてしばらく走っていると森から抜け、眼前に見えてきたのは夜の闇を照らすようにそびえ立つ煉瓦の壁だった。

「ここが学校の一番端、校門だよ!!ここを抜けたらもう目的地はすぐそこって地図に書いてあった」

「でもこんな高い壁どうやって越えるのさ?」

 ルボフは息を切らしながら、目の前に立ち塞がる煉瓦の壁を見上げる。

「私にいい考えがある」

 ベルトワイヤーに取り付けたナイフを壁の向こう側に投げると、私は助走をつけるように軽く走る。そして、その勢いのまま高く飛び上がり体を丸めて両足で壁を蹴り上げていく。少し危険だがこれなら集中すれば余裕で上までいけるはず。

 ピンッと張ったワイヤーを握りしめ、重力に逆らいながら煉瓦の隙間に足をひっかけて駆け上がっていく。しかし右足を前に出した際、靴の裏がワイヤーに引っ掛かりバランスを崩しそのまま落ちそうになる。

「危ないっ!!」

 私は落ちる直前、咄嗟に太腿のホルスターからナイフを抜き取りそれを煉瓦に突き刺す。

 刺したナイフに体重を乗せ間一髪で助かった私は、空中で体を大きく揺らし足をなんとか壁に引っ掛け体勢を整える。

「はぁぁぁびっくりした。ちょっとニア気をつけてよ〜」

「うっさいわね。結構集中力が必要なのよ、これ」

 私はナイフを煉瓦から引き抜くと、しっかりと張ったワイヤーを強く握りしめ壁に垂直に立ちそのまま上に駆け上がる。

 空気が先ほどまでは薄く感じ息苦しかったが、余裕が出てきたのか呼吸も徐々に安定し肺の中に空気が行き渡っていくのを感じる。

 私は壁の上端に手をかけると、そのまま思いっきり腕の力を使い壁をよじ登り天辺に到達する。息をつきながら壁の上端に腰をかけて校門の外を見つめると私の視界に入ったのは月の光に照らされ輝く線路だった。

「あったわ!!少し歩いた先に線路が見えるっ、目的地まであと少しよ」

 そう言って私は眼下のミロクたちを見下ろしながら、期待と不安が入り交じった表情を浮かべる。

「あんたたちも私と同じように制服についたワイヤーを使って早く来なさいよ」

「私たちはニアほど元々あまり運動神経はよくないんだよ」

 私はそんな2人を見ながら微笑んでいると、ピンっと張っていたワイヤーが急に緩くなり、次の瞬間私の体は支えていた力を失いそのまま体は重力に引っ張られるようにゆっくりと落下する。

 一瞬何が起きたのか理解できず頭が真っ白になるも、私はこの落ちている中少しでも命が助かる方法を瞬時に考え出し、体を回転させて勢いをできるだけ殺そうとする。

 一回転、二回転、三回転と体を丸めながら回転し勢いを殺そうとするが、上手くいかず右半身は煉瓦の壁に叩きつけられ鋭い痛みが全身を襲ったまま地面に衝突する。

「はぁはぁはぁ」

 全身に走る痛みに声にもならない呻き声を漏らし、私は壁を背に地面に倒れると私は鼻血を出しながら大きく咳き込む。体全体に滝のような冷や汗が吹き出し、私の視界は朧げに揺れ動く。

「ニアァ大丈夫ッ?今からそっち行くから!!」

 軽い脳震盪になったのかぼやけてよく見えない瞳で上を見上げると、ミロクがワイヤーを握り締め壁を駆け下りる姿が視界に映る。

 壁を半分まで降り切ると、軽やかに宙で体を回転させてその勢いを利用しながら私の目の前に降り立つ。

 月の光に照らされながら飛び降りるミロクの姿は、まるで天使のような儚い美しさを纏っているのに衣服や顔に泥が付着しているのを見ると、なんだかそのアンバランスさにこんな目に遭いながらも思わず笑みが溢れてしまう。

 ミロクは私の前にしゃがみ込み、私の鼻血を拭き取りながら心配そうに私の顔を覗き込む。

「ニア怪我してない!?私がそばにいるのにこんな目に合わせるなんて…ごめん。本当にごめん」

「やめて、私はもう誰かに背負われるのは嫌。あんたの責任とかじゃないから、私は大丈夫だから」

 私は頰に当てられたミロクの手に自分の手を重ねながら、上半身を起こしてよろけながらも立ち上がる。

「落ちる時空中回転をすることで衝撃を和らげたから大きな怪我はないんだけど、頭の打ち所が悪かったのか左目がぼやけてよく見えないの」

「ちょっと待ってて」

 ミロクは地面に突き刺さった私のナイフを抜き取り、自分の制服のスカートにナイフの刃に当てると器用に切り裂く。

 そして布きれの両端を持ち、私の左目を隠すように頭に優しく結ぶ。

「応急処置でしかないけど、一応こういうときは目に雑菌が入らないように包帯を巻いたほうがいいって聞いたことがある」

「…ありがと」

「とりあえず俺がアニアちゃんを背負うから、早く汽車のところに行こう。もう時間がないんだろ?」

 いつの間にか降りてきたルボフが息を切らしながら、私とミロクの間に割って入る。私はその言葉に頷きルボフの背中にもたれかかると、ミロクは私がしっかりと乗ったことを確認しまた私たちは走り出す。

 頰を撫でる風は先ほどより強くなり、私は額から雫となって流れ落ちた汗を拭きながらルボフの首に回した手に力を込める。

「上から線路が見えたって言ったけど、大体どの辺だった?」

「今は月が雲に隠れてちょっと暗いからわからないけど、月光に照らされて見えた線路は確か…ここ」

 私はルボフの首に回した手を解き、指を今自分たちが立っている場所に指すと雲の隙間から月の光が漏れ出し、地面に埋まった鉄の塊の輪郭が少しずつ露になる。

「じゃあこの先を行ったら汽車乗り場があるってことか…ところでなんか揺れてない?地震?」

「揺れているというか、西の方向から何か音が聞こえるわね。まさか汽車?」

「あはは、そんなわけ…」

 ミロクは息を呑んでゆっくりと背後を振り返る。煙を吐きながら車輪が地面を蹴る音が徐々に近づいているのが聞こえる。

 私は肩と腕で体を支えながら音の発生源の方に顔を向けると、暗闇から近づいてくる無数のライトが私たちを照らす。

 黒鉄の車体が月の光に照らされながら、徐々にその全貌を露わし蒸気を吹き出しながら猛スピードで押し潰さんとばかりに私たちに向かって突進してくる。

「よけてっ!!」

 私がそう叫ぶよりも前に、私の体は宙に浮いていた。そして次の瞬間私はゴム毬のように軽々と体が吹き飛ばされ堅い地面に叩きつけられる。

 汽車が通り過ぎる際、鼓膜を破りかねないほどの轟音が辺りに鳴り響き私たちはそれを茫然と見つめる。

「まさか時間よりも早く汽車が出発してたなんて…もう汽車には乗れないどうするのよ?」

「チャンスはこれしかない、諦めるわけにはいかないっ!!」

 ミロクはベルトからナイフを引き抜き、切っ先を汽車の最後尾のデッキに向けて狙いを定め投げる。ワイヤーとベルトを繋ぎ合わせた先にナイフは赤く光りながら火花を散らしてデッキに突き刺さり、ギィィィという金属音をたててワイヤーが汽車の力で引っ張られる。

「ルボフ生徒ッ!!私の手を握って。ニアを落としたりしたら殺すから」

 ルボフの腕を掴むとミロクは足を開き右足に体重をかけて腰を落とし、ワイヤーが引っ張られる力を利用しながら勢いをつけるように地面を蹴り上げる。

 その瞬間私たちの体は重力に逆らうように宙を舞い、ワイヤーに引っ張られ汽車に吸い込まれていくように近づいていきそのまま勢いよくデッキに叩きつけられた。

 視界は黒と白が交互に点滅し頭の中を電気信号のような衝撃が駆け巡る。

「よっしゃ、無事乗れたぁ」

「無事じゃないわよ殺すきかっ!?普通にアレは死ぬやつよあんた正気?」

「まあ死んでないからいいじゃん。やらぬ後悔よりやる後悔だよ」

 ミロクの軽口を聞きながら私は体を起こすと、後頭部をさすっているルボフに手を差し伸べる。

「ルボフは大丈夫?怪我してない?私を背負いながら走るのはやっぱり無茶だったわよね」

「いや大丈夫だよ。少し頭をぶつけちゃっただけ、なにも心配しなくていいから」

 ルボフは照れた様子で鼻をかきながら私が差し出した手を掴み立ち上がる。

「さて汽車の中に入る前にいうけど、最初の計画では管理人の手を借りながら隠密に脱走するつもりだったけど、今はもうその協力者がいないから強行突破するしか方法はない。だから銃をぶっ放したり色々物騒なことはするけど…」

「いいから早く話を終わらせて。じゃないと頭を叩くわよ」

 私はミロク説明を聞きながら太もものホルスターからリボルバーを二丁抜き、弾丸が入っているのを確認し弾倉を回す。

「わかったわかった。とりあえず話をまとめると、安全第一に。じゃあ行きましょっか」

 3人とも準備ができるとお互いの顔を見合いながらうなずき、デッキの扉についた南京錠にミロクは拳銃を向けながらその引き金に指をかける。

 放たれた弾丸は南京錠が砕け散りそのまま扉が開くと、銃を構えたミロクを先頭に車内に足を踏み入れる。

「誰かいますか〜?」

 最後尾だからか私たち以外の人間が誰もおらずとても物静かなもので、ランプの灯すらついていないため外との明暗の差に目が慣れるまで少し時間がかかった。

 縦横無尽に張り巡らされたパイプの前に車内を埋め尽くすほど置かれた何十個もの縦長の箱に疑問を思ったのかミロクはそのうちの一つの蓋を開ける。

「うっ…何よこれ」

 中身を覗き見るとそこには裸の少女が両手足を鎖で縛られて、死んでいるかのように完全に無気力な様子で眠っていた。

 私は思わず吐き気を催し胃酸が喉元までせり上がるのを感じるも、唇を噛み締めながら口に手を当てそれを抑える。

「多分廃棄行きになった生徒だよ、お偉いさんの脳移植をこの体にするため死んではいないけど強力な睡眠薬を投与されているみたい」

「はやく閉じてよ。俺はこんなの見たくない」

「脱走しなかったら私たちも3年後こうなってたよ」

 ミロクは険しい顔でそう答えながら、手に持っていた箱の蓋を戻し優しくその箱を撫でる。

「…この部屋にある箱全てに私たちと同じ生徒が入ってるのよね」

「うん。そして私たちはこの人たちを助けることはできない。できないからこそこの人たちの分も含めて私たちが生きる。それが私たちに唯一できることだよ」

 私はその言葉に肯きそのまま車両の一番奥を目指すため、一歩足を踏み出した瞬間貫通扉の窓が銃声とともにパリンと割れ私たちは反射的に床に伏せる。

「なんだっ!?」

「わからない、とりあえず箱で身を隠して」

 ミロクは私とルボフに指示を出し、貫通扉から死角となる箱の後ろに身を潜める。

「おい商品に当たるかもしれねぇから銃を車内でぶっ放すなよ馬鹿」「銃をつかわずにどうやって処分しろっていうんだ」「静かにしろよ、上にバレないように途中停車駅につく前に処分しねぇと」「それまで加勢は来ないから仕方ない。今いる12人で解決させるぞ」

 罵声を言い合う声が聞こえる扉の方に私は顔を向けると、先頭に立っていた黒光りするリボルバー拳銃を持った男と目が合う。男はにたっと薄気味悪い笑顔を浮かべると、扉をゆっくりと開けて入ってくる。

「ほら出ておいで、お前らが素直に出てくるんだったら何もしないよ。一緒に学校に帰ろう」

 男たちが不気味な笑みを浮かべながら一歩一歩私たちに近づいてくる。

 私はミロクとルボフにアイコンタクトをすると、大きく深呼吸してから立ち上がり男に向かって突進する。

「な、なんだっ!?」

 男たちは一瞬驚きながらもすぐに銃を構えるが、『一瞬の隙は一生の隙』模擬戦もこの戦いも本質的なものは一緒だ。

 隙を見せた一瞬の間に私はしゃがんで敵の銃口を避け、顎に蹴りを入れるとそのまま勢いに任せて男の足を掴み、前にいた男を巻き込んで倒れて額に銃弾を放つ。

「目標は12人、私が5体殺るから二人は3体ずつ殺して。一人は殺さず捕捉する」

「「了解」」

 私は二人に指示をしながら男の一人に回し蹴りを食らわせその勢いを利用してもう一人の男の心臓に銃口を当てて撃つ。

「舐めんじゃねぇ女がァ!!」

「君の相手は私だよ。子豚くん」

 私の見えない左目の死角から男が急に現れて、私の頭上にナイフを振り下ろしてきたがミロクがその男の腕を押さえつけて、その顔面に蹴りを入れ男の歯と鼻が折れボキッという鈍い音が鳴る。

 私の視線の先にいた男の一人が震えた手で銃を私に向け、引き金を引こうとするがそれよりも早く私は男の手首に手刀を繰り出し銃身を私から逸らす。そして間髪を入れず男の顎めがけて蹴り上げると、その衝撃で脳震盪を起こしたのか白目をむいて男はその場に倒れる。

 私はミロクの背中を合わせながら太腿のホルスターのポケットから弾丸を六つ取り出し弾倉を高速で回転させながら装填する。

「キリがないわ。ミロク、あんたに私の背後を任せてあげる」

「光栄だね、じゃあニアにミロクの背後を任せてあげよう」

「生意気ね」

「そっちこそ」

 お互いの背中を預けながら私は、男たちに両手銃を向け引き金を引く。

 双方の銃口から放たれた弾丸が、私たちに向かって突進してくる男の心臓や額に的確に命中し血飛沫を上げながら男たちがその場に倒れる。

 背を向けたミロクも前方から銃を放ちながら距離を縮めてくる男の背後にまわりナイフで一直線に心臓を突き刺し、その衝撃で男が銃を手放すとそれを奪い前方に向けて撃つ。

 誰かに人の背中を預けれるってこんなに心地良くて、安心できるものなんだ…。

 私は心の底から溢れ出る安心感に無意識に頰が緩みながら、その心地よさに身をゆだねる。

 いつの間にか車内は血で彩られ、列車の床は巨体の男たちの死体とその血で濡れていた。

「あれ?全員殺しちゃった?」

「いや、一人だけちゃんと生かしてるわ」

 私が貫通扉の方を指さすと、返り血で真っ赤になった男が扉に向かって床を這っていた。男はすっかり抵抗する意思を失ったのか、頭から血を流しながら目から涙を零し訴えかけるように掠れた声を出す。

「はぁはぁ…こいつら…狂ってる…」

「英才教育の差よ。こればかりは仕方がないわ」

 絶望に満ちた表情で私たちを見つめる男を見下しながら私はゆっくりと歩み寄り、男の背中に足を乗せ体重をかける。

 すると男は肺の中にある空気を全て吐き出し、苦しそうに悶える。

「じゃあこの汽車に人が何人乗ってるか教えてもらおうか?」

 ミロクは男の髪を鷲掴みし顔を無理やり上に向かせながら、もう一方の手に持つ拳銃の銃口を男の額に乗せる。

「50人だ。だから俺たちを殺しても、お前らは袋のネズミ…」

「12人よ。もしこの機関車が手動なら13人かしら」

「その心は?」

「あんたも聞いてたでしょ、この男たちが『今いる12人』って言ってた。でも普通こんなに価値が高い商品がのった汽車に用心棒12人だけはあり得ないから、おそらく途中停車駅とやらに到着した時にまた何人か追加されるってとこかしら」

「途中停車駅があるなんて資料に書かれてなかったから知らなかったけど、そんなものがあるとは…これじゃあ脱走がもっと大変になるね。で、ニアが言った通りなの?お兄さん」

 ミロクが男に向かってそう言うと、男は口を固く閉ざす。ミロクは呆れたように短くため息をつくと、男の額に銃口を向けて発砲する。

「あっ!汽車内に侵入者がいるって学校に通報したかどうか聞いてなかった…どうしよ」

「多分通報してないわよ。さっきバレたらとか言ってたし、隠密に私たちを処分してなかったことにしたかったのよ。こんな会話をするなんてこいつらバカね」

「さすがニア、よく話を聞いてるねぇ。それで…ルボフ生徒。さっきから静かだね」

 ミロクは男から銃口を外すと私の後ろで茫然と立っていたルボフに声をかける。

「えっ?そうかな」

「そうだよ、さっきも了解とか言っておいてほとんど敵を倒さない始末だし。まるで脱走するつもりがないみたい」

「なにを馬鹿なことを言ってるのさ。俺は脱走するつもりはあるよ」

 ルボフのその答えにミロクは納得できないのか、険しい表情でルボフを睨みつけながら銃口を向ける。しかし私はそんなミロクの腕を掴みそれを制す。

「あんた一体なんのつもり?ルボフはただ怯えて戦えなかっただけよ」

「ニア、違和感を持たなかった?管理人はクビにされて既に学校にいないのに、どうやってあの屋上の鍵は勝手にしまったんだろうって」

 私はその言葉に目を見開き、思わず背後のルボフの顔を見るも顔をソッと背ける。

「それに私たちと管理人、4人の秘密なのにどうやって学校に情報が漏れたのか。そして情報は漏れているはずなのに、なぜ学校は私たちに何もしてこないという異様な行動をしたのか。ニアが本の位置を変えようとして倒れそうになった時、ミロクよりも近くにいたルボフ生徒がなぜニアを守ろうとせずただ呆然と見ていたのか」

 点と点が次々と結ばれていき線になる感覚に私は全身が震えるのを感じる。

「でもこう想定すれば、不自然が必然が変わる。そもそもルボフ生徒は最初から学校側の人間だったと」

「嘘よ!!そんなわけがないっ、中等部からの親友であるルボフがそんなわけ…」

 私はルボフに視線を向けると、その戸惑いで揺れる青い瞳を見て私はミロクが言っていることは本当であると確信してしまう。

 そんな…ルボフが学校側の人間だったなんて……。

 私は何か言い訳はないかと口をパクパクしながら頭をフル回転させるも何も思いつかず、地面にその顔を伏せて表情がよく見えないルボフを見つめることしかできなかった。

「どこから怪しいと思ってたんだ?」

「ニアが敵兵士に首を絞められたあの夜、私がニアにルボフ生徒は無事だって言ったらウォッシュ教官が『なにかあったかと思ったが無事ならいい』って言った時」

「そんなことで?」

 ルボフは震えているのかその声は弱々しく、普段のような元気すらなくて思わず私は耳を塞ぎそうになる。

「元主席で現次席のニアの心配をするならまだしも、廃棄ギリギリの大した実績のない君を真っ先に心配していた時点でなんか変だなって違和感を持っていた」

「しくじったな…普段はアニアちゃんの影に隠れて目立たない生徒を演じていたのに。だからミロク生徒はずっと俺の邪魔をしていたのか」

 鼻で笑うようにルボフはそう呟くと、垂れた前髪をかき上げてため息をつきながら顔を上げる。さっきまでの気弱そうな態度は嘘だったかのように堂々としたその立ち振る舞いに、私は思わず足がすくんでしまう。

「なにかの冗談よね…ルボフ?嘘って言いなさいよ」

「アニアちゃん、ミロク生徒が言ってることは本当だよ。俺が本当の裏切り者だ」

 その冷たく鋭い眼差しに背筋が凍り冷や汗が流れ心臓がドクンと跳ねる。 

 そして次の瞬間、ルボフは歯を見せながら満面の笑みを浮かべるとジャケットの内側に手を忍ばせナイフを取り出し勢いよくミロクの足元に突き立てる。その行動に私たちは呆気に取られ反応が遅れ、床に突き刺さったナイフは三角柱型の煙幕を放ち一気に視界を奪われてしまう。

「ケホッ…ケホッ…ルボフはどこ?」

 咳き込みながらルボフがいる場所に手を伸ばすもその手は虚しく空をきり、私はその場で唇を嚙みしめながら腕で煙を払いのける。

 視界が晴れたときには既に時おそしで、ルボフの姿はそこになく車内には男たちの死体と周りを見回す私たちだけだった。

「消えた!?そんな馬鹿な…」

「上よ!!ルボフはデッキに上がって上に行ったのよっ」

 私は天井を指さしながらそう叫ぶと、ミロクも上を向きルボフの逃げ道に気づく。

「ルボフは今自暴自棄で何をするかわからない、上にいくわよ」

「わかった」

 ミロクは私の言葉に強く頷くと、扉に向かって走りデッキに出ると私たちは上を見上げる。汽車は強く風を切りながら車輪を回し、速度が徐々に上がっているのか揺れが大きくなっており屋根に上がるのはかなり危ない。

「私が先に登るわ」

「あまりにも危ないよっ!私が先に…」

「結構よ、私が先に行くわ」

 私はミロクの静止を振り切り、私は手摺に掴まりながら屋根の突起を利用して上によじ登る。足を滑らせれば簡単に下に落ちて骨は砕け即死だろうけどここで躊躇している場合じゃない。

 私は上半身が屋根の突起に跨ったところで一度呼吸を整え、一気に体を持ち上げて屋根の上に登るもそこには誰もいなかった。

「多分前の車両にいる、追いかけないと」

「待って。ちゃんと落ち着いてニア」

 私はデッキに立っているミロクを見下ろしながら腕を伸ばすと、ミロクは腕を掴みそのまま私はミロクを屋根にまで引っ張りあげる。そして私とミロクは大きく左右に揺れる屋根の上を駆けながら、前方車両にいるルボフの元へ向かう。

「待って!このまま走っていくと落ちるよ!ここを飛び越えないと」

「そんなの可能なわけ?」

 車両と車両の間の幅が広く飛び移るのが困難なため、助走をつけて跳ばないといけないが月が雲で隠れて薄暗く視界があまり良くない上に、風が強くしかも足場が不安定に揺れているため少し足を外しただけで死に至る。

「先に私から行くから、私が飛び乗ったらニアが後ろからきて」

「わかった」

 ミロクは深呼吸をすると、数歩後ろに下がり助走をつけるために前屈みになりその勢いのままデッキを力強く蹴り高く跳び上がったまま前方車両へと着地する。

 私はミロクがしっかりと足場に着地したのを確認すると、後ろに下がり助走をつけるために屈み勢いよくデッキを蹴る。

 しかし私の足が前の車両に着地しようとした瞬間汽車が大きく揺れてそのまま屋根を滑るように落ちていき、私は咄嗟に手摺を掴むも体を支えることはできずに体が宙に浮く。

 やばい……死んだ、そう確信した瞬間私が伸ばした腕をミロクが歯を食いしばりながら強く掴む。しかし重力に従い落下する私に普段の体重以上の負荷がかかりを引っ張り上げるのは無茶に等しく、私の全体重を腕2本で支えているミロクは、顔を真っ赤にさせ首に血管が浮かび上がっていた。

 このままじゃ共倒れだ。

「あんたまで落ちるわよっ!!」

「ニアを死なせるくらいなら落ちたって構わない」

 私はそんなミロクの真っ直ぐな言葉に何も言えなくなり、申し訳ない気持ちで一杯になる。

 もう無理かと思ったその時、靴音が闇夜を切り裂くようにスタスタと近づいてくる。私はそんな靴音に驚きの表情を浮かべながらミロクの背後を見上げると、そこには無表情でこちらを覗いているルボフの姿があった。

 そしてミロクの背後から私の腕を引っ張り上げ、その勢いで私とミロクは屋根の上に倒れ込む。

 ミロクの一瞬の判断が遅れていたら今頃車輪でミンチになっていたと思うと、背中を走るゾッとする感覚に全身の震えが止まらない。

「なんで助けてくれたのよ?」

「だって俺たち親友じゃないか。俺はアニアちゃんがそんなことで死ぬ姿を見たくないよ」

 私はルボフのそのいつも通りの無邪気な笑みを見て、俯き唇を強く嚙みしめる。

「ならなんで裏切ったの?親友ならなんでずっと黙っていたわけ?そんなの親友のすることじゃないわっ!!」

「親友だと思っていたから、何も言わなかったんだ!!親友だと思っていたから…残りの時間を一緒に平和に生きようと思った。でもアニアちゃんはこいつを選んだっ…もし脱走をしてしまったら、すぐアニアちゃんたちを脳移植に回すしかなくなる」

 私の叫びにルボフは珍しく感情的になって強く睨みつけながら、恨みがましい言葉を吐く。

「校長室前を監視する時アニアちゃんたちが余計な情報を知る前に、無力なあの女を差し向けたのに急に協力とか言い出して焦ったよ。だから計画を潰そうとする管理人を上に報告をしたんだ。全てはアニアちゃんを守るためにっ!!」

 ルボフは今まで見せたことのない鬼気迫る表情で私に向かって叫ぶと、私はそんなルボフの想いに胸が締め付けられる。

 ミロクは私を脱走させることが救いと思った、ルボフは学校側の人間だったから脱走なんて限りなく難しいことを知っていたからそんな無駄なことをする前に計画を未然に防ぐことが救いと思った。

 どちらも私を救おうとして反対の行動をとった。

 そんなルボフを恨むことが私には到底できなかった。

「最後には元の生活に戻ってくれると信じていたから、最後まで上には管理人のこと以外伝えなかった。でもそれは叶わなかった…そしてもう脱走は決行された。全て仕方ないことなんだ。仕方ないから俺の手でアニアちゃんを脳移植に回す。それが俺にできる唯一のことだから」

 ルボフはそういうとジャケットの裏から拳銃を取り出し私に向ける。

 ミロクは私の腕を掴んで真っ赤に腫れた右腕の痛みに耐えながら蹲っていて、おそらくルボフの攻撃に応戦できる状態じゃない。私も左目は全く見えない上に足に負荷をかけすぎているから早く動くことはできないが、ミロクがこんな状態なら私がやるしかない。

「ミロクはここで待っていなさい」

 私はそう呟くとルボフに目線を合わせながらゆっくりと立ち上がり、構えをとる。

「模擬戦でも訓練でも圧倒的に下だったあんたが私に挑むってわけね。受けてたつわ」

 私は自分のできる限りの速さでルボフとの距離をつめ、腕を掴み拳銃を奪い取ろうとする。

 しかしその手は軽く受け流され、そのまま膝を鳩尾に打ち込もうとするルボフの攻撃を私は左腕で受け止める。

 骨が軋む音と鈍い痛みに思わず顔が歪むも、その痛みのおかげで足の踏ん張りができ右足でルボフの腹部に蹴りを入れる。その蹴りは綺麗にルボフの腹部に決まり、ルボフは血を吐き出しながら後方に倒れ屋根を転がっていく。

「これがあんたの本気ってわけ?なかなか強いじゃない、今までのは演技だったの?」

「演技じゃないよ、あれが本当の俺の本気。だけど俺はアニアちゃんを守るために本気以上の能力を引き出してるのさ」

「かっこつけちゃって」

 ルボフは血を吐き出しながら立ち上がると、ジャケットの袖で垂れてきた血を拭き拳銃を構え直す。ルボフは指を引き金にかけ目標に定めると銃声が鳴り響く。

 銃弾は私の頰を掠め後方に飛んでいくと、ルボフは連続して2発3発と撃ち込み私の体を傷つけながらも私はルボフとの間合いを一気に詰める。

 ルボフは接近してくる私に銃口を向け引き金を引くが、私はその銃弾を避けつつルボフの拳銃を持っている手を思いっきり蹴り上げ、宙を舞った拳銃は屋根に落ちそのまま闇夜へと消えていく。そして私はそのままルボフの首に腕を回し、全体重をかけて押し倒す。

「肉を切らせて骨を断つよ。ルボフ、私は前言ったわよね。銃はこういう近距離戦には向かないって。覚えてる?」

「もちろん覚えてるさ、忘れるわけないだろ」

 私を見上げながら、少し涙ぐんで微笑むルボフに私は少しドキッとする。

「でもアニアちゃんは間違ってるよ。俺は勝つために挑戦を挑んだんじゃない。あるモノ・・から距離を取らせるためさ」

「…あるモノ・・?」

「気にならなかった?さっき俺がアニアちゃんを送り出したその後一体何をしてたんだろうって…答えてあげるよ。時間ギリギリで上層部に伝える暇がなかった俺はすぐある協力者に連絡をとった。そしてその協力者はこの汽車に乗っている」

 私は言葉を失い、そして目を見開くとすぐ振り返り蹲っていたはずのミロクがいた場所に目をやる。私はこの汽車には敵が12人のみでもう既に倒したから安全だと思いミロクを放置しルボフに食いついた。しかし、もう一人敵が汽車内にいたとしたらミロクの身が…。

「さっきの推理よかったわよ、アニア生徒。ただ少し惜しくて運転手は含めないで13人」

 軽く口に咥えたタバコの火は闇を小さく照らし、腕をだらんとさせたミロクの首に腕を回し銃を押し付けながらタバコの煙を吹きかける。

 雲に隠れていた月が徐々に顔を出し、それにつれ月光が彼女の金髪を妖しく光らせ夜に映える。

「そして13人の敵は私だ。アニア生徒」

「レスキナ教官…ッ」

 不適に笑う彼女はタバコを口から落とし、そのまま足で火を踏み潰す。

「アニア生徒、君にギャンブルみたいな大きな勝負はお勧めしないわ。だって幸運の女神は今私たちに味方しているんだからな」

 汽車に乗る前は確かに握りしめていたその幸せはタバコの火のように儚く散り、ミロクとルボフ2人の距離が私からこんなにも離れてしまったことに私は今気づいた。

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