25. 潜入と異変

「待たせた」


ジェイドは静かに近づいてきた。いつも通りの真面目な顔をしているのに、髪だけが少し乱れている。


「遅かったじゃない?はい、これ」


ヴァイオレットは制服一式の入った鞄を押し付けた。


「服を奪われた番兵は?」


な言い方しないでくれる?あの人たちなら今頃自分のベットでぐっすりよ。さぁ早く着替えて」


ヴァイオレットに横道の影に押し込まれるも、ジェイドはモジモジと着替えださない。


「?何かあるの?」


距離を近づけてきたヴァイオレットに、ジェイドは耳を赤くしてぼそぼそと言った。


「…外を見張っていてくれないか」


「え?…」


あまりにかわいい理由を察して、拍子抜けしたヴァイオレットは、半分笑って言った。


「なに、恥ずかしいの?」


「頼むっ」


ジェイドの赤い顔で真剣にそう言った。


「はいはい、乙女なんだから」


ヴァイオレットは束ねた髪を悠々と揺らして表に出た。



「残り時間は?」


「約2分。着替えに時間かかりすぎなんじゃない?こういう服は着慣れているでしょう」


「すまない、騎士服とは色々と違うんだ」


「そうなの?マントがないだけだと思ってたわ」


ジェイドは眉を下げて困ったような顔をした。


「もう毎回真剣に受け止めないで、もっと言いたくなっちゃうでしょう」

  

ヴァイオレットは声を抑えて笑っている。


「君は本当に…」


「はい、」


ジェイドの温度のないやわらかな声を突然の眼鏡が遮った。


「視力は悪くないが」


「変装よ、変装。目の色を誤魔化せるでしょう?」


「そういえば君も茶髪だな」


ジェイドは眼鏡のフレームを持って目に付くほど深くかけた。


「あら、今さら気づいたの?」


「灯りが届いていないんだ。色はほとんど分からない」


ヴァイオレットはクスクスと笑いながら眼鏡の位置を直した。


「だから変装までする必要はないんじゃないか?」


「月が出てきたら困るわ」


「建物の中を照らすほど明るいとは——」


「いいじゃない、潜入する時って変装するものでしょう?」


「…そうなのか?」


「そうなんじゃない?」


尾を引く笑顔を落ち着かせて、ヴァイオレットは懐中時計の蓋を開けた。


「…30秒前」


彼女が軽く頷いて見せると、二人は教会前の通りに姿を現した。

正門の前に張り付いている番兵に近づき、敬礼をした。


「青い月の慈悲」


ヴァイオレットがはっきりとその言葉を口にすると、目の前の番兵が敬礼を解き2歩前に出た。

その後ろの背丈ほどの門を開け2人は敷地内に入っていった。


「合言葉まで…」


ジェイドは後ろで感嘆の声を漏らした。


「意外?」


「いやまったく」


ジェイドはどこか楽しそうに言った。



渡り廊下が右の本館に差し掛かろうとしたところでヴァイオレットが唐突に言った。


「影も残さないでね」


「ああ」


静かに周囲を警戒し、ヴァイオレットが向きを変えて本館の廊下へ入った。


「向かうのは書庫よ」


「書庫?‥‥偽造した命令書にリティオンの聖書を盗めと書いてあったな」


「ええ」


「なぜ聖書を?」


「リティオンの聖書は実際はお偉いさんたちの名簿なのよ。ここにある物の中で一番辻褄がおかしくならないのがこれぐらいしか思いつかなくて」


「その存在を知っていること自体、驚きだが。機密事項じゃないのか」


「そうだけど、こんなの序の口だもの」


ジェイドは言葉を失って頭を横に振った。


「…これ以上は聞かない方が良いんだろう」


「一緒に破滅するつもりだって言うなら聞いても良いかもね」


「…そんない——」


「しっ——」


突き当りの角に差し掛かって、ヴァイオレットが立ち止まった。

彼女は回廊外側に立つ柱の影に隠れるように合図した。

ジェイドが慎重に先を覗くと、2人の番兵が交差しているのが見えた。


「…合図して」


番兵の視界に入らないように、前にいるジェイドがタイミングを見る。

番兵が一人になるとジェイドは右手を傾けた。同時に、二人は風も揺らさないように素早く元の通路に戻り速足に進んだ。


「急がないとな」


「焦らなくても大丈夫よ。どうせ彼らもあの部屋に入るのに時間がかかっているだろうし。それより見つからないことの方が重要よ」


「それはそうだが…」


「ねぇ紙、持ってるわよね?」


「ああ」


ジェイドは懐から畳んだ本物の命令書を渡した。


「ありがと」


ヴァイオレットはその紙を再びジャケットのポケットにはみ出して入れた。



今度は、先程の渡り廊下から一番近い角を、ジェイドが念入りに確認して曲がった。


「あの子供たちに何を教えたんだ?」


「あぁ、あの子たちは私と出会う前からなのよ。リーダーが秀逸なのよね、連携も身のこなしも凄くて——」


「いや、身体能力の話じゃない。貴族のあの振る舞いだ。ビーというあの少女、はしゃいでいる設定とはいえ、完璧に貴族令嬢の歩き方・話し方を模倣していた。正直、あまりに自然だったからそのことに気付いたのは随分後だ」


「そうなの…でも別に、何か特別なことをしたわけでもないのよ?ただあの子のセンスが抜群に良かっただけで」


「…それもそうだな」


(…俺が特別な事情があると思い込んだのはおそらく…あの少女の走る背中があまりにも、あの頃の君に似ていたからなんだろうな)


「曲がったらすぐに階段を上がって」


角に差し掛かって、ヴァイオレットが後ろに下がった。代わりにジェイドが先を確認する。


「…了解」


合図を出して階段に足をかけたジェイドが振り返ると、ヴァイオレットはしゃがみ込んで床を注視している。月の光が多少あると言えど薄暗いせいで、何をしているのか彼には特定できなかった。


「ヴァイオレット、さっきから何をして——」


「行きましょう」


彼女はジェイドを追い抜いて階段を一気に駆け上がった。彼は不服な顔をしながらもぴったりついて走った。



2階は吹き抜けの柱ではなく窓のついた壁だから、灯りなしに正確な形を捉えるのはたとえ暗がりに慣れた目でも至難の業だ。

予想通り、鍵が何重にも付いた一層重々しい扉の中から2人の‘影’らしい人影が現れた。


「…出てきた」


2人は‘影’の動きから‘命令’を遂行したと見た。


「あれが問題の…随分重そうだな」


「この国が何年続いていると思ってるのよ」


「そうだな」


‘影’は手早く扉を閉め終わると廊下の奥へ進んだ。

ヴァイオレットは番兵も通り過ぎたのを確かめて廊下に立った。


「入らなくてもいいのか」


「ええ、危険な賭けをする必要ないわ。適当なところにこれを置ければそれで良いの」


「だったらここまで来る必要はなかったんじゃ…」


「さぁ、どうかしらね」


ジェイドは考えを巡らせて立ち止まってしまった。

ヴァイオレットは囁き声を飛ばした。


「ジェイド…!」


「っああ」


通路の真ん中にある渡り廊下のすぐそばに四つ折りの紙を置いた。


「そんなに分かりやすくて良いのか?」


「ええ、大丈夫」


ジェイドにヴァイオレットの表情は見えないが、揺らぎのないその声から、いたずらを企んでいるようないつものあの顔が浮かんだ。


「そうか、ならすぐに戻ろう」


「少し待って」


ヴァイオレットはまた奥へ歩き出した。


「今度は何を——」


そう言いかけてジェイドは立ち止まった。


「どうしたのよ」


ヴァイオレットも足を止める。


「今何か…」


ボッ——


前方の窓が急に明るくなった。すぐに異変に気付いた一人の番兵が窓に駆け寄ると、後方に向かって叫んだ。


「火事だ——!!」

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3つの嘘で返り咲く 梁名 鏡 @LenaRogue

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