24. 友人的計画
皇都の伯爵邸にしては立派な青い屋根の屋敷を月影から覗いている外套の男がいる。彼は時計の長い針が38を指すとともに門の前に現れた。そして棘のある声で言った。
「アドゥール伯爵を出せ」
「ご用件は」
右の門番は会釈もせずに毅然として対応した。
「手紙を送ったはずだが?」
ジェイドは苛立ちを含んだ低い声をぶつけた。
「確認をしてまいります」
門番は互いに目を合わせると一人が屋敷内へ向かった。
「お待たせ致しました!ご案内します」
走って戻った門番が急ぎ門を開いた。
「結構だ。…不愉快極まりない」
「失礼致しました…!」
ジェイドは門番の一礼を無視して突き進んだ。
屋敷内に客を出迎える使用人はいなかった。出くわした数人のメイドが頭を下げているだけだった。
ジェイドは真っ直ぐ中央階段の左の通路に進んだ。突き当りの右側に隠れるように階段があった。
(左奥の階段から上がり…)
出た廊下には等間隔に同じ扉の部屋があった。ジェイドは慎重に三番目の扉の前に立ち、手
の甲を向けた。ドアを叩く直前で手を止めて、代わりにぶっきらぼうにノブを捻った。
ガチャッ——
中にアドゥールの姿はなく、メイドが壁際に並んでいるだけだった。
「伯爵はまだか!」
ジェイドは苛立った声を上げ、質の良い外套をメイドに放った。ソファーにもたれ込むと、葉巻の臭いを覆い隠す香水の悪臭が広がった。
「申しわけございません。立て込んでおりまして。今しばらくお待ち下さい」
メイドの一人が開きっぱなしのドアから主人を呼びに行き、あとの二人がワインとチョコレートを提供した。
アドゥールが来ないままおよそ20分が経ち、秒針を刻む時計の音がメイドたちの不安を増幅させた。ジェイドは憤った顔で立ち上がった。
「もういい。どうせ確認をしに来ただけだ。伯爵には‘白い薔薇’だと伝えておけ!」
勢いのままにドアを開けた。慌ててメイドは深くお辞儀をした。
その中の一人が頭を下げたままジェイドの前に出た。
「お帰りをご案内致します」
「結構だ。付いて来るな」
ジェイドは強引にメイドを退かせた。バランスを失って床に倒れ込んでしまった彼女にメイドたちが駆け寄ったのを聞いて、彼は屋敷を出た。
ジェイドが屋敷の塀の数少ない死角に入ったところで、突如腕を引かれた。似たような外套を被ったその少女はすぐに道の真ん中に誘導した。月明かりが降りかかると、フードの中から少女の見覚えのあるくっきりとした目と、外套の下に上質なドレスがはみ出しているのが見えた。
「お兄様!ヤケイを見に連れて行ってくれるって本当?」
少女は天真爛漫に聞いた。
「ああ。姉さんと合流してからな」
ジェイドは間髪入れずに返答した。
平民が増え、人通りの多くなったころ、声を小さくして本題を話し始めた。
「まさか君とはな」
「驚いたわりには良い演技でしたよ。中継者はあれですか?」
仕草に似合わない大人びた口調をしたその少女は、前にヴァイオレットの頼みでジェイドが貧民地区から連れ出した少年ブルーの仲間で、彼に代理のリーダーを頼まれた‘ビー’と呼ばれていたあの女の子だ。
「ああ。持ち手の青い荷車を引いている50代後半の庭師の男だ」
ビーは目を凝らしてよく観察した。
「…こっちは無理です」
「二人目を狙うか」
「はい、だから追い上げないと」
「土地勘はあるか?」
ビーは自信に満ちて意気込んだ表情をして言った。
「予習しておきました」
ジェイドは誇るように微笑した。
「さすがだ。あの荷車で通れる道は限られている。あの橋から左に曲がれば、連絡地点は最短でハニーサックル広場だろう」
「分かりました。…距離は保ってくださいね」
ビーは深呼吸で準備を整えた後、はしゃいでいるように走り出した。
「お兄様!ねえ今の見た!?」
「走ると危ないぞ!ビビアン!」
ジェイドも余裕を感じる楽な走りで追いかけた。
しかしビーは横道に入った途端、スピードを上げ障害物を軽々とかわし、ドレスを着ているとは思えないとんでもない勢いで進んでいった。それは幅が狭いからとはいえ、騎士の大会で優勝したジェイドが追い付くのに精一杯になるほどだ。
急に彼女が止まったかと思えば、物陰に同じ年頃の目つきの鋭い少女が隠れていた。この少女もあの時ジェイドが見た仲間の一人、シエロだ。何やら指示を出すとすぐにビーは再び風に乗り始めた。
大勢の入り混じった声が聞こえてくると、二人は足を遅めて外套や衣服の裾をはたきのばした。そして呼吸を整えて手を繋ぎ、薄暗い横道から人の行き交う広場に出た。
「だから危ないと言っただろう」
「ごめんなさい、でも楽しかったわ!」
二人は街灯下のベンチに並んで座った。ビーは小さなキャンディーの袋を抱えている。
「距離を保てる速さではないじゃないか」
「とっても強い騎士だと聞いたのであれくらい余裕だろうって思ったんですけど」
「君以外も皆そうなのか?」
「ある程度はできますけどここまで速いのは私くらいです。7人の中で一番の俊足なので」
「なるほどな。そこらの諜報員より君達の方が優秀なんじゃないか?」
「そーでもないですよ。私たちの中でまともに戦えるのはシエロくらいだし」
ビーはキャンディーを一つ口に入れた。
「…今何歳だ?」
ジェイドは心なしか目を見開いている。
「私ですか?10歳ですよ?」
「いや‘シエロ’の年齢だ」
「あの子は私とあんまり変わらなくて、9歳?ですけど。何かあるんですか?」
「いや、驚いているだけだ。気にしないでくれ」
「そーですか。…あっそうだ、ビビアンって誰の名前ですか?知り合いにいるならまずいんじゃ」
「
「‘ビビアン’って顔に見えます?」
「似合っているとは思うが」
ビーは照れくさくなって、誤魔化すためにキャンディーを舐めた。その様子に、自分の表情がいつもより少しだけ穏やかになっていることにジェイドは気付いていない。
キャンディーを3つ食べ終えたころに、手押し車の中継者は現れた。
「到着だ」
「連絡場所はここで合ってるみたいですね」
二人は少し遠回りをして手押し車の
すぐに平民の格好の女が中継者の男に話しかけた。
「お別れですね」
「ああ。頼んだ」
ジェイドは偽造した紙を手の内から渡した。
「お兄様?今シエロがいましたの、ごあいさつしてもよろしくて?」
「あまり離れるんじゃないぞ」
「分かりましたわ!」
再び横道に入ったビーは待機していたシエロに紙を渡した。
シエロは不注意な子供らしくとび出して、ちょうど連絡を引き継いだばかりの女にぶつかった。シエロは膝をついて転び、女はしりもちをついた。
「ごめんなさい…!」
「…いえ、大丈夫?」
女は優しくシエロの手を引っ張って起こした。
「うん…!ありがとう」
シエロは顔にかかった短い髪をはらって言った。
「エリー!早くしないと閉まっちゃうよー!」
広場から通りに繋がる所から少し大人っぽい女の子が声をかけた。小さな男の子が隣にくっついている。
「うんすぐ行くからー!」
シエロはパタパタと走り出した。
中継者の女は命令書をポケット深くに入れ込んでその場を去った。
ヴァイオレットは一人、教会本部近くの物陰に潜んでいた。彼女はすでに教会番兵の制服を着て外套を羽織っている。
雲がかかる月の高さを確かめて静かに懐中時計の蓋を開けた。
0時、34分前。
ヴァイオレットは時計をジャケットの内にしまった。
突然、彼女は後方を警戒した。
タッ…
微かな足音の主が現れた。
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