22.完全なシミュレーション
それほど有名というわけでもなかったエースである道角クロアの戦績をわざわざ調べていて、その異様な事実を発見したのは件のアンジェラ・スタイナー氏である。そのことについて語ると話が逸れるので、スルーさせてもらう。
知ってしまえば、道角クロアの特異性の確認はさほど難しくはない。
まずは、公開されている彼の戦績のデータを集める。
そこから、機体トラブルによる不戦敗を除いておく。
そして、彼が二回以上戦ったエースをピックアップ。
それら二戦目以降の勝敗データを〇×で並べてみる。
そうすれば一目瞭然――その戦績には〇だけが並ぶ。
すなわち――道角クロアは、一度戦った相手に敗北したことがない。
そんなことあるわけないただの偶然だろう、とそう思うかもしれない。極めて珍しいが稀にある偶然。実際、アンジェラ・スタイナーがこの事実を発見した後もそう思われていたし、今でもそうとしか言いようがない。例えその偶然で複数のランカー――ランク二位の『トイ・ソルジャー』を含む――に勝利していたとしても、それ以外の理由が思いつかない。それでも、道角クロアに敗北した際のインタビューで『トイ・ソルジャー』が語った言葉を、私はただの言い訳と捉えることができない。
「心を読まれている――というより、人格を把握されている。そんな印象だった」
(エースたちのフリークショー)
□□□
「君の見ている『それ』なんだけれど」
と、最初に会ったとき、白衣を着た眼鏡の彼は言った。
そのときの彼は奇妙に饒舌だった。ちょっとテンションが上がっていた。
「似たようなことはずっと昔からできるんだ――頭の代わりにコンピュータの中で動いて喋る、人間のシミュレーション。それなりに大量のデータと適切なAIさえあれば、本物の人間とほとんど見分けが付かないくらいのものが出来上がる」
ただし、と彼は続けた。
「個人を判別するのは楽勝でも――それを再現するとなると、こいつがなかなか難しくてね。再現自体はできても、再現率を上げるのは未だに難しい。コンピューターの性能は上がっているし、ブラックボックスの解明も進んでいるけれど、肝心かなめの個人から取れるデータがたかが知れてる。ありとあらゆる方法で何年にも渡って被験者のデータを集めて突っ込めば、再現率はそりゃたぶん上がるけど、その手間暇に見合うかと言われると微妙だね」
そう一気にまくしてた彼は。
ぽかん、と。
口を開けていた当時のクロアを見て、こう言った。
「コーヒー飲む?」
「苦いのは嫌だ」
と、クロアは首を横に振った。
「甘いのが良い」
「なら、砂糖とミルクを入れてあげよう。うんと甘くしてあげる」
「なら飲む」
「よし」
と頷いて、コーヒーを淹れる準備を始めつつ、彼は話を続けた。
「そんなわけで、君の『それ』は」
「うん」
「ちょっと意味が分からない」
「全然?」
「全然。たぶん君は、個人の人格を決定づけている『何か』を感じ取っているんだろうけれども、現状だとそれが何なのか見当も付かない。いや、まったく――」
こぽこぽ、と。
コーヒーを淹れながら、彼は言う。
「――人間ってのは、まだまだわからないことだらけだね」
彼が、コーヒーを淹れ終わった。一人分のコーヒー。
カップに注がれた黒色の液体をクロアの前に置く。
角砂糖を二つ落として、も一つ落として、ミルクを垂らす。
スプーンで一度だけかき混ぜて、クロアに告げる。
「どうぞ」
クロアはコーヒーを飲んだ。
「美味しい」
「だろう?」
笑って、彼は特に意味もなく眼鏡の位置を直して。
「ところで、一つ聞きたいのだけど」
そう、尋ねてきた。
「僕の『それ』も見えるのかな?」
「見えない」
クロアは言った。
「先生は、変」
「だろうね」
と、彼は言った。
「僕たちは」
軽く組んだ手の甲。
そこに描かれているのは、歯車を抱いた人型のマーク。添えられたUVC。
「根本的には、人間のシミュレーションとそう大差ないから。大量の人間の情報を集めたグラウンド・データの海から生まれた生き物。多少高度に複雑に調整されているだけの、膨大な個人の平均値」
だから、と彼は言った。
「僕たちは、大抵の人間より優れているけれど、天才にはちょっと叶わないんだな」
□□□
なあ、とクロアは言う。自分の前を歩いている足のないアカハに。
「お前、何で逃げたんだ」
『あんたが先に逃げたんでしょ』
約束したのに、と足のないアカハは言う。
『逃げないって、ちゃんと見てるって――約束したのに』
泣き出しそうな顔をして、言う。
『ただ、見ていてくれるだけでいいのに』
縋るような口調で、クロアに言う。
『それだけで、いいのに』
「……らしくない言い草だな」
『だって』
と、アカハは言う。
『好きで天才になったわけじゃないのに』
完全に泣き言だった。
『好きで美少女になったわけじゃないのに』
「そりゃそうだろうよ。俺だって好きでお前が見えてるわけじゃない」
『普通に』
と、アカハはつぶやく。
『普通の女の子に、生まれたかった。普通の顔で、普通の頭で、普通の性格で、ただほんの誤差みたいな個性を持ってるだけ女の子』
「……生憎と、そんなサンプルみたいな女の子、俺は見たことねえよ」
『そりゃあんたの周り可愛い女の子ばっかりだもんね』
「違う」
『あんたは』
と、アカハは言った。
『そうは思わないの? 普通になりたかったって?』
「わからん」
と、クロアは答えた。
「俺には、お前やシロネが見えてるのが普通だからな」
『私が言うのも何だけれど、やっぱりあんた頭おかしいと思う』
「まあ、そうなんだろう」
実際のところ、自分があまり普通じゃないと理解したのはごく最近のことだ。
社長に唆されてエースになってから。
シロネ以外の人間と関わる機会が増えてからのこと。
「俺はおかしいし、普通じゃない。その点じゃ、お前と同じだ」
『でも、だったら』
と、アカハは言う。
媚びるような、嫌な口調だった。
『こんな風に、頭の中で私と喋ってるあんただったら――普通じゃないあんただったら、私のこと、理解してくれてるんじゃないの?』
「無理だ」
と、クロアは切って捨てた。
『どうして? だって、あんたって人の心が読めてるようなもんでしょ?』
「まあそうだな」
でも、とクロアは言う。
「自分の心を理解できてる人間なんていないからな。お前だってそうだろう」
「……」
「俺には姉がいてな。シロネって名前。足がなくなって今もいるけど」
『コメントし辛いんだけどそれ』
「『私、未来が見えるの』って言ってる姉でな」
『もっとコメントし辛いんだけどそれ』
「で、俺を利用しようとしてた」
『え?』
「シロネは、意図的にあの事件を起こしたんだ。そうすれば、あの戦場から抜け出せるから。保護されて、普通の世界で、普通の女の子として暮らせるから――だから、その生贄用として俺を拾って育てた。ずっとそのつもりだったんだ」
でも、とクロアは言った。
「最後の最後で、俺の代わりにあっち側に行った」
『……』
黙っているアカハを無視して、それから、とクロアは続ける。
「俺をエースにした社長なんだけど。あれも、どうも俺を養子にした時点でそのつもりだったらしくてな。会社の経営傾いてたから、エース業やって儲けようとしてさ。で、何かこう、戦場を知ってる奴なら強くなるんじゃね、くらいのノリで。どういう神経してやがんだ、って話だけど」
でも、とクロアは言った。
「このブーツ買ってくれたのもその社長でな。飴のつもりだったのかもしれんけど」
かつん、とブーツの踵を鳴らしてみせる。
「それだけでも、なかったんだろう」
他にも、と。
言葉にはせずにクロアは思う。
大佐と名乗ったあのNIが自分を抱きしめたのも、それと同じなのかもしれない。
クロアは言う。アカハに言う。
「お前は、俺にどうして欲しいんだ?」
『……わかんない』
「そうだろう。俺だって、自分がお前に何をしてやりたいのか、よくわからん」
『わかんないの?』
「例えば、お前のことを理解してやって、可哀想だなと言ってやって、頭でも撫でてやるとか――そういうことじゃないのは確かだ。お前もたぶん嫌だろう?」
『頭突きする』
「ほらな」
と、クロアは苦笑する。
「俺はお前と戦って、お前のトリプル・スラストを見せつけられて、おまけにそれをやってのけたのは美少女で、俺が最後まで倒せなかったあの『ブルー・スコープ』の奴を倒すと豪語してて、でも思ったよりも中身は普通で、だから――」
だから何なんだ、とそこまで言ったところでクロアは思った。
ほら、わかりゃしねえんだ、とクロアは開き直った。
「――まあ結局、放っておけなかったんだろ」
「それさ、本当の私に言ってあげないの?」
「言うわけねえだろ。恥ずかしい」
それに、とクロアは言う。
「言われたくないだろ。お前も」
「……そうかも」
「お前は俺の頭の中のアカハだからこんな風にぶっちゃけられるけど――でも、現実のアカハに同じことは言えない」
たぶん、とクロアは言った。
「普通の人間だって、きっとそうなんだろう?」
「……かもね」
と、アカハは頷いて苦笑を一つしてみせる。
そして。
ぺたん、と。
裏路地の一つを見つけたところで、足を止める。
「この先か」
『うん。私ならここに逃げ込むと思う。暗さとか狭さとかがばっちし』
「お前根暗だな」
『頭の中の美少女と会話してる奴に言われたくない』
「そうかよ」
と肩をすくめてみせてから、そうだ、とクロアは言う。。
「この際だし一つ白状しとくか――俺、お前に勝ったろ」
『私負けてないもん』
「ああ、その通りだよ」
『え?』
「あれな。最後に俺、意図的にスピン起こして撃ったろ」
『うん』
「あれ、本物の機体だとできねーんだ」
『はあ?』
「エース戦で使われてる機銃は、大半が軍からの流用だからセーフティ掛かっててな。だからああいう誤射しかねない状態のときは自動的に弾が出なくなる。そうじゃないのもあるにはあるが、少なくとも俺は使ったことがない――本物のアカハには内緒な」
『な』
と、足のないアカハは叫んだ。
『何それ! ふざけんな!』
「一応、教え子だからな。『ブルー・スコープ』に勝ったときにでも教えてやるよ」
『とっとと行け! 馬鹿!』
「へいへい」
と頷いて先に進んだところで、後ろから声。
『……私をよろしくね』
「ああ」
そう答えてから、瞬きを一つ。
それだけで、背後にいた足のない美少女の気配が消える。
そしてその代わりに。
狭苦しい裏路地の先に、ぐずぐずと泣いている、足のある誰かの気配。
すぐに見つかった。
何年も使われないまま放置されたような、ポリバケツの裏だった。
臙脂色のブレザーを着て、伸ばした前髪を垂らし、膝を抱いて座っていた。
赤いサンダルを履いたアカハだった。
「おいアカハ」
と、クロアは言った。
「俺が悪かった――帰るぞ」
たったそれだけを言った。
それから待った。
アカハは。
しばらく何も言わずに、しばらく手で目を拭ってから。
「……うん」
と、アカハは頷いた。
「ごめん」
たったそれだけを言った。
お互いに。
たぶん、それ以上の言葉は言えないし。
たぶん、それ以上の言葉は過剰だった。
クロアが何も言わず黙って先を歩いて。
アカハはぐずぐずとその後ろに続いて。
かつんかつん、とブーツの踵を鳴らし。
ぺたんぺたん、とサンダルの底が鳴る。
そうやって、二人で帰った。
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