21.お願い

 道角クロアというエースがいる。


 ATFに詳しい人間なら、まず確実に知っているが、そうでない人間ならあまりよく知らない、そういう類のエースだ。いや、そういう類のエースだったが、例のアンジェラ・スタイナーの問題発言のせいで割と現在は有名になっている。

 とはいえ、やはりエースとしての彼について知っている人間は少ない。


 その特異性についても。


 道角兵器整備所、というのが彼の所属する企業の名前であり、何となくわかる通り大会社ではない。はっきりと言ってしまえば小さな会社だ。エース機というのは極めて高価な兵器であり、製造にも維持にも結構なコストが必要となるが、とてもではないがそんなことが可能な会社ではない。実際、彼の使用しているエース機はおそろしく低スペックであり、その機体は深刻な整備不良を常に抱えており、さらにバックアップの体制も劣悪である。戦闘開始直後に機体が故障、あるいは損壊し、そのまま動かなくなって不戦敗になったことも一度や二度ではない。


 あるいは、そのせいかもしれない。彼のその特異性に誰も気づけなかったのは。


                     (『エースたちのフリークショー』)


      □□□


「おーす、クロア」


 ハルカが部屋に入ってきたのは、アカハが出ていった直後のことだった。

 腹が立つくらいの笑顔だった。


「おーいどしたー?」

「逃げた」

「ほうほう」

「で、逃げられた」

「あーあー。なにやってんだよもー」

「ハルカ」


 クロアは立ち上がってセーラー服のNIに近づき、胸倉を掴もうとし――やめた。


「……お前な」

「おうよ」

「お前、俺が帰るってこと、アカハに伝えなかっただろ?」

「うん。今晩あの色男帰らないよ、って伝えた」

「ふざけんなよ」

「いやー、まさかこんなことになるとは夢にも」

「わざとだろお前」

「わざとだよ。狙ってやった」


 ハルカはあっさりと認めた。

 認めれば許せるというものではなかった。


「さすがに、あんたがボッたん押し倒してたら止めてたけどね。だから待機してた」

「……何でこんなことしやがった」

「気づくのは早い方が良いと思った――どうだった? 可愛い服を着たボッたん」

「あいつは、アカハは――」


 と、そこで一瞬クロアは言葉を躊躇った。

 が、聞いた。


「――何なんだ?」

「ただの天才で、ただの美少女」


 真面目に答えろよ、とクロアは言おうとして、ハルカの顔を見た。

 何も言えなくなった。


「牡丹路アカハは、本当に、ただそれだけ」


 それだけ。

 確かに、ただそれだけなのだろう。

 天才なのも、美少女なのも、アカハ自身にとってはただそれだけだ。

 でも、


「周りの人間にとっては、そんだけじゃ済まない。才能を見ても美少女を見ても、人間ってのはちょっとおかしくなっていく――牡丹路アカハの家庭が、どれくらい滅茶苦茶になったか詳しく?」


 聞きたくもなかった。

 親権を託されている、とハルカが言っていたことをクロアは思い出す。

 そういうことか、とクロアは思う。

 何でこのNIが、それを託されることになったのかはともかくとして。

 つまりは、それだけのことがあったということだ。


「できることは二つしかない。見ておかしくなるか、見ないようにして逃げ出すか」


 だから、と。

 ハルカは続けた。


「牡丹路アカハは一人でいるしかない。そして、一人では人間は生きていけない」


 だから、と。

 ハルカは容赦なく続けた。


「牡丹路アカハは、この世界で生きていけない」


 クロアは、反射的に何かを言いかけた。

 だが、それよりも早くハルカは言った。


「――だから、私がそうはさせません」


 そこでようやくクロアは気づく。ハルカの変化に。

 いつもとは違う口調でいつもとは違う表情だった。


「話をしましょう。道角クロア――まずは自己紹介から」


 もう一度、とハルカは告げる。

 そして、一方的に話を始める。


「私の正式名称はハルカ・・箱ノ宮と言います」

「本来の製造目的は人間の話し相手。後に二人目の主から箱ノ宮の名を与えられ、実業家の能力と新しい役割を与えられました」

「それとはまた別に、UHIN――非人類知性体ネットワークの創始者にして、代表を務めています。ちなみにこれはここだけの話なので、ご内密にお願いします」

「口外されるとちょっと困ったことになるのでお気をつけて。具体的には、NHIN同様に暗殺に特化したNIが派遣されます」

「私は、一応のところ分類としては第一世代に位置付けられるNIで、稼働年数はノーコメント。でも一つだけ言えるのは、貴方がた人類がGNIと呼ぶ半世紀以上の年月を稼働し続けてきたNIで――その中でも、一番古い個体だということ」

「ここまで、私の言っている意味は分かりますか?」


 正直、よくわからなかった。

 よくわからなかったが、目の前の相手が何か途法もないことを言っていること。

 それは、何となくわかった。

 

「ところで、私は最初の主から一つ『お願い』をされています」

「……お願い?」


「『』」


「……」

「牡丹路アカハは普通ではない。そういう普通ではない人間は、一般的な意味での人類の安全を思うのならば淘汰された方がいいのですが――けれども、そういう人間を普通ではない場所に引っ張り出すと、大抵の場合、普通じゃないことをしてくれるのです。そしてそのとき――」


 ハルカはクロアを見つめて言った。

 それは、いつも浮かべている表情が滑り落ちたような顔で。

 人間とは違う生き物の顔だった。


「――貴方がた人類は、今より、ほんの少しだけ前に進むことでしょう」


 クロアは、何とか声を出した。


「……進歩とかそういうのは、もう、お前らNIの仕事なんじゃないか」

「私たちはただの道具です。使うのは貴方たち人間。というわけで、人類にはもっと頑張ってもらわないと困ります。進歩しても使い手がないのでは意味がありません」


 だからこそ、とハルカは続けた。

 ふにゃり、と。

 嘘のようにその表情が元に戻る。


「人間どもの尻を蹴っ飛ばしてやんのが、この私、セーラー服の美少女NIハルカ・OZ・H・箱ノ宮に与えられた仕事なのだよ。いえい!」


 ふんす、と。

 そういって胸を張るハルカは、もうさっきまでの人間ではない存在としての表情が思い出せないくらい、ただの人間に見えて。

 そのことが、クロアにはちょっと怖かった。


「――というわけで行け! クロア!」


 げし、と。

 本当に尻を蹴られた。


「……おい、何しやがる」

「美少女が逃げたんだ。そこは進歩とか関係なく追いかけるべきだろ」


 知らねえよ、とクロアは言おうとして、


「……そうだな」


 やめた。

 美少女がどうとかは関係なく、アカハは一応でも教え子だった。

 そこは確かに連れ戻すべきだった。


「そういえばさ」


 ブーツを履き、紐を締め、玄関から出ようとしたとき、ハルカが言った。


「試験戦の相手。決まってんだけど聞きたい?」

「後にしろ」


 とクロアは言ったが、ハルカは無視して言った。



 一瞬だけ、動きを止めたクロアにハルカはこう続けてみせる。


「あんたの古巣」

「……それも狙い通りか?」


 どーだろね、と相手ははぐらかす。

 クロアは玄関を出る。

 今度も、エラーは起こらなかった。


      □□□


 かつんかつん、とブーツを鳴らしてクロアは一人で街を歩く。


「おい、シロネ」


 歩きながら、クロアは呼びかける。

 瞬きを一つ。

 ただそれだけで、誰もいなかったはずの隣に。

 目を開いたときには、足のない姉がふわふわと歩いている。


『お姉ちゃん、さっきもう要らないよね宣言したばっかりなのに……』

「それはわかるが。ちょっと話を聞きたい」

『しょうがないなあ。お姉ちゃんに分かることなら』

「アカハが逃げた」

『わあ』

「連れ戻す。助けて欲しい」

『うん、それ無理』


 と、シロネはあっさり言った。


『それはお姉ちゃんに聞いたってしょうがないよね』

「……」

『あの娘に聞かないとさ』

「そうだな」


 クロアは頷く。


「……そうだな」


 クロアはもう一度頷いて、それから告げる。


「すまんが教えてくれるか――アカハ」

 

 瞬きをもう一つ。

 ただそれだけで、隣の姉の姿が消えて。

 目を開いたとき、前髪で顔を隠した臙脂色のブレザーを着た美少女がそこにいる。

 足のない姿で数歩歩いたところで。


 ぱちり、ぱちり、と。

 美少女が瞬きをする。


 不思議そうに途中から消えてなくなっている自分の脚を見て、クロアを見た。

 言う。


『何これ』

「説明はちょっと難しくてな」

『足がないんだけれど』

「まあお前、本物のアカハじゃないからな」

『何それ』


 と、足のない美少女が――牡丹路アカハが言う。


『それじゃあ、私って何なの?』

「ええとだな、お前は、つまるところ――」


 クロアは自分の頭を突ついて告げる。


「――俺の頭の中にいる」

『は?』

「そうだな……お前の友達を一人思い浮かべてみろ」

『私ぼっちなんだけど』

「……ええとじゃあ、アンジーを思い浮かべてみろ」

『うん』

「あいつが俺に会ったら、何て言う?」

『「結婚して」』

「……まあうん、とにかく、お前の想像の中のアンジーはそう言うわけだろ?」

『現実のアンジーさんだってそう言うと思うけど』

「ああそうだよちくしょう。お前の想像の中のアンジーと現実のアンジーはその点では同じだ――けど普通は、それ以外の全部もぴったり同じにならないんだろ? そうなんだよな?」

『当たり前でしょ』

「俺の場合、ぴったり同じになる」

『え?』

「俺にも理由はわからんが――俺が頭の中で想像する『誰か』は、現実の『誰か』とまったく同じなんだ。喋り方とか、考え方とか、好きな食べ物とか、どんな奴が好きかとか、まあそういうの。さすがに、俺の知らないことは知らないみたいだけど――それ以外は全部同じ」

『……』

「あと、その想像上の『誰か』だけど……その、何か見えるし、動くんだよ」

『えっと』

「あと、勝手に喋る」

『つまり、その』

「うん」


 と、クロアは言う。


「それが今、ここにいるお前」

『……あのさ、一つ言わせてもらっていい』

「ああ」

『頭大丈夫?』


 クロアは肩をすくめて、言う。


「……大丈夫じゃない、と思う。たぶん」

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