20.大佐

 まず、初めに。


 かつて、戦争で人が死んでいた時代があった。

 信じられないかもしれないが、それは本当にあった事実だ。

 昔、人間が、戦闘機や戦車や潜水艦に乗っていた時代が確かにあったように。


 国際戦争機関という組織は割と新しい組織だ。

 かつては存在していなかった。

 国際戦争機関なしでどうやって戦争していたのか、と貴方は疑問に思うかもしれない。こういったことには窓口というものが必要であって、それもなしに戦争なんてできるわけがないじゃないか、と貴方は思うだろう。計画書も出せないし、宣戦布告もできないし、戦地の設定もできないし、戦争の結果から算出される被害予想も立てられないし、それに基づく戦後処理を行うこともできない。そう思う貴方は正しい。


 ただし、それは現代の視点だ。


 もし、当時の人間が現代の戦争についての話を聞けば、たぶんちょっと何言ってるかわからないと思う。戦争というものは人が傷つき死ぬもので、悲惨なもので、それは絶対に起こしてはいけないものなのであって、国際戦争機関なんぞという窓口を作るなんて以ての外だと憤るに違いない。非人道的だと。


 じゃあ何で計画書も提出せず戦争してんだよ馬鹿かよ、などと言ってはいけない。


 当時の人々だって当時の人々なりに真剣だったし、国際戦争機関へ計画書の提出はしてこそいなかったが、計画ぐらいは立てていたはずだ。実際、現代の戦争の概念を当時に持ち込んだとして、それを実現するには数々の困難が立ち塞がることが予想される。前線の完全自動化、NIの存在の有無、国際戦争機関の設立……数えていけばきりがない。その数々の困難を潜り抜けた先に現代がある。


 とはいえ、人類が戦争を克服した、という主張に私は懐疑的だ。

 どちらかと言えば、戦争が平和を飲み込んだ、と言うべきでは。


 きっと。


 かつて、人が死ぬ戦争の時代を生きている人々から見れば、この世界は酷く歪に見えることだろう。

                  

                         (『よくわかる現代戦争』)


      □□□


 シロネの足がなくなった後のこと。


 革ジャンを抱いたままのクロアを、軍服を着た大人たちが見つけた。

 大人たちはクロアを暖かな毛布で包んで、車でどこかの建物へと連れて行った。

 そこでクロアは温かい食事を与えられ、柔らかなベッドを与えられ、清潔な着替えを与えられ、熊のぬいぐるみも与えられ――その間、クロアがぼろぼろの革ジャンを手放そうとしなかったのを見て、大人の一人が、取ったりしない、と身振り手振りで伝えてきた。


 ある日、綺麗に洗濯された服の上から埃だらけの薄汚れ革ジャンを着て、ベッドの上で、熊のぬいぐるみを奇妙な目で見ながら過ごしていたクロアの下に、一人の女性がやってきた。眼鏡を掛けていて、髪を三つ編みにしていて、他の大人たちが着ているものとは違う軍服が、これっぽっちも似合っていない若い女性だった。しかもパイプ椅子を持参してきていた。


 他の大人より何だか弱そうだな、とそのときのクロアは思った。

 電車で本とか読んでそうな感じ、と今現在のクロアなら思う。


「こんにちは。クロアさん」


 と、持参したパイプ椅子の上に腰掛けながら、彼女は声を掛けてきた。

 クロアはしばらく彼女を見ていた。

 その視線をどう感じたのか、彼女は言った。


「私のことは『大佐』と呼んでくれますか?」

「大佐」

「はい。クロアさん」

「大佐は、変」

「いきなり言ってくれますね。クロアさん」


 大佐と名乗った女性は、ちょっと傷ついたような顔をした。「そんなに変ですか……」と自分の格好を見下ろす。軍服の胸元に取り付けられた、幾つもの飾りが揺れていた。


「ええと、クロアさんはですね」


 こほん、と。

 咳払いを一つしてから、大佐は言った。


「これから、今までとは違う場所に行きます」

「違う場所」


 と、クロアはその言葉を繰り返した。


「ええ。何かしたいことはありますか?」


 クロアは少し考えてから言った。


「可愛い服を着て、素敵な靴を履きたい」

「うんうんなるほ……え? 可愛い?」

「あとは、友達の女の子と話をする。趣味の話、服の話、恋バナ」

「あれ、えっと……そ、そうですか……」


 大佐が動揺した表情で「男の子ですよね……?」とか呟いているのを聞きつつ。


「シロネは」


 と、クロアは言った。

 大佐の顔から、するりと表情が滑り落ちた。


「シロネは、一緒?」


 ぎゅう、と。

 いきなり抱きしめられた。

 その理由がわからなかった――理由が難しいからでなく、本当にわからなかった。


「どうして?」


 と、だからクロアは聞いたけれど、大佐は答えなかった。 

 どうしてだろう、とクロアは心の中でもそう思っていた。

 大佐の首筋が見え、そこに描かれていたマークも見えた。

 UVCの文字が添えられた、歯車を抱いた人型のマーク。


 今のクロアは知っている。


 自分が、戦場に置き去りにされた子どもだったことを。

 ライブラリの記事データや図書データを調べれば、当時の事件について書かれた資料は幾らでも出てきたから。

 だから、あの戦場で自分たちが置き去りにされたのは、その国の政府の戦場指定区の保安管理の不足やら、意図的な隠ぺいやらが絡んだ面倒な問題だったということを、今のクロアは知っている。現代の戦場システムの不備だとか、今世紀最大級の倫理防衛上の欠陥だとか、そんな感じに語られていることも。

 それからしばらくして、周辺各国および国際戦争機関そのものによる計十数回に及ぶ正式な手続きに則った戦争をその国が受けたことも。今では、その国は地図から消滅していることも。

 自分たち以外にもあの戦場で暮らしているそういう子どもは結構いたことも。その子どもたちも、たぶん自分と同じように精神医療を受け、ランクAのプライバシー保護をされた上で、誰かの養子としてどこかで暮らしていることも。


 そして、もう一つ。


 その事件で、死人は一人も出ていないということも。

 どの資料を見ても、そこに書かれていたのは、死者が出なかったのが奇跡、とか、幸いにして死者はいなかったが、という記述ばかりだった。

 もし死者が出ていたら、とは書かれていた。

 その場合、現代の戦争システムは大幅な見直しが必要とされただろう、と。


 シロネはいなかった。

 いないことになった。


 大佐と名乗った女性の姿をしたNIのことをクロアは今でも覚えている。

 大佐の階級が与えられている、軍属のNIが何なのかも今は知っている。


 戦争中枢NI 。


 司令官として、一瞬の中で無数の情報と大量の弾丸が飛び交う戦場を――人間にはすでに把握不能となった本当の戦場を――構築された戦術ネットワークで見通し操作する、本物の戦争と戦場の支配者。


 だから。


 あのとき降ってきた兵器を操作していたのは、たぶん彼女なのだということも。

 あのときシロネがいたことを、きっと大佐は見ていたはずなのだということも。

 そのことがなかったことにされることを大佐が予想していたのだということも。

 当時は不思議だったクロアを抱き締める大佐の華奢な身体が震えていた理由も。


 今のクロアは知っている。

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