17.広告塔
「もちろんそのとき私はもうエースではない、普通の女の子でしかないわけで」
「こんなことを言うのはまったく筋違いでしょうが。それでも、もしよければ」
「一人の女の子の恋を、ほんのちょっとだけでも応援して下さると嬉しいです」
(アンジェラ・スタイナーの問題発言の続き)
□□□
そういえば、シロネもよくクロアに女の子の格好をさせていた。
何だろう――女の子というものは、そういうものなのだろうか。
その当時のクロアはというと何にも知らなかったので、疑うこともなく普通に着ていた――おかげで、後にアンジーに「可愛い服着てみない?」と誘われたときも二つ返事で着てしまったのだ。「超可愛い」と言われて素直に喜んでしまった。真澄さんに写真も撮らせてしまった。
一生の不覚だった。
だからその話をしたとき、クロアは埃だらけの可愛いブラウスと埃だらけの可愛いミニスカートを着ていたし、シロネに自分の伸び放題の髪を左右二本の三つ編みに結んでもらって素直に喜んでいた。超可愛い、と言われてやっぱり素直に喜んでいた。
「実はお姉ちゃんはだね」
三つ編みを揺らし、瓦礫の山の上を楽しげに歩き回るクロアに、シロネは言った。
「未来が見えるのだよ」
「『みらい』って何?」
とクロアは言った。シロネは実に困った顔をした。
「ええと……うーん。明日の天気とか?」
「明日の天気は明日の天気」
「その答えめんどくさいよ! お姉ちゃん嫌だな!」
「ごめん……」
「いや、別に怒ってるわけじゃないけどさ」
「シロネは」
と、クロアは聞いた。
「『みらい』を見て何するの?」
「……」
シロネはちょっと黙った。
「……そうだなあ」
ちょっと黙ってから、言った。
「その『みらい』の中では、私はここじゃない場所にいる」
「ここじゃない場所があるの? 行けるの?」
「あるんだなこれが。そして、行けるんだよこれが」
と、シロネは訳知り顔でそう頷いて見せた。
「そしてその場所で、私は今よりももっとお姉さんになってて、可愛い服を着て、素敵な靴を履いてるの。それから、友達の女の子なんかと、何てことのない話をしてる。趣味の話だとか、服の話だとか、あとはそう……恋バナだとか!」
「今着てるその服は?」
と、クロアはシロネの着ている革ジャンを指差して言った。
「僕に着せるの?」
「こんな防御力重視のボロ服捨てるに決まってるよ! クロアはこんなの着ちゃ駄目だよ! 絶対似合わないから! もっと可愛い服着なさい! お姉ちゃんの命令!」
「わかった」
と、何も知らなかったクロアは何一つ疑わずにそう頷いて、それから言った。
「僕も」
「うん?」
「僕も行けるかな。そこに」
「……」
シロネはまた黙った。
さっきよりも少しだけ長く黙ってから、クロアに尋ねた。
「……もし行けたら、クロアは何をしたい?」
「シロネと一緒にいたい」
と、クロアは答えた。
その瞬間のシロネの顔と、同じような表情にクロアはその数年後に出くわす。
ブーツを買ってもらったときに、社長がクロアに見せた、あの不思議な表情。
それらが同じだと気づくのは、さらにそこからもうちょっとばかり先のこと。
「……もお、馬鹿だなあ」
シロネはそう言って、クロアの三つ編みを、くい、と引っ張った。
びたん、と止まって悲鳴を上げるクロアを見て、シロネは笑った。
「……ほんと、馬鹿な子だなあ」
シロネの脚が無くなる、ほんのちょっと前のことだった。
□□□
昔と比べると、クロアも何も知らないわけではなくなった。
だから、超可愛かった、と言われても全然まったく喜べなかった。
泣きそうだった。
とぼとぼと日が暮れた街を歩きながら、クロアは呟く。
「もう婿には行けないな……」
「私がお嫁さんになるから大丈夫よ!」
と、隣を歩くアンジーが片手の拳を握り締めてそう叫ぶが、クロアは無視した。
ハルカにアカハを自宅に送らせて、クロアがアンジーを送っている形である。当然、ハルカにめちゃくちゃ揶揄われたが、別にそういうことじゃない。断じてない。
ちなみにだが、アンジーのもう片方の手はクロアが握っていた。
ついでに言うと、二人きりだった。
日暮れどきの道だった。
「ねえ」
アンジーが言った。
「疲れたから、ちょっとその辺りの裏通りのお店に入って休んで――」
「いかない」
きっぱりと告げておきながら、クロアは言う。
「お前を迎えに運転手さんが来てるんだろ。待たすな」
「私が『遅くなるかも』って言ったら、『一晩中だって待ちますぜ』って送り出してくれたからきっと大丈夫」
「お前の帰りが遅かったら」
無視してクロアは言う。
「心配するだろ。お前の兄貴も」
「そうね」
と、アンジーは、くすり、と笑う。
「だって私は、兄さんの大切な商売道具だもの」
「……お前は道具って柄じゃないだろう」
「事実よ。『盲目の天使』は、兄さんのために存在しているの」
天使みたいな。
作り物じみた完璧な笑顔で、アンジーは言う。
「そのために私はこんな風に生まれたし、そのために私はこんな風に育てられた」
盲目で生まれた美少女が。
美少女みたいな話し方をする美少女が言う。
「私は兄さんのビジネスのための広告塔。そして完璧過ぎる兄さんの意図的な弱点」
最高峰の広告塔であるエースが、ATFのアイドルであるエースが言う。
「私の全ては、兄さんのためのもの」
「……」
「ちょっとアレな意味ではなくて」
「お前って真面目に喋れないのか?」
「だから、私のちっちゃい身体は貴方のもの――ちょっとアレな意味で」
「お前ちょっと黙れ」
「もっとも」
こつん、とそこでアンジーは靴の踵を鳴らしてみせた。
「私が兄さんの道具でいられるのも、あとほんの少しだけれどね」
「どういう意味だ?」
「そろそろ引退を考えなきゃ、ってこと」
「……また随分と早い引退だな。そんな年齢じゃねえだろ」
「だって私も、今年でもう十八歳よ。そこまで若くないわ」
「真澄さんとかに怒られるぞ」
「違うわよ――美少女としては、ってこと」
「何だよそりゃ」
「美少女が美少女でいられるのは、ほんの一瞬だけに掛かられた魔法のようなもの」
「……」
「だからその一瞬が過ぎてしまえば、魔法は解けてしまう」
「……だったらどうした。お前の実力は本物だ。美少女だの魔法だのは関係ない」
「無理よ。だって私は、エースが盲目の美少女だったわけじゃなくて、」
と、アンジーは再び靴の踵を鳴らして告げる。
「『盲目の美少女』が、エースをやってる『だけ』なの――だからこその広告塔よ」
「……」
クロアはしばらく黙って、それから言った。
「ランク三位がよく言うぜ。お前にぼこられたエースがどんだけいると思ってる」
「貴方に言われたくないわね。私との準々決勝戦を棄権したランク四位さん」
「……悪かったよ」
「事情はちゃんと知ってるわ。ただの感傷」
「そうかよ」
「ねえ、クロア」
「何だ」
「アカハさんは――」
と、唐突にアンジーは言った。
「――貴方の教え子のあの美少女は、どちらのエースになるのかしら?」
す、と。
クロアの頬に手を触れて言った。
「どちらのエースに、なって欲しいのかしら?」
「それを決めるのは俺じゃない」
「卑怯よ。その答え」
「……」
「でも本当のところはその通りなんでしょうね――私だって、きっとそう」
「お前さ、今日、何のために来たんだ?」
「敵情視察よ。あわよくば若い美少女エース候補の芽を摘み取っておこうと」
「嘘つけ」
「まあ嘘ね――だってほら、あの娘は貴方の教え子なんでしょ?」
「いや、俺がほとんど何も教えてないまま二週間後に試験戦なんだけど」
「それでもやっぱり、教え子なんでしょう?」
「まあ、そうだな」
「だったら」
と、アンジーは言う。
「戦ってみたいじゃない」
「おい、それだけか」
「もち、それだけよ」
「お前なあ……それだけの理由でだなあ……」
「しょうがないじゃない。居てもたってもいられなくなったのだから――これも、たぶんきっと感傷なんでしょうけれど」
「これも?」
「そ。貴方と最後に戦えなかったことの、その、代わりみたいなもの」
「……」
「ああ、たぶん本当に――」
と、アンジーは言った。
「――私、最後にもう一度だけ、貴方と戦いたかったのね」
クロアは黙った。アンジーも黙った。沈黙が続いた。そのまましばし歩いた。
クロアは自分で先に沈黙を破ることに決めた。
が、話題が見つからなかった。
「なあ、アンジー。俺な」
考え、考え、考えて――そして、クロアは言った。
「最近アニメに嵌ったんだ。『機攻兵士ガギグゲ号』」
大暴投を全力でぶん投げた。
「アカハに薦められて見て感動してだな――おい、どうしたアンジー」
足をもつれさせて転びかけたアンジーに、クロアは言った。
アンジーは慌てて叫んだ。
「く、クロア! 貴方それ本当なのっ!?」
アンジーは態勢を立て直すと同時にクロアにぐいと詰め寄り、それから言った。
「――どの機体が好き?」
大暴投を完璧にキャッチした。
奇跡みたいなコンビネーションだった。
「お前そりゃあガギグゲ号だろ。なんせ主人公機だ」「素人ね! ザ造とかズ造の方が形が丸くて可愛いわ! ガギグゲ号みたいなワンオフ機は嫌!」「お前現実だとワンオフ機に乗ってるだろ。それこそガギグゲ号みたいに格好良い機体」「だからこそ言ってるのよ! あの機体見た目ばっかり良くてすぐ故障するんだから!」「ああ、やっぱそうなんだなアレ……」「量産型こそ至高よ!」「というか、お前さ、その、アニメって……」「見えなくても副音声で楽しむことはできるわ――『ガギグゲ号』の真の魅力はストーリーにあるのだから」「それは全面的に同意するがな――でも、機体の形が丸いとかは、どうやって……」「あら、知らないの?」「何をだ?」「世の中にはプラモデルってものがあるのよ」「詳しく」
奇跡のような会話のキャッチボールだった。
傍から見ると、奈落の底へ全力で下りているように見えたが、二人は楽しげだ。
本人たちが良いのだから、まあ良いのだろう。たぶん。
待ち合わせ場所に辿り着いた。
車道の脇の停車場所に、あからさまな黒塗りの古い高級ガソリン車――の形をした安全装置と軟質素材とエコエネルギーシステムとAIの塊が止まっていた。
「着いたぞ。ほら帰れ」
「送ってくれてありがとう――ねえ、クロア」
「何だ。それでも、俺はガギグゲ号のが格好いいと思うぞ」
「ザ造の方が可愛いって言ってるでしょう――じゃなくて」
と言って、アンジーは自分から手を放し、代わりにクロアの頬に手を当てた。
「私が美少女でなくなって、兄さんの道具でなくなったらね」
「ああ」
「私はそのとき、ただの目が見えないだけの、ちょっとだけ可愛い女の子になるの」
と言って、アンジーは微笑む。
まだ美少女の彼女は、まだ天使みたいな笑顔で。
そうではなくなった、未来の自分のことを語る。
「そこからが私の人生の始まり」
クロアの頬を両手で、ぐいぐい、ともみくちゃにしてアンジーが告げる。
「そのときには、貴方に隣にいて欲しいの」
「……」
「ねえ、これってプロポーズよ? ちゃんと聞いてくれた?」
「……ちゃんと聞いたよ」
「答えてはくれないのね?」
「野暮なこと聞くんじゃねえよ」
「そ」
と、アンジーは言葉と微笑みを残して。
いつの間にか出現していた運転手が「どうぞ」と呼びかけるなり、ぱかり、と開いたドアから車に乗り込む。
完璧なタイミングだった。プロの技だった。
車が発車した。
同時に、車の窓が開いてアンジーが叫んだ。
「あんまり待たせると、私、本当に兄さんと結婚しちゃうからー!」
「知るか!」
「あと、アカハさんに手を出したらダメよー! アレな気持ちになったときは、こっそり描いておいた右手の×印を見なさいねー!」
「やかましい!」
クロアが叫ぶが終わるのと同時に、車は去っていった。
クロアはその後ろ姿を見送ってから、端末を取り出し(右手の甲に本当に×印が描かれていた。見た感じ洗ってもしばらく消えないインクだった。なんてことしやがる、とクロアは思った)、ハルカに通話を掛けた。
『もっしもーし!』
と、ハルカの声。
『要件はわかってんぜ! 今夜は帰らねーんだろ! アカハには適当に言って誤魔化しとくから、思いっきり楽しんでこいよこの色男!』
「今から帰るんだよ。ちゃんとアカハにも言っとけよ」
『えー、つまんねーのー』
とぶちぶち言うハルカを無視して、クロアは通話を切った。
自宅への帰り道を歩き始める。
『クロア』
と、背後から声。
そちらを振り向かず、クロアは告げる。
「なんだよ。なんか久しぶりだな。シロネ」
『最近、クロアはいっつも女の子侍らせてるからねー。お姉ちゃんの出る幕じゃないのだよ』
「言い方……」
『それで、クロアはどの子か決めてるの?』
「お前黙れ」
『だーまーらーなーいっ! まあ、本命はどう見てもアンジーさんだよね。絶対』
「黙れっての」
『もう結婚してあげればいいのにー』
「あのなあ」
と、クロアは思わず振り返る。
振り返れば当然、真っ白な、足のない少女の姿。今では自分よりも幼くなった姉。
クロアは言う。
「俺は今、学生だろう?」
『学生結婚学生結婚』
「そういう問題じゃなくて――仕事持ってるわけじゃないしな」
『アカハちゃんにあんなことやこんなこと教えてるでしょー』
「言い方……あれは仕事というより、ただ一緒に暮らしているだけのような気が」
『一つ屋根の下で美少女と暮らすお仕事』
「お前わざと言ってるな……」
クロアはシロネをにらみつけておいて、それから言う。
「あのな、俺はだな」
『何かなクロア。言い訳なら聞くよ』
「俺にとって、アンジーの奴はだな――」
と、クロアはシロネの言葉を無視して言った。
「――ライバルなんだ。エースとしてのな。向こうがどう思ってるかは知らんが」
『いや普通に「結婚して」って思ってるんじゃないの?』
と、クロアはシロネの言葉を無視して続けた。
「俺が正式なエースになって最初の相手がアンジーだった。アンジーも同じだった」
クロアはそのときのことを思い返す。
「俺は負けた」
あのときのアンジーは、戦闘可能な制限時間を完全に超えて戦っていた。
戦闘が終わるとガッツポーズを取り、そのまま卒倒して病院送りになったらしい。
病室に見舞いに訪れたクロアに、アンジーはドヤ顔でそう言った。
超悔しかった。
「で、もう一度戦って――そのときは俺が勝った」
あのときクロアは毎回故障が出る機体を三徹で点検整備して万全の状態で戦った。
戦闘が終わるとガッツポーズを取って、そのままぶっ倒れて病院送りになった。
病室に見舞いに訪れたアンジーに、クロアはドヤ顔をもみくちゃにされて言った。
超嬉しかった。
『……それで?』
と、シロネが聞いてくる。
「まあ、一勝一敗だ――で、もう一度やって勝った方が強いってことになってだな」
『うん』
「だから絶対に、もう一度やろう、って約束してて」
『……うん』
「でも、できなかった」
『……そうだね。知ってる』
「できなかったんだよ」
『知ってるってば』
「そうだな。お前は知ってるよなそりゃ」
と、クロアは苦笑する。
「だから俺は、あいつにだけは負けたくないんだ」
ちょっと馬鹿馬鹿しい気持ちになりながら、言う。
「今、もし、仮にあいつとそういう関係になったとして――そのために必要な職だの金だのと、どれもこれも全部、あいつに頼り切ることになるだろ? 指輪だって買えやしない――そいつは、癪だ」
『……』
「だったらまずあいつと対等に話せるようにならなきゃな。浮いた話はそれからだ」
『……お姉ちゃん思うんだけどさ』
「ああ」
『それもう好きってことじゃないの?』
「違う」
『あーあー、あの超可愛かったクロアがこんな風に色気付いちゃってもー』
「違うっての――あと可愛い言うなや」
『クロア』
「何だこら」
『もう、お姉ちゃんがいなくても大丈夫なんじゃないかな?』
「……いきなりどうした」
『わかってるくせに』
と、シロネが八重歯を見せる。
クロアは無視して歩き出した。
背後から声が追いかけてきた。
『ねえ、クロア』
「……何だよ」
『その革ジャンさ。まだ捨てないの?』
「……」
『早く捨てなよ。もうボロボロなんだからさ』
「わかってる」
と、クロアは言った。
「――ちゃんとわかってるんだよ。シロネ」
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