15.盲目の天使

「は? 天使? いや、あいつあれ、どう考えたって悪魔だろ」

          

          (アンジェラ・スタイナーについて 道角クロアの問題発言)


      □□□


 同じゲームセンターで、同じ部屋だった。

 例の不吉な部屋番号4444。

 ハルカの奴がキープでもしてるのだろうか、とクロアは思う。


 アカハとアンジーはすでにシミュレーター・マシンの中に入っていて、使用中のランプが点灯している。


 クロアはアカハのシミュレーター・マシンの前で、受付で借りてきたオペレーター用のヘルメット型機器(ちなみにクロアは使ったことがない)を手にしている。しばらくそれを、横から見たりひっくり返したりしてから、今日も見物に徹するつもりのハルカに聞く。


「ええと……なあ、ケーブルってどこから引っ張り出せばいいんだ?」

「無線だっての。スイッチ入れりゃ自動接続されっから」

「まじかよ。すげえな」

「いやそれ普通なんだけれど……」


 かわいそうなものを見るような目をするハルカ。

 クロアはその視線を無視してスイッチを入れる。


「なあ。ハルカ」

「何だ。クロア」

「……お前、制服のことなんだけど」

「何? 実は着てみたかったのか? だからって手を抜いたりすんなよ」

「違う――そうじゃなくてだな。お前、この状況、もしかして狙って作ったのか?」

「そーだよ」


 ハルカはあっさりと言った。

 思わず息を呑んで、クロアはその顔を見つめる。

 ハルカはにやにやと笑った。


「ってのは。ま、嘘だな。なんでもかんでもお見通しってわけにゃいかんよ流石に」

「……本当でも俺は信じるけどな。なんせお前はNIだ」

「てめーら人間はNIを高く評価しすぎだよ。言っとくが、私らは人間よりもちょっと効率良く仕事ができるだけで、人間のできないことはできんからな。基本的に」

「そうは思えん。人間にとってのブラックボックスの塊みたいなもんだろ。お前ら」

「てめーら人間程じゃねーし」


 そうかよ、と言って、クロアはヘルメットを被る。

 接続器とは違って脳波読み取りの時間は必要なく、すぐさま画面が表示。どちらのマシンに入ったプレイヤーをオペレートしますか、と聞かれ、クロアはアカハが入っている方のマシンを選択。アカハとの間に双方向通信が確立。『三分間のブリーフィングタイムですよっ! 作戦会議なり、戦闘前の渋い会話なり、ただ単に愛を語り合うなりご自由にどうぞ!』と音声ガイド(超可愛い)が言う。


「おい、聞こえるか?」


 とクロアが尋ねてみると、


『聞こえてる』


 と素っ気ないアカハの声が返る。


「良し。じゃ、今日は俺がお前のオペレーターをさせてもらう。よろしく頼むぜ」

『別に要らない』

「まあ、そう言うな。聞くだけ聞け。無視してもいい」


 そう告げると、渋々、と言った感じでアカハが頷く――ような気配。


「アンジーの奴だがな。あいつ『盲目の天使』なんて言われちゃいるが――実際のところは、エース戦のときにはちゃんと目が見えてる」

『……どういうこと?』

「あいつは脳に神経接続端子埋め込んでるからな。だから、視覚情報だけ双方向式になってる接続器でエース機を操縦してるんだ。ほら、マシンの中に私物の機材持ち込んでたろ?」

『でも』


 と、アカハは言う。


『それなら、どうしていつもは補助器具を付けてないの? 神経接続端子があるなら、ちゃんと使えるはずでしょ?』

「まあそうだな……実際、使えないことはないんだ。短時間なら」

『何それ――短時間?』

「ああ、あいつはただ単に目が見えないってだけじゃなくてだな――」


 と、そこで『はいはいはいそこまでです! 試合開始一分前です! 準備をお願いします!』と音声ガイド(超可愛い)が割り込んでくる。そして表示される60秒のカウントダウン。意外と時間少ないな、とクロアは思う。さすがにこの辺の勝手は経験の少ない自分にはわからない。


「――まあ、その、何だ。とりあえず勝つぞ。アカハ」

『もうちょっと良いこと言えないの?』

「黙れ。とにかく勝つぞ」

『そんなにアンジーさんの下着欲しいの?』

「違うそっちじゃねえ制服の方だ」

『それくらい着ればいいのに。たぶんいつも着てる革ジャンより似あうし』

「沽券に関わるんだよ。あと絶対に似合わないぞ絶対だ」

『はいはい』


 と呆れたようなアカハの言葉。

 カウントダウンが10秒を切った。


「あと、これだけはお前に言っておくぞ」

『何?』

「アンジーは――『ブラインドネス』はランク三位のエース・パイロットだ」


 一瞬の沈黙。

 残り5秒。

 アカハがクロアに尋ねる。


『……だから?』

「最初から全力でやれ」


 1秒。


「さもないと一瞬でやられるぞ。アカハ」


 0。


      □□□


 直後、アカハがシミュレーション上の機体の中に接続される。

 以前、アカハが使っていたものと同じ標準的な機体。

 そして、オペレーターであるクロアは、その視界と音を共有。


 選ばれた戦場。機体がいるのは放棄された巨大な橋の上。周囲に見えるのは海。おそらくは放棄された沿岸の港町がモデル――周囲に遮蔽物の少ない、広けた空間。

 それを見た瞬間に、クロアはすぐさま叫んだ。


「――来るぞ避けろ!」


 そのクロアの叫び声と同時だった。

 パッシブ・レーダーがレーダー波を補足した。

 普通ならまず戦場を探索し周辺の状況を確認すると、クロアはアカハに教えた。


 その「普通」を無視して。


 開始と同時に高出力で放たれた、敵機のアクティブ・レーダー。

 それに対して。

 普通ならレーダーを表示して敵機の位置を確認すると、クロアはアカハに教えた。


 その「普通」を無視して。


 クロアの叫びに答えたアカハが、瞬時にスラスターで回避機動。

 直後に長距離を高速で飛んできた弾丸が着弾。

 一瞬前までこちらがいた場所だった。


「……おいおい」


 あいつ流石だな、とアンジーに対して。

 こいつ天才だな、とアカハに対して。

 クロアは思う。


『ちょっと――』


 と、無茶な姿勢とタイミングでスラスターを使った癖に、あっさりと機体の制御を取り戻しながら、アカハが悲鳴じみた叫びを上げる。


『――今の何なの!?』

「レールガンだな――飛距離も威力も速度もとんでもないが、スラスターを使ってればそうそう当たらないし、近距離に持ち込めばただの弾とそう変わらん。連射性能も弾数も少ない」

『それは知ってる違うそうじゃない!』


 と、機体を近くの埠頭へと着地させつつ、アカハが怒鳴りつけてくる。


『今の、どうやって狙ってきたの!? 長距離狙撃用の照準支援はレギュレーション違反でしょ!?』

「簡単だ。自力で狙ってんだよあいつ」

『この距離で!?』


 近くの倉庫と倉庫の間に機体を滑り込ませ、狙撃から身を隠しつつアカハは叫ぶ。


「何なのあの人!?」

「アンジーの奴はだな」


 クロアはどう説明したものか悩みつつ、言う。


「目がよく見えるんだよ」

「……『盲目の天使』じゃなかったの?」


 何言ってんだこいつ、とでも言いたげな口調でアカハが言った。

 まあ、ちょっと意味がわからない気持ちはわかる。クロアだってそう思う。

 とはいえ、事実なのだからしょうがない。


「あいつの目が見えない理由なんだが」


 とクロアは、前にアンジー本人から受けた説明を必死で思い出しながら言う。


「脳の――詳しくは俺もわからんが、視覚を処理してる部分に生まれつき障害があるらしくてな。そのタイプの視覚障害だと今の医療技術でも、眼球とか視神経とかと違って、完全な治療はできないんだそうだ」

『それは知ってるけれど――原因遺伝子が複雑で、産前治療でも見逃されがちなんでしょ』


 それは知らなかったが、クロアは知っている振りをして続ける。


「ただ、あいつの場合は、神経接続端子を入れて、補助器具を使えば見えるようにはなったらしい――でも」


 少し悩んで、結局、クロアはアンジーから言われた通りの言葉を使った。


「『見え過ぎた』――らしい」

『は?』

「人間ってのは、なんか、目で見ているものを脳みその中で、その、何だ? 見たもの全部を見てるわけじゃないというか、ええと」

『視覚情報を脳の中で取捨選択してるんでしょ。目で見たものを本当に全て処理してたら脳がパンクするから、人間は無意識に自分の見ているものにフィルタリングを掛けてる』

「その通りだ」


 どの通りなのか正直分からなかったが、クロアは分かっている振りをした。


「でもあいつの場合、それができないらしい」

『……』


 アカハは黙った。

 でも、おそらくは理解したはずだ。たぶんクロアよりも。

 その気配があった。

 その「見えすぎた」ことがどういう結果を生んだのかも。

 その場ですぐさま悲鳴を上げて卒倒した、と。

 アンジーは言っていた。


 ――なんて気持ち悪いんだろう、って思ったわ。


 神経接続端子を埋め、補助器具を使って、最初に何かを見たときのことを。

 生まれて初めて世界を見たときのことを。

 そして今現在、エースとして戦うときにも、当然に見ている世界のことを。

 アンジーは言っていた。


 ――本当、気が狂ってしまいそうなくらいなの。


 アンジー。

 アンジェラ・スタイナー。「ブラインドネス」。そして――「盲目の天使」。

 もちろん、その呼称は正確ではない。


「あいつにとって」


 と、クロアは言う。


「何かを『見る』ってことは、ただそれだけで苦痛だ」

「……」


 アカハは黙っている。

 クロアはそのまま続ける。


「その頭がぶっ壊れるくらいの視覚を武器にして、あいつはエースをやってる」

「……」


 アカハは黙っている。


「アンジーは」


 と、クロアは最後まで続けた。


「盲目のエースじゃなくて――見え過ぎる世界で戦ってるエースだ」

『……だったら、どうしろって?』

「あいつが『見る』ことができる時間は、およそ、十分」

『ちょっと――』

「だから、それまで逃げ続ければお前の勝ちだ」

『――ふざけんな』


 と、アカハが言う。本気の怒りを含んだ口調だった。

 その反応に、クロアは少し苦笑する。


「そうだな……そのことは考えるな。無理だから」

『は?』

「時間稼ぎなんて悠長な手はあいつに通用しない。あいつは、アンジーはな――」


 その直後。

 パッシブ・レーダーが、再びアクティブ・レーダーを感知。


「――速攻で仕掛けてくる超攻撃型のエースだ。引いたらやられる。迎え撃て」


 その言葉と同時だった。

 倉庫と倉庫の間の、狭い空間。

 そこに、双発式のスラスターを吹かした白い機体が、銃弾と共に突っ込んできた。


『馬っ鹿じゃないの!?』


 アカハが半分悲鳴じみた叫びを上げ、即座にスラスターに火を入れた――だが。


『引かなきゃいいってんでしょ!?』


 やけくそな叫びと共に後退ではなく前進――突っ込んでくる敵機へと突っ込む。


 互いに銃弾を撃ち合いつつ、

 機体同士が、

 激突しないのが奇跡みたいなぎりぎりの超近距離で、

 当たらないのが不思議なくらいに大量の銃弾の中で、

 心臓が止まるくらい無茶苦茶な超高速の相対速度で、

 すれ違って、

 直後に機体を振り向かせる。


『この――』


 アカハが呟いた。


 一瞬が始まって。

 お互いが燃料カートリッジを排出して、お互いのラジエーターが蒸気を吐き出す。


 一瞬の中で。

 アカハの機体が機銃の銃口を、複雑な流線形で構築された白のエース機に向ける。


 一瞬の中で。

 マルチアイでこちらを睨む白い機体が、右手で機銃、左手でレールガンを構える。


 一瞬の中で。

 お互いのカメラアイが、倉庫の狭い空間を挟み合って、お互いの機体を捉え合う。


 一瞬の中で。

 銃弾の応酬と共に、再度スラスターを吹かし合い、お互いの視界からかき消える。


 一瞬が終わった。

 アカハが吠えた。


『――どうだ馬鹿っ!!』


 アンジーに向けてのものか。それとも、クロアに向けてのものか。


 確認する時間はもちろんなく、倉庫をスラスターで飛び越えた白い機体が銃弾をぶち撃ち込んできて、アカハはほとんど転倒するような形でそれを回避、瞬時に体勢を整えて機銃で反撃しつつスラスターを使って相手の背後に回り込もうとするが、白い機体は振り向く前にレールガンを撃ち込んで牽制、遅れてこちらに向き直ったところで機銃をばらまき、アカハも機銃をばらまき、止まった瞬間に絶対追いつかれる大量の銃弾から逃れ続けて、その辺りからもう思考は周回遅れになって実際の戦況はその遥か先。


 なるほど、と。

 クロアは思う。

 他のエースのオペレーターから、教えてもらったことがある。

 高レベルのエース同士が格闘戦に入ったなら、もう状況の把握なんてできない。

 エース自身でもそうなのだから、もちろんオペレーターはただ見てるだけになる。

 だからその場合、オペレーターにできることはたった一つしかない――


「おいアカハ、」


 先人の教えに従ってクロアは口を開き、そこで一度息を吸って、それから叫ぶ。


「勝てるぞ行けぇっ!」


 ――応援だ。


「撃て撃て! 撃ちまくれ! 絶対引くな引いたら負けんぞ押し込め押し切れ!」

『うっさい馬鹿!』


 残弾が無くなった直後に白い機体がぶん投げてきたレールガンを払いのけつつ、アカハが叫び返してくるが、たぶん照れ隠しだろうと思い、無視して応援を続ける。


「アーカーハっ! アーカーハっ!」

『気が散るやめて!』


 照れ隠しではなかった。本気の叫びだった。

 クロアは黙った。


『そのまま黙って見てて――』


 黙ったクロアに、アカハがさらに続けた――驚くくらい、切実な声で叫んだ。


『――それだけでいいから!』


 何だよそれ、と思いながらクロアは見る。

 共有しているアカハの機体の視界で見る。

 白い機体との繰り広げている戦いを見る。


 アンジェラ・スタイナーは最高峰の広告塔だ。誰もがみんな知っている。

 でも、それと同時に。

 アンジェラ・スタイナーは最高峰のエースだ。エースならみんな知っている。


 特異な視覚の中で戦うアンジーには、戦闘可能な制限時間がある。

 だから、短時間で勝負を決める超攻撃型の戦闘スタイルを極めた。

 その無茶苦茶にも見える猛攻の裏には、精緻な技術が隠れている。

 見かけ上では猪じみていても、実際にはそう単純なものではない。


 単純な格闘戦の技術だけなら、アンジーは「ブルー・スコープ」に匹敵する。

 あるいは、それ以上かもしれない。


 そんなアンジーと。


 気が狂いそうな視界で戦っているエースと、アカハは互角に渡り合っていた。

 あるいは、それ以上かもしれない。


 カートリッジが、くるくる、と舞っている。

 大量の空薬莢も、からから、と舞っている。

 砕け散る装甲も、ぱらぱら、と舞っている。


 鈍くさい思考の速度はもうとっくに置いてきぼりにして続く超高速の格闘戦。

 このレベルの格闘戦が自分にできるだろうか、とクロアは思う。

 考えるまでもなかった――もちろんそんなことはできやしない。

 分かりきったことだった。 


 そんな中で、一つの気配。

 エースだったときに何度も感じた気配。

 戦いの終わりの、その最後の一瞬が始まる気配。


 ――ドッグ・ファイトが始まる。


 スラスターが火を噴いて。

 視界が一瞬で流れる中で。

 最初にカートリッジが吐き出される音。

 そしてカートリッジが送り込まれる音。

 スラスターが再点火。

 視界が切り替わる。

 気を抜けば即座に操縦不能に陥る機体を制御し切る。


 ダブル・スラストの世界。


 ここまでなら見たことがある。

 こんなに早く鮮やかではなかったけれど、まだ見たことはある。

 ここから先は見たことがない。


 最初にカートリッジが吐き出される音。

 そしてカートリッジが送り込まれる音。

 スラスターが再点火。

 視界が切り替わる。

 本来ならば即座に操縦不能に陥る機体を制御し切る。


 トリプル・スラストの世界。


 こうして見ているだけならば、何てことはなかった。

 もう一度。

 もう一度、同じことをしただけ。

 たったそれだけの――超絶技術。

 アカハと「ブルー・スコープ」だけが見れる、何てことのない世界。


 そして。

 アカハの機体が、白い機体の背後を取っていた。

 構えた機銃の銃口がそれを捉える。

 だが。


 視線。

 白い機体の複眼が、ぎりぎりのところでこちらを捉えているのがわかった。

 アンジーの視界の中だった。


 ああ、とクロアは思う――届かない。


 白い機体が軽く身を捻って、アカハの撃ち込んだ弾丸から逃れて。

 白い機体がトリプル・スラストの世界に、銃口をねじ込んできて。

 撃った。

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