14.白色
ATFの歴史は、アンジェラ・スタイナーの登場以前と以後に分けられる。
そう言っても過言ではない。
最年少の十五歳でエースになったこと(厳密には、最年少のエースは彼女と同じ年に同じ十五歳でエースになった道角クロア。誕生日の関係で微妙にこちらが最年少となる。こちらも興味深い人物なので後述するが、今は置いておく)、それまでATFと関わりのなかった新規参入の一般の大企業の初めての成功例であること、その色々な意味で強烈な人間性――彼女について本気で語ろうと思えば、ただそれだけで一冊の本ができてしまうだろう。
だから、ここではその登場がATFに与えた影響のみを語る。
彼女の登場によって、ATFは一つの発展を遂げたと言える。
あるいは、彼女の登場によってATFの一つのタガが外れた。
それが良い変化であったのかどうか、私は、まだその答えを持っていない。
(『エースたちのフリークショー』)
□□□
アンジェラ・スタイナー。「ブラインドネス」。
通称「盲目の天使」。
現在のランクは三位。
つまりは、ATF初期からランク一位に君臨し続ける「ブルー・スコープ」と、同じくランク二位に位置し続けている「トイ・ソルジャー」の二人に次ぐ実力者、ということになる。
が、その実力以上に、彼女のエースとしての評価は高い。
なぜなら、ある意味で彼女は「ブルー・スコープ」以上のエースだからだ。
例えば。
最強のエースは誰か? と問えば誰もが「ブルー・スコープ」の名を上げる。
同様に。
最も有名なエースは? と問えば誰もが「ブラインドネス」の名を上げる。
アンジェラ・スタイナーは、ATFのアイドルだ。
そうなるように、最初から彼女の企業によって売り出された。
実際、彼女がエースになったことでATFに興味を持つ人間は増加している。
ATFにまるで興味がなく「ブルー・スコープ」を知らないような人間でも。
エース・パイロット「ブラインドネス」のことは知っている。
彼女が盲目の美少女エースであることも。
彼女が操る、純白のワンオフ機のことも。
彼女の兄である若き企業経営者のことも。
彼女はその兄のために戦っていることも。
そういう彼女の持つ「物語」を、世間の誰もが知っている。
実際に戦っているエース達や、ATFに関わる業界の人間、そしてその戦いに熱狂するコアファンの心情はどうあれ――身も蓋もない言い方をしてしまえば、ATFは企業の単なる広告宣伝の場で、エースは単なる広告塔でしかない。
だとすればエースに求められているのは戦闘技術ではなく、広告宣伝の能力だ。
そしてその点で言えば「ブラインドネス」は「ブルー・スコープ」を凌駕する。
エースに必要なのは、実力ではなくて――そのエースが持つ「物語」なのだと。
そんな事実を、ATFに示してみせた、盲目の美少女の姿をした完璧な広告塔。
それがアンジェラ・スタイナーだった。
□□□
「で、てめーの嫁ということか」
とハルカ(やっぱり戻ってきた)は、クロアの説明を聞いてそう言った。
「そうよ」
と、アンジー。
「違うぞ」
と、クロア。
「クロアったら!」
アンジーは、ひっし、とクロアの革ジャンを手探りで引っ掴み叫ぶ。
「もう外堀は埋まって本丸を潰した跡地に式場は完成してるのよ! 後はサインして誓いのキスをするだけ! 婚約指輪もこっちで用意するから!」
「それは男に用意させろ」
「用意してくれるのね!?」
「しない」
クロアは左手の薬指を突き出してくるアンジーを慎重に押しとどめ、呆れた顔をしているハルカに告げる。
「おいハルカ。こいつ外につまみ出してタクシー呼んで家に帰すから手伝え」
「いやー……ここは私らが出て行った方がいいんじゃないですかねクロアさん」
「敬語やめろ。おいアカハお前でもいいから手伝え」
「よくわかんないけど、もう結婚してあげればいいんじゃないの?」
「ちくしょう! どいつもこいつも!」
思わず怒鳴ってから、深呼吸を一つ。
「……座れ」
と、クロアはアンジーの手に座布団を渡す。
「ありがと」
と、受け取った座布団の上に完璧な正座をするアンジー。
「でも、良かったわ」
「何が」
「心配してたの。貴方が私を差し置いて女の子といちゃいちゃしてるって、とある匿名希望のリクルートスーツ風の女性から聞いて」
「それどう考えても真澄さん……」
「嬉々として教えてくれたわ。だから釘を刺しておかなくちゃと思って」
「真澄さん……」
「というか、片方の女の子はセーラー服だって言うじゃない。私が前にセーラー服を着てきたときは無反応だったのに――ちなみに、どっちの子かしら」
「あ、わたしわたし」
不用意に声を上げたハルカに、この馬鹿黙ってろ、とクロアは思ったが遅かった。
「えいっ」
可愛らしい掛け声とは裏腹にアンジーは肉食獣の俊敏さでハルカに襲い掛かった。
「うおわぁっ!?」
その不意打ちに対してファイティングポーズを取って抵抗するアンジー。
が、遅い。
わーわーきゃーきゃーぐいぐいぐいぐいぽよんぽよんぺたんぺたん、と。
数秒の格闘の結果。
「あっ、この子すっごく大きい! もうっ! やっぱりふくよかさんが好きなのねクロアったら! 羨ましいわねこのおかっぱちゃん! この、このぉっ!」
と、ハルカを組み伏せたアンジーが歓声なのか怒声なのかよくわからない叫びを上げ「うにゃああああああっ!? お助けーっ!?」と、組み伏せられた側のハルカは悲鳴を上げる。
ざまーみろ、とクロアはちょっと思った。ただし、二人から視線は逸らしつつ。
「……助けなくていいの?」
と、アカハが言う。同じく、二人から視線を逸らしつつ。
「なんか、セーラー服とブレザーの女の子がアレなことになってるけど……」
「いいから黙っとけ。巻き込まれるぞ」
「あら。もう遅いわよ」
「え」
声を感知したアンジーはアカハの足首を、くい、と掴み――引きずり込む。
わーわーきゃーきゃーぽかぽかぺしぺしぺたんぺたんぺたんぺたん、と。
数秒の格闘の結果。
「あっ、この子私よりほんのちょっと大きい! 生意気! しかも何この顔の触り心地すっごい美少女じゃない! ほっぺたぷにぷに! 極上!」
アカハを捕獲したアンジーが怒声なのか歓声なのかよくわからない叫びを上げ「離せえ! 離してえ!」と、捕獲された側のアカハは悲鳴を上げる。
「やめろ」
さすがに看過できなかったのでクロアは「あーんもっと触らせてー」とか言っているアンジーをべりべりとアカハから引きはがす。「てめー何だその対応の差……」と足元に転がりながら恨みがましい視線を向けてくるハルカは無視。
自分の身体を抱きかかえながら、ふーふー、と若干涙目になってアンジーを睨みつけているアカハに「落ち着け落ち着け」と声を掛け「危ないからあっちに隠れてろ」と注意する。
素直にこちらの通りにして逃げ出すアカハを見送りつつ、腕の中で「やっぱり若い美少女のお肌って素敵。おねーさんあやかりたいわ」とか言ってるアンジーに「お前ちょっと黙ってろ」と言っておく。
「それで」
とクロアはアンジーを放し、座布団に再び座らせてから告げる。
「お前、こんな馬鹿やるために来たわけじゃないんだろ?」
「え?」
「おい」
「冗談よ」
アンジーは笑い、それから言った。
「ねえ、今どこかに隠れてるぷにぷに美少女さん」
「ぷにぷに言うな」
「アカハさん――真澄さんから聞いたのよ。とっても強いんですって?」
「そうだな」
「ねえ、私と戦ってくれないかしら? アカハさん?」
「……お前、大丈夫なのか。戦って」
「そんなつまらないことは気にしないで頂戴」
「……」
クロアは少し考えた。もちろんその言葉の裏を、だ。
考えようとした。
アンジーの笑顔をしばし見下ろして――やっぱり考えるのを諦めた。
「おい、アカハ」
「……な、何よ」
まだ若干怯えているアカハに、言う。
「聞いてたろ。ATFで今一番ホットなエース『ブラインドネス』様のご指名だぞ。せっかくだし戦ってみろ」
「え、怖い……」
「気持ちは分かるが戦え――おい、ハルカ。いいな?」
「はー……もーどうでもえーよ……」
「お前はちょっと考えろ。いろいろあるだろ。企業として隠しておきたい情報とか」
「え? 洗いざらいすみっこにぶちまけてるけど」
「ふざけんな」
まあたぶん冗談なのだろうが――冗談だよな、とクロアは思う。
「それじゃ、幾つか条件がある。アンジー」
「なにかしら」
「何よりもまず――お前、無理すんなよ」
「あら、何だかんだで私のこと心配してくれるのね。結婚して」
クロアは無視した。
「二つ目だが――シミュレーションでは、お前の機体を使え。シミュレーション用のデータは持ってきてるんだろ?」
「あら、いいの? 私の機体、データ上のスペックはなかなかよ?」
「構わん。だから負けても言い訳はさせねえぞ」
「強気ね」
「最後に一つ。俺がアンジーのオペレーターに付く。構わないか」
「……」
「何だ。ダメか」
「いえ……でもその、貴方オペレーターなんてできるの? だって自分はオペレーター付けてもらえてなかったじゃない。大丈夫? 悲しくならない?」
「言われてちょっと悲しくなったが大丈夫だから心配すんな」
早口でクロアは言う。大丈夫だ。全然気にしていない。たぶん。
「それじゃあ、私からも一ついいかしら?」
「何だ」
「せっかくなのだし、何か賭けない? その方がやる気も出るでしょ?」
「……あまりマジなものを賭けるのはやめてもらいたいな。あと腐れができそうだ」
「じゃあ、私が今履いている下着を賭けるわ」
「要らないし、あと腐れがありそうなんだが」
「どうして! すごく素敵な下着なのよ! 色はもちろん白! 好きでしょう!?」
「好みだけど欲しくはねえよ――なあ、ハルカ」
「乗った!」
「何言ってやがんだお前」
「だって美少女のパンツだぞ! 欲しいだろ! お前欲しくねーの!?」
「いやあれだろ、その、そういうのって履いてるからいいんであってだな……」
「てめーの性癖は聞いてねー! よっしゃお嬢さん、そっちがそれだけのもんを出してくれんなら、私らもそれ相応のもんを出してしんぜよう」
「あら、何をくれるのかしら?」
「ここにブレザーを用意致しました」
ハルカは先程のブレザーを取り出す。
「お嬢さんが勝ったらこれを――」
何だアカハにでも着せるのか、と思ったクロアは、そのブレザーを見て黙り込む。
ハルカが用意したブレザーは二着。小さいのと大きいの。
今、ハルカが取り出したのは大きい方のブレザーだった。
「――こちらの元エース、道角クロアが装着致します」
「乗った」
アンジーが笑みを消して即答した。真剣な顔だった。
「アカハ――」
クロアは表情を消して言う。当然、真剣な顔だった。
「――勝つぞ」
負けられない戦いだった。
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