10.約束

  (中略)


 その日、研究室に行くと、博士の二人の娘と出くわした。


 厳密には養子の娘が一人と製造した娘が一体だったけど。

 そこはまあ別に良い。

 基本的に二人は一組のセットで常日頃から行動していて、


「おはよう。助手」

「助手。おはよう」


 などと、どことなく私をぞんざいに扱っていた。なので、


「よっす。ハルはる」


 などと、私の方としても二人一組をぞんざいに扱っていた。


 後になって、博士の教育方針について倫理的に問題があると言い出した連中を、正式な手続きを踏んで倫理的に叩き潰してやったときにも言ったが、博士の教育方針はなるほど一般的には異常だったかもしれないが、あの二人にとっては最適解だった。


 なんたって。


 博士と同じかそれ以上と言われる天才と。

 人間を超える知性を持った最初のAIだ。


 一般的な教育方針で幸せになれるような二人では、たぶんなかった。

 

 二人は博士の研究室の中で野放しになっていた。

 そして、当然。

 子どもらしくささやかな悪事の限りを尽くした。


 具体的には、整然と並べられた――以外に思われるかもしれないが博士は整理整頓はきちんとする人だった――博士の資料や蔵書を手当たり次第に引っこ抜いては順番をめちゃくちゃにしたり(なお博士は特に気にしなかった。整理整頓はするが、別に整理整頓されてなくても平気なのだった)。


 足を引っかけて博士が数時間分の作業データを保存する前に古い情報端末のコンセントを引っこ抜いたり(なお博士は「脳内にバックアップがあるから平気」と言い、消えたデータを数分で復元した)。


 私が朝早く行列に並んで買ってきたプリンを勝手に食べたり(私は博士に泣きついた。博士は自作のプリンを私に作ってくれた。めっちゃ美味かった)。


 そんなわけで微妙に警戒しつつ、私は姿の見えない博士の所在を二人に尋ねた。


「博士は?」


 二人は言った。

 

「出かけてる」

「伝言がある」


 伝言? と聞き返すと、二人は博士とまったく同じ声と口調で言った。


「『やあ、箱ノ宮くん。今日は、わざわざ来てくれてありがとう』」

「『君の事業の調子は――まあ順調か』」


「『一週間前、経営してる一社が倒産したって聞いたけど』」

「『一昨日に一社、昨日一社、今日一社起業したそうだね』」


「『さすがは〈箱ノ宮〉の主。転び終える前に、立ち上がり始めている』」

「『そんなエキセントリックな人生を送る君には、酷く些細なことだが』」


「『私はもしかしたら、もうすぐ死ぬかもしれない。他者の手によって』」

「『今、ちょっと特殊部隊に全力で追われていてね。だいぶ命が危うい』」


「『もしも私に何かあったら』」

「『この二人をよろしく頼む』」


「『ぴーえす』」

「『冷蔵庫は不用意に開けないこと。爆弾が仕掛けられていて危険です』」


 話を聞き終わって。


「……………………………………………………………………………………」


 と、何かもうとにかく黙ることしかできなくなった私に、二人が言った。


「博士の伝言は」

「以上で終わり」


「というわけなので」

「もしものときには」


「どうかよろしく」

「お願い致します」


 ぺこり、と頭を下げる二人を見下ろして、とりあえず私は思った。


 ――おい博士。ふざけんな。


 ちなみにこの数時間後、博士は無事に帰ってきた。

 特殊部隊(というかその上層部)は、どうにかこうにか説得したらしい。

 その後、冷蔵庫の中の爆弾を自分で処理した後、同じく中で冷やしてあったプリンを取り出し、私と娘二人と一緒に食べた。

                       (「博士についてのあれこれ」)


      □□□


 ブーツを買ったときの話。


 クロアが正式にエースになることが決まったところで、社長が「おい、記念に何か買ってやる」と言ったのだ。


 困った。


 社長は普段はケチくさい人で(だというのに、定期的につまらないことで浪費する癖があって、どうにも貧乏だった)そんなことを言い出すのはちょっと驚天動地だったし、クロアはクロアであまり物を欲しがらない奴だったので、そんなこと言われてもな、と思った。


 悩んだ末に最初に出した答えが、


「ソフトクリーム?」

「いや、考え直せ」


 考え直すことにした。

 仕方がないので、クロアはこっそりシロネに相談した。


『靴とか買いたいよね』


 と、シロネは言った。


「靴とか買いたい」


 と、クロアは言った。


「よっしゃ」


 と、頷いて社長はクロアを引き連れ、電車に乗って街へと繰り出した。通販で買わないのか、と聞いたら「馬鹿め。靴ってのは自分で履いて買うもんだ」とドヤ顔で言った。ちなみにそう言っている社長の靴は通販で買ったサイズの合っていない安物の派手な革靴だったが、当時は何も知らなかった。


 とにかく、やたらと洒落た街だった。


 立ち並んでいる店も、歩いている人間も、路面一つとってもやたらと洒落ていた。

 はっきり言って、皺の寄ったよれよれのスーツを着た社長と、古ぼけただぼだぼの革ジャケットを着ているクロアは、いかにも場違いだった。

 でも社長は気にしなかったし、当時はクロアも気にしなかった。ずんずん歩いた。

 そのまま洒落た靴屋に突撃した。

 いらっしゃいませ、と店員さんは笑顔で言った。たぶん絶対「何だこいつら」と思われただろうが、店員さんは一切表情に出さなかった。プロだった。


「このガキんちょに靴を一足」

「どのような靴をお探しでしょうか?」


 社長はドヤ顔で言った。


「なんかこう、一番良い靴を頼む」

「承りました」


 店員さんは笑顔で社長の言葉をスルーし、質問をクロアに向けてきた。


「どのような靴をお求めですか?」


 クロアは店員さんの笑顔をスルーし、しばらくうろちょろした後で、


「あれが良い。超格好良い」


 と、一つのブーツを指差した。

 店員さんが微妙に困った顔をした。

 そこからいろいろと説明された。革が硬くて履きづらいです、とか。編み上げなので紐を結ぶのも手間です、とか。手入れもちゃんと必要とか。


「できれば、他の靴の方が履きやすいかと」

「あれが良い」


 とクロアは言った。

 店員さんは、社長の方へと視線を向けた。


「それで良いぜ」


 店員さんは諦めた顔をした。

 それからクロアの足のサイズを測って、それに合わせた靴を用意した後、社長にこれこれこういう価格になります、という話をした。

 社長の顔が青くなった。

 こそこそと店員さんと「え、まじで? そんなにすんの? 靴が?」「昔ながらの製法で作られている靴でして……」とか話しているのが聞こえた。「すまんちょっと悪い外で心の準備させてくれ」と店の外に出て行った。


 心の準備が終わるのに三十分掛かった。その間に店員さんは一通りの手入れの仕方を教えてくれた。道具までサービスしてくれた。


 かつんかつん、と。

 帰り道、楽しげにブーツを鳴らすクロアに、社長は言った。


「新しい靴はどうだい。ウチのエースさんよ」

「超かっこいい」

「そりゃ良かった」

「社長」


 クロアは言った。


「何だ」


 社長は言った。


「僕」


 クロアは言った。


「頑張る。エース」

「……そうか」

「うん」


 うなずいて、クロアは言った。

 かつん、と新品のブーツを鳴らして、社長に言った。


「ありがと。社長」


 社長は答えなかった。

 でも、そのときの顔を覚えている。

 何といえば良いのだろう?

 ちょっとうつむきがちになった社長の顔。

 嬉しそうな、でも、泣きそうな――うまく表現できない、そんな顔。


      □□□


 自宅に帰ったところ、アカハが夕飯を作り、ちゃぶ台に並べて待っていた。


 並んでいる夕飯には明らかに冷蔵庫に入っていなかった食材が使われていて、どうやらわざわざ買い物に行ってきたらしかった。何かあったときのために、とアカハの端末に金を幾らか送っておいたのだが、それを使ったらしい。


 生活に入り込まれている感がすごかった。


「遅い」


 アカハは言って、クロアを睨んだ。


「とっとと座れば?」


 と言って、ばんばん、と座布団を叩いてみせる。


「はいよ」


 クロアは苦笑して、それから座布団の上に座った。

 いただきます、と二人で言って、それから夕飯を食べた。

 食べながらクロアは言った。


「なあ、アカハ」

「何」

「俺、お前にATFについて教えることになったんだけどさ」

「私より下手くその癖に」

「そうだな」


 とクロアは言って、こう続ける。


「でも勝ったのは俺だからな」

「次にやったら私が勝つし」

「悪いな。次なんてねえよ」

「負けるのが怖いんだ」

「何とでも言え」

「……一つだけ」


 と、アカハは言った。少し不安そうな顔で。


「一つだけ、条件があるんだけど」

「教えてもらう側の人間の態度じゃねえな」

「うっさい……あのさ」


 アカハはおずおずと告げる。


「私って、美少女で天才だけどさ」

「お前めっちゃ嫌な奴だな」

「しょうがないじゃん事実なんだから――だから、そのさ」


 と、アカハは少し口ごもってから。



 ひどく小さな弱々しい声で告げた。


「何だそれ」

「いいから約束しろ――逃げないで、最後まで見てて。それだけでいいから」

「……それだけってわけにもいかねーんだけどな。俺としては」

「いや、あんたが大したことを教えられなくても私は別にいいし」

「ふざけんな」


 クロアはアカハを睨んでおいてから、こう言った。


「いいぜ――約束してやる」

「そ」


 と、アカハは言って、笑った。

 嫌な笑顔だった。

 こっちの言ったことを、これっぽちも信じてない笑顔だった。


「……だから、俺からも条件を付けさせてもらっていいか?」

「美少女にモノ教えてお金もらっといて、それ以上の何かを求めるっての?」

「言い方――いや、ええと、そのだな」

「え、何?」


 アカハは急に顔を赤らめ、自分の体を抱きしめるようにして言った。


「その……ちょっとアレなこと?」

「何でそうなる」

「だってあんた、ハルカの胸見てほいほい付いてきたんじゃないの? あのセーラー服めっちゃ自慢げにそう言ってたけど」

「言い方――言い方ぁ!」

「一応言っておくと、私はあのセーラー服ほどおっきくもないけど、だからって変な趣味の人が喜ぶ程ちっちゃいわけでもないからね――美少女だけど」

「違うそうじゃなくて――その、勉強をだな。教えてもらえると、その」

「勉強?」

「実は今年大学受験でだな」

「中学生の美少女に大学受験の勉強を教えてもらう元エース……」

「何とでも言え――いや、まあお前の言う通り、俺はハルカの奴に雇われてお前に教えるわけだから、無理にとは言えねえんだけどよ」

「別にいいよ。そんくらい楽勝だし」

「……そうかよ」

「でも私スパルタだから。逃げたりしないでよ」

「現状じゃ逃げ場はなさそうだがな……」


 そんなことを話し合って。

 夕食を食べ終わり、二人で洗い物をしているとき、アカハが言った。


「ねえ。お風呂入ったらだけどさ」

「ああ」

「その、一緒にして欲しいことあるんだけど」

「何だ」

「良いこと」


 からん、と。

 クロアの手から滑り落ちた皿が流しの中に転がった。

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