9.ただ隣にいるだけの

 天才について、私はあまり語りたくない。

 私は、幸か不幸か、これまで多くの天才と呼ばれる者たちに出会ってきた。

 ある者は私が軍属だった頃の上官だった人間であり、ある者は私の同期のNIであり、そしてたぶんこれが一番多いのだが――ある者は私の教え子であるNIだった。


 ならば私自身はどうなのか。


 正直、天才とは言い難い。

 色々と持ち上げられ、こうしてテキストを書いてもいるが、私自身の認識としてはどうもいまいちぱっとしない――とある友人は私を「天才を育てる天才」だと称し、どうやら世間からの認識もそうなっているようだが、私としては、特に何か特別なことをしたつもりはなく、偶々いずれ天才となるべき連中が私の下に集まって、そのまま自然と天才になっていったように思える。


 私が育てたわけじゃなく、勝手に育っただけだ。

 私はただそこにいただけで、特に何もしてない。


「貴方が、天才か否か。それは一先ず置いておいておこう」


 半ば泣き言のようにこの話をすると妻は私にそう言った。

 ちなみに。

 こういうときの妻は、かつて軍人だった頃の口調に戻る。


「大切なのは、貴方がその天才たちの傍にい続けたことだ」


 訓練生の頃を思い出さずに居られず私としては緊張する。


 ――意味を聞いてもよろしいでしょうか。


 と、何となく敬語になってしまう私に対し、妻は続けた。

 

「その天才たちにとって、ただ隣にいてくれる貴方がいたこと。

 それがどれだけかけがえのないことだったかを自覚しなさい。

 貴方はその天才たちのために、そのことを誇りに思うべきだ」


(『ミスター・ブロンクスの日常エッセイ② ~人類を超えた知性体でもスーパーの特売日はチェックする~』ブロンクス・O・ロスマン著)


        □□□


「おーい、話はちゃんと聞き終わったかー」

「……まあな」

「めっちゃ悪口聞いた?」

「めっちゃ悪口聞いた」

「あんにゃろー」

「でも真澄さん、何だかんだでお前のこと好きみたいだぜ」

「そんなん知ってるっての」


 ハルカは言った。


「真澄のことはな、私は色々と知ってんだ。あんたよりもな」

「そうか」

「ちなあいつ昔から尻が魅力な」

「お前そういうことしか言えないのか?」

「いやまじでめっちゃ形とか綺麗なんだって。ちら見推奨」


 クロアは無視して話を続けた。


「お前と『ブルー・スコープ』のことも聞いたんだが」

「お、そっか」

「お前と一緒になるのはやめとけ、とも言われた」

「やめるのか?」

「……そういうわけにもいかないだろ」

「へえ」


 と、ハルカは面白そうな顔をして、それから言った。


「てめーは良い奴だな。道角クロア」

「そいつはどうも――ああくそ、真澄さんの言う通りだよ本当」


 クロアはハルカを睨みつけて言った。


「俺はお前と関わるべきじゃなかった――最初から、だ」


 だからつまりは。

 もう、遅過ぎた。

 そういうことだ。


「ふっへっへー」


 セーラー服の少女の姿をしたNIは笑った。平然と。


「そんじゃ、歩きながら話すか」

「ああ」


 ぽふんぽふん、とスニーカーを鳴らして。

 ハルカは歩き出した。

 かつんかつん、とブーツを鳴らして。

 クロアはそれに付いていく。


「アカハは」


 と、クロアは尋ねた。


「あいつは、その、どうなんだ。あんたから見て」

「どうって」

「あいつ天才なんだよな」

「間違いなく」

「じゃあ、あいつの才能はどうなんだ――その、『ブルー・スコープ』と比べて」

「何言ってんだ。んなもん比べもんになるわけねーだろ」


 それを聞いて。

 クロアは一瞬安堵した。


「なら」


 やめさせとけよエースなんざ、と言おうとしたところで、ハルカはこう続けた。


「『ブルー・スコープ』は凡人だ」

「……」

「ボッたんの足元にも及ばねーよ」

「……」


 「ブルー・スコープ」。十五年間、不動のランク一位として君臨し続けるATFにおける生きた伝説で、最強のエース。それが。


「――凡人、か」

「実力はどーか知らんけど、才能じゃもー完璧にそう」


 と、ハルカは言う。


「ボッたんさ、あれ、訓練初めてからどれぐらいだと思う?」


 嫌な質問だった。

 こちらにとって最悪な答えが返ってくることが、分かりきっている質問。

 クロアは言った。


「……一年」

「ぶー」


 と、ハルカは言って、それから告げた。


「一か月」


 やっぱりだった。

 思っていた通りで、そんなこったろうと思っていた通りの答えだった。

 道理で戦術もないわけだ。

 何たって一か月しか訓練してないんだから。

 あんまりにも非現実的過ぎて何だか笑えそうなくらいだった。

 もちろん実際には笑えなかった。

 冗談じゃなかった。


「……ふざけんなよ」


 悪態が思わず口を突いて出た。

 ハルカに対してではなく、アカハに対する悪態だった。

 一人の美少女が生まれながらに持っている「だけ」の純粋な才能。

 誰がどう考えても何の罪もないそれに対する、嫉妬から来る憎悪と怒りだった。

 理解していても止められない、暗く不細工で死ぬほど恥ずかしい――そんな悪意。


 ぎり、と。

 歯ぎしりをして、言葉を止めた。


 ぐっ、と。

 拳を握り締めて、怒りを潰した。


 それから。

 何とかどうにかぎりぎりのところで自制して、ハルカに言った。


「……天才、か」

「そ。とびっきりの」


 と、ハルカは笑い、それから続ける。


「まったく、人間ってのは大変だな本当」

「何がだ」

「人間ってのは、最初から生まれる目的を持ってないから、どうにかして見つけなきゃならん。難儀だよ。私たちみたいに明確な目的があって生まれてくれば楽なのに」

「……どういう意味だ?」

「べっつにー」

「馬鹿にしてんのか?」

「さあね。ま、とにかくぼったんは天才なわけだ。あんたよりもずっと」

「……それなら、俺があいつに教えられることなんてねえよ。何にもな」

「そーだよ」


 その言葉に、一瞬、怒りで思考が弾け飛びかけて。


「でも」


 が、それよりも早くハルカは言った。


「そいつはあんた以外のエースでも同じ。たぶん『ブルー・スコープ』でも無理」

「……」

「どんなエースにだって、あの美少女に何かを教えることなんてできやしねーよ」

「なら――」


 と、クロアは言った。


「――俺に何をさせるつもりだ?」

「あの美少女の隣にいてだな」

「ああ」

「あの美少女を見てろ」

「それで?」

「そんだけ」

「あ?」

「そんだけでいい」

「……」


 クロアは黙った。黙るしかなかった。

 言葉を探して、上手く見つからず、やっと見つけた言葉は、


「……お前、正気か?」

「まあ実際にそれだとただの変態みたいだから、あんたはあの美少女の教育係って体にしとくけどな。でも実際のところ、何にも教えなくても構わん。もちろん何か教えてやってもいいけど、それは別にそこまで重要でもねーな」

「ふざけんな、そんな簡単なことで――」

「『簡単なこと』だと思うか? あの天才と一緒にいるのが?」

「……」


 クロアは先程の自分の黒い感情を思い出す。

 成程。

 そんなこと、ではないのだろう。

 それでも結局のところ、辿り着く問いは同じだ。


「何で俺なんだ」

「道角クロア」


 唐突に名前を呼ばれて、クロアは思わず立ち止まった。

 ハルカも立ち止まった。

 二人の足音が消える。

 街の真ん中で二人が立ち止まって、対峙する。

 ハルカが言った。


「幽霊が見えるというのは本当?」

「嘘に決まってるだろ――NIが幽霊なんて非科学的なもんを信じてるのか?」

「この世界は非科学的なもんばっかりだよ。人間にゃわかんないだろうけれど」

「……」

「あんたさ、エースとしちゃ全然大したことなかったよな?」

「喧嘩売ってんのか」

「事実だろ」

「……まあな」

「でも強かった」

「……」

「大したことない技量で、スクラップみたいな機体で、冗談みたいなクソ設備で、最低限以下の貧弱なバックアップ体制で、ただの世間知らずのガキんちょで――なのにあんたはエースとして勝ち続けて、たかだか二年でランク戦の準決勝まで勝ち進んで、あの『ブルー・スコープ』と対等に渡り合ってみせた。なあ、道角クロア」


 す、と。

 ハルカは人差し指を伸ばす。

 ハルカの伸ばした人差し指の爪の先が、クロアを指し示す。


「あんたはちょっとおかしい」


 言った。


「牡丹路アカハと同じ。あるいは、才能がずば抜けている『だけ』のアカハよりも」

「……随分と高く買ってくれたもんだな」

「ただのエラーかもしれんけど」

「たぶんそうだろ」

「それでも私は、あんたならあの美少女の隣にいることができると思ってる」

「なあ、ハルカ。一つだけ言わせてもらってもいいか?」

「何だ?」


 クロアは息を深く吸って、そしてあらん限りの呪詛を込めて言った。


「――


 ハルカが笑った。その笑みは楽しそうなのに、酷く気持ち悪かった。


「悪いね。私はNIだ。魂とかないから」

「都合の良いときだけ逃げられると思うなよ。心があるんだから魂くらい幾らでも宿ってるだろ。地獄からは逃げられねえよ」

「女の子に酷えこと言いやがる」

「安心しろ――」


 と、クロアは続けた。


「――俺も一緒だ」

「それって告白?」


 違う、とクロアは全力で否定した。

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