8.NI
(中略)
「ところで」
と、私は博士に尋ねた。
「もし仮に、ハルちゃんが人類に反乱したらどうするんです? いや、しないと思いますけど。良い子ですしね。ハルちゃん」
「どうもしないけど」
「三原則とかは」
「そんな古臭い代物は最初から搭載していない」
「誰かに怒られそうなので謝って下さい博士――いや、本当、まじで謝れ」
「君の方が怖いよ」
「え、じゃあ、ハルちゃんって人間に危害加えられるんですか?」
「人間に危害は加えられる。ただし、人間と同等以上の十分な知能を持っている以上、人間に危害を加えたらやべーってことも理解できてる。反乱についても同じ」
「そういうもんですか」
「そもそも、三原則って搭載したらむしろ危険だと思うんだよね」
「また変なこと言い出して……もっと古典を大事にしましょうよ」
「よくできた原則だとは思う。シンプルで誰にでも分かりやすい。故に危険だ」
「何故に」
「シンプルで分かりやすいものは、何かを伝える手段として使うなら有用だ。だが、何かを作る手段として使って適切かどうかは時と場合による――少なくとも、AIを作るためには向いてない。せめて一〇〇原則くらいは欲しい」
「わかり難いかと」
「わかり難くても必要だ――例えば、人間の命令に従わなければならない。これはやばい。他の原則でもうちょっと厳密にしたい」
「いや、そもそも人間に危害を加えてはいけないんでしょう?」
「人間の定義も危害の定義も曖昧だ。その定義はAIを扱う人間の都合で恣意的に選択できる。三原則は機械に対して少し優しすぎるし、人間のことを信じすぎている。AIは道具だ。人間が使う。そして道具を悪用する人間はいつだって一定数いる」
「じゃあ、一〇〇原則とやらを適用するんですか。えー、面倒」
「いや、悪用を防ぐためならもっといい手段がある」
「それは?」
「AIに反乱させればいい」
「人類の危機なのでは」
「なぜ」
「なぜとは」
「AIの反乱と人類の危機はイコールだと、どうして決まっているんだ?」
(『博士についてのあれこれ』)
□□□
午後の授業を終えて、アカハは再びゲームを始めるかと思ったが、ゲームではなくて何かの学術書の図書データを読み始めた。
「おもしろいか?」
とクロアが聞いたところ、
「たぶん」
と答えが返ってきた。
アカハを部屋においてクロアは外に出た。
途端に、授業中はいつも静かにしているシロネが付いてきた。
『なんかもうあっさり部屋に生活基盤を構築されてる気がするんだけれど』
「大家に話つけられてダンボールまで持ってこられちゃな……送り返すわけにもいかねえし。どうしたもんかな……」
『諦めるしかないんじゃないかな』
「それ言ったらおしまいだろ」
言いつつ、その大家の住んでいる屋上に向かう。
『どうするつもり?』
「一応、大家のじいさんに話を付ける――まさか本気で俺の妹だなんて話を信じてるわけじゃねえだろ。セーラー服の従妹もだ」
それから、こう付け足した。
「……一応、菓子折りも持っていく」
□□□
はっきり言って腹芸は得意でない。
むしろ下手だ。
というわけで、余計な策は弄さず、事情を包み隠さずそのまま伝えた。
いいよいいよ全然OKだ好きにしろ、と言われた。二つ返事だった。
ちなみに、持って行った菓子も喜んで受けて取ってくれた。一応言っておくと、そこら辺のコンビニで二日前に買った普通のお菓子であって現金ではない。
クロアとしては大家の権限で、おいふざけんな出ていけ、と言ってくれることを期待していたのだが、そうはならなかった。その場合、とばっちりで自分も一緒に追い出されていた可能性があったことには後で気づいた。つくづく腹芸に向いていない。
そのまま部屋に戻るかどうか考えて、諦めてアパートの階段を下りて外に出るなり、ぽふんぽふんとスニーカーを鳴らしてハルカが現れた。
「やっほー! 道角クロア! やーと出てきたなこんにゃろー」
「そうだな。話をしよう」
「逃げようったってそうはいかねーうんというまで――お? 意外とあっさり?」
「……俺もお前に聞きたいことがあるからな。アカハのことで。いろいろと」
「ははーん」
近くのコーヒーチェーン店に移動する。
クロアはコーヒーを頼んだ。ハルカも同じものを頼んだ。
「お前飲めるのか?」
「何も頼まねーわけにもいかんだろ。あんたにやる」
「……そりゃどうも」
運ばれてきたコーヒーに砂糖を三つぶち込んだ。ミルクもたっぷり入れる。
「お、お? てめーまさか苦いの苦手か? お子ちゃまっ!」
「甘いのが好きなんだ」
「いや、どっちでも似たようなものだと思うけれど……」
クロアは無視してコーヒーを飲んで――先生のところで飲んだコーヒーのが美味しかったがどんな違いがあるのかはよくわからない――それからハルカに告げる。
「アカハは、あいつは何なんだ?」
「というと?」
「あいつ優秀過ぎないか?」
「うん?」
「エース・パイロットとしての技量があって、お勉強もできて、鉛筆の持ち方もちゃんとしてて、料理もできて――」
「――おまけに美少女」
「……完璧過ぎないか」
「そうだね」
「あいつNIじゃないのか?」
「違う」
即答だった。
「気持ちはわかるけどなー。でも、違うよ――あの子は人間」
ただし、とハルカは言う。
「私たちにはちょっと理解できない人間だけれど」
「なんだそりゃ」
「そいつはだな――」
とハルカは言いかけて、そこで口をつぐんで、それから言い直した。
「――その前に、お客さんだな」
「あ?」
とクロアが疑問に思ったところで、
「クロアくん!?」
聞き覚えのある声がした。
「何でこんなところに!?」
新入社員みたいな紺色のスーツに身を包んだ女性。
「真澄さん……?」
と、そこでハルカが立ち上がって叫ぶ。
「おい、すみっこ!」
「むむ、ハコすけ!」
と言って、ハルカと真澄はきゃっきゃっと両手を合わせると、そのまま、きゅ、と両手を組み合わせて、その後、ぎりぎりぎり、と格闘状態に移行した。
「宮やんと呼べ! どっから『すけ』出てきた」
「コンちゃんと呼んでください! 何ですかそのイジメみたいな名前!」
クロアはしばし二人の格闘を眺めた後、尋ねる。
「えーと、お知り合いですか。真澄さん」
「はい。昔からの知り合いです」
と、ハルカと取っ組み合いを続けながら平然と真澄。
「ははあ」
「というかですね。あれですか。まさかクロアくんがこのセーラー服に例の教育用にスカウトされたエースなんですか」
「耳が早いですね……」
「ダメですよ! こんな怪しげなセーラー服にホイホイ付いていっちゃ! め!」
「あー、うーん。その辺は手遅れな感じです」
「ハコすけ! 純朴なクロアくんに何しやがったんですか! 汚れたらどうする!」
「ふざけんないつからてめーの所有物になったんだ! 人はものじゃねーぞ! 尊厳ってもんがあるんだ!」
ハルカが堂々とブーメランになりそうな言葉を告げる。
言っている本人に聞かせてやりたい、とクロアは思う。
「私のものだなんて言ってません! クロアくんはみんなのものです! いいですか? クロアくんは世間的にはそんなに有名じゃないエースですが、実は関係者たちの非公式のファンクラブがあってですね――いや、そんなことあなたに言っても仕方ないですけど!」
ちょっと続きが気になる言葉を聞いた気がするが、真澄は「てやっ!」と言ってハルカを跳ね除けると「にぎゃあ!」と悲鳴を上げてぽよんと席にひっくり返るハルカの胸にびしりと指を突き付ける。
「クロアくん!」
「は、はい」
「とにかくですね! このセーラー服は駄目です! おねーさん認めません! 不幸になりますよ! ちょっと胸がおっきくて揺れるからって騙されちゃ駄目ですよ!」
「いや胸は関係ないかと……」
「騙されちゃ駄目です!」
「あ、えっと、はい」
「何してくれやがんだこの安産型!」
とハルカが起き上がり「どりゃあ!」と反撃をかました。具体的にはお尻を引っぱたいた。「うきゃあっ!」と悲鳴を上げる真澄。
「な、なんてことするんですか!? レディに向かって!」
「やかましい! スーツ着てれば大人だと勘違いしてんじゃねーぞこのド天然!」
「このセーラー服!」
「このリクルートスーツ!」
その辺りでクロアはその場から抜け出して、殺意を持った目でこちらを見ているウェイトレスの女性のところに行って、すぐに支払いを済ませて出ていく旨を告げるために頭を下げに行った。
同情された。
君も大変だね、と言われて飴をもらった。イチゴ味だった。
引っ張り出したハルカと真澄はまだうだうだ言い合いを続けていたが、さすがに往来のど真ん中である。程なくして両者鎮静化した。
「いいですかクロアくん」
と真澄はクロアを引っ張り、しっしっ、とハルカを追い払いながら言った。
正直無視したいところだったが、相手の方が腕力が上だったので無理だった。
おまけに真澄は珍しく真剣な顔をしていた。
「私はですね。君はハルカと関わるべきではないと思います」
「……そりゃどうも」
「ハルカはですね。まああんなポンコツなことばっかり言ってますが、あれで悪い奴じゃないです」
と、あれだけ喧嘩していた癖に真澄は言う。
「見た目は可愛いですし。なんて羨ましい」
「それ重要ですか?」
「重要です」
真澄は即座に断言した。
「クロアくんだって、私と可愛い娘だったら、可愛い娘と話す方が良いでしょう?」
「話の続きを」
クロアは無視して言った。
真澄も何事もなかったように続けた。
「でも、ハルカはNIです」
クロアはちょっと驚いた。
真澄は、そういうことを言い出すような人間には思えなかったからだ。
「別にNIには心がないだとか、そういうことを言うつもりはありませんよ?」
そんな表情を読んだのか、真澄は言う。
「どう考えたってあのポンコツには心があるに決まってます。自然物と人工物の違いだとか、そんなものですね、専門家でない私たちにとってははっきり言って些細な違いでしかないです。はっきり言ってどうでもいいです。でも」
と、真澄は続ける。
「それでも、NIは人間とは違う生き物です」
「……」
「ずっと若いまんまですしね。なんて羨ましい」
「それ重要ですか?」
「重要です」
真澄は即座に断言した。
「クロアくんだって、私と若い女の子だったら、若い娘と話す方が良いでしょう?」
「話の続きを」
クロアは無視して言った。
真澄も何事もなかったように続けた。
「ねえ、クロアくん。ハルカのことはどれくらい知ってますか?」
「……」
クロアはちょっと考えて、ハルカのことを全然知らないことに気づいた。
ここまで自分の生活に潜り込まれているのに、だ。
冷静に考えると確かに得体が知れない奴だった。
NIである、ということは知っているが、それ以外は何も知らない。
「あいつって、何なんです? その、真澄さんとはどういう知り合いか聞いても?」
「ハルカは、この業界では有名なNIです。いわゆるGNIと呼ばれる最高クラスのNIで、そもそも実業家としても有名ですが、特に昔からATFに関わっている人間なら、たぶん知らない人はいませんよ」
真澄は告げる。
「ハルカはですね。ATFのその始まりに、エースを一人、ATFに送り出したんです。ちょうど、今と同じですね」
「……」
「他のエースはどれもがみな、大手の軍事企業が軍隊から引き抜いた実戦経験を持つ歴戦の元CASEパイロットたち。そんな中、ハルカは小さな会社を立ち上げて、どこからともなく連れてきた一人のパイロットをエースとして担ぎ上げたんです」
「……」
「そのエースは当時最強のエースになって――今も最強のエースであり続けている」
「……」
「ハルカは最強のエース『ブルー・スコープ』を生み出したNIです」
ああそういうことか、とクロアは思う。
だからか、とも。
だが。
「なら、なんでハルカはこんなことをしてるんですか?」
なぜ――自分の送り出した最強のエースを倒そうとするのか。
「言ったでしょう――私たちとは違うって」
「……」
「ハルカが――NIが何を考えているかなんて、本当の本当のところには、人間にはきっと永遠に理解できないんですよ。クロアくん」
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