5.おはようございます。
(中略)
「天才についてどう思う?」
「今、私の目の前にいる貴方のことでは」
「私自身は別に天才じゃない」
「私の目の前にいる人間は、たった今、専門書三冊をぱらぱらめくっただけで内容を理解しつつ全ページ暗記したんですけれど」
「スペックが高いことと天才であることは違う」
だいたい、と博士は言った。
「それくらい私たちの作ったAIにだって可能だ。それ専門のAIにだって可能だろう。そういうのは天才とは言わない」
「いや、たぶん今のハルちゃんには無理です……。あと、普通のAIは暗記はともかく理解までは無理です。理解してるように見せかけることができるだけです」
「まあ、それはそれとして今の私は天才だ」
「天才が何か天才じみた矛盾したことを言い始めましたね」
「天才というのは、ある種の強烈な指向性を有する人間だ」
と、博士は私の言葉を無視してそう続けた。
「私は色々あって、ある指向性を、友人の代わりに有することに決めた」
「はあ」
「だから天才(仮)と言える」
「よくわからないので、もう貴方は天才ってことでいいですか?」
「駄目だ。理解できない人間を、とりあえず天才のカテゴリに当て嵌めて理解を放棄することは許さん。それはその人間を抹殺するに等しい行為だ」
「面倒くせー天才だなこいつ……」
(『博士についてのあれこれ』)
□□□
その昔。
クロアは何も持っていなかった。ただのクロアだった。
エースでもなかった。ブーツも履いていなかった。革のジャケットは着ていた。
苗字すらもっていなかった。だから道角という苗字は、社長からもらったものだ。
社長は戸籍上は父親で、クロアは養子ということになっている。
父親だと思ったことはない。だから父親と呼んだことはない。呼べと言われたことも特になかった。だから普通に社長と呼んでいた。
クロアをATFに引きずり込んだのは社長だった。
だからだろう。
社長が死んだときクロアはエースではなくなった。
ランク戦の始まる前の日だった。
酔って転んで頭をぶつけたのだとか。
社長らしいよな、とそれを聞いてみんな笑った。
葬式の日に言われた。
副社長に言われた。正確には元副社長だが。
副社長は社長の息子で、つまり戸籍上はクロアの義兄ということになるが、当然兄と思ったことはなく「お兄ちゃん」と呼んだこともない。呼べと言われたことも特になかった。だから普通に副社長と呼んでいた。
副社長は喪服姿で、クロアも革のジャケットではなく喪服で、ブーツでなくて会社員の人が履くような革靴だった。
「道角クロア。君にはエースをやめてもらう」
「でしょうね」
そうなることはわかっていたから、クロアは驚かなかった。
でも副社長は驚いたようだった。
「……もう少し文句の一つでも飛んでくると思ったが」
「社長じゃないんですから」
「それもそうか」
「新しい仕事を探さないとですね」
「君を雇ってもいい。学校に通いながらアルバイトとして働いて、卒業したら――」
「エースがそうするわけには、いかないでしょう」
「……」
「俺もそうしたくない」
「……」
「それよりも、一つだけいいですか」
「何だ?」
「今度のランク戦。そこまではエースでいさせて下さい」
「構わない。今更取りやめにもできない。最後まで――」
「――最後までやらなくてもいいです。ブルー・スコープと戦えれば」
「……」
「俺はブルースコープに勝ちます」
「勝ったところで」
と、副社長は言った。
「君はエースで居続けることはできない」
「わかってます」
と、クロアは言った。
「ちゃんとわかってますよ。感謝してます。副社長」
社長の葬式の日で、ランク戦が始まる前日だった。
そしてクロアはランク戦を勝ち進んで、ブルースコープと戦って――負けた。
□□□
布団の中で目を覚ます。
クロアは寝起きがいい。
即座に覚醒する。起き上がって、ふと違和感を覚えて、ぴたり、と止まる。
同じ布団の中にシロネが寝ていた。
ごろごろ、と転がって、ぐーぴーすやすや、と寝息を立てている。
あまり可愛げがあるとは言えないが姉のことなのでクロアは気にしない。
もちろん、いつも同じ布団で寝ているわけではない。お姉ちゃんと一緒でないと眠れないとか、さすがにそこまでクロアは子どもではない。だから、いつもはもう一つ布団を用意して、そちらに眠ってもらっているのだ。床で眠らせておくのはさすがに気が咎めた。今日はそうではなかった。
その理由。
いつもはシロネが寝ているそのもう一つの布団を見て、記憶が復活する。
そこには美少女が眠っていた。
名前は――そう、牡丹路アカハ。
昨日のケンカ腰が嘘のように物静かに、端から見ると人形のように綺麗に眠っている。ザ・美少女的完璧な寝相だった。ただし、髪はぼさぼさのままで、着ているものはぶっかぶかの無駄に赤いパジャマで、しかも胸のところに得体の知れないキャラクターが描かれていた。
クロアはあくびをしながら窓を開けるよう天井のマイクに告げたが当然の如くエラーが返ってきた。もう一度告げる。エラー。
面倒くさくなって手動で開けた。
ちゅんちゅん、と。
外の窓から鳥の声が聞こえた。
と。
ばんっ、と。
部屋の扉が唐突に開け放たれて、クロアは一瞬強盗を想定して身を固くし、それから思わず面倒くさい知り合いがやってきたのかやべーぞこの状況をどう説明するべきなのかと身構え、その後で相手の姿を見てなんとも嫌そうな顔をした。
「おう道角クロア!」
そいつは言った。朝っぱらから。大声で。
右隣の部屋の住人が『どんッ!』と壁ドン音声を即座に送ってきた。
が、ハルカは無視した。
「おっはよー!」
クロアは布団に入って寝たくなった。
「絵に描いたような朝ちゅんだなおい! 昨日はお愉しみだったか!?」
左隣の部屋の住人が「若い子だもんな」と壁の向こうで呟いた。
が、ハルカは無視した。
「考えは変わったか?」
「変わらない」
と、クロアは告げる。
「俺は、お前の話を受けるつもりはない」
そう言いながら、クロアは昨晩のことを思い出す。
□□□
ゲームセンターの一室。一対のシュミレーション・マシンが並ぶ部屋で。
最強のエースになる、と美少女は言った。
ブルースコープを倒す、と。
言うだけなら誰にだって言える、とクロアは思った。クロアにだって言えたのだ。
けれども。
あるいは、もしかしたら。
この美少女にとっては、違うのかもしれないな、とクロアは思った。
思ったが、こう言った。
「やめとけ」
「は?」
睨まれた。
「別にあんたの意見なんて聞いてないんだけど」
クロアは無視した。
ハルカに言う。
「おいNI」
「おうおう何だい」
「俺はやらないぞ」
「ふえ?」
「こいつに教えろって言ってただろ。俺はやらない」
「え? 何で?」
「『何で?』じゃねえよ。やらねえっつってんだ。拒否権くらい俺にもあるだろ」
「え? 無いよ?」
クロアは無視した。
「というか、俺に教えられることなんてねえよ。俺より上手だろこいつ」
「そんなことないってー! ねー、ボッたん」
牡丹路だからボッたん。
酷いニックネームだった。美少女なのに。
だからというわけでもなかろうが、不機嫌そうな顔で美少女は言う。
「こんな下手くそに教えられたら下手くそが移る」
控えめに言ってそれはクロアに対する罵倒だったが、今はまあ構わない。
「ほら、こう言ってるぞ」
「つんでれだな! ほら、しな作って! そうすりゃこんな奴イチコロだぜ!」
「やだ」
「こう言っているぞ。あとこんな奴で悪かったな」
「待って! 行かないで! 見捨てないで! 私の話を聞いて! お願いだから!」
「何だ」
「今晩泊まるとこがねーから泊めたげて」
「お前を?」
「この娘」
と、美少女を指すハルカ。
クロアはしばし黙ってその意味を反芻してからこう告げる。
「帰る」
「待てよいいのか!? こんな美少女を都会の夜に送り込んで大丈夫だと思うか!?」
「そんな美少女を野郎一人で住んでる家に送り込んで大丈夫だと思ってんのか?」
「へー、何すんの?」
「そりゃあ、お前……その、えっと、ちょっとアレなことだよ」
「ボッたんボッたん。OK大丈夫この朴念仁お子ちゃま」
「どういう意味だおい! 無理やり押し切ろうとしてもそうはいかねえ! まずは許可を寄越せ! 話はそれからだ!」
「そこは安心しろ。私が許可した」
「お前じゃねえ! 親の許可だ!」
「いや私だって。色々あって、今現在、ぼったんの親権は私に委託されてるのだ」
「じゃあお前が責任取って面倒みろよ!」
どったんばったんどたばたかつんぽふんぽよん、と一悶着の末。
押し切られた。
『ねえそんなんで大丈夫? お姉ちゃんちょっと心配になるんだけど?』
とシロネに言われた。クロア自身もなんだか心配になった。
□□□
というわけで、今日である。
「美少女と一つ屋根の下かー。あー、うらやましいなー。なー」
「ふざけんなよ」
「キスした?」
「するわけねえだろ。いいか、そういうのはきちんと責任を取る前提でな」
「頭撫でていい?」
「やめろ」
どったんばったんどたばたかつんぽふんぽよん、と一悶着の末。
ぽふぽふ、と。
無理やり撫でられた。
気に食わない人間に「わー可愛いー」とか言われつつ頭を撫でられる犬ってこんな気持ちなのかな、とクロアは思った。。
噛んでやりたいところだったが、関節を完全に極められているため無理だった。
「やっべ。てめーの頭めっちゃ撫でやすいんだけどすげー何これ」
と言いながらハルカはクロアの頭を撫でまくるハルカ。
ぽふぽふぽふぽふ、
ぽふぽふぽふぽふぽふぽふっ、
ぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふぽふっ!
「おいやめろ」
「は! やっべトランスしてた! 魔性!」
と言ってハルカは、ぱっ、とクロアを解放する。
気に食わない人間に「わーもふもふー」とか言われつつ撫でられまくった後解放された犬ってこんな気持ちなのかな、とクロアは思った。
そんなクロアの殺意を軽くスルーしつつ、ハルカはスニーカーを脱ぎ捨て部屋に上がり、目を覚まし寝ぼけ眼をこすりつつ『あーあークロアったらこんなに女の子連れ込んじゃってー』とか何とか言っているシロネの脇を通って眠っている美少女の傍へと近寄り、
「おーす、ぼったんっ! 朝だぞ起きろ!」
と呼びかけるなり美少女は、ぱちん、と目を覚まして、ぱっ、と身を起こし、完全に覚醒した表情でこう告げる。
「起きた」
機械みたいな起き方だった。
「ああめっちゃ起きたな! さあ、そんじゃあ今日は荷造りすんぞ!」
「荷造り?」
「おうよ。さっきから業者の人が下で殺意を持った顔で待ってんぞ」
「先に言えっ!」
というわけで。
ダンボールの山が届いた。
「なんだこれ」
「まずは生活物資だな」
「生活物資?」
「そりゃ今日からぼったんはここで暮らすからな。必要だろ。いろいろと」
「ちょっと待て――おいちょっと来い」
と言ってクロアはハルカの襟首を引っ掴んで部屋から引っ張り出そうとしたが、びくともしなかったので(機械だから、というよりも格闘術的な何かを感じる)諦めてこの場で問う。
「ここで暮らす? 誰が?」
「ぼったん」
「何で。いつそれが決まった」
「昨日の夜、家主さんとお話をしてOKもらってだな」
「何してくれてやがんだお前」
「妹ってことにしておいたから大丈夫大丈夫」
「全然大丈夫じゃねえよ何が大丈夫じゃないって俺が大丈夫じゃない俺の部屋だ」
「そんなみみっちいこと言ってないでさ。ほら、家賃だって半分払うってぼったん言ってるよ! ね! ぼったん!」
と、ハルカは呼びかけるが風呂場に行っていつの間にか赤いジャージに着替えてきた美少女はこちらに尻を向けてダンボール箱の中に頭を突っ込んでいる最中で話を聞いていない。が、ハルカは軽やかに無視して言った。
「ほら、ぼったんもこう言ってることだし」
「言ってねえよ! 絶対みみっちいことじゃないぞ! ふざけんな!」
どったんばったんどたばたかつんぽふんぽよん、と以下略。
「勝った!」
とガッツポーズをするハルカ。
その足元に突っ伏すクロア。
その様子を見て『駄目だこりゃ』と呻くシロネ。
ダンボールの中から発掘したゲーム機をディスプレイに接続設定し始める美少女。
右隣の部屋の住人が『どんッ!』と壁ドン音声を送ってきたが誰も聞いていない。
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