3.ボーナス・ステージ

 ――目を開ければ、もうすでに、クロアはシミュレーションの戦場にいる。


 途端に世界を塗り潰す赤色。

 打ち捨てられたビルの群れ。その向こうに広がる空の色。夕暮れの太陽の光。

 赤い光に目が眩む――錯覚。


 このレベルのシミュレーションになると、リアリティはカメラアイ越しの現実と大差ない。むしろ途中に中継機器を挟まない分、現実よりも鮮明ですらある。

 自機は初期設定のスタンダードな機体。二メートル半ばでエース機としては標準的なサイズ。ダブルアイ方式のカメラ。単発式のスラスター。武装もエース機用の標準的な機銃。


 なんて良い機体だ、とクロアは思う。

 なんたって普通だ。今にも壊れそうなオンボロじゃない。

 機体の手足を動かし、機体や操作やフィードバックに異常がないかを確認。

 どこにも異常無し。オール・ライト。

 シミュレーションなのだから当然だったが、粗悪な脳波解析のせいで、毎回どこかに異常が出ていたエースの頃が脳裏によぎる。


 ぐるり、と周囲を見回して敵機の姿が見えないことをまず確認。

 頭の中で、視界の隅のボタンを押す。

 ぱっ、と呼び出されるレーダー画面。

 パッシブ・レーダーに今のところ反応は無し。どうやら今のところ敵機は近くにいないらしい。このままでは最後まで会敵できない可能性もあるので、アクティブ・レーダーを使って相手のおおよその位置を確認したいところだ。


 が、その場合、向こうのレーダーにもこちらの位置はもちろん知られる。


 実際のATFなら戦場の事前調査を済ませておくところだが、おそらくランダムで決まったと思われるこの戦場は完全に知らない場所だ。不用意な状態で会敵して、道に迷ってうろうろした挙句、袋小路に追い詰められて負けたりしたら、たぶん絶対ハルカに爆笑される。


 近距離でのドッグファイトは、ATFにおいては本当に最後の段階になる。

 その前に、もっと地味な形で決着が付くことも多い。

 そういう形でケリを付ける技術もエースには必要だ。

 むやみやたらとスラスターを吹かし、何も考えずに敵機めがけて突っ込み、ひたすら銃弾を撃ちまくる――そんな戦い方をする馬鹿が勝てるなら、誰も苦労しない。


 というわけで。

 まずは周辺の建物を把握し、相手に対して優位に立てる場所を探してから、


 ――パッシブ・レーダーに反応。


 馬鹿がいた。


 感知したのは敵機のアクティブ・レーダー――それはいいのだ。びびっただけかもしれない、と考えることもできる。それだけなら。問題は別のところにあった。


 連打していた。

 大馬鹿だった。


 レーダーに映った相手の機体の位置を確認。移動している――高速で。

 視界の隅のボタンもう一度押し、レーダーを縮小表示。位置と高度を確認しつつ、仮想上のカメラアイで空を見上げる。見上げる前から、空から聞こえている轟音。


 馬鹿が飛んでいた。


 こちらとほぼ同じ標準的な機体だが、スラスターは双発。

 武装はこちらと同じで、機銃。

 スラスターを吹かし、真っすぐこちらに向かっている――良い的だった。

 これ撃っていいのかなと思った――が、容赦はせずにクロアは銃を相手に向けた。


 撃った。


 その直前だった。

 相手の機体がカートリッジを排出した――ダブル・スラスト。

 でもそのタイミングじゃ遅すぎる、とクロアは思った。弾が当たる方が早い、と。


 躱された。


 一瞬、その理由がわからず、シミュレーションのバグを疑った。

 ダブル・スラスト中は無敵になってしまうとか、そんな感じの。


 違った。


 もっと単純な理由だった。

 クロアが思っていたよりも、相手のダブル・スラストの動きが早かった。

 それだけだ。

 信じられない早さだった。


 瞬間、クロアは視界の隅のボタンをもう一度押して、レーダーを視界から消した。

 もう、そんなものを悠長に表示している余裕はない。


 くるり、と。


 銃弾を避けながら敵機は向きを変えていた――真下に。

 そのまま真っすぐ、こちらに向かって急降下してきた。

 無茶な急降下だと思った。


 撃った。


 相手はスラスターの動きだけでそれを避ける――が、途端に機体が制御を失ってきりもみ回転を始める。あの速度じゃあそうなって当たり前だ。あとはあのまま地面に激突するだけだ。クロアが同じ状態になったら間違いなくそうなる。


 もう何もしなくても勝てるはずだ。

 それでも、クロアは撃とうとした。


 悪寒、

 反射的に機体を屈ませて、

 直後にその頭上を通り過ぎる気配のフィードバック、

 背後の建物の窓ガラスをきっかり三発の銃弾が撃ち抜いて粉々に打ち砕く音、


 まぐれだよな、と思考が正気を保つための判断をして。

 あの状態で狙えるわけない、とさらに理論武装を開始。

 その思考を全力で殴り倒し、スラスターにカートリッジを送り込む判断を選んだ。

 もちろん狙って当ててきたに決まっている――間髪入れず撃ち込まれてくる弾丸。

 それらがこちらに届く直前に、スラスターが作動して。

 避け――切れず、装甲表面を、最初の数発に削られた。


 が、致命的ではない。


 続く銃弾を振り切りながら、きりもみ回転しながら落下していた敵機を見た。

 見てしまった。

 地面に落ちて激突し、ばらばらに砕け散るその寸前だった。


 くるり、くるり、と。


 スラスターの放つ炎の煙が縦に一回転して、横に一回転した――それだけの動き。

 それだけで、魔法のように機体が姿勢の制御を取り戻した。

 リフターの浮力を存分に発揮できる完璧な姿勢で地面に着地。機体を横滑り「させ」て衝撃の全てをを丸ごと殺し切る。ラジエーターが吐いた水蒸気がたなびいて、スラスターが排出した空のカートリッジがすっ飛ぶ。


 くるり、くるり、と。


 弧を描くように横滑りしながら、機体がきっかりと二回転して。

 ぴたり、と機体が止まる。

 同時に――こちらを正確に捉えた銃口が弾丸を撃ち込んできた。


 撃ち返した。


 こちらの機体の、右の肩の部分の装甲がえぐられ。

 向こうの機体の、保護バイザーの一部が砕け散る。


 クロアはまだ右腕が動くことを確認。

 相手は保護バイザーをむしり取った。


 クロアはもう理解している。


 少なくとも、機体の操縦技術において――この相手は自分より上だった。

 そして。

 それさえ理解できれば、いくらでもやりようはある。


 ぎょろり、と。

 殺気を感じた。


 むき出しになった相手のカメラアイがこちらを睨み――スラスターが火を吹く。

 こちらもスラスターを吹かして相手の銃弾を振り切りつつ、牽制で銃弾をばらまく。だが、相手は弾幕にまるで怯むことなく突っ込んできた。ひょい、ひょい、といった小さな動きで当然のように弾丸を避ける敵機。もしかしたら銃弾が見えているのかもしれない、とクロアは本気で思った。


 狙いを定めて――撃った。

 見事に外れる。

 代わりに、突っ込んでくる敵機の頭上、宙に突き出た看板の根本にぶち当たった。

 看板が落ちる。

 敵機の真上に――落ちる。


 タイミングは完璧だった――が、敵機はその瞬間に、カートリッジを排出。ダブル・スラストで避けるつもりか――そう思ったが、スラスターを切ったままで、ひょい、と機体が軽く身を捻る。その動きだけで降ってきた看板を避けたその次の瞬間、とん、と看板を足場にして跳躍。そのまま平然とスラスターを再点火した。この目で見てもちょっと全然信じられない、何かの冗談みたいな驚異的な動き。

 相手のドヤ顔が目に見えるようだった。


 だから、その瞬間を狙って突っ込んだ。


 スラスターを使って接近。相手が一瞬、躊躇した気配があった。たぶん、こちらに突っ込んでくる度胸なんてないとでも思っていたんだろうが――そのナメきった態度の隙を突く。燃料カートリッジを強制排出。ダブル・スラスト。


 ドッグ・ファイトを仕掛けた。


 相手もダブル・スラスト。こちらに合わせる形で――こちらに遅れる形で、だ。

 それではトロすぎる。

 だから一瞬が終わったそのときには、こちらが完全に相手の背後を取っている。

 これで終わりだった。

 トリガーを引、


 がちん、と。

 相手のスラスターがカートリッジを排出した。


 冗談だろ、とクロアは思った。

 思考が完全に停止する中で、相手のスラスターが再始動して。

 相手の機体が視界から消えた。


 何をされたのかは、ごく単純で明快だった。

 ダブル・スラストをもう一度やる。それだけ。たったそれだけでしかない技術。

 それだけのことが、でも、誰にもできない――「ブルー・スコープ」以外には。

 そのはずだったのだ。今、この瞬間までは。


 ふざけんな、と思考が現実を否定する中、背後に敵機の気配。

 銃口が向けてくる殺気。

 思考をまるっきり置き去りにしたまま、本能が機体を動かした。


 スラスターの制御を捨てる――途端に、きりもみ回転を始める機体。先程の敵機と同じ状態。だが、この状態から立て直すことは自分にはまず不可能だ。あとはこのまま、地面だか建物の壁面だかに突っ込んでばらばらになるだけ。


 構わない。

 どうせ、その前に決着は付く。


 撃たれた。

 装甲がえぐられ、脚が吹き飛ばされ、スラスターが一撃を食らった。

 視界一杯に散らばる大量の破片。フィードバックが示す機体の悲鳴。

 上下左右ぐるぐると回る視界の中、でも一瞬だけ敵機の影が見えた。

 撃った。

 銃弾が敵機を捉えた手応えがあって、直後に――

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