まんじゅうとカップ酒が怖い

黒星★チーコ

※お食事中の方、注意※

 友人同士で宅飲みをすることになったので、メンバーのうち望月と俺でコンビニに買い出しに来た。


「え、チョコ買うの?」

「え、つまみに良くない?」

「無いわー。お酒にそれは無いわー。やっぱしょっぱいものでしょ」


 一緒に来た望月が屈託なく笑うとショートボブが揺れる。彼女はいつも明るくてムードメーカーで、一緒にいると居心地がいいのでちょっとだけ可愛いなと俺は思い始めていた。ちょっとだけ。


「じゃあ酒もいくつか買ってこ」


 チーズ、するめ、トマトサラダ、ベーコン、ポテトチップス。適当につまみになりそうなものを見繕った後、ひんやりと冷気が漂う巨大な冷蔵庫の前に立つ。

 今日のメンバーの好みはバラバラだった。だから発泡酒、サワー、ハイボールと目に付いたものを適当にカゴに入れていく。


「日本酒も飲むやついるかな」

「あ」


 俺が青いラベルが貼られた瓶のカップ酒を手にしようとした時、横に居た望月が声を出した。


「あ?」

「……ううん、なんでもない」

「?」


 心なしか彼女の表情が暗い。俺のチョイスが良くないということだろうか。


「日本酒、だれも飲まないかな?」

「……わかんないけど……」


 いつもの望月らしからぬ歯切れの悪い回答。これは個人的にはNOなんだろうな。


「じゃあやめとくか」


 俺が冷蔵庫のガラスドアを閉めると、バフンという空気が動く音に混じって望月のホッとした吐息が聞こえた気がした。


「こんなもんかな」


 結構重くなったカゴを持ち、レジに行くとレジ横のまんじゅうに目が留まった。こういうのついつい買っちゃうよな。それにさっき望月はああ言ってたけど、甘いものと酒も結構いけるんだぞ。


「なあ、これも買う?」

「えっ!?」


 フィルムに包まれて1個売りされた白い皮に黒い餡子のまんじゅうを指さして望月に訊くと、彼女は明らかに過剰な反応を見せた。いつもリアクションがオーバー気味なこいつだが、流石にそれは異様だ。顔が青ざめてる。


「あっ、いいや何でもない。あ、袋二つに分けてください」


 俺は慌てて話を打ち切り、店員に袋分けを頼んで会計をした。

 店を出て二人で友人の家に向かう。夏に向けて日が長くなってきてはいたが、もう藍鼠あいねず色に似た薄闇があたりを侵食していた。周りの家からは生活音と夕食の匂いが時折漂ってくるがそれ以外は何もない。


 静かだ。両手に持ったビニール袋からカサカサと乾いた音、袋の中の酒の缶がぶつかり合うカチンという小さな音さえ聞き取れてしまうほど。


「……」

「……」


 こんなに静かになると思わなかった。行きは望月とバカ話をしながら盛り上がって楽しい道のりだったのに。俺、やらかした? でもまさか「まんじゅう買う?」が彼女の地雷だったとか想像できるかよ!?


「……ごめーん。空気悪かったよね?」


 無言を破ったのはぐるぐると考えている俺ではなく、望月の方だった。でもその言い方にひっかかる。


「いや、俺こそなんか悪いことした?」

「違うの。田中のせいじゃない……」

「でも、今もちょっと無理してねぇ?」

「……」

「……」


 また静かになった。うわー、やっぱ俺やらかしてる?


「あ、あのー……笑わないで聞いてくれる?」

「? うん」


 望月は躊躇いつつ、切り出す。


「私ね、おまんじゅうとカップ酒が怖いの」

「は?」

「怖いっていうか……トラウマなんだよね。アレ見ちゃうと思い出しちゃって」


 いつも明るくて悩みなんか吹き飛ばしてそうな望月からトラウマという言葉が出てきたのも意外だったが、俺のテンションは急激に上がった。なんというか、望月が今まで築いていた「明るいキャラの壁」をちょっと取り除いてくれて、俺が彼女の内面に踏み込めるチャンスな気がしたのだ。俺は不自然にならないレベルで落ち着いた声を作った。


「何? よかったら話してよ」

「……うん……小学2年の時なんだけどね。凄く怖い人がいたの」


 望月はトラウマの内容を語り始めた。それは立派な怪談だった。



 ◆



 小学2年生の望月の通学路には、一か所墓地沿いの道があった。

 と言ってもその敷地のほとんどは高いコンクリートの壁に阻まれていて、施錠された入口の門以外からは墓地の中は覗けなかったらしい。彼女は親から「墓地には絶対に行くな」と言われていたので毎日ただ通り過ぎるだけの日々だった。


 あれは9月の末、まだ暑さが残る日。雨はないが空は厚い雲が覆い、むわりとした湿度の高い日だった。望月は学校からの帰り道、いつも通りひとりで歩きながら帽子のゴムひもを引っ張ってはパチンと離し遊んでいた。ゴムは遊びすぎて既にびろんと伸びかかっている。と、一陣の風がびゅうと吹き荒れた。


「あ」


 風は望月少女の頭に乗っていた紺色の通学帽を持ち上げ、そのままコンクリートの塀の向こう側へ運んでしまった。彼女はしばし呆然と空と塀を見上げ、その後泣きかけた。

 通学帽は1年生の間は黄色い帽子だが、2年以降は高級な紺の帽子になる。その帽子のゴムを遊びで伸ばしてしまったことで望月は母親に小言を言われていた。ゴムだけでそうなのだから、失くしたと言ったら母親にも学校の先生にも怒られてしまうかもしれない。


 彼女は入口にランドセルを置き、施錠された門に手と足をかけた。「墓地に入ってはいけない」という約束よりも「帽子を失くした」方が重大だと思ったのだ。門はおあつらえ向きに縦と横の金属の棒で出来ており、活発な望月少女はジャングルジムや木登りが得意なので登って乗り越えるのは可能だった。


 墓地はひんやりとしていた。大人になってから考えれば、通学路のアスファルトと異なり墓地の地面は舗装されていないので、照り返しが少ないのと植物が生えているから涼しいのだと理解できるが、子供の望月には恐ろしい何かのせいだと思えた。しかし怖くとも帽子を見つけるまで帰れない。


 彼女は墓地のひとつひとつを隅々まで覗き、帽子を探しながら歩いていく。9月の末……つまり先週まで彼岸だったせいか、墓地は花や供え物で溢れていた。が、それも強い日差しと湿度で台無しになっており先週までの美しかったであろう様相は荒れていた。花は萎れて首を折っているし、白い米粉を丸めた団子や花形に切ったニンジン、色鮮やかな落雁には蟻がたかっている。まんじゅうには青いカビが生え始めていた。唯一腐っていなさそうなのは瓶と金属のキャップに密閉された青いラベルのカップ酒だけだ。


「……あったぁ」


 漸く、墓地の片隅でちょこんと地面に座した紺色の帽子を見つけ望月少女は安堵のため息を吐いた。帽子を拾った瞬間、物音を聞きギクリと身をこわばらせる。「帽子を失くした」が解決した以上、次の彼女の懸念は「墓地に入ってはいけない」という約束を破った事だった。誰かに見咎められてはならないと考えた少女は墓石の陰に身を隠した。


 その咄嗟の行動は、正解だったのだ。


 墓石の陰からゆっくりと覗くと、一人の人物がいた。それは異様な人間だった。……いや、人間なのだろうか。

 彼は背中を丸め、きょろきょろと辺りを見回しながら墓地を進んでいた。時折口から洩れるハアハアという息の粗さが、ギラギラとした目つきが、少女の知る「ちゃんとした大人」の域から外れていると言う危険信号になり恐怖を生み出す。だが防犯ブザーはランドセルに付けたままで持ってきていない。万事休すだ。望月少女は震えながら、ただただ見つかりませんようにと祈り、息をひそめ待った。


 くちゃ。くちゃ。


 硬質な墓石の立ち並ぶ場には不似合いな湿り気のある音に、少女は疑問を持ちもう一度こっそりと様子を伺う。そしてその異様な光景に声を出しそうになり、すんでのところで息を呑み込んだ。

 男は供え物を勝手に食べていた。


(あのおまんじゅう、カビが生えていたのに……!)


 小学二年生、まだ僅か7歳と少し。そのたった7年余りの彼女の人生で培った常識のどこにも、男の行動を容認するものは存在しなかった。もしかしたらホームレスの人かもしれないと思ったが、男の背中は曲がっていても身に着けた衣服や髪の毛は清潔そうでどこにもそれらしき様子は伺えない。

 それが、怖い。ますます恐怖を加速させる。

 まんじゅうを食べ終わった男は、またきょろきょろと墓地の中を進む。


「ははぁ」


 それは吐息なのか、それとも言葉なのか。男の口から洩れたそれが嬉しそうに聞こえたのは望月少女の幻想か。彼は供え物のカップ酒を手に取り、躊躇なくキャップを開ける。黄色く濁った眼が更にギラリと輝いて瓶の中の無色透明な液体を眺めたかと思うと、それをゴクゴクと喉を鳴らし飲んだ。望月少女は恐怖のあまり漏らしそうになったが必死に耐える。


(あれはオバケだ。確か前に本で読んだ……ガキだ。私も見つかったら食べられちゃうんだ!)


 なるほどそこまでやせ細ってはいなかったが、背中を丸めて供え物を食べる様は餓鬼によく似ていた。墓地に餓鬼が出るなど聞いたこともないが、小学生の子供が想像の中で墓地とオバケを結びつけるなど至極当然だろう。そしてオバケが自分を食べてしまうと考えることも。そこで大声を出さずにじっと我慢し続けただけ、彼女は賢かったとも言える。

 そうして耐えた甲斐があり、男は望月少女に気づかずに去って行ったのだから。



 ◆



「……ってワケでさぁ。めちゃくちゃ怖くって。今でもあのカップ酒とおまんじゅうのセットを見ると思い出しちゃうんだよねー!」

「……」

「今時はお供え物を持ち帰りなさいっていうじゃん? カラスとかに荒らされない為と言ってるけど、私はそれを聞いた時に真っ先にあのことを思い出しちゃったよー!」


 望月は照れたように明るく言ったが、とてもじゃないけど明るい雰囲気にはならなかった。


「……無事でよかったな」


 俺はそれしか言えなかった。くそっ。もっと気の利いたことが言えれば。


「うん。ホント。まあ見つかっても攻撃されるとは限らないけどさ。わかんないもんねぇ」

「いや、攻撃されてもおかしくないだろ。ていうか後で通報しなかったのか?」

「うん……やっぱ勝手に墓地に入ったってのが親に言えなくて」

「ああ、そっか。わかる。でも近所にそんな奴がいるなんて怖すぎだろ。その後は大丈夫だったのか?」

「あ、うん。大丈夫。だからトラウマで済んだって言うか。もう怖い目には遭わないから」

「え?」


 望月の言い方にまたもひっかかった俺は彼女を見つめる。まだ何かあるのか? 望月は気まずそうに眉を下げたまま微笑んだ。


「その後、そのお寺の息子さん、精神病院に入ったんだって」

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