第84話 国見青音 24歳 ―光芒①―
「さてと、来週からテストだし、今日はちゃんと家に帰ろうかな」
紗枝が床に寝転がり、伸びをしながら言った。ケータイで時間を確認すると20時を少し過ぎたところだった。
「そうだな、そろそろテスト勉強しないとな」
「あぁ、テスト嫌だなぁ。青音は勉強できるからいいよねぇ」
ふてくされた様に紗枝がぼやいた。
紗枝とは同じ専門学校へ通っていて、まだ入学して間もない去年の夏前に告白されて付き合うことになった。紗枝は3つ年下で、話しやすく音楽の好みも同じだったため、あっという間に打ち解けた。
告白されたときには大月さんのことが頭をよぎったが、迷わずにオッケーした。俺は大月さんに追いつくために岐阜へ来たが、同時に大月さんのことを諦めるためでもあるのだ。
紗枝に告白されたときは素直に嬉しかったし、これで大月さんのことを諦められる、忘れられると思った。
専門学校に入学してからは大月さんに連絡することもなければ、連絡が来ることもなかった。
紗枝と付き合い始めて1年ちょっとが過ぎた現在では、テストや実習の時期以外は俺の住んでいるアパートに泊まっていることが多いが、さすがに一週間後にテストを控えた今日は家に帰るようだ。
「紗枝もけっこう勉強してるんだから、そんなに心配いらないだろ」
「でもさぁ、青音ほど余裕ないし…」
「じゃあ、やっぱり家に帰って勉強しないとな」
「わかってるけど…。もっと励ましてくれてもいいのに」
俺の正論に紗枝がむくれたのがわかった。
去年の春に専門学校に入学して以来、俺は少しでも時間があればひたすら勉強し続けてきた。小中高と勉強ができるほうではなかったため、人の何倍も努力しなければいけないことはわかっていたし、胸に巣食う強烈な劣等感を拭い去るために、テストや成績でトップを取ると誓いを立てていた。大月さんに追いつくために、胸を張って大月さんと向き合うために、手を抜かずに頑張ると決めたのだ。だから、紗枝と一緒にいるときでも時間を作って勉強は続けてきたし、今日だって紗枝が帰った後には勉強をするつもりだ。
「来週にはテストなんだから、一緒に頑張ろう。できるだけ協力するから」
「ありがと…。でも、やっぱり今日は帰ったほうがいいよね?」
引き止めてほしそうにこちらを窺ってくるが、俺にも「勉強をしなければ」という焦りがある。
「うん、今日は帰ってお互い勉強しよう」
「だよね。わかった」
紗枝はため息をつきながら立ち上がり、鞄を肩にかけて玄関に向かった。
テスト前はいつもこんな感じで少し雰囲気が悪くなる。紗枝は二人で一緒に過ごしたいと思ってくれているのだろうが、俺は常に「勉強をしなければいけない」という焦りを感じていて、俺の精神的な余裕の無さがこの雰囲気を招いてしまっているのだろう。
玄関で靴を履いて、やや不満気な顔で紗枝がこちらを振り返った。
「じゃあね。テストが終わるまでは来ないから」
言葉に少し棘を感じながらも、手を振って「わかったよ。じゃあ、おやすみ」と言った。
紗枝が帰った後で、少し肩の力が抜けた。何度繰り返しても、この雰囲気の悪さは苦手だ。これでテストが終われば、いつものようにまた穏やかな二人に戻るのだが、それまでは学校で顔を合わせても気まずい感じが続くのだ。
しかし、いつまでもそんなことを気にしてはいられない。テーブルの上に教科書やノートを広げて、焦燥感に背中を蹴られるようにして勉強を始めた。
こうして勉強をしているときは安心していられる。少しずつでも前に進めているような気がするのだ。この道のずっと先に大月さんがいるのだと思いながら、知識を頭に蓄えていく。
紗枝と付き合うことで大月さんのことを忘れられると思いながらも、大月さんに追いつこうとして必死に勉強をしている。岐阜に来て1年以上が経過しても、相変わらずこの矛盾を抱えたままでいる自分が阿呆だと思うし、紗枝に対して申し訳ないという気持ちもある。
しかし、紗枝のことを好きだという気持ちに嘘はない。今は矛盾した気持ちを抱えたままで、ひたすら走り続けるしかないのだと思う。
しばらく勉強をして、ふとケータイで時間を確認すると0時になろうとしていた。明日も学校があるため勉強を切り上げてシャワーを浴びて、さっさと寝ることにした。あまり夜遅くまで勉強をして、翌日の授業中にうとうとしてしまっては元も子もないので、遅くても0時前後には寝るようにしているのだ。
ベッドに潜り込み電気を消して、寝る前の日課としてSNSを確認する。俺自身がSNSで何かを発信するということはほとんどないが、友人たちの近況を知るために見ることが習慣となっている。
友人も多い方ではないが、何人かのSNSを確認していると柳瀬さんの投稿に目が留まった。
ドキッと心臓が強く打ち、息を呑む。
ぼんやりしていた頭が一気に目覚めて、その投稿に釘付けになる。
見たくない。でも、見ずにはいられない。
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