第82話 国見青音 23歳 ―旅立ち①―

 少し開けてある窓の隙間から春の夜風が吹き込んできた。3月の夜風はまだ冷たいが、明後日の引っ越しに向けて準備をしている俺には心地よかった。なにせ予想以上に荷物が多く、汗をかきながら荷詰めをしているのだ。


 荷物の準備が一段落してケータイを確認すると、LINEの通知が表示されている。誰からだろうかと思いながらLINEアプリを開くと、30分ほど前に大月さんからLINEが来ていて驚いた。


 大月さんとは一昨年の12月に友人の結婚式で会って以来、会ってもいなければ連絡もとっていなかった。連絡をしようか何度も迷ったが、一度も連絡をしないまま、そして一度も連絡が来ないまま1年3か月が過ぎていた。


[国見君、久しぶりだね。元気にしてるかな? 志保から国見君が岐阜の専門学校に行くって聞いたよ。 それでね、もし時間があれば明日の夜に会えないかな?]


 そういえば、1か月ほど前に偶然柳瀬さんに会ったときに、岐阜に行くことを話したのだった。柳瀬さんに話したことで大月さんの耳には入るかと思っていたが、まさか「会いたい」と連絡が来るとは思っていなかった。


[久しぶりだね。元気にしてるよ。明日の夜なら大丈夫だよ]


 さすがに明後日が引っ越しの日だということは大月さんも知らないはずだが、引っ越し前日の夜に二人で会えるということに対して、勝手に運命のようなものを感じている自分が阿呆だなぁと思って可笑しくなった。


 返信をして再び引っ越しの準備を再開すると、クローゼットの奥から中学校の卒業アルバムが出てきた。余計なことをしている時間はないのだが、なんとなくアルバムを開くとあどけない顔で写る同級生たちの写真が並んでいる。パラパラとページをめくりながら大月さんの姿を探した。


 ———もう10年前か。


 大月さんがバレンタインデーに手作りのケーキとクッキーをくれてから10年の月日が流れたのだ。人生初のバレンタインデーの贈り物は心の底から嬉しくて、あの日から大月さんが特別な存在となった。


 しかし、中学生の頃には大月さんとどう接すればいいのかわからず、周囲にからかわれることが嫌で大月さんを避けてしまい、自分勝手な理由で大月さんを傷つけてしまった。


 高校生になってからは少しは恋人らしく付き合えていたこともあったが、常に受け身な俺の態度のせいで大月さんにふられてしまった。それからは、大月さんから何度か「もう一度付き合おう」と気持ちを伝えられたこともあったが、俺は本当に大月さんのことが好きなのか自信が持てずに断り続けてしまった。


 そして、成人式直前に久しぶりに再会して俺は完全に恋に落ちた。まるで雷に打たれたような鮮烈な衝撃だった。しかし、そのときにはすでに大月さんには新しい彼氏がいて、俺は底無しとも思えるような後悔に沈んでいった。


 あの成人式からもすでに3年の月日が流れた。成人式の少し後に、俺は一度だけ大月さんに告白をしたものの、とても遠回しで曖昧な告白となってしまった。はっきりと「好きです。もう一度付き合ってください」と告白できなかったのには二つの理由があった。


 一つは、大月さんにすでに彼氏がいたということだ。彼氏のいる相手に告白をするというのは間違っているような気もしたが、はっきり言って実際にはほとんど気にしなかった。何が間違いで何が正しいのかはどうでもよかった。


 二つ目の理由こそが、俺に遠回しで曖昧な告白をさせたのだ。高校卒業後の俺は仕事が嫌で嫌で仕方がなく、常に辞めることばかりを考えていて、あっという間に自信を失い、代わりに周囲に対する劣等感がどうしようもなく募っていった。人生を歩んで行く足取りはおぼつかない状態で、前を向いても将来は真っ暗で、とても大月さんにまともに告白ができるような状態ではなかった。


 結局、中途半端な告白をしてから1年が経った21歳の頃に仕事も辞めてしまい、半年間は働きもせずフラフラしていた。


 22歳で再就職したが、新たな職場はいわゆるブラック企業というところで、毎日数時間の残業をして休日出勤をしても手に入る給料は10万円程度で、相変わらず将来は真っ暗なままだった。その間も大月さんのことを考えない日など一日もなかったが、将来への不安と拭えない強烈な劣等感が邪魔をして、大月さんに連絡をとることさえできないでいた。


 しかし、大月さんからも連絡が来ることはなく、俺は毎日大月さんのことを考えながらも、大月さんのことを無理矢理諦めようともがいていた。


 大月さん以外の誰かを好きになろうとして、友人に紹介してもらった女性や、職場の女性と出かけてみたりもしたけれど、やはりどうしても心は動かなかった。相手に魅力がないとかそういうことではない。頭では大月さんのことを諦めようと考えていても、心はそう簡単に切り替えられなかったのだ。


 ブラック企業で働きながら、この先どうするべきかを考え続けて、辿り着いた答えが進学だった。何か仕事につながる資格を取ることで、真っ暗な将来に光を灯すことができると考えたのだ。安易な考えかもしれないが、今ならできる気がしたのだ。


 そして、1年間勤めたブラック企業をつい1ヶ月前に辞めて、岐阜にある専門学校へ通うべく明後日の引っ越しに向けて準備をして現在に至る。


 成人式の頃に再会してから3年が過ぎて、ようやく俺は前に進める気がしていた。


 今でも大月さんに恋をしているが、俺という人間は「好きだ」という気持ちだけで突っ走れるような人間じゃないということが、成人式からの3年間でよくわかった。胸を張って大月さんと向き合うためには、しっかり仕事をして、この強烈な劣等感を拭い去ってしまわなければ、俺は前に進めないのだ。


 中学校の卒業アルバムを眺めながらそんなことを考えていると、ケータイの画面が光った。


[良かった! じゃあ、明日の19時に小学校でどうかな?]


 小学校…。高校の頃に二人で会っていた場所が小学校だった。まさか、23歳になって再び小学校で大月さんと会うことになるとは思いもよらず、懐かしさに口元が綻んだ。


 今、大月さんが俺に対してどんな気持ちを抱いているのかはわからないが、旅立ちの前にもう一度大月さんに会えることが素直に嬉しかった。


[オッケー。 じゃあ、また明日]



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