第78話 国見青音 20歳 ―水平線③―
それからは大学や仕事のことなど他愛のない話をしながら砂浜を歩き、近くの中華料理店で昼食を食べて、再び車に乗り込んであてもなく走り続けた。
数時間走り続けても意外と話題が尽きることはなかったが、お互いにお互いの恋愛に関する話題は出さなかった。大月さんの彼氏がどんな人なのか、どんなきっかけで付き合い始めたのか、気にならないと言えば嘘になるが、大月さんの口から聞きたいとも思えなかった。
山の向こうに太陽が沈み、西の空が濃いオレンジ色に染まった頃、1月に二人で写真を撮ったお茶の丘公園にやってきた。車が3台ほどしか停められない小さな広場に車を停めてエンジンを切り、フロントガラスの向こうに目を向けると見慣れた街の景色が広がっている。
「あっという間に一日が終わっちゃうな」
今朝、大月さんを迎えに行ったことが何日も前のように感じられる。それだけ充実していて、夢のような時間だったのだと思う。
「本当だね。でも、今日一日すごい楽しかったよ。久しぶりに国見君とこんなに話せて嬉しかった」
「俺もすごい楽しかったよ…」
言いながら大月さんのほうを見ると、大月さんと目が合った。
―――もっと言いたい言葉がある。もっと言わなきゃいけないことがある。
俺が何かを言いかけていることに気づいているのか、目が合ったまま大月さんは何も言わない。
「あのさ…」
のどが狭まり、声が震えそうになる。
「何?」
大月さんは優しい眼差しで見つめている。
———なんて言えばいい。何をどう伝えたらいい…。
気持ちを伝えるなら今、この瞬間しかない。それなのに…、好きで好きで仕方ないのに、こんなふうに誰かに恋をしたのは初めてなのに、どうしても素直に伝えられない。素直な気持ちを伝えようとすると、余計な考えが次々と頭の中に浮かんでくる。
大月さんには彼氏がいる。その彼氏もきっと大月さんと同様に、夢に向かって光のように突き進んでいるだろう。その一方で、俺は毎日毎日仕事を辞めたいと考えながら、嫌々仕事を続けていて暗闇に佇んでいる。いつ仕事を辞めてもおかしくないような状態で、常に足元はふらついていて、行き先もわからず不満をため込みながら、薄暗い将来へ押し流されている。
きっと彼氏とのデートではおしゃれなカフェやデートスポットに出かけたりしていることだろう。しかし、俺とのドライブでは古臭い中華料理店に行って、海や小さな公園に来てぼんやり景色を眺めるだけで、もしかしたら退屈していたかもしれない。
そんな考えが次々と目の前に立ち塞がり、大月さんに気持ちを伝えたいだけなのに、大月さんやその彼氏に対して強烈な劣等感を抱いてしまう。
素直な気持ちを伝えて、否定されることが怖い。万が一にも大月さんと再び付き合うことができたとしても、現在の彼氏と比べられてがっかりされることが怖い。
マイナス思考で勝手に作り上げた劣等感など気にしないで、ただ気持ちをまっすぐ伝えればいいことくらい頭ではわかっている。それでも、強烈な劣等感と恐怖心で言葉にできない。
しかし、何もせずに諦めることもできない。
「…今、彼氏がいるんだよね?」
「…うん」
「今すぐにとは言わないからさ…」
心臓が痛いほど強く打っている。
「もしも…、もしもいつか大月さんが一人になって、俺にチャンスが巡ってきたら、そのときはもう一度付き合ってほしい…」
それだけ言うのが精一杯だった。「好きです。俺と付き合ってください」とはっきり言えたらいいのに…。結局は大月さん任せで、大月さんと彼氏の今後の関係次第になってしまうとわかっていても、それ以上には何も言えない。
こちらを見つめる大月さんの瞳の中の光が、揺れているような気がした。
「…わかった。気持ちを伝えてくれてありがとう」
優しく穏やかな声だった。ただ、大月さんの微笑みの中に、諦めや失望のような何かが混じっているような気がした。
「今さらこんな告白してごめん…」
「ううん、国見君の気持ちを聞けて嬉しかったよ」
「優しいね、大月さんは。ありがとう」
なぜ中学や高校の頃に、こんなふうに大月さんのことを好きになれなかったのだろう。俺も大月さんも何も変わっていない気がするのに、自分でも気づかないうちに俺の中の何かが変わったのだろうか。
いくつものチャンスを棒に振って、大月さんの気持ちをないがしろにして、大月さんを失っても惜しくないと思っていたかつての自分が信じられなかった。
いつの間にか夜が空を覆い、灯がともった街をしばらく二人で黙って眺めていた。隣に座っているのに、高校の頃のように大月さんの手に触れることもできず、静かな時間が流れた。
「そろそろ帰ろっか」
言いながら大月さんがこちらを向いた。
「そうだな。思ったより遅くなっちゃったな」
車のエンジンをかけて出発し、大月さんの家が近づいてくるにつれて胸が苦しくなってくる。
———これで終わりなのかな…。
一応、俺なりに告白はした。しかし、大月さんからしてみれば、足元がふらふらで将来が見えないこんな男を選ぶ理由は何一つない。
迷路のような住宅街を走りながら、このままどこか遠くまで連れ去ってしまいたいと思ったが、そんなことができるわけもなく大月さんの家の前に到着した。
「今日はありがとう。久しぶりに国見君とたくさん話せて楽しかったよ」
シートベルトを外しながら大月さんが言った。
「こちらこそありがとう。一緒にドライブに行けて嬉しかったよ」
お互いに先ほどの告白のことには触れなかった。
「じゃあ、帰り気をつけてね。おやすみ、国見君」
「ありがとう。じゃあ、おやすみ」
車を降りて、笑顔で小さく手を振っている大月さんに手を振り返して帰路についた。
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