第57話 国見青音 19歳 ―半夜⑤―

 強面の男は西野さんと俺を見るなり急に表情が和らぎ、代わりに豪快な笑顔に変わった。


「おう、弥生!なんだ、ついに彼氏ができたか!」


 男の言葉に西野さんがこちらを見て不敵な笑みを浮かべた。


「そぉなんだよ!ついに彼氏できちゃったよ。今日が初デートなんだよね?」


 西野さんに笑顔で同意を求められたが、急な展開に頭が追いついていない。


「え、あ、いや、彼氏…、えっと…」


 たじろぎながら答えられないでいると、西野さんが可笑しそうに笑った。


「冗談だって!国見、動揺し過ぎでしょ。私が彼女じゃそんなに嫌?」


「いや、そういうわけじゃ———」


 言いかけたところで、男が大きな声を出した。


「なんだよ!彼氏じゃねぇのか!まぁ、たしかに弥生の彼氏って感じじゃねぇわな。弥生はもっと———」


「はいはい!店長は店の準備があるでしょ!」


 西野さんに言われて、男は「へいへい」と言いながら厨房のほうに入って行った。


「私ってなぜかヤンキーみたいな人と付き合ってそうってよく言われるんだよね」


 西野さんは自分でも意外というふうな感じで言っているが、俺から見てもそんなイメージがある。


「あ、国見もそう思ってるでしょ」


 考えていることが顔に出ていたのか、すぐに西野さんに指摘された。


「まぁね」


「なんでかなぁ。やっぱ金髪ロングのせい?」


「ん~、それもあるけど…」


 そんなことを話しながら入り口に近いテーブル席に座った。


 席につくなり西野さんが「店長!」と厨房のほうへ声をかけると、先ほど厨房へ戻ったばかりの男が再び呼び戻された。


「とりあえず、カルビとロースとタン塩4人前と、サンチュとチョレギサラダとビビンバ、あと国見はどうする?」


 午前中からそんなに食べるのかと驚いていたら、急に水を向けられて一瞬頭が真っ白になった。


「あ、えっと、ライスで」


「え、そんだけ?」


 西野さんが目を丸くしているが、2時間前に朝食を食べたばかりではそんなにたくさん食べられる気がしない。


「ああ、足りなかったら追加するよ」


 俺が言うと、注文内容をメモしていた店長が笑った。


「弥生は昔からよく食うからなぁ」


「ここの肉が美味しいからだよ」


「嬉しいこと言ってくれるね~」


 店長は満足気に再び厨房へと戻っていった。


 話を聞くと、西野さんは子どもの頃から家族でこの焼肉屋によく来ていて、店長とは10年来の知り合いらしい。


 注文したものが運ばれてくるのを待っていると、西野さんが黙ってじっとこちらを見つめてきた。


「…、何?」


「国見ってさぁ、こうしてると普通なんだけど、会社にいるときは別人だよね」


 テーブルに頬杖をつきながら、まだこちらを見つめている。


「なんか暗い雰囲気だし、話かけんなってオーラ出てるよね」


 西野さんの言っていることは合っているし、自分でもそう思う。


「会社、嫌なの?」


 西野さんに問われて正直に答えるか迷ったが、裏表のなさそうな西野さんになら話してしまってもいいかと思った。


「あぁ、会社は嫌だね。毎日仕事を辞めることばっかり考えてるよ」


「やっぱりね、そうだと思った。会社だとマジでヤバいくらい顔が死んでるもん」


 自覚していることだが、あらためて誰かに言われると相当態度に出てしまっているのだなと思う。


「そうだよな…。西野さんは忙しそうだけど、会社は嫌じゃないの?」


 西野さんは腕組みをして少し考えてから答えた。


「まぁ楽しくはないけど、辞めたいとまでは思ってないかな。めんどくさい先輩とかもいるけど、ほっとけばいいしね。で、国見はなんで会社嫌なの?」


 こちらに一切気を遣う様子もなくズバズバと質問をしてくるが、西野さん特有のこの遠慮のなさというか、打算なく懐に入ってくる感じは嫌いではない。変に気を遣われて、腫れ物に触るように接してこられるよりも清々しい。


「俺にもよくわからないんだよ。仕事内容も人間関係も辞めたいと思うほど悩んではいないし…。たぶん、会社が嫌なんじゃなくて、働くこと自体が嫌なんだと思う」


 自分で口にしながら、なんて甘ったれたことを言っているんだろうと嫌になる。


「なるほどねぇ、まぁ働くのだるいもんね。大学行ってる友達がうらやましいもん」


「そうそう、俺も大学行けばよかったとか思ったりするよ」


 そんなことを話していると、店長が注文の品を持ってやってきた。


「はいよ、カルビとロースとタン塩」


「おー!待ってました」


 西野さんがさっそく運ばれてきた肉を網の上に乗せていく。俺も手伝って肉を網に乗せようとしたが「いいよいいよ。国見、色わかんないんでしょ?」と言って、一人でせっせと肉を焼き始めた。


 入社したばかりの頃に自己紹介で色覚障害があることを話した気もするが、西野さんが覚えていたことに驚いた。


 西野さんが肉を焼いている間に、サンチュやビビンバ、ライスなども続々と運ばれてきた。


「それで、国見は会社辞めるの?」


「いや、すぐに辞めるつもりはないけど、体のほうがもつか心配かも」


 俺が言うと、西野さんは肉を焼きながら目線だけこちらに向けた。


「体? どっか悪いの?」


「悪いわけじゃないけど、毎朝職場に近づくと腹痛と吐き気がして、けっこうきつい感じ」


「マジか。相当ストレス感じてるね。国見、繊細そうだもんねぇ」


 からかうように言ってくる。


「腹痛とか吐き気がするなんて、自分でも驚いてるよ」


 自分自身、こんなにも精神的に弱いなんて思っていなかった。


 それから、手が震えるようになったことや職場で常に苛立っていることなども、あらいざらい話してしまった。


 その間も西野さんは慣れた手つきで次々と肉を焼いてくれて、同時にビビンバやサラダもたいらげていく。


「そっかそっか、マジであんまり無理しないほうがいいよ。体を壊すくらいなら会社辞めたほがいいと思うし」


 ほっぺたをパンパンに膨らませながら話す姿に、思わず笑ってしまった。


「ちょっと、何笑ってんの? 国見の心配してんだからね」


 眉間にしわを寄せているが、モグモグと必死に咀嚼しながら怒っている顔は余計に可笑しい。


「わかってるよ、ありがとう」


 結局、俺はライスと肉を少し食べただけで満腹になってしまい、注文した品のほとんどを西野さんが一人で食べてしまった。

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