第54話 国見青音 19歳 ―半夜②―

 正体不明の苛立ちや不満を抱えながらも、一応仕事をこなして昼休みになった。会社には大きな食堂があり、ほとんどの職員はそこで昼食を食べる。


 俺はいつも食堂が空いている昼休みの終わり際に昼食を食べているが、今日は午後一からすぐに業者との打ち合わせがあるため、一番混んでいる時間帯での昼食となった。


 食堂に入ると、すでに数十人の職員が昼食を食べていた。


 体中が力むのがわかる。


 山のように用意されている弁当の中から一つ取り出し、名簿に丸印をつけて空いている席に向かう。隅のほうはほとんど埋まっているため、仕方なく中央付近にある席に座った。


 弁当のふたを開けようとすると、鼓動が強く早く打ち始め、視界が狭まっていく。体中が熱くなり、ふたを持った手が震える。


 ―――くそっ…、なんでだ…。やっぱりダメか…。


 箸を持ち、ブロッコリーをつまもうとするが、手が震えてつまめない。その様子を周囲から見られている気がして、すぐに箸を置く。


 ―――誰も俺のことなんて見ていない。誰も気にしちゃいない。


 自分に言い聞かせて、もう一度箸を持って、今度は唐揚げをつまもうとするが、先ほどよりも手が震えてしまう。再び箸を置いて、お茶の入ったコップに手を伸ばす。コップをほんの少し持ち上げてみるが、やはり手が震えてお茶がこぼれそうになる。両手でコップを包むようにして持つことで、なんとか震えを少し抑えることができ、お茶を少し飲むことができた。


 ―――やっぱり無理だ。


 弁当は一口も食べることができず、お茶も一口飲んだだけで食堂をあとにした。


 毎朝の通勤時に腹痛に襲われるようになった頃からこんな状態になった。たくさんの人がいる所で食事をしようとすると手が震えてまともに食べられない。だから、昼食は空いている時間に隅のほうで隠れるようにして食べていた。


 混んでいる時間帯に食堂で食事をするのは久しぶりだったため「もしかしたら普通に食べられるかもしれない」とわずかに期待したが、やはり無理だった。それどころか、以前よりもひどくなっている。


 誰も俺のことなど気にしていないと頭ではわかっていても、周囲から見られているような気がしてしまう。ありもしない視線を恐れて、自らの視界は狭まり、どんどん精神的な余裕を失い、得体の知れない恐怖心が手や身体の震えという形で現れるようになった。


 いつからか人前で食事をすることすらまともにできなくなってきている自分が情けなくて、鼻の奥がツンと痛くなり涙が出てきそうになるが、誰とすれ違うかもわからないので必死でこらえた。


「おーい、国見。お疲れ」


 食堂から保全管理棟までとぼとぼ歩いていると、向かい側から歩いて来た同期の西野さんが声をかけてきた。同期の中では数少ない女性の一人で、金髪のロングヘアを後ろで一つに束ねていて、耳にはいくつものピアスが輝いている。


「あぁ、お疲れ」


 職場でも同期とはわりと普通に話せるが、明るく振る舞えるような余裕はなかった。


「国見、今日はお昼早いじゃん」


「うん、午後一から打ち合わせがあるから」


「そっかそっか、国見の部署も忙しそうだもんね」


「西野さんの部署ほどじゃないと思うけどな」


「まぁね。マジで人員不足をなんとかしてほしいよ。先輩たちは残業が当たり前になっちゃってるし、プライベートがこれ以上削られるのはマジ勘弁だわぁ」


「残業が多いのは辛いよな。今年の新入社員がそっちに配属されるといいけどな」


 そう言って話を終えようとしたとき、「あのさぁ」と西野さんが言った。


「国見、今週末って予定空いてる?」


 最近では週末に予定が入っていることのほうが少ない。


「…あぁ、空いてるけど、なんで?」


「じゃあさ、デートしようよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る