第39話 大月千尋 17歳 ―晩夏の木漏れ日④―

 しばらくすると、国見君が口を開いた。


「大学は決まってなくても、どの県にするかってのは考えてるの?」


「距離とか学力とか学費とかの問題もあるけど、今のところ埼玉か岐阜あたりで考えてるよ」


「埼玉か岐阜かぁ。どっちも行ったこともないな」


 そう言って国見君が遠くを見ている。


 私もどちらも行ったこともないが、地図の上で見る限りはどちらも私の住んでいる静岡県から近いように見える。しかし、実際は車や電車でも数時間かかる距離だろうし、高校生の私の行動範囲からすれば遥か遠い場所のような気がする。


「遠く感じるよね」


「…あぁ、遠く感じるな」


 国見君は私が県外の大学を目指していることに対して、良いとも悪いとも、賛成とも反対とも言わない。それが普通の反応のような気もするが、国見君が私のことをどう思っているのか知りたい。県外に行ってしまうことを寂しく思ってくれているのか、それとも特になんとも思っていないのか、どうしても気になってしまう。その答えを知ったところで、その後どうしたらいいのかはわからないが、このままでは終われない。


 手に持っていた枝を置いて私も立ち上がり、国見君の目をまっすぐ見つめた。国見君も何かを感じ取ったのか、こちらを見たまま黙っている。


 自分の鼓動が高鳴るのを感じる。蝉の鳴き声が遠くなり、息が苦しくなる。


「…あと一年半したら、私県外に行っちゃうよ」


 我ながらずるいやり方だと思った。直接的に国見君の気持ちを問うことはしないで、国見君を試したのだ。私に問われて答えるのではなく、国見君がどう思っているのか、国見君から言ってほしい。


 視線が合ったまま、永遠にも感じるような数秒が過ぎた。


「…そうだな。でも、県内に養成校がないんじゃ仕方ないよな」


 そうじゃない。国見君の気持ちを聞きたいのに。


「でも、もうこんなふうに会えなくなっちゃうかもしれないよ」


 私はまだ視線をそらさなかった。国見君は少し困ったように目をそらした。


「俺が止められることじゃないし、止めても行くしかないだろ? 目指すものがあるなら行ったほうがいいよ」


 国見君は優しい。けれど、やはり国見君の気持ちはわからない。国見君の言っていることは正しいけれど、そこに国見君の気持ちや感情は見えない。その点では国見君もずるいなと思ってしまう。


「そうだけど…。私が行っちゃったら…」


 はっきり聞いてしまおうかとも思ったけれど、私も国見君から視線をそらした。国見君の気持ちを聞いたところで何も変わらない気がした。


「そうだよね。急に変なこと言っちゃってごめんね」


「いや、目指す大学に入れるといいな」


「ありがとう」


 騒がしい蝉の鳴き声が戻ってきた。


 嘘でもいいから「寂しくなる」とか「行かないでほしい」とか、そんな言葉が聞きたかったけれど、 大切なのは国見君がどう思っているかよりも、私自身がどうしたいかなのだと感じた。


「今日は来てくれてありがとう。話せてよかったよ」


 なるべく自然に見えるように笑顔で言った。


「あぁ、俺も話せてよかったよ」


 国見君も笑顔で言ってくれるが、なんとなく気まずい感じになってしまった。


「じゃあね」


 そう言って、私は国見君に背を向けて歩き出した。


「じゃあ、また」


 後ろから国見君の声が聞こえた。


 ―――大切なのは、私がどうしたいかだ。


 国見君の気持ちがどうであれ、私はきっと県外の大学へ進学する。だから、今の気持ちを整理して、最後にもう一度だけ国見君に私の気持ちをぶつけてみよう。


 木漏れ日の降り注ぐ階段を下りながら、私は決意した。

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