第12話 国見青音 13歳 ー運命のバレンタイン⑦ー

 俺が仮病でみんなを帰らせている情けない姿も、遠目に見えていただろうかと思うと恥ずかしくなった。


 いよいよ緊張は高まり、我が心臓は今日一番の高鳴りをみせている。駐輪場に向かって歩いて行く間、どこを見ていればいいのかわからず、ふわふわの雲の上を歩いているようでしっかり歩けているのかもわからない。近づいてくる大月さんの手元には紙袋が見える。


 とてつもなく長く感じた100mを歩ききると、お互いの目が合った。


「えっと…、遅くなってごめん」


 何を言えばいいのかわからず、とりあえず待たせてしまったことを謝った。


「ううん、大丈夫だよ。来てくれてありがとう」


 大月さんが微笑んだ。こんなふうにしっかりと向き合って話すのはもしかしたら初めてかもしれない。


「あの…」


 短い沈黙が挟まれた。


「国見君のことが前から好きでした。これ作ったからもらってください」


 大月さんがこちらに一歩近づき、手に持っていた紙袋を差し出してきた。


 本当に俺にくれるのだ。夢にまでみた人生初の瞬間が訪れたのだ。今までさんざん脳内リハーサルをしてきたにも関わらず、気の利いた言葉は一つも浮かんでこない。


「あ…、ありがとう」


 若干震える手で紙袋を受け取ると、思った以上に大きく重い。その重さに本当にもらったのだと実感した。体の内側で爆発する嬉しさを言葉にして大月さんに伝えられたらいいのだろうが、緊張のせいか、嬉しすぎるせいか、何一つ言葉が浮かんでこない。


「中に手紙が入ってるから、帰ったら読んでみて」


 紙袋の中をのぞいてみると、確かに手紙らしきものが見えた。


「うん、わかった。帰ったら読むよ」


「ありがとう…。それじゃあ、また明日ね」


 そう言うと、大月さんはすぐに背中を向けて歩き始めた。


「ありがとう、また明日」


 俺も紙袋の重さを感じながら反対方向へ歩き始めた。 なんだか全身に力が入っているようで、うまく歩けていない気がする。


 日が暮れた薄闇の中、校門を出て家に帰る間ずっと心臓は高鳴ったままだった。大月さんが俺に好意を持ってくれていたことが信じられない。嫌われているかと思いきや、その逆だったのだ。なぜなのか、どこがいいのか自分ではさっぱりわからないが、とにかく嬉しかった。そして、大月さんという存在が俺の中で一気に大きくなった。ついでに、「ごめん、杉野」と密かに思った。


 家に帰るとさっそく自分の部屋にこもった。階下からは「手を洗いなさい」と母親の声が聞こえるが、そんなことは知ったこっちゃない。今は紙袋の中身の確認が最優先なのだ。


 紙袋を開けてみると、一番上には二つ折りになった手紙が乗っかっていて、その下には可愛い袋に入ったたくさんの手作りらしいクッキーがある。さらにその下には箱が入っている。重みのある箱を開けてみると、中にはきれいなチョコレートのケーキが入っていた。これは確かガトーショコラというケーキだ。これも手作りということなのだろうか。人生初のバレンタインデーの贈り物が想像以上にボリューム満点でめまいがしそうになる。


 そして、気になる手紙の中身である。




『国見青音君へ


初めて会ったときから好きでした。


クッキーとケーキを作ったので、よかったら食べてください。


それと、もしよかったら付き合ってください。


大月千尋より』




 小さく丸っこい可愛い文字で書かれた短い手紙であった。人生初のラブレターが嬉しすぎて、何度も読み返した。


 「付き合う」ということがどういうものなのかはよくわからないが、中学生になってからというもの、クラスメイトとの会話の中で「〇〇君と〇〇さんって付き合ってるんだよ」というような話をよく聞くようになった。小学生の頃は異性の相手と遊んだり出かけたりすることは特別なことではなく、普通に友達と遊ぶことと変わらなかったのだが、中学生になった途端に特別なものになったらしい。


 しかし、俺には異性を特別な存在として意識する感覚が、まだよくわからない。気軽に話しやすいという意味で好きな異性はいるが、それは同性の友達に対する感情と同じである。恋愛感情の感覚はまだよくわからないが、大月さんが俺の中で特別になったことは確かである。


 付き合った後にどうしたらいいのかはよくわからないが、「はい、お願いします」と返事を書いた。



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