第10話 国見青音 13歳 ー運命のバレンタイン⑤ー

 まだ今日は始まったばかりとはいえ、ややブルーな気持ちになっていると廊下から杉野の大きな声が聞こえてきた。


「おい、誰かにチョコレートあげるのかよ」


 誰かをからかっているようだ。杉野が好んでからかう相手は一人しかいない。

 

 声が近づいてきて教室のドアが開くと、大月さんが入ってきて、続いて杉野が入ってきた。3学期になり班が変わってからも相変わらず杉野は大月さんにちょっかいをだしている。


「誰にもあげないよ」


「絶対に嘘だろ」


「杉野、あんたに関係ないでしょ」


 すでに登校していた日野さんが大月さんと杉野の間に入り大月さんを援護した。


「うるせぇな、日野には聞いてねぇんだよ」


「千尋ちゃんが誰かにあげるとしても、あんたじゃないよ」


「はぁ?大月のチョコレートなんかいらねぇし」


 日野さんからのストレートな一言に、杉野の表情が一瞬凍りついたように見えた。やはり杉野は大月さんのことが好きなのだろう。俺が誰かからチョコレートをもらえるかもしれないと期待しているように、杉野ももしかしたら大月さんからチョコレートをもらえるかもしれないと期待して今日を迎えたに違いない。そんなことを考えていると杉野が同志のように思えてくる。「がんばれ杉野」と密かに思った。


 その後も何もないまま昼休みも終わり5時限目の授業が始まった。この授業が終わってしまえば部活をして下校である。つまり、残されている時間はわずかなのだ。


 しかし、この後に何かが起こる可能性は低い。陸上部にはチョコレートをくれそうな有望な人はいないし、他の部活とは下校の時間がズレてくるため帰りに渡される可能性も少ない。部活に行くときにも靴箱を通るが、昼休みの時点で汚い靴しか入っていなかった状況を見ると、この後に靴箱にチョコレートが飛び込んでくることは考えにくい。


 あらゆる可能性を考慮してこの後の流れを予測している間、教壇では大田原先生が何やら訳のわからない数式を書いてあれこれ説明している。バレンタインデーにチョコレートをもらえるようになる数式があるなら是非とも教えてもらいたいが、カエルの国の意味不明な数式などにかまっている余裕はない。


 そんなふうに思考を巡らせていると、隣の席の女子が小声で声をかけてきた。


「国見君、千尋ちゃんが部活終わった後で校舎裏の駐輪場に来てほしいって」


「…え、大月さんが?」


 授業中に告げられるという想定外の展開と、予想外の相手からの呼び出しに一瞬思考が停止してしまった。


「うん、渡したいものがあるんだって」


「…あぁ、わかった」


 これはまさか、そういうことだろうか。そういうことなのか。チョコレートなのだろうか。


 体の内側で巨大な風船のように期待が膨らんでいく。隣の女子がニヤニヤしながらこちらの顔を覗いてくるが、必死に平静を装って授業を聴いているふりをした。


 当然、授業の内容など頭に入らず、大田原先生が訳のわからないことを語っている間に授業は終わった。


 それにしても、本当に大月さんが俺にチョコレートをくれようとしているのだろうか。俺はどちらかと言えば大月さんに嫌われているような気がしていたし、未だにあまり会話もしたことがない。もしかしたら、今朝のように誰かにチョコレートを渡すように頼まれるのではないだろうか。しかし、部活が終わった後に俺に頼むのでは遅すぎる気がする。やはり俺にくれるのだろうか。


 大月さんを妙に意識してしまい、すでに緊張していることもあって5時限目が終わってから部活に行くまでの間に大月さんのほうを見ることもできなかった。

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