第5話 大月千尋 13歳 ー私の好きな人ー

「うわぁ、大月の隣かよ」


 隣の席になった杉野君がこちらに向かって歩きながら大きな声で言っている。

 杉野君とは小学校からの同級生だ。本気で嫌がっているのかわからないが、顔は笑っている。


 とりあえず「うん、よろしくね」と返すと、「しょうがねぇな。我慢してやるよ」と言ってドカッと隣に座った。


「杉野、あんた千尋ちゃんの隣が嫌なら国見君と入れ替われば」


 杉野君の後ろからあーちゃんが声をかける。


「はぁ?我慢してやるって言ってんだろ」


 後ろを振り返りながら杉野君がぶっきらぼうに答えた。


「我慢って、何えらそうなこと言ってんの?誰にも選ばれなかったあんたを千尋ちゃんが選んでくれたんだから感謝しなさいよ」


「うるせぇな。日野は班長じゃないんだから黙ってろよ」


 そう言って杉野君はぷいっと前を向いてしまった。


「あーちゃん、大丈夫だから」


 あーちゃんの方を振り返りながら言うと、あーちゃんの隣で国見君が笑っている。


「反省しろよ、杉野」


 からかうように国見君が杉野君に言った。


「国見までそっちの味方してんじゃねぇよ」


 今度は振り返らずに杉野君が答えている。


 私も笑っていると国見君と目が合って、慌てて前を向いてしまった。これでは国見君のことを嫌っているように思われてしまったかもしれないが、照れくさくてもう一度振り返ることはできなかった。


――――――――――


 席替えから数日が経っても、なかなか国見君と話すことができないでいる。国見君から私に話しかけてくることもほとんどなく、いつも隣のあーちゃんとよく話していて、今日も後ろから二人の会話が聞こえてくる。


「え、あんたまた消しゴム忘れたの?」


「わりぃ、また貸してもらっていい?」


「いいけどさぁ。一個しかないんだから、ちゃんと持ってきなさいよ」


「わかってるよ。家にあるはずだからさ、多分」


「多分って…。買ってきなさいよ」


「わかった、わかった。明日は持ってくるから」


 ついつい後ろの二人のやりとりが気になってしまう。


 ここ数日、国見君は消しゴムを忘れていて、毎日のようにあーちゃんから消しゴムを借りている。一つの消しゴムを二人で使っていることをうらやましいなぁと思いながら、私も昨日からこっそり消しゴムを二つ持ってきているが、なかなか「貸してあげるよ」の一言が言えないでいる。


 しかし、今日こそは国見君に消しゴムを貸そうと後ろを振り向こうとしたとき、「あ、やべぇ。俺も消しゴム忘れた」と杉野君が大きな声で言った。私は筆箱から取り出しかけていた消しゴムをとっさに筆箱に戻そうとしたが間に合わなかった。


「お、大月消しゴム二つも持ってんじゃん。一個貸してよ」


「え…」


 杉野君のタイミングの悪さに一瞬かたまってしまった。これでは私が二つの消しゴムを持っていながら、困っている国見君に貸そうともしないケチな人だと思われてしまいそうだ。


「なんだよ。二つも持ってんなら一個貸してくれてもいいじゃん」


「…うん、いいよ」


 渋々、杉野君に消しゴムを貸した。


「なんだよ、杉野も消しゴム忘れたのか」


 後ろから国見君が声をかけている。


「どっかいっちゃってさ」


「俺もだよ」


 国見君と杉野君がのんきに笑っていると、「あんたたち二人ともしっかりしなさいよ」とあーちゃんが二人をたしなめた。


――――――――――


「えらいじゃん。今日はちゃんと消しゴム持ってきたんだ」


 あーちゃんが国見君に言っている。


「しょうがないから昨日買ってきた」


「しょうがないじゃなくて当たり前だから」


 今日も二人は楽しそうに会話をしている。杉野君は今日も消しゴムを忘れたと言って、私の消しゴムを使っている。


「この消しゴム全然消えねぇな」


「じゃあ、こっちと換える?」


 私が普段から使っている消しゴムを筆箱から取り出すと、「貸してみ」と言ってノートに書いてある落書きを消し始めた。


「これもたいして変わらねぇよ」


 そう言って、私の頭をぽんっ軽く叩いてきた。


「ちょっと、何?」


 私が言うと、もう一度からかうように叩く真似をしてきたが、今度は腕を上げただけで終わった。


「でも、ちょっとはこっちのほうがマシだな」


 結局、昨日から貸していた消しゴムを返されて、私が普段から使っていた消しゴムを杉野君が使い始めた。


 気がつくと国見君とあーちゃんは静かになっていて、振り返ると二人ともニヤニヤしている。


「何?どうしたの?」


 あーちゃんに尋ねると、あーちゃんが杉野君の肩をつついた。


「杉野さぁ、あんた千尋ちゃんのこと好きでしょ?」


「はぁ?そんなわけねぇだろ!バカじゃねぇの」


 杉野君が振り向きざまに慌てた様子で言った。


「違うのか?俺もそう思ってたぞ」


「国見まで何言ってんだよ」


「あ、図星なんだ」


 あーちゃんは机に前のめりになって容赦なく追いつめていく。私は何も言えずに杉野君の顔を見ると、杉野君の顔がみるみる赤くなっていく。


「お前ら意味わかんねぇ!だいたい大月は矢口のことが好きなんだろ!」


 杉野君の言葉に私も慌てた。なぜ私が矢口君のことを好きだということになっているのだろう。矢口君は小学校が同じだったが、今は別のクラスだし、好きだなんて一度も言った覚えはない。


「ちょっと、勝手なこと言わないでよ」


 国見君に誤解されたくなくて慌てて言い返したが、逆に図星だと思われたかもしれない。


「あんた、勝手に人の好きな相手を言っちゃダメでしょ!」


 ―――違うよ、あーちゃん!


 あーちゃんが援護してくれたが、これでは本当に私が矢口君のことを好きみたいな展開になってしまっている。


「そうだぞ、杉野。反省しろよ」


 国見君もからかうように杉野君に言っているが、絶対に勘違いされている。


「違うよ!矢口君のこと好きなんて言ってない」


 国見君に向かって言ってみたが、国見君は「杉野、大月さんに謝れよ」と言って杉野君のほうを見ている。 なんとか誤解を解いておきたいが、何を言っても逆効果になりそうな気がする。


「なんで俺が謝らなきゃいけねぇんだよ」


 トマトのように真っ赤な顔で杉野君はそう言って、前を向いてしまった。


 私は「違うのに…」とつぶやいてみたが、言葉は賑やかな教室の騒音に消えていってしまった。

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