第12話 偽書

 森に踏み込む。

 道自体は整備されている。

 暗黒杉の、昼なお暗い道を行く。


 古くは満月の夜に少女らがこの森へ消えたという。狼が佳く鳴く夜の話だ。少女らは森へ消える。親たちは鍬と槍と弓と猟犬を従えて森へ分け入る。猟犬は狂ったように吠え、松明の灯りは不思議と手前で吸い込まれる。遠く梟の鳴く。星明りは杉に遮られ、少女たちの白は見えない。奥へと進む彼らが何を見たのか、誰も知らない。


 大して進んでもいないのにもう入り口は見えなくなった。すっかり深山幽谷の趣である。


 それからまたしばらく進み、やがて進んでいるのか戻っているのかも定かではなくなってくる、なにせ四方八方杉だらけで景観が変わらないのだ、全く困った、よもや行き過ぎてしまったかと思う、そんな辺りで、ふと気付くと前方、道の先に納屋だか小屋だかが見え隠れしていた。おお、と思い歩を進める。


 道の右わきに、そこだけ森のきえている空間がある。

 森林の中にぽっかりと、なぜだかそこだけ木々のない空間というものはあり、そういう場所をエルフの宴跡というと聞く。まさにここだ。


 円形の草原である。


 木々の浸食を抑えようとしているのか、結界然とした柵がそれを囲む。

 或いは、その結界は内側を向いているのだろうか。


 内側───そこに立つ、奇妙な建物に。


『ライドウ書牢』。

 また来てしまった。


 三度目の来店である。

 書を探して一度、続いて頼まれごとをされて二度目。

 今は特に用はないが、ただ何となくで三度目の来店であった。


「御亭主、いるかね───」


 なんて言いながら、扉を開けた。

 中は───相変わらず、昏い。

 そして書で埋め尽くされている。

 壁一面にびっしりと書が詰め込まれた本棚があり、それが上方に果てなく続く、天井彼方の採光窓まで、うず高く積まれている、そういう光景をイメージすれば、近い。

 そして、イメージ以上に本があるのも、間違いないことだ。


「おや、これはこれは」


 奥の方から、穏やかな声が聞こえた。

 店主だ。

 店主がいる。


「カザイ様」


 店主は、赤色の瞳を細めて、言った。

 この昏い、採光窓と松明の僅かな空間で、瞳と肌の白さは際立っている。それだけじゃない。長髪の黒もまた、闇の深さと一線を画す漆黒であった。この領域にあってその姿がまるで隠れていない。幽玄でありながら、確かにそこにいる。


「本日はどのような御本をお求めですかな」


 彼は言った。


 求めに来たわけではない。

 何となく訪れてみただけだ。

 だが、その理由は自分で自覚している───何故、何となくこちらに足が向いたのか。

 聞いてみようと思ったのだ。

 本の話をするなら、彼が適任だろうと。


「悪書はあるかね」

「悪書、と言っても様々なものがありまするが」

「偽りを述べたものが良いな」

「物語は全て偽りと言えましょう。しかしカザイ様がお求めの書は、そう言うものではないのでしょうな。ふむ……偽書、ということでありますか。でしたら、これなどいかがでしょうか」


 店主はそう言って、一冊の本を棚から抜き取った。


「『黄国記』と言います」

「ほう」


 それは───確か、初めてこの店に来た時に、試しに取り出しぺらぺら捲った記憶がある。

 偽書───だったのか。


「どのような、偽りの本なのだ」

「この本には、いわゆる『異世界』が記されております」

「それは、空想小説ではないのか」

「いいえ。これは学術書として出版されました。何故ならば、記されている『異世界』は───転生転移者の故郷のこと、でありますから」


 転生転移者。


「古くより」


 店主は続けた。


「この世の歴史には、不思議な子供や、旅人が姿を見せる。彼らは別の世界からやって来たと主張し、子供であれば極めて早熟、大人であったらこの世について酷く無知であり、代わりに異様な博識を兼ね備えている。秘術、学識、文化、軍事、多くの面で彼らの知恵は先進していて、世界を確実に変革する。それだけならば奇矯な言動を取る才人、でしかありませぬが、興味深いことに彼らが故郷と呼ぶ国が、何百年もの時を挟み、何千里もの空間を隔ててなお、一致している。故に、星読みは一つの結論を出した───彼らは別の世界の同じ国から、意識のみか、肉体を伴ってかは場合によりけりだが、転送されてきたのではないか、と。つまるところ、『鋼鉄国』を築いたタケシ、『メートル法の普及者』チヒロらのことです」


「ああ、昔習った。そういう種類の人間が、よく現れた時代があったと」


「はい。ただ現在ではそういった存在の来訪はめっきり途絶えておりますが。最後に確認されたのが、九十二年前───『黄国記』著者ジョルデ・イトーですな」

「はあ。となるとその本は」

「ええ。この本にはジョルデが幼少期を過ごしたという異世界『黄土の国』の歴史、地理、民族、風習に至るまで事細かく記されておりまする。」


 例えば───。言いながら、店主はページを捲る。

 私はそれに近づき、覗き込む。


「こういうような記述が続きます。『かの地では建物は柱、壁、屋根、その全てが黄金からなる』他にも、『民は皆腹を大きく露出している』『主食は蛇の身体に猫の足の生えた獣を喰らう』『太陽神信仰が盛んであり、太陽の神に力を与えるべく、毎年多くの少年が心臓を捧げられている』『金貨の価値が最も低く、反面価値の高いのは銅貨である』『革命が起こり、王政が打倒され、以後は剣士による剣闘政治なる政治形態をとるようになった』『七歳までの子供は人間扱いされず、一か所で共同生活を送らされたのち、親元へと返された』などなど」


「ふうむ。確かにこれは随分詳細だな」

「出版後、これは単なる空想小説ではなく、次代を変革するマレビト達の故郷の様子を伝える文献として、多くの人に受け入れられました。なにせ一人でも現れたら時代を数百年早めさせると伝承され、事実その記録も残る異世界者の、文化を伝える書ですから、しかもこれ以上望めないほど詳細に記されてもおりましたので、大変に貴重な歴史ならびに異界対策の資料として、知識階級すらもありがたがったのです」

「ほう───」


「ただし」


 店主はそこで一息入れて。


「一つの欠点が、この書にはありました」

「それは、なんだ」

「この本は徹頭徹尾ジョルデ・イトーの妄想をもとに書かれた完全なる偽書である、という点ですな」


 はあ。

 妄想。

 妄想───


「妄想、なのか」

「妄想ですとも」

「……全て?」

「いいえ、全てではありませぬ」


 しかし、と店主は言った。


「異世界に関する記述の全ては、ジョルデの妄想と言わねばなりますまい」

「なんと───何故そのようなものが、広く受け入れられてしまったのだ」

「ジョルデは周到だったのですなあ。いや、むしろ彼についたアドバイザーが、周到であったのです」


 店主は言う。


「それでは今日はお客様も少ないですし、カザイ様、ひとつこの書にまつわる講義を致しましょう───」

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書牢セドリック・ライドウの数奇なる事件簿 みやこ @miyage

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