第11話 書を売るということについて
今の人、最近有名なんです、と店員が言った。
「有名」
「はい。今みたく、王都中の本屋で『魔族への鉄槌』を売ることを糾弾しているんです」
迷惑ですよ、ホント。そう、彼は言った。
「まさかウチにまで来るとは」
「むしろまだ来ていなかったのかね」
『聖剣堂』は、本屋としては王都一の規模である。客の数も売る本の冊数も王都屈指だ。悪書を糾弾するのなら、真っ先に来るべき店だと思うが。
「防壁の関係でしょう」
王都を守る三重防壁。だが、王都そのものを守護する防壁は最も外側の一枚であり、内側二枚は身分の高いものを守るための壁である。市民区と富裕層の区画を仕切るのが二枚目、そこと王族を仕切るのが最も内側の防壁だ。
市民区と富裕区の往来は原則として自由だが、身分違いの区画に侵入しても良いことはない。物価も違うし、価値観も異なる。何より、周囲の目に監視されてしまう。
富裕区で事件が起きた時、真っ先に疑われるのは市民区から来た民だ。
『聖剣堂』は富裕区にある。
市民区の住民がやって来るには、かなり敷居が高いだろう。
「市民区の本屋のほとんどにはもう出没したと聞いていましたので、もしかしたらそろそろ来るかと思っていましたが」
「実際に来た、と」
「はい」
「どう思ったかね?」
この質問は、純粋に興味から来るものだった。
「言っていることは、大きく間違っていないでしょうな」
店員は言う。
「しかしそれをここで述べることが間違っています。ここは本屋だ。本を売る場所だ。そこで不買を訴えたなら、全霊を以て排除されて当然」
「売っている本が悪書であってもかね。いや、私にはこの一冊が悪書かどうか正確な判別はつかないが」
「前提として、今を生きる人々に良書悪書の判別はつかないと、私は考えています。しかし、もしも仮に、この本が悪書であるとしたら、我々本屋はこの本を───売ります。他の本と同じよう、良書とされる傑作たちと同様に。いやむしろ、悪書であるということを宣伝し喧伝してでも、一冊でも多く売り捌きますとも」
なぜならば。
「我々は本屋です。本を売り、利益を上げ、それを以て生活し、また本を仕入れ、並べ、売り、利益を得る。それがあるべきカタチです。売り物に良書悪書の区別はありません。ただ売る。ひたすら売る。そうすれば、また多くの本が売れる」
店員は迷いも澱みもなくそう言った。
「それを読んで何を思うかは、読者次第です。その読者が虐殺を望んだとしても、我々は本を売り続けますよ」
「……本当に虐殺が起きるとしても」
「ええ。……書は力です。勇者に憧れ、冒険家となり、大成した人がいる。書を読んで星導哲学の道を進み、大賢人と呼ばれた者もいる。逆に、推理小説に感銘を受け犯罪に走った前例もあります。これらは書に影響されたという点で同列であり、最後の一人だけを見て推理小説の販売を取りやめることはしない。書の与える影響を危惧するならば、前者の二冊も規制すべきだ。だがそんなものは認められないし、であれば後者の一冊もまた売ることを許されるでしょう。そして───『魔族への鉄槌』もまた、同様です」
「ふうむ」
それは確かに、筋の通った理屈に思えた。
だが、同時に、飲み込み切れない思いも、私の中にある。
勇者伝説に憧れたジュークリオ老が頭をよぎる。彼もまた、書を通して勇者に憧れ、大成した一人だ。そして彼の描く物語は、また多くの人を魅了し、その中には、大きく飛躍を遂げる誰かもいるだろう。
だが彼らと、犯罪者を同列に扱うことは可能なのか。
推理小説に影響されて犯罪を犯す前例があるという。
それとジュークリオ老は、未来の大作家たちは、果たして同じなのだろうか。
そんなことを思いながら、店を辞した。
結局今日は何も買わなかったが、あの騒動のお陰で店員はそれを忘れたらしい。またの来店をお待ちしておりますのことばで送り出された。
道を歩く。
子供が前から駆けてきて、そのまま走り去っていく。
彼の手には聖剣を模した玩具が握られている。勇者ごっこか。
あの子供と、ジュークリオ老と、犯罪者を、全て同列に並べることが、果たしてできるだろうか。
歩きながら考える。
店員は、言っていた。「これらは書に影響されたという点で同列であり」───つまりだ、同列に並ぶのはその一点のみの話で、他の要素も含めて考えた場合、この三者は同列足りえない。
そこに彼の誤謬がある。
言葉遣いの技によって隠した、誤謬が。
店員の論理は、言ってしまえば、肉体を持つという点で彼らは同類である、というに等しい───いや、違う、そもそも肉体というのは人間である以上必ず持つもの、先天的に持って生まれるものであり、後天的な影響を与える書と、その影響そのものを言い換えるには不向きである。では、どのような言い換えならば有効だろうか。
言い換える必要もない。むしろ言い換えようとするからドツボにはまる。
答えはそのまま提示すればいい。
店員の理屈は書の影響を受けた三者を同列とすることで、影響を与えた書そのものも同列化させるものだ。
しかし、である。
そもそもジュークリオ老と少年はまったく違う人間であり、少年と犯罪者も異なる人間で、ジュークリオ老と犯罪者に至っては言うまでもないことだ。彼らは別々の人間である。であるからして、彼らは同列ではない。
よって、彼らに影響を与えた書にしても、影響したという一点で同列なれど、書そのものはまったく異なる一冊なのである。
だから、勇者の物語を規制しないから、推理小説も『魔族への鉄槌』も規制しないという理屈は、その前提からして破綻している。
そう思う。
思っただけだ。
それを店員に突きつけるつもりはない。意味もない。理由もない。あれが売られているからって、私に損はないし、むしろ『聖剣堂』が儲かるのなら、その金で本がもっと増えて、買いやすくなるのだから、良いことだ。
それに、である。
そろそろ来るぞ。来るぞ。ほうら来た。
私の先程の論では、この世の万物は別のものであるから、共通する理を当て嵌める概念化そのものが不可能になってしまうではないか───。
とまあこのように、自分の理屈にだって反論が容易く思いついてしまう。
だから私は、自分の意見を持たない。持てないのだ。一秒後の自分がその意見を否定しているので。確たる、動かざる、絶対の信念というものを抱けない。考えるだけ考えて、そのうち飽きて放り投げる。すでに論点は書の与える影響から、私自身の在り方へと切り替わってしまっているし。
古の哲人や碩学のように、心理に辿り着くまで思考を深める根気はなく。
己の意見はこれである! と胸に抱く、そんな覚悟も思い切りも持たない。
実に中途半端なのだ。
怠惰、である。
それはきっと変わらないだろうと思う。
そこでふふと笑った。思わず笑ってしまった。
なんだ。己は不変なるものを持てない、という諦念すら不変ではないじゃないか。
私は今、こう思った。それはきっと変わらないだろう、と。すなわち、怠惰であることだけは不変であろうと。その思考が、今までの黙考を否定するものとして今、私の中にあった。
じき、この怠惰も否定するだろう。
これが私の思考である。
思考しながら歩いている。
何処へ行くともなく歩を進めている。
そんな風に歩いていると、大概にして思わぬ場所に出る。
今回も例にもれず、気付けば私はそこにいた。
王都東外郭。暗黒杉の森林、その西端。すなわち、森へ続く道に───。
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