第7話
フロアを一回りした後、館長はコーヒーをごちそうしてくれた。苦みが少し強めだったけれど、酸味は抑えられている。今の私の気分にちょうど良い味だった。
「ちょっと相談があるのですが」
二杯目のコーヒーを注いでいる館長に向かい、先ほどから考えていたことを口にした。
「この言葉を展示することは可能ですか」
スマホのメールアプリを開き、【尾根ギアします】を館長に見せる。
「このメールを消してしまいたい。その意味でよろしいでしょうか?」
私は一気に、尾根ギアしますのことを語っていた。
タカシから始めて貰ったメールで、その打ち間違いがキュートに思えたこと。これがきっかけでお互いに少しずつ話すようになったこと。付き合って三年が経ち、タカシはきっとこのメールをもう覚えていないだろうということ。
尾根ギアしますを愛でて現状維持を好む私と、未来を見据えて前を歩き続けるタカシとは、生き方が正反対であること。お互いのことを大切にする想いは一緒なのに、そのアプローチ方法が違う。そのギャップに予想以上に戸惑ってしまい、この先やっていけるか不安になっていること。要領を得ない私の語りを遮ることなく、館長はずっと耳を傾けてくれた。それがとてもありがたかった。
「尾根ギアしますの言葉やその成り立ちには非常に興味を覚えました。ただ、この博物館に展示するには、まだ相応しくないように思えます」
「でも、彼とこの先ずっと上手くやっていくためには、私自身が変わらないといけないと思うんです」
「かもしれませんね。しかし、そのために捨てられる尾根ギアしますは、どう感じるでしょうか」
館長は慎重に言葉を選びながら続ける。
「もう閉館の時間が来たようですね。またご縁がありましたら起こしください」
こうした私の不思議な時間は、唐突に終わりを告げた。
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