第5話

 額縁はしばらく続いたが、数字は【32】【24】【11】【13】とみるみる減ってきている。そんなはずはもちろん無いのだけれど、紙屑の丸の大きさも心なしか縮んだ気がする。

「Aはきっと自分に才能が無いことを気づいたはずです。小説家になれなかったとしても、せめて自分のこれまでを肯定するための証が欲しかったのでしょう」


 そして館長は、最後の額縁を見せてくれた。タイトルは【1996・3・31・502】。これは館長の解説を聞かなくても想像できる。書くことを諦めた日であり、恐らく最後の作品となったパンチ穴だろう。最後に長編を書けたことに安堵した。


「質問していいですか?」

「どうぞ、私が知っていることなら何でも答えますよ」

「Aさんは、その後どうしているのですか?」

 館長は静かに笑い、「今は全く別の仕事をしていますよ」と言った。

「小説はもう書いていないんですか」

「趣味なら書いているかもしれませんが、もう穴あけパンチを使うことはないでしょうね」

「未練はないのですか」

「どうでしょう。小説家の卵だったことも忘れて、案外幸せに暮らしているかもしれませんよ」


 A自身も思い出すことの無い紙屑を展示することに、果たして意味はあるのだろうか。

 そのことを伝えたら、館長は「だから私がこの場所でずっと保管し続けるのですよ」と額縁のガラス面を愛おしむように撫でた。そして、一つひとつの丸に込められた希望や絶望の欠片を語ってくれた。


 変化することは別に怖いことではないのかもしれない。でも、今感じているこの気持ちが無いことにされてしまうのも、私はやっぱり嫌だった。

 私はもう一度、最初の額縁から順番に丸い紙屑の集合体を鑑賞していった。それはAの人生を余すことなく記した、雄大な一編の大河小説のようにも思えた。

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