第3話
最初に目についたのは、壁の一角を覆っている大量の額縁だった。その中を覗くと、白い水玉模様が等間隔に並んでいた。サイズは五十円玉の穴を一回り大きくした程度で、正確な数は分からないけれど五百個は優に超えているだろう。よく見ると、穴あけパンチを使った時に出る丸い紙屑だった。
「すみません。何ですかこれ?」
「なんだと思います?」
館長は悪戯な笑みを浮かべながら、逆に質問をしてきた。
「世界的に有名なデザイナーの芸術作品とかですか?」
「いいえ、作者と言って良いかは分かりませんが、とある小説家志望だったAの人生の縮図になります」
そう言うと館長は、「新人賞に小説を応募する方法は分かりますか?」と尋ねてきた。私は首を横に振る。
「最近はWebサイトから直接送れる賞も増えましたが、Aが若かった頃は郵送が中心でした」
「なんか大変そう」
「そうですね。用紙代も切手代もかかりますし、印刷の手間もありますからね。でも、郵送でしか味わえない達成感もあるので、どちらが良いかは人それぞれです」
「詳しいですね」
「Aからそう聞きました」
館長の横顔をそっと覗き見るが、その表情をうかがい知ることはできなかった。
「少し脱線しました。先ほど話した郵送応募には、【右肩を紐で綴じる】というルールがあります。クリップの場合もありますが、黒い紐で綴じることが大半です」
「なるほど、その時に使うのが穴あけパンチってことですね」
私の回答を聞いて、館長は満足そうに頷いた。
「正解です。そして、この額縁に収められているのが、Aが初めて公募に応募した時に出た、穴あけパンチの紙屑を並べた物になります」
B2サイズの額縁の下には、【1978・3・31・420】と書かれた白い紙が貼ってあった。
「これがタイトルですか?」
「そう、1978年の3月31日に応募して、パンチ穴の数は420という意味です」
原稿用紙で400枚以上か。小説のことはよく知らないけれど、おそらく大作なんだろう。逆立ちしたって私には書けそうにない枚数だ。
隣に飾られた額縁を順番に追っていくと、【352】【405】【225】【542】といった文字が見て取れた。
「その頃は、彼がまだ書くことを楽しんでいた時期ですね。小説家の卵として希望に満ち溢れていたのでしょう、きっと」
そう言うと館長は、「こちらに」と私を促した。すると額縁はB3にサイズダウンしている。タイトルを見ると、【146】【89】【102】【66】と数字も小さくなっていた。
「この頃のAは、小説への情熱を少しずつ失いかけていることが見て取れます」
「なんで分かるんですか」
「原稿用紙の少なさですよ。おそらくですが長編を諦めたのでしょう。短編や地方の文学賞への応募が中心になっています。書くことへの恐怖が生まれたのかもしれません。物語りの欠片を積み上げ続けることに疲弊したのかもしれません。いずれしても、小説への純な思いが失われてしまったことが推測されます」
「それってなんか悲しいですね」
「仕方ありません。好きや情熱は永遠ではないですから」
館長の言葉が胸に刺さる。そう、人の気持ちは常に変化し続けることを、私もタカシも知っている。だから私は今手にしている物を大切にし、彼は曖昧な物を確かにするために前に進むことを選択した。
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