善郎爺と悪三爺

仲井陽

善郎爺と悪三爺

 昔々あるところの話。

 善郎爺さん(Yoshiro the old man)は善良を絵に描いたような人間だった。心正しく温厚で、困っている人がいれば惜しみなく手を差し延べた。献身的な知恵者であり、村人の誰からも慕われていた。

 一方、村には悪三爺さん(Waruzo the old man)という老人もいた。こちらは利己的かつ強欲、悪辣とは彼のための言葉で、物を盗み、嘘をつき、乱暴を振るっては諍いを起こした。誰が諭そうとしても聞く耳を持たず、村人たちはほとほと手を焼いていた。

 しかも、最も困ったのは彼らが同一人物ということだった。善郎爺さんも悪三爺さんも一人の体に潜む二つの人格であり、彼らは――『彼は』というべきか――、いわゆる二重人格者だった。

 村人たちは誰もがそのことを知っていたが、みな善郎爺さんを好きだったので、悪三爺さんが悪行を働いても黙っていた。爺さんたちは互いにもう一人の自分を認識してはいたものの、それぞれの行動までは把握しておらず、善郎爺さんである間は悪三爺さんの記憶が無かったし、反対に悪三爺さんの間は善郎爺さんの記憶が無かった。

 まるで一つの部屋を交代で使っているように、同居人の動向を窺うには残された手掛かりを探るほかなかった。

 したがって、善郎爺さんは目覚めるたびに悪三爺さんが何か酷いことをしなかったかと村中を尋ねて回り、苦笑いを浮かべて口ごもる村人を見つけると、考えうる限りの償いを行った。ただこうした全ては不毛であり、どうにか悪三爺さんだけを排斥できないかと誰もが知恵を絞ったが、何の手立ても見つけることは出来なかった。


 あるうららかな春の日のこと。善郎爺さんが川べりを散歩していると、怪我をしている一匹の兎を見つけた。その兎は狩人の罠によって片足を損ない、何とか逃れて川まで来たものの、力尽きて動けなくなってしまっていた。

 兎は言った。

「心優しきお方、このままでは私は飢えて死んでしまいます。あるいは猛禽に啄まれ命を落とすかもしれません。もし助けてくださるならば、必ずやご恩に報います」

 善郎爺さんはそれを聞き終えるより早く兎を抱き上げると、急いで家へと連れ帰り、薬を塗ってたっぷりの水と餌を用意してやった。もちろん恩返し云々は頭になく、ただただ兎の有様に心を痛めての振る舞いだったが、兎の方も約束通り恩を返すべくこう言った。

「裏山の一本杉の根元を掘ってみてください。きっとお役に立てるでしょう」

 半信半疑ではありつつも、善郎爺さんが言われた通り一本杉の根元を掘ってみると、なんと土の中から大量の小判が出てきた。泥にまみれながらも黄金色に輝くそれは掘れども掘れども尽きることなく、終いには城でも建ちそうなほどの額が積み上がった。善郎爺さんは喜んだ。これを村の皆に配ればどれだけ暮らしが助かるだろう。これまで悪三爺さんのせいで迷惑をかけた分、せめてもの償いになればいいが。

 善郎爺さんは小判を両手いっぱいに抱えると大喜びで持ち帰った。

「兎よ、ありがとう。これで村の皆にお礼ができる」

 だがその時、善郎爺さんの頭の中で落雷が起こった。珠のような汗がこめかみに滲み、呼吸が荒くなり、眉間に深いしわが走った。しまった、こんな時に――。

 力の抜けた腕から小判が滝のように零れ落ち、じゃらじゃらとけたたましい音が辺り一面に響いた。薄れゆく意識の中で、善郎爺さんは村人への償いが儚い夢想に終わることを悟った。そして喘ぎ漏れる吐息に紛れながら、最後の意志を振り絞った。

「逃げ……ろ……」

 しかし兎は状況が呑み込めず、またそもそも怪我で身動きが取れなかったので、ただ茫然と成り行きを見守るしかなかった。善郎爺さんは苦しそうに顔を歪ませると、小判の海に膝から崩れ落ち、倒れたまま動かなくなった。

 やがて深いため息とともに上げた顔は、もはや善郎爺さんのものではなかった。悪三爺さん、その人だった。

「お、お爺さん? 大丈夫、ですか?」

 何が起こったのか分からず、兎は狼狽えながら言った。悪三爺さんは兎と足元に広がる小判をゆっくりと見比べたのち、邪悪な笑みを浮かべた。

「……ああ、大丈夫だよ。さて、何をしてたんだっけ?」


 次に善郎爺さんが意識を取り戻した時、視界に飛び込んできたのは打ち捨てられた兎の骸だった。しかもあれほどあった小判はどこにも見えず、立てつけの悪い木戸から吹き込む風が土ぼこりを舞い上げるだけだった。

 何が起こったのか、善郎爺さんには容易に想像がついた。恐らく小判を目にした悪三爺さんは、より多くの宝を得ようと兎を拷問したに違いない。兎は口を割らなかったか、それ以上宝の在りかを知らなかったか――あるいは別の宝について話したかもしれないがサディスティックな愉悦のために――、哀れ惨殺の憂き目に合ってしまった。そして悪三爺さんは小判を誰にも渡すまいと秘密の場所へと隠したのだろう。彼もまたこちらのやり口を分かっているのだから。

 もううんざりだった。悪三爺さんにも、それを制御できない自分にも。

 善郎爺さんは部屋の隅に落ちていた荒縄を手に取ると、天井の梁へと放り投げ、くぐらせた先を輪の形に結んだ。初めからこうすべきだったのだ。老い先短い我が身を惜しまず、もっと早くに。悪三爺さんを追いやることなど本当は簡単なことだったのだ。

 善郎爺さんは輪の中に首を通すと、落胆とともに地面を蹴った。

 ピンと張られた縄によって、垂れ下がった夜の帳が話を覆い尽くした。

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善郎爺と悪三爺 仲井陽 @Quesh

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