ハチャメチャ人生

増田朋美

ハチャメチャ人生

その日は何でも3月並みの暖かさというが、これと言って、富士市ではかわりばえのしない日であった。それは多分きっと、日頃から静岡は暖かいので、そのような落差を感じないのだろう。まあ、そういうことだから、北国ぐらしの人とは話が通じないというか、そういうこともあるのかもしれない。その渦中でずっと暮らしている人と、そのような人生を全く経験していない人というのは、いくら話し合っても話が通じないものだ。それが、親子関係にあるというのなら、なおさらのことである。

「こんにちは。アッサラーム・アライクム。」

そう言いながら一人の女性が製鉄所を訪ねてきた。

「あれえ。こないだここに来てくれた、都筑マリーさんだったよね?」

杉ちゃんに言われて、マリーさんと言われた女性は、

「ええ、もちろんです。」

と、にこやかに、笑って軽く頭を下げた。

「一体どうしてここへ?」

杉ちゃんがいうと、

「はい。私は吉原に住んでいますが、今日は、吉原中央駅で、たまたま、富士山エコトピア行のバスがあったので、それに乗って来ちゃいました。」

と、マリーさんは言った。ちょっと日本語の発音が変なので、理解不能なところがあるが、杉ちゃんはなんとか、吉原中央駅からバスに乗って来たことが理解できた。

「そうなんだね。で、何をしに、ここへ来たんだよ。」

と、杉ちゃんが聞くと、

「はい。あの、水穂さんいますか?」

マリーさんは聞いた。

「いますけど?」

杉ちゃんはすぐ返すが、

「じゃあ、あわせてもらえませんか?私、水穂さんに大事な用事が。」

マリーさんがそう言うので、杉ちゃんは急いで、こっちへ来てくれと言って、マリーさんを製鉄所の中へ入れた。製鉄所の廊下を歩きながら、マリーさんは、自分が初めてきたときより、人数が増えたのではないかと言った。杉ちゃんがそうだよというと、

「そうなんですね。私、皆さんにお菓子を持ってきました。手作りのものですけど。一応、10個持ってきたけど、足りるんでしょうか?」

マリーさんはカバンの中身をちらりと見せた。杉ちゃんが何を作ってきたのというと、

「バター入りのクッキーです。」

という。

「はあ、中東の女性なのに、そんなものを作るのか。それもまた変わってるな。」

杉ちゃんがそう言うと、

「それしか特技も何もありませんから。」

と彼女は答えた。後で意味がわかる。

とりあえず、杉ちゃんとマリーさんは、四畳半に行った。水穂さんも誰かが来たことをわかってくれたようで、すぐ布団の上に起きた。

「ああ、無理して起きなくてもいいわよ。今日は、水穂さんのお世話をしにきました。この前、色々慰めてくれたから、その御礼なのよ。お金もないし、何も色気も無いけど、ご飯を作るのだけは、得意ですから、何でも食べたいものをお申し付けください。」

そう明るい声で言うマリーさんに、水穂さんも杉ちゃんも驚いてしまって、

「はあ。それでは、お手伝いに来てくれたのか?」

と水穂さんと顔を見合わせて言った。

「ええ。なんでもしますから、お申し付けくださいね。あたし、こう見えても、お料理と掃除だけは得意なんですよ。」

という彼女に、

「ほんなら、もう昼飯時だから、水穂さんの昼飯を作ってくれ。材料は冷蔵庫にある。具体的に何々を作れというわけでは無いが、あるものでなんか作ってみてくれや。よろしく頼むな。」

と、杉ちゃんは指示を出した。

「わかりました。」

そう言って、台所に向かっていく彼女を、杉ちゃんも水穂さんも、心配そうに眺めていた。

それから数十分して、台所からうまそうな匂いがしてきた。何を作っているのか、杉ちゃんも心配であったけれど、

「はいどうぞ。味付きのおかゆです。」

と言いながらマリーさんがやってきた。確かにお盆の上に皿が乗っていて、とても美味しそうなおかゆが乗っていたのだけれど、

「はあ、どんな味かなあ?」

と、杉ちゃんが思わず首をかしげてしまった。

「とりあえず、食べてみてください。塩は控えめにしましたから。」

マリーさんは、おかゆのお盆を水穂さんのサイドテーブルに置いた。

「はいどうぞ。」

マリーさんから渡されたおかゆを、水穂さんは受け取って、口に入れた。でも、それは独特な味がして、非常に飲み込むのは難しかった。やはり水穂さんは、おかゆを飲み込むことができなくて、咳き込んで吐き出してしまった。吐き出すときは、それと同時に朱肉のような内容物も出た。マリーさんは、それを、ちり紙で急いで拭き取った。

「ごめんなさい。味は確かにいいんですけど、この辛さはちょっと、、、。」

水穂さんは、内容物を拭き取ってもらって、そういった。

「そうなのね。ご、ごめんなさい。これからは気をつけるわ。ごく普通に、香料を入れただけだっただけど、それでは行けなかったかしら。」

マリーさんは、杉ちゃんに言った。

「そうだねえ。ごく普通の観念がまた違うのかもしれないよ。だから、ちょっと水穂さんには、加減してやることも必要なのかもしれないな。人によって、辛いのを感じる度合いは様々だけどさ、水穂さんのような弱っている体のやつには、難しいかもしれないね。」

「そうなのね。そんなこと知らなかった。あたし、作り直してくるわ。炊飯器にご飯はまだ残ってるし。日本はいいわね。そうやって、何でも機械で作れちゃうんだから。」

そういうふうに、何でもプラス思考にしてしまうのは、外国人らしい発想でもあった。日本人であれば、落ち込んでしまったり、マイナスに考えたりしてしまいやすいが、そうでないのは、外国人である。

「はあ、そうなのねとしか言いようがないが、本当に、お前さんは発想が違うんだな。驚いちゃう。」

杉ちゃんがそう言うと、

「そうね。でも、水穂さんにご飯を食べさせなければならないし、それなら、なにかしなければならないのは、もうわかってることじゃない。それはみんな同じだと思うけど?」

と、マリーさんは言った。

「いやいや、そういう明るく考えられるのは、外国人でなければできないよ。日本のヘルパーだと、そういう発想にはたどり着けず、泣いたりしちゃうんじゃないのかな。」

杉ちゃんが続けると、

「そういうことなら、できる人がやればいいのに。何でもできるわけじゃないでしょ、にんげんだもの。だったら、できないことはできる人がやればいいわ。」

と、彼女はそう言って、台所に戻っていってしまった。

それと同時に。ジョチさんは、応接室で、新規に利用したいと言ってきた女性と話していた。母親と一緒にやってきたその女性は、なんだかもう疲れ切ってしまって、もう世の中など見ていられないような顔をしている。

「えーと、八木橋法子さんですね。お電話いただきありがとうございました。引きこもりを始めた時期は、いつからですか?」

ジョチさんが言うと、

「はい。高校を出て、大学には合格したんですけど、学校に馴染めなくて、やめてしまったんです。」

と、母親が言った。

「わかりました。それ以上に犯人探しはしないことにしましょう。それより、それならどうするかを考えることです。それで、娘さんは、何を訴えてこちらへの利用を希望されたんですか?」

ジョチさんがそうきくと、

「ええ。高校の先生に言い含められたらしくて。なんでも、働いている人間でなければ、幸せになっては行けないというのです。私は、もう諦めることを言い聞かせましたが、どうしても受け入れてくれなくて。働いてなければ、幸せにはなれないとずっと言って、リストカットしたり、薬を大量に飲んだり。私が、働いていなくても幸せになれるといくら言っても、受け入れてくれなくて。」

と母親は答えた。

「まあ確かにそういうことは、教育者みたいな人はよく言いますからな。働いていないと幸せになれないというのは、ある意味ではただしい言葉なのかもしれませんが、」

ジョチさんがそういいかけると、

「それができないから、自殺しなければだめだというのです。それで、何をするにも投げやりで、なにかに真剣に取り組もうと言うことがない。できることは、家事手伝いだけで、仕事になることが何もできないって泣くんです。私は、そういう人はいくらでもいると言い聞かせましたが、それなら具体的に誰なのかと怒鳴って、私と話し合うことができません。」

とお母さんは言った。

「いえ、それはご自身を責める必要は全くありません。それはできなくて当たり前だと思ってください。それに親御さんが伝えようと言うことは、伝わらなくて当たり前だと思うくらいのほうが気が楽というものですよ。どうしても伝えたいことは、他人に言ってもらうくらいのつもりでいたほうが、かえって楽になるものです。親御さんにしてやれることは、できるだけ早く、そのように諭してくれたり、見方になってくれる人を見つけてあげることが最善策です。」

ジョチさんがそう言うと、お母さんは、涙を拭いてわかりましたといった。

「そういうふうに事実と感情を複雑に絡めてしまうから悪いのです。それより事実と感情は切り離さなければなりません。まず初めに、事実はこちらで、把握しなければなりませんので、それを詳しく話してもらうことが必要です。」

と、ジョチさんがそう言うと、

「わかりました。私は、高校3年生のときの進路相談で、行きたい大学が、学校の先生と合致しなくて、学校の先生に、働けなければ死ぬしか無いとか、そういうことを毎日のように怒鳴られました。私が行きたかった大学は、私立の大学ではあったのですが、開放的で、すごく設備も良くて、勉強するにはいいだろうなと思われる環境だったんです。だけど、学校の先生は、どうしても私を国公立大学にしか行かせたくなかったみたいで。それでいろんなことを言われました。働いていなければ、死ななければだめだって、本当に毎日のように言われました。中には、耳を引っ張って、私立大学は金がかかると怒鳴る教師もいたんです。それで私は、もう死んでしまいたいって思いました。だって働いて、お金を稼いで、親に恩返しすることが、一番正しい生き方で、それができないやつは死んでしまえって毎日怒鳴られてたから。」

と、法子さんは選挙演説する人みたいな言い方で、そういったのであった。

「そうですか。わかりました。それで、」

ジョチさんはそう言ったが、法子さんは演説するのを辞めなかった。そういうふうに、話だすと猪突猛進に話を進めてしまうのは、もしかしたら、他の人と、感じ方や見方が違うのかもしれない。それをもしかしたら、発達障害とかそういうふうに取る人もいるが、それがうまく伝わるかというのはまた別問題であると解釈すべきである。

「私は、大学にいけませんでしたし、先生が一番悪事だと言っていた、親に頼って生きていくしか無いという悪の道に進むことになってしまいました。だからもう死ぬしか無いんです。だから、もう生きていても何も価値ないんです。働いていなければ、人間生きている価値はないのですから。生きているだけで丸儲けなんて、大嘘です。だから、もう死んでしまいたいんです。」

と、彼女は言った。それを止めるのは難しいと思ったので、ジョチさんは彼女に溜まっていることをすべて吐き出させることにした。彼女はそのまま働いていない人間は死ぬべきであるという演説を繰り返した。なんだか、多分学校の先生が、アドルフ・ヒトラーみたいな感じで演説していたのだろう。全く学校の先生も困ったものだ。そういう伝え方しかできない先生が多すぎるのだから。

「そういうわけですから、働いていない人間は今すぐ死ななければならないので、私は死ななければなりません。だから、死ぬしかありません。だから、私は今すぐここで死にたいです。」

法子さんは、そう言い切ると、ジョチさんは、

「わかりました。それが正しいのか間違いなのかは僕たちにもわかりませんよね。誰かの歌詞にもありましたけど、Nobody is right、という言葉もあります。先生の言うことは正しいのか間違いなのかはわかりませんが、少なくともあなたを苦しめている言葉であることは間違いないでしょう。それは、はっきりしていく必要があります。」

と言った。

「そうですよね!理事長さんもそう思ってくれますよね!だから私の自殺も止めないでくれるでしょう?私なんて、もうこの世から必要ないと思うのに、なんでみんな自殺は行けないとか、親を悲しませるなとか、そういうカッコつけたセリフばっかり言って、私が、つらい気持ちをしていることは全くわかってくれないんです。」

八木橋法子さんはそういうのだった。長期引きこもりの人が立ち直るのが難しいのは、こういうところにあるのかもしれない。だからこそ、頭を切り替えて、味方を探しに行くのが最善策なのだが、それもなかなかできなくなってきている人が多くなっているような気がする。

「わかりました。じゃあ、紀子さんの言うことはわかりましたから、しばらくこちらに通ってみてください。利用時間は、朝10時から、よる17時まで。それにここを最後の住処にしてはいけませんよ。それさえ守ってくれれば、こちらで何をしても構いません。勉強をしている方もいますし、なにか趣味をしている方もいます。中には懸賞に応募する原稿を描いている方もいらっしゃいました。だから、人に迷惑をかけなければ何をしても構いませんよ。」

ジョチさんはすぐそういった。お母さんは、じゃあ、ここにおいてくれますかと言って、すぐに製鉄所をあとにした。なにか用事でもあったのだろうか、それとも彼女ともう関わりたくなかったのか、そのまま出ていってしまった。

「私、家族にも捨てられてしまったのでしょうか?」

法子さんは、小さい声で言った。

「いや、そんなことありません。きっとあなたがなにか変われば、親御さんも変わってくれると思います。」

ジョチさんがそう言うと、

「だったら、あの人達のために私に変われと言うのですか!」

と法子さんは言った。家族というのは実に難しいものだ。同じ屋根の下で暮らしているというのは、非常に難しいものである。同じ屋根の下で暮らしていると、どうしても喜びと愚痴が一緒になってしまうことから、それで立ち直りがむずかしくなってしまうのだろう。

「いえ、それはありません。あなたが、生きていけるようにするためですよ。まず初めに、あなたは、生きていかなければなりませんからね。」

ジョチさんが言うと、

「偉い人は、そう言いますけど、実際のところはそのようなことは全くありません。それは働いているから、生きていて幸せだと思えるのです。働いていない人は、そう思っていたらだめです。」

と、法子さんは言った。

「そうですか。なぜ、働いていない人は、生きていて幸せだと思っては行けないのでしょうか?」

ジョチさんがそうきくと、

「はい。それをしたときは、犯罪を犯したときしか感じられないと言われました。働いていない人が幸福になるのは犯罪をしたときだけで、それ以外のときに幸せだと思っては行けないって言われました。一番犯罪に走るのは無職です。だから私は、幸せだと思わないことで、犯罪に走る可能性を抑えてきました。17年間そう思って生きてきた。だから犯罪に一度も走らないで生きてきた自負心が私にはあります。」

法子さんはそういうのであった。

「そうですか。それは誰が言ったのですか?」

ジョチさんは確認するようにそう言うと、

「学校の先生です。学年主任の先生がそういったことで。」

法子さんは即答した。学校の先生も、メチャクチャなことを言うものだ。そんな余計な意識を植え付けてしまうのであれば、学校なんて有害なものに過ぎないということが、明らかにわかってくる時代になってきたなとジョチさんは思った。そしてその人は悪くないと、家庭の人が諭してあげれば、また変わるのかもしれないが、それもできない人が急増していると、ジョチさんは思うのである。

「わかりました。それでは、少しずつ、意識を修正できるといいですね。それは、時間が味方してくれるという答えもあるし、他の人がきっかけを与えてくれるかもしれませんよ。それを、待ってみるのもまた良いことでしょうね。そういうことなら、まず初めに、あなたがおかしな教師から言われたことを、できるだけ吐き出すことが必要だと思います。幸い、ここにいる人は、悪い人はいませんから、それをたくさん吐き出してしまってください。」

ジョチさんは、とりあえず、彼女に製鉄所の部屋や台所などを案内して回ることにした。長い廊下を歩いて、四畳半と縁側まで歩いてくると、水穂さんが咳き込みながら、マリーさんに口を拭いてもらっているのが見えた。ジョチさんは水穂さんのことを、一歳説明しなかった。生きていても生きられない人の辛さは、彼女には通じないことはよく知っていたから。

「いいですね。あの人は、ああして誰かに付き添ってもらえるから、きっと、世のため人のためってことを、ずっとしてきたんじゃないですか。それができなければ、社会から庇護を受けることはできませんもの。」

法子さんがそう言うと、

「そうかしら?」

と、マリーさんが彼女に言った。ジョチさんは女同士のガチバトルになってしまうかと思ったが、杉ちゃんがこういうときはマリーさんに言わせろと急かしたので、マリーさんは、先程の話を、聞かせてもらったと、法子さんに言った。法子さんがびっくりしていると、耳が良くないと空襲警報が聞こえなかったとマリーさんは言った。

「あたしは、学校なんて全く行けなかったし、働くなんてシリアでは、体をなんとかすることしか無いのよ。だから、こっちへこさせてもらって、今暮らしているけど、でも、働けるところなんて何もないし、結局、国家で面倒見てもらって、あとは家の手伝いするだけよ。それでも、あたしは、ここにいるの。あたしは、幸せよ。働いてなくても。だってこちらは空襲も、何もありませんから。」

「あたしみたいに、働いてない人が、他にもいたの、、、。」

それは、法子さんにとって、大きな衝撃なのかもしれなかった。少なくとも法子さんは、そうなって生きてきていたのだろうから。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ハチャメチャ人生 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る