2. 夢
仕事で疲れてすぐ寝てしまった両親に、バレないように家を飛び出す。近所の人にも見られないよう細心の注意を払いながら別荘地域へと足を進めた。
初めて会ったあの日からあたしたちは毎日会っていた。でも二週間前、急に夜宵はあたしの前に現れなくなった。
──あたし、何かしちゃったのかな。夜宵がなんであたしを避けているのか理由が知りたかった。
両親の顧客情報を盗み見て、夜宵の別荘へ向かう。夜宵は幽霊なんかではなく、桐生という家の姪御だった。別荘を持つのは彼女の叔父にあたる人で、叔父と一緒にここへ来ていた。別荘地域は似たような家が建ち並んでいて、どれが夜宵の家なのか分からない。
三十分ほど、がむしゃらに探してみたけれど、ちっとも夜宵の家は見つからない。自分の無策具合に呆れて、家に帰ろうとすると、少女の悲鳴が聞こえてきた。
夜宵の声だ。
そっと音がたたないように声の方を覗く。
「俺言ったよなぁ。門限は守れよって」
「ごめんなさい。ちゃんとします。許してください。」
「駄目だ。許さない! おい、さっさと酒持ってこいや。躾してやるからよ!」
……何が起きているの?
絶え間ない暴力の音、夜宵の悲鳴、耳を塞いで逃げ出したくなるほど悲惨な声。
あたしのせいだ。あたしが毎晩、遅くまで夜宵を連れ出したから。
呆然と立ち尽くす。
「どうしよう」
あたしはつぶやく。
夜宵が、あたしの親友が殺されちゃう!
目の縁に涙がたまっていく。
あたしは、ただの高校生で、女の子で、誰も助けることのできない子どもだ。親友も助けられない、ただのガキだ。無力感に苛まれる。あたしはどうすることもできない。
力が抜けてその場にへたり込む。警察に電話しようか。いや駄目だ。警察が帰った後、夜宵がどんな目に遭うか分かったもんじゃない。そんな迂闊な手は打てない。
夜宵の悲鳴と、何かを殴っているような鈍い音が続き、両手で耳を塞いでも、夜宵の泣き声が頭に響く。
あたしは夜宵に何をしてあげられるの?
はっと思いつくと、急いで家に戻り、ハンカチや袋に目一杯詰め込んだ氷を抱えて戻った。
再び夜宵の家の前に立つ。 叫び声や暴力の音はすっかり鳴りを潜めて、夜宵の家は閑静な住宅に変化していた。
どうやって夜宵と接触するのか。ドアチャイムを鳴らして夜宵を呼べるわけない。窓に小石をぶつけて呼び出そうか。いや、そもそも夜宵の部屋を知らない。 自分の考えなしに腹が立つ。
溜め息をついて、あたしは何もできないただの子どもだと思い出して、項垂れる。 夜宵の家の裏の方からすんすんと鼻を鳴らす音が聞こえた。あたしは足をもつれさせながら声の方に向かう。
「夜宵!」
そこには、目を両手で擦りながら、わぁわぁ泣く夜宵が堤防の上に座りこんでいた。家の裏がちょうど海岸だったのか、いやそんなことは今はどうでもいい。
あたしは夜宵に近づいて、泣きそうな声でつぶやいた。
「……夜宵、大丈夫?」
夜宵は潤んだ瞳であたしをみつめると、ティーシャツの裾をまくりあげた。そこには、年月をかけて殴られたような跡が残されていた。黄色く変色した痣に、赤黒い痣が重なって夜宵の真っ白なお腹を侵食していた。顔や手足に痣が無いところを見ると、故意にお腹だけを殴っているのだろう。
氷をお腹に当てて、涙でびしょびしょになった夜宵の顔をハンカチで拭いた。
「いつも、こんなことされてるの?」
夜宵なにも答えない。
「そっか……これ、使って」
夜宵にジップロックにつめた氷を手渡した。夜宵はその氷をぎゅっと抱きしめて、ひっくとしゃくりあげた。
あたしは腕を伸ばして、夜宵を力いっぱい抱きしめた。夜宵はあたしの肩に顔をのせて、さっきよりも大きな声でわぁわぁ泣いた。あたしもつられて涙ぐむ。
二人、暗い空を見上げて静かに泣いていると、海から穏やかな吹き込んであたしたちをゆっくりとなぞっていった。泣きすぎて頭がぼうっとする。
「あのね、わたし、ずっと夢をみてるんだ」
「叔父さんに殴られて、親から見捨てられて、毎日死んじゃえばいいのにって言われる悪夢」
「夜宵……」
「泣かないで、望月暁楽。わたしの唯一の現実。あなたが泣くとわたしも悲しくなるの」
抱きしめた小さな身体が震えている。夜宵の心はもう、限界なんだ。少しの衝撃で壊れそうで怖い。両親からは厄介払いされて、追い払われた先の叔父からはストレスの捌け口に暴力を振るわれている。夜宵の心はそんな現実に耐えられなくなったのだろう。
胸に痛苦の痛みが襲う。なんで夜宵がこんな目に遭わないといけないの。
あたしは壊れかけている友人を必死に抱きしめた。どうにかして、現実逃避するまでに心を壊された夜宵を助けないと。でも助けられるのかな、ただの女子高生のあたしに。
「ねぇ夜宵。逃げようよ。こんなところから」
夜宵がぴくっと震えてあたしをみつめた。
「雄二さんみたいな化け物をやっつけて、二人で生きるの」
「すっごく楽しそうだね、それ」
夜宵が力なく微笑んだ。
「でしょう? 住み込みのリゾートバイトとかやってさ、二人で生きていくの。もう、我慢しなくていい。現実を夢と偽って生きるのはやめよう!」
夜宵は目を見開いて、びっくりした顔であたしをみつめた。あたしは夜宵の手をとって立ち上がる。
「あたしたちまだ子どもだよ。逃げて、それでいいんだよ」
夜宵の目に涙が浮かんでいく。
「うん……。うんっ。ありがとう。望月暁楽」
「明日、あいつを倒そう」
そう言うと、夜宵の瞳がきらりと輝いた。
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