少女には宵の星を

1. 邂逅




 十五歳の夏、夜宵やよいは私の前に突然現れた。

 彼女が消えてしまってからずっと、心に大きな穴が空いたような喪失感が私を襲っている。

 波の音を聞きながら、当てもなく彷徨い、周囲に目を走らせる。

 あの日から、彼女と過ごした日々の残像を探してしまう。

 ほんとうに好きだった、愛していた、ずっと一緒にいたかった。

 ——夜宵。

 夕日が水平線に触れて海がその光を反射している。ひどく静かな海だ。

 思わず目を伏せると、背後から涼しい風が吹き抜けた。秋風に導かれて空を見上げると、宵の明星が美しく輝いていた。

「きれい…………」

 誰かが言っていたっけ、人は死んだら星になると。

 夜宵はきっと、あの美しい金星になっているだろう。

 目の縁に涙が溜まっていく。

 しばらく見惚れていると、隣に人の気配がした。横目で確認すると、死んだはず夜宵が子供みたいに笑ってそこにいた。

 驚きで目を見張る。

「夜宵……?」

 ついに幻影を見てしまったのか、と苦笑し目をこする。再び目を開けるとそこには誰もいなかった。

 気が沈むと急に涙が込み上げてくる。瞼から溢れ、静かに涙を流していると、頭上からクスクスと可愛らしく笑う声が聞こえてきた。

 この声は、この気配は…………まさか、そうなのか。

 あぁ、夜宵だ、今ここにいる! そっと撫でるような風が私をなぞっていく。ふっと顔をほころばせると、頬を伝う涙を乱暴に拭い、つぶやいた。

「夜宵…あのね……ありがとう。貴方のおかげで自分の気持ちがわかったの…………愛してる」

 小さくワンピースの裾を翻しながら、金星に背を向け走り出す。

 暁楽あきらの背景には返事をするように、宵の明星が瞬いていた。






 ◾︎◾︎◾︎






 一学期最後の日。

「暁楽は夏休み何するの?」

 友だちの杏奈が問う。

「あたしの家は、親の手伝いでどこも出かけられないよお」

「あー、そっか別荘に来る人増えるもんね」

 美琴がつぶやく。

 あたし、望月暁楽の両親は別荘の管理人をやっている。夏は繁忙期で、お金持ちが多く別荘に訪れる。旅行など土台無理な話だった。

「杏奈はどこか行くの?」

「ふふん、わたしは家族でイタリア行ってくる」

「裏切り者めー」

「もうお土産買ってくるから許して」

 三人でじゃれていると交差点に差し掛かった。

「ラインするよー」

「お土産楽しみにしてて」

「じゃあねぇ」

 交差点に差し掛かると、友だちと手を振って別れた。夏の暑くて眩しい陽射しがあたしの目を射る。

 あとは坂道をまっすぐに行くだけで着く。

 足が羽根のように軽い。面倒くさかった学校も終わり、夏休みが始まる。

 雲の上を歩くような、軽やかな足取りで坂道をのぼると我が家が見えてきた。

 少し歩いたところには両親が抱える別荘が立ち並んでいて、家にも波の音が聞こえる。別荘の裏には海が広がり、こっちまで磯の匂いが漂っている。胸いっぱい吸うと、家の扉を開けた。






 あたしはすぐに汗だくになった身体をシャワーで洗い流し、上がると冷凍庫からアイスを取り出した。

「いひゃい」

 震えながらつぶやく。

 ひんやりしたソーダー味のアイスが歯に染みる。

 あたしは夏休みの宿題に手をつけたものの、テレビをつけてぼうっとしていた。

 窓を覗くと、もうすっかり夜だった。随分長い時間が経っていたようだ。一人の家は妙に静かで、テレビの音が騒がしく響いている。

 外の空気を吸おうと窓を開けると、海風が吹き込んできた。寄せては返す波の音が聞こえる。もっと近くで波の音を聞いていたい。

 海へ行こう、思い立つと早速窓を閉めて、髪留めをはずした。緩くウェーブのかかった髪を視界の端で捉える。

 別荘地が近い我が家は徒歩で海まで行ける。人気のない海岸は小さい頃からのお気に入りだ。

 クローゼットを開け、どれを着ていこうかと目を走らせる。白いレースのワンピースを引っ張り出すと、姿見の前で合わせてみる。大人っぽくて、あたしに似合っていた。

 お気に入りの三日月モチーフのネックレスをつけ、スマホをポケットに入れて、白いミュールを履き、外に出た。

 家の窓にあたしが反射する。うん、美少女。我ながら肌を白く、髪も茶けていて色素が薄いのでワンピースが似合っていた。




 十分ほど歩くと海が見えてきた。あたしは堤防に登ると、手を広げて海風を全身に浴びた。全てが吹き飛びそうな風は、あたしにとってひどく心地いい。

 濃い藍色の夏の海を堤防の上から眺める。瞼を閉じて耳をすませ、波の音を取り込んだ。ぼんやりと海を眺めていると、急に後ろから声をかけられた。驚きで身を震わせる。

 少女の声だ。あたしと同じくらいの歳の子の。

「だあれもいないと思ってた。あなた、名前は?」

 振り返ると、月明かりに浮かび上がる美しい少女が、あたしをみつめていた。

 無意識に目を見開き、鼓動が早くなっていく。

「望月暁楽」

 あたしは震える声で名乗った。

 でも、それよりも、あたしはそのゾッとするような美しさに目が離せなかった。

 吸い込まれそうになる大きな瞳、筋の通った鼻筋、ふっくらとした薄桃の唇。それらが小さな顔に整然と並んでいる。

 顔の精緻さが同級生とは桁違いだった。

「望月暁楽、望月暁楽ね」

 鈴を転がしたような声に、惚けていた顔を元に戻す。

 彼女は何度もあたしの名前を繰り返すと、突然海に向かって走り出した。

 彼女は振り返ってあたしを呼ぶ。

「望月暁楽! おいでよ」

 あたしは突然の行動に驚きつつも、彼女を追いかけた。

 砂浜に足跡を残しながら彼女を追う。

「ねえ! あなたの名前はなんて言うの!」

 肩で息をしながら、海岸で足を止めた彼女に問いかけた。彼女はゆっくり振り向くと、艶やかに微笑んだ。

「わたし? ふふ、夜宵だよ。夜に今宵の宵って書くの」

 夜宵の黒いワンピースの裾が揺れる。

 夜に溶けているような黒髪。星がモチーフのネックレス。

 青白い肌が目立つ夜に、夜宵の繊細な美貌が映えていた。

「夜宵、もしかして……」

 暁楽の声を遮るように夜宵が近づいた。

「わたしはね、幽霊なの」

 夜宵はにやりと笑った。

 急速に色付き始めた世界にあたしの胸が震えている。

 この退屈が覆るような、そんな予感がした。




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2024年12月4日 00:00
2024年12月5日 00:00

少女には宵の星を @eri_han

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