なんとなく魔術師

帆尊歩

第1話 大神五月を探せ


「ねえ、五月見なかった」と、僕は学食全体の人聞に聞こえる声で叫んだ。

その声の大きさに驚く学生はいるが、内容に興味を示す者はいない。

「ああ、五月ならさっきまでいたんだけれどな」と、二十メートル先にいる公ちゃんから返事が来る。

この声も学食に行き渡るくらいの声だ。

わざと大声を出し、それに違和感がないように、あえて離れて会話をする。

「あたし見たよ。三号館の方に向かって行った」さらに、僕と公ちゃんの間当たりにいる由香里が答える。

「そうなの、ありがとう」

「なんか五月に用?」

「いや講義の件で。いや、いいんだ」



「あれ五月、帰っちゃったの?」と、今度の僕は四階にある、壁ぶち抜きの大教室で叫ぶ。

「ああ、さっき帰った」公ちゃんが言う。

大学生にもなって、公ちゃんもないが、こいつは学生にくせに髭ずらで、下手をすると先生に見える。こいつとは幼なじみで、昔は可愛かったのだ。

「なんで」

「なんか習い事があるらしいよ」

「習い事?」

「バイオリンでしょう」公ちゃんの後ろ三メートルくらの所から、由香里が話しに加わる。

「五月、バイオリンやっているの?」

「知らなかった?結構長いらしい」

「大学生にもなって習い事って」と、あきれたように公ちゃんが言う。

「だって五月の家、凄いお金持ちだから」

「金持ちと、習い事って関係あるの」公ちゃんは、素朴な疑問を投げかける。

「家、デカいとか?」

「デカい、デカい。あたし行ったことあるけれど。お嬢さまという感じ」

「じゃあ、しょうがないか」と僕が言う。

「何がだよ」と、公ちゃんが言って、話を終わらせる。

内輪の会話なので、関係のない学生は聞き流している。


僕と公ちゃんと由香里の三人は、このあと、こういう会話を三カ所で繰り返した。

さすがに疲れて、アジトに帰る。

アジトは社会学部研究棟の三階、三上講師の研究室だ。

「お疲れー」と声だけは明るいが、三上講師は一心不乱にパソコンに何かを打ち込んでいる。

由香里が冷蔵庫から勝手に、ペットボトルのお茶を三本取り出して僕らに配る。

「ありがとう」と僕が言う。

僕らは、どこかの教室からかっぱらってきたような折りたたみの机と、パイプ椅子にぐったりと座り込み、由香里に配られたペットボトルのお茶を飲んだ。

「疲れた?」と、このときだけは三上講師はモニターから顔を上げた。

自称女盛りの二十八歳、三上沙織講師は机の上のめがねを掛けると、机から立ち上がった。スーツというより、カジュアルなワンピースという感じの服装で立ち上がると、ギリ、学生で通るかもしれない。

「どう反応は?」

「反応なんかあるわけないじゃないですか」一応僕がリーダーのようになっている。

「それはそうか。まだ三日目だからね」

「あの先生」と由香里が言う。

「何」

「こんな実験、なんか意味があるんですか」

「意味と言われると」と、三上先生は、腕を組んで考えるような仕草をする。

「今はね。でもそのうちこの研究を応用して、もの凄いことが成し遂げられるかもしれない。たとえ、その時に私達が生きていなくても、私達の名は永遠に残るでしょう」三上先生は身振り手振りで、窓の外、遠くを見るように言う。

「すみません、聞いた私がバカでした」と、興味なさそうに由香里がもう一口お茶を飲んだ。


部屋の横には、大きなホワイトボードが置いてあり、左上に大神五月、と書かれている。

そしてその横には、細かくプロフィールが書かれている。

身長百六十八センチ、体重四十八キロ、長いストレートの髪に、スレンダーなのに、バレーで鍛えたしなやかな体。

顔は上品で、美しいと言うより可愛い。

優しく誰にも分け隔てなく接して、欲はなく、非常に素直な性格。でもその性格には、一本芯が通っている。

子供の頃からバイオリンをしている。

父親は大企業の重役で、母親は料理研究家。


「これが大神五月ですが、作りすぎじゃないですか」僕は横座りをして体をひねり、ホワイトボードを見上げた。

「どういうこと」

「女子学生の理想ですか」

「無理があるかな?」と三上先生は言う。

「リアリティーに欠けると言ってるんです」由香里が急に話す。ずっと思っていたことらしい。

それはそうだよなと、僕も思う。

「それはまあ」

「先生は、こんなプロフィールの学生が存在すると思いますか?」由香里のあきれたようなコメントは、もっともだ。

「どうせ実験なんだから、うんとかっこいい子にしたいじゃない」と、三上先生は恥ずかしげもなくいう。

そういう言い方をするから、学術的な色合いが薄れるんだ。

「こんな子いませんよ。自分の理想を、書き連ねただけじゃないですか」

「だから良いのよ。多少リアリティーのない子であれば、ある程度、そういう人間の存在を認識させることが出来れば、さらにこの実験の意味は大きい」

「僕も由香里と同意見で、どうかと思いますけれどね」

「加藤君は恩師に対して失礼ね」

「先生、自分で自分の事を恩師という恩師はいませんからね」

「とにかく今回の実験は、この架空の大神五月という女子学生が、うちの大学に存在することを、多くの人に認識させることが出来るかどうかという、壮大な実験なんだからね。

これが成功したら、三人の単位は私が保証しよう」

「社会学以外の単位は、どうするんですか。先生は他の先生と密約が出来ていると言うことですか?」

「いや、他はそれぞれ頑張ってよ」

「はあー」



「伸也は、今回の実験どう思う」帰りながら、由香里が聞いてくる。由香里は僕の彼女になる直前の友達だ。

ちょうど今が、その乗るかそるかの瀬戸際だ。

「いや、実はかなり危険な実験だよな」と、僕がだれともなく言う。

「三上先生、あんな感じだけど、何考えているか分らない」と公ちゃんが言う。

「それはそうだよな、二十八歳で講師、いくらうちの大学が、大した大学ではないとはいえ、二十八歳で講師だからね」

「そうだね。大学院を出て、たいして経っていないでしょう。でも伸也、危険というのは?」

「だって考えて見ろよ。いないはずの人間を作るんだよ。これほどに情報操作はない。なんかの責任や、罪を被せることも出来るし、何らかのスケープゴートを作ることも出来る。存在しない人間なら、心も痛まないし」

「でも、現実にはいないわけでしょう」

「だから、本当に犯罪とかならダメだけれど、もうどうしようもないけれど、誰かが責任を負わなきゃならないような時とか」

「それがどういう局面か分らないけれど」

三上沙織は謎の多い講師だ。

変にクールで、本当に何を考えているか分らない。何処かおちゃらけた言動や仕草も、本来の三上沙織を見せないためと思えてくる。



それから僕らは、一日三回人が多そうなところで、その場にいない大神五月の話をした。

無論、僕らの仲間ではない人間にとって、大神五月は知らない女子学生で、なんとなく聞いていて、ああそんな学生がいるんだなと、少しづつ刷り込んで認識させていく。そうしているうちに、全く関係のない学生にどれくらいの期間で、

「五月を見なかった?」

「ああ、今日は見ていないな」と言わせられるか。

当然会った事のない学生だけれど、いつも側で僕らが大神五月について話ているうちに、大神五月に会ったことないのに、会ったと錯覚させて返事をさせる。

由香里が、そんな実験に何の意味があるんだと言うのは分る。

でも三上先生によれば、対人関係はその人物を認知することだと言う。

テレビのニュースで人が死んだとしても、泣いたりはしない。でも友達が死ねば涙が出る。

人の死という事実は変わらないのに、なぜ人によって泣いたり泣かなかったりするのか、それが認知だと言う。

その人が自分にとって、リアルな存在感として認知していれば、泣けるというわけだ。

もっと簡単に言うと、同じ学食で、大神五月が死にましたと聞いても、大神五月を認知していなければ、ああそういう学生が死んだんだって言う情報でしかない。

でも大神五月を認知していれば、大神五月が死んだと言う情報は、情報ではなくなり、訃報となる。

大神五月という存在を情報として、知らない人に知らせることは簡単だ。

でも、存在しない大神五月を認識させられるかどうか、これがこの実験だと言う。



あるときは、三上先生が加担するときもあった。

三上先生が担当する講義で、出席の時大神五月を呼ぶ。

「はい、次大神さん。大神五月さん。大神さんいないの?」

「どうしたんですか」と、何も知らない学生を装った僕が言う。

「さっき見かけたんだけど」

「大神さん、お父さんの誕生パーティーの準備があるとかで、帰りました」と今度は由香里が言う。

「はー、小学生じゃあるまいし。親の誕生日で帰る?」

「先生、むしろ大学の方が小学校より帰りやすいんじゃないですか」と、今度は公ちゃんが言う。

「そんな事言ってんじゃないの。どんだけお嬢様なんだよ、と言っているだけ」お嬢様が壺に入ったのか、少し教室に笑いが起った。



「先生、そろそろ良いんじゃないですか」

三上研究室で、ペットボトルのお茶を飲みながら僕が言う。

「そうね。この研究がうまくいったら、この論文でイグノーベル賞を取るのが夢なんだよね」

「イグノーベル賞って、こんな社会学の実験でも取れるんですか?」

「さあ」冗談かよ。

「アッ、でもみんな明日からは合いの手は入れないように」

「合いの手?」

「そう、今までは五月見なかったと言って、誰かが返事をしたでしょう。

もう明日からはそれを入れない。誰かが見てないと言ったら、第一段階は成功」

「ああ、確かに。でも本当にうまくいくのかな」

「いかなければ、合いの手を入れることからまたやる」

「そうか」

「あっ、でも加藤君ゴメン、私、学会で明日から一週間いないからよろしく」

「えー。なんかあったらどうするんですか」

「まあその時は、任せるから。良きにはかって」

「何ですかそれ」



仕方なく、合いの手を入れない声かけをする。

合いの手が入らないのなら、三人で動く必要はないという事で、個別で声かけをしていく。

五月見なかった、と言っても、さすがに返事はしないよな。

大神五月を見たことがある学生は、僕らを含めて存在しないんだから。

ところが二日目の午後、四十人の教室で、声かけをしたときのことだ。

「大神五月見なかった」すると、

「大神五月なら、さっき帰ったよ」という声が聞こえた。一瞬、合いの手は入れてはダメなのにと思ったが、由香里も公ちゃんもこの教室にはいない。

僕は慌ててその学生のところに向かった。

「本当なのか。本当に大神五月がいたのか」その気迫で、彼は恐れをなしていた。

「えっ、ああ、なあ」と彼は近くの仲間の方を向いた。


僕は慌てて、公ちゃんと由香里をアジトに呼び戻した。

三上研究室は、三上講師が留守でも、僕らには開放されている。

「どういうこと。大神五月が実在するなんて」

「誰かに担がれたんじゃないか」

「いや、だから」と、僕はホワイトボードの前で説明を始めた。

「その学生が言うには、教壇の所に一人の女子学生が現れて、みんなに声掛けをしたらしいんだ」

「なんて」

「私は大神五月と言います。もし私を探している人が来たら、帰ったと言ってくださいと」

「ええー、特徴は?」と、公ちゃんがテーブルに肘を掛けて、体をホワイトボードに向けて言った。

「聞いたかぎりではこの通りだった」と、僕はホワイトボードを叩いた。

「先生には?連絡した?」

「もちろん。でもつながらなかった」

「あっちこっちで俺たちが大神五月を探しているのは、もうかなり有名なので、大神五月という名前は知っているだろう。面白がって、担がれたんじゃないか」

「いや、そんな感じには見えなかった」

「特徴がそのとおりなんでしょう」と、由香里が顎でホワイトボードを指す。

「そうなんだよ」

「その特徴はみんなに話していないよね」

「髪の長いスレンダーで可愛い、大神五月を知りませんか?なんて、言わない、言わない」

「そうだよな。大神五月の特徴を知っているのは、ここにいる三人と、先生だけだ」

「まさか先生が仕込んだ?」と、由香里が疑うように言う。

「だって、学会でいないだろう」

「でも、誰かに頼んで仕込むことは出来るでしょう」

「二人とも、ちょっと待って。なんの意味があって、先生がそんな事する?」

「そうだよ。それにそんな特徴ぴったりの女の子なんて」髭ずらの公ちゃんが、女の子なんて言うと、なんがだかオヤジっぽい。

「例えば、実際にいる子の特徴を、このホワイトボードに書いたとか」

「由香里は、先生が怪しいって思っている?」

「伸也は思っていないの?」

「いや、思っている」

「まあまあ、二人とも、先生もいないことだし、声かけを続けて、いないはずの大神五月の尻尾をつかめば良いんだろう。そうすれば、裏で糸を弾いているのが誰だか分る」なぜか公ちゃんが仕切る。

でも、どう考えても先生しかいないんだけれど。


次の日からも声かけは続いた。

もう、大神五月の認知がどうのという段階ではなく、本物なのか偽物なのか、その真相をつかむことに、僕ら三人は終始した。

確かに、僕に大神五月の帰ったと言った学生は、嘘を付いているようには思えなかったが、たとえば誰かに伝言されていたとすれば、大神五月は存在しない。

その嘘情報を流した奴が、いるという事だ。

でも、一週間経っても、五月を見たという人間は現れない。

あまりに現れないので、逆に僕が嘘を付いたのではと、由香里と公ちゃんに思われる始末だ。

そして、そんな事をしているうちに、先生が帰って来た。

「先生、大変だったんです」

「何が」

「大神五月が現れました」

「はいっ」

「先生の仕込みじゃないんですか」

「なんで私が。と言うか、電話くれれば良かったのに」

「しました。でも圏外で」

「いつ?」

僕は、電話を掛けた日付と時間を言った。

「その時は、公演中だから。でもその日の夜くらいからは、繋がったと思うけど」

「伸也、まさか一回しか先生に電話していないの?」

「イヤだって、先生が怪しいから。もう出ないと思って」

「それは、完璧な先入観だね。なんかお見事って感じ。私は、先入観の研究もしているんだけれど」

「いえ、そんな事は良いんです。先生が仕込んだんじゃないんですか」

「だから、どうしてそういう事になるの?」

「だから、いつものように声かけをして知らないというなら、実験は成功ですよね、ところが、さっき帰ったって。

おかしいでしょう、だから特徴を聞いたら、そのホワイトボードに書かれている通りの、女子学生が教壇の前で言ったらしいんです。で

(私は大神五月と言います。もし私を探している人が来たら、帰ったと言ってください)

と、言ったらしいんです」

「なるほど」

「先生の仕込みじゃないんですか」

「違うよ。でもちょっと心あたりがある」

「本当ですか」

「うん、でも確認するから。ちょっと待って。あっ、でもそれまでに、もし大神五月を見つけたら、丁重にここに連れてきて」

「はい、分りました」


それから三日ばかりして、僕らは先生に呼ばれた。

「結論から言うと、大神五月はいました。だから加藤君に話した学生は、嘘を付いてたわけではありません」

「どういうことですか」

「まあ、みんなでお茶でもしましょう」

「お茶ですか?」

「そう、ちょっとみんなで出掛けます」

「出掛けるって」この局面でお茶をしに出掛けると言うことは、何かを見せたいと言うことかと理解したので、僕ら三人は、おとなしく先生のあとについて行くことになった。

連れて行かれたのは、電車で二駅くらの駅から、さらに徒歩で十分くらの所にあった。


豪邸だった。


こんな豪邸に来るなら、駅二つくらいタクシーで来ようよと思ったが、なぜか四人仲良く電車でやってきた。

先生が呼び鈴を押すと、中から若い娘が出てきた。

そしてそれは、大神五月その者のたたずまいだった。

慌てて僕は三歩下がって、もう一度表札をきちんと見た。

大神とある。

「あー、大神だ」僕が驚いたように声を上げると、由香里と公ちゃんが弾かれたように戻った。

「本当だ」と、由香里が言う。

「どういうこと?」と、公ちゃん。

唖然とする僕らを尻目に、娘は上品にお辞儀をした。

白いドレス、身長百六十八センチ、体重四十八キロ、長いストレートの髪に、スレンダーなのにバレーで鍛えた、しなやかな体。顔は上品で美しいと言うより、可愛い、優しく誰にも分け隔てなく接して、欲はなく、非常に素直な性格。でもその性格には、一本芯が通っている。

子供の頃からバイオリンをしている。

父親は大企業の重役で、母親は料理研究家。

という所かどうかまでは分らないが。

この家の大きさから見ると、大企業の重役かもしれない。

プロフィール通りの人間がそこにいた。

「大神睦月と申します。先生、皆さんようこそ。どうぞお入りになってください」

「先生、これは?」

「まあ、説明は中でするから」

リビングに通されると、そこはだだっ広い広間で、ピアノが置いてある。

それも、グランドピアノ。

それが、部屋の一部に置いてあるというくらいに見えるということは、いかにこのリビングが広いかということだ。

家具や調度品も、なんかフランス当たりのお城の中のような雰囲気だった。

「俺、こんな部屋、ドラマか映画でしか見たことなかった」

「あたしも」と、公ちゃんのつぶやきに、由香里が答える。

「本当にあるんだな。こんな部屋、現実には存在しないと思っていた」と、僕がぼそっと言う。

「今、お茶の用意をしますね。皆さん、お座りになっていてください」

よく分らないが、こういうものをバロックとか言うのか。

「先生」と、由香里が不安そうに三上に言う。

「まあ、本人の口から聞くのが良いでしょう」

大神睦月と自己紹介した娘は、バカでっかいティーポットを持って来た。

ポットとティーカップは持ち手とかが、変にぐるぐる波打っている。

睦月は、僕らの前にティーカップを並べて、お茶を注いでいった。小さなお菓子だと思われるものが、一緒に配られた。マカロンだった。

「このミニドラ焼きのようなの、なんだ」と、公ちゃんが誰ともなく小さく言う。

「マカロンだよ」と、由香里が吐き捨てるように言う。

「そう言うんだ。知っていたか?」と、僕に振る。

「当然知っていたさ。栗が入っているんだよな」

「それはマロン、マカロンだから。何年日本人やっているのよ」と、怒ったたように由香里が言う。

「でも、マカロンはフランスのお菓子ですから、日本人は知りませんよね」大神睦月が優しく言うが、悪気がなく、フォローしたつもりだろうが、なんかバカにされたように感じるのは、僕の被害妄想だろうか。


「あらためまして、大神睦月です。この度はご迷惑をおかけしたようで、本当に申し訳ありませんでした」

何がだ。全然話が見えないぞ。

「まず、大神五月は私の姉です」

「存在しているんですか?」と、由香里が誰ともなく言う。

「いえ、存在していたというのが正しいです」

「存在していた?」と、唖然とする僕と公ちゃんに変わり、由香里が睦月と話す。

先生は、マカロンをちびちびかじりながら、紅茶を飲んでいる。

完全に傍観者を決め込むらしい。

「姉は、一昨年病気で亡くなりまして、ちょうど今の私の年でした。姉は、最後に大学生になってみたいと申しておりました。」

「大学は受験されなかったんですか?」由香里の疑問は当然だ。

「ええ、姉は体が弱く、学校も満足に行くことが出来なくて」

「そんなに悪かったんですか?」

「ええ、お医者様からは十歳までは生きられないだろうと言われていました。そうすると、七五三なんかは大イベントで、よくここまで生きられたと」

「そうなんですか」完全に由香里は、同情モードに入っている。

いや、それは僕と公ちゃんもなんだけれど。

「姉は良くそのピアノの椅子に座って、窓の外を眺めていました。ほとんど外出の出来ない姉にとっては、この窓に切り取られた空が、姉にとっての全ての世界で、唯一の空だったのかもしれません。そんな姉が他界しまして、悲しみに暮れていたとき、三上先生から、(なら五月さんに大学生になってもらいましょう)と言われ、最初は何の事を言っているのか分らなかったんですが、ちょうどしたい実験もあるということで、今回の事をすることとなりました。ところが、段々私も参加したくなりまして、この間のようなことになりました。皆さんには、大変ご迷惑とご心配をおかけしました。本当に申し訳ありません。でも、姉を大学生にさせて上げられたようで、本当に嬉しかったです。本当にありがとうございました」

「いえ、こちらは実験をしていただけなんで」


帰りながら、なんか狐につままれたたような感じだった。

吊革につかまりながら、先生が言う。

「みんなに黙っていてごねんね。でも体勢に影響のない事だし、別にこの事実を知ったからと言って、何かが変わるということではないから、実験は継続で」

「はーい」



結局(五月を見なかったか?)と言って、(アッ見ていない)と言う返事は来なかった。

さすがに、そんな錯覚なんか起こさないというオチになり、実験はいったん終わることになった。

そして三ヶ月後、三上先生は、別の大学に招聘されていなくなった。

アジトを失った僕らは、学食の一角をアジトに決めて、日々そこに集まった。

別に集まったからといって、三上先生がいなくなった今、何をするでもないんだけれど。

三人でカレーを食べながら、なんとなく楽しかったなー、と言い合っていた。


「五月」と、どこからか呼ぶ声が聞こえた。

僕ら三人は、弾かれたようにそっちを向く。そこには、少しぽっちゃりした女子学生が手を振りながら、別の女学生に近づいていた。


「そういえばさ。三上先生いなくなって、大神睦月さんはどうしたのかな」と、僕が思い出したように言う。

「そもそもさ、三上先生とはどういう関係だったのかな」

「そうなんだよな、俺も由香里と同じように思っていた」という公ちゃんに

「嘘付け」と、僕が突っ込む。

「ねえ、三人で大神さんの家に行ってみない。睦月さん、どうしているのかな」

「そうだな、三上先生とどういう関係か教えてもらおうよ」

「そこ、こだわる」と、公ちゃんに突っ込む僕も、もう一度大神さんの家に行ってみたくなっていた。


次の週僕らは、三人で大神さんの家に行ってみた。

ところがその家は、売りに出されていた。

のぼりが立っていて、誰でも入れる感じだったので、恐る恐る入ってみる。

僕らと大して年の変わらない、若造が出てきた。

「あの、ちょっとお尋ねしますが、このお家はいつから売りに出されているんですか」

若造は冷やかしかよと言う顔を一瞬みせて、急に笑顔になった。

「興味ある?君ら冷やかしだよね」

「えっ」

「まあいいや。お茶でも飲んでいく?暇なんだよなー」

「あっ、いやー」

「ああ、ゴメン、質問に答えてないね。売り出されたのはここ一ヶ月くらい」

「そうなんですね、ここに住んでいた大神さんは?」

「大神?それいつの話?」

「三ヶ月くらい前」

「イヤイヤ、ここ売りに出されたのは一ヶ月前だけれど。その前三年くらい、ショールームだから。その前だって、確か大神なんて大それた名前じゃなかったと思うけど」


僕らはすすめられたお茶も飲まずに、大神家をあとにした。

ファーストフードに入って、コーヒーを飲む。

「どういうことだ?」と公ちゃん

「嘘だったという事?」由香里

「何処までが本当で嘘?」そして僕。


「なんかさ、三上先生って、魔術師みたいじゃない」

「何それ」と、公ちゃん。

「だってさ。ないものをあるように見せたり、ある物をないように見せたり」由香里の言い分はもっともだ。

「何処までが本当で、何処までが嘘。そもそも、僕らは実験をしていたんじゃなくて、僕ら自身が実験台だったとか」

「そうかもしれないね。あたし達、先生の手の平の上で転がっていた」

「俺、良いキャッチフレーズ思いついた」公ちゃんが意気揚々と言う。

「何だよ。早く言えよ」

「社会学部講師、なんとなく魔術師、三上沙織」

「なんだよそれ」

「それでは皆さん、ご一緒に」

「何だよそれー」と言いながら、僕ら三人は(社会学部講師、なんとなく魔術師、三上沙織)と叫んでいた。

三人で声を合わせて叫ぶと、嘘を付かれたことも、騙されたことも、何だかどうでもよくなっていた。

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なんとなく魔術師 帆尊歩 @hosonayumu

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